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夏休みの教室  作者: ひぃ
7/9

第7話:不安

彼女が入院することになって、俺は毎日彼女の元へ通うようになった。

「そう言えば、学校……」

見舞いに来て4日目。彼女が思い出したように呟いた。

「梶山君、学校ですよ! 補習が……」

「あ、大丈夫。ヤマ先生に了解取ってあるから」

俺はシャクシャクと自分で切った林檎を口に運んだ。彼女は心配そうな顔をしている。

「本当だよ。ヤマ先生から見舞いに行ってやってくれって、頼まれたぐらいだから」

まぁ、頼まれなくても勉強サボって行くけどね。

この間、自分の気持ちが分かって以来、何だか体が軽い。ふわふわと常に宙に浮いている感じだ。いつもと変わらない毎日のはずなのに、キラキラと輝いて見える。恋って素晴らしい……!

「でも勉強しないと……あ、いい考えがあります」

彼女はぱんっと両手を叩いた。そして、ベッドの隣に備え付けられている、棚の引き出しから教科書を引っ張り出した。

「ちょ、ちょっと」

「私がここで勉強をみます。これなら大丈夫ですよ」

彼女はにっこりと微笑んだ。しかし今の俺の顔を見て、だんだんと眉が下がり、目が垂れ目になっていった。

「……駄目ですか?」

「えっ、あ、駄目なわけじゃないけどさ」

俺は慌てて考えた。ここまで来て勉強だなんて冗談じゃない。こっちはやっと自分の気持ちに気が付いたんだ。しばらくはこの気持ちに酔っていたい!

「あ、伊東はまだ本調子じゃないだろ? 俺のことは心配しなくていいんだ。今は自分のことを考えてくれよ」

「それが、病院の先生にも伝えてるんですけど、私、本当に大丈夫なんです。入院なんて、こんな大袈裟な……」

「大袈裟なことじゃないよ。また何かあったら大変だろ」

俺は切った林檎を食べた。彼女は何か言いかけて、でも結局何も言わなかった。

「なに?」

「いえ、何でもないです」

彼女は布団を頭まですっぽり被せた。その口調、仕草から、俺に対して怒っているような感じがした。

「どうしたの?」

聞いてみても、彼女は深海の貝のように口を開かない。俺は、また海のときのように興奮させてはいけないと思い、それ以上は聞かなかった。

それからというもの、見舞いに行っても彼女の態度からは、俺に対して何かしらの怒りを感じるようになった。当然気になって仕方がなかったが、前のことが俺にとってとても深くのしかかり、踏み込んで聞くことが出来なかった。そんなある日、俺にとって嬉しいニュースが飛び込んできた。




「手術ですか?」

彼女のお母さんが嬉しそうに笑いながら教えてくれた。ちょうど、病院の自動販売機でコーヒーを買ったばかりだったので、その話を聞いたときは、コーヒーが手からひっくり返りそうになった。

「いつするんですか?」

俺とおばさんは病院の談話コーナーに移動した。ここは畳が敷かれていて、とても和めるスペースになっていた。

「実はね、日本で受けるんじゃなくて、アメリカ受けるのよ」

「ア、アメリカ!?」

海外遠征みたいなものか。……いや、ちょっと違うな。

「凄いですね。その手術を受けたら、病気は治るんですよね」

俺ははやる気持ちを抑えて聞いた。しかしおばさんからは、歯切れの悪い返事が返ってきた。

「えぇ、でもね……」

「どうしたんですか?」

「その手術の成功率が、30パーセントもないの」

30パーセントもない? それってつまり……。

「成功しない確率が高いってこと……」

おばさんは静かに頷いた。いつの間にか談話コーナーには、俺とおばさんだけになっていた。窓の外から蝉の鳴き声が聞こえた。

「そのことは本人には?」

「昨日伝えたの。そしたら小春、手術は受けないって」

「ど、どうして?」

俺の心臓は口から飛び出るくらい、大きな脈を打った。じわりと汗がにじみ出た。

「私にも分からないの。何度聞いても教えてくれない。私と主人は、例え成功率が低くても、治る可能性があるならって考えてるんだけど」

おばさんは、ふぅっと息を吐き、よいしょっと立ち上がった。

「もしかしたら、梶山君にだったら、理由を話してくれるんじゃないかなって思ったの」

「そうですか……。俺、その理由聞いてみます」

「ありがとう。私もね、頑張って説得するつもりよ。あの子にはまだまだ、知らないことがたくさんあるから。こんなところで躓いてほしくないからね」

私は今日は家に帰るから、梶山君はゆっくりしていってね、とおばさんは俺に会釈をしてその場を後にした。俺は持っていたコーヒーをぐいっと飲み干した。




「伊東?」

俺は静かに病室のドアを開けた。返事はなかった。彼女は上半身を起こし、窓の外を見ていた。

「起きてたなら返事しろよ」

「……ごめんなさい」

俺はベッドの隣に置いてあった椅子に座った。ふわっと窓のカーテンが風のせいで揺れた。涼しい風だった。

「もう夏も終わりですね」

彼女がじっと外を見ながら言った。日はもう傾いていて、赤とんぼが、あちらこちらに飛んでいた。俺は久しぶりに、彼女から話しかけてくれたので嬉しくなった。

「そうか? まだ暑くて嫌になるけどな」

「夜はもう涼しいですよ」

俺は壁に貼り付けてあるカレンダーを見た。今日は8月20日なので、夏休みはあと11日しかない。もうすぐ9月、新学期が始まる。

「夏休みが終わるな」

今年の夏を思い返してみた。全教科赤点を取ったせいで、夏休み中に学校で勉強をするハメに。嫌々行った学校で彼女に会い、俺は彼女に恋をした……。まさか自分がこうなるとは予想もつかなかったな。

「あ、そうだ」

俺はおばさんの手術の話を思い出した。

「手術……受けるだろ?」

ぴくっと彼女の手が反応した。そして顔を俺に向けた。どうして俺が、手術のことを知っているのか分からないみたいだ。

「おばさんに聞いたんだよ。伊東がアメリカで手術を受けることが出来るって」

「そうなんだ」

彼女の顔は、手術が受けられて嬉しい……というより、考えたくないことを、目の前に叩きつけられてしまったような、バツの悪い顔だった。

「何で受けないって言ったんだよ」

「何でって……当たり前です」

「当たり前?」

俺は少し声を強めて聞いた。

「その手術の成功率、聞きましたよね? 半分も無いじゃないですか。そんな不安な手術、簡単に受けたいなんて考えられません」

「……そりゃそうだけど」

成功率30パーセント未満。とても可能性が低い数字だ。でも俺は彼女を死なせたくない。このまま彼女を、病気との一生で終わらせたくない。

「数字は低いけどさ、今しかないんだぜ? 治る可能性がないわけじゃないだろ」

「……私の何が分かるんですか?」

今まで聞いたことがないような、彼女の冷たい声が俺の体を刺した。

「私の気持ちが分からないくせに、簡単にそんなこと言わないでください」

「い、伊東?」

予想外の彼女の反応に、俺は何を言ったらいいのか分からなくなった。ただただ、彼女を落ち着かせることだけを考えていた。

「興奮しちゃだめだよ。ほら……」

彼女をなだめようとしても、彼女が俺を受け入れなかった。

「触らないでっ!」

彼女はドンッと俺の体を押し返した。体全体で俺を拒絶していた。……それがスイッチとなってしまった。今まで積もりに積もった、彼女から感じていた、理由の分からない怒りを、俺はとうとう爆発させてしまった。

「何だよ」

俺の低い声に、彼女は我に返ったようだ。ご、ごめんなさいっ、と俺を押していた手を引っ込めた。けれどもう遅かった。俺の心の言葉は、とめどなくあふれ流れた。

「分かるわけねぇだろ!」

かっとなった俺は、彼女を見下ろす形になった。彼女は震える瞳で俺を見上げていた。

「ご、ごめ」

「お前が言わなきゃ何も分からないんだよ! 前に言ったよな、俺と一緒にいたい、生きていたいって! あれは嘘だったのかよ!?」

はぁはぁと、俺は肩で息をしていた。

「嘘なんかじゃないです。あれは本当に……」

一呼吸置いて、彼女は震える声で答えた。俺は収まらない熱にまかせた。

「だったら何で!」

「生きたい……生きたいけど、そんな可能性の低い手術に望みなんて持てない」

彼女は瞬きもせずに続けた。大粒の涙が布団のシーツに落ちて染みになった。

「もし手術に失敗してすぐ死んでしまうより、今生きてる、この瞬間を生きていたい。今を生きたいの」

「そんなの……」

俺は彼女の思いを聞き、あんなに熱かった心がだんだんと温度を下げていった。じわじわと涙がこみ上げてきた。

「そんなの寂しいじゃないか」

俺の言葉に、一瞬彼女の涙が流れるのが止まった。

「今を生きたいって、今を生きたって伊東の明日には繋がらないんだぜ?」



だってそうだろ?


お前は病気なんだ。いつ発作が起こるか分からない。もしかしたら、来年は死んでしまっているかもしれない。来月には、来週には、明日には……。毎日が病気と一緒なんだ。病気に怯えて生きていくんだ。そんな毎日、生きてるって言えないだろ?


そうじゃないだろ?

俺たちは、ただ今を生きてるんじゃない。

明日に繋がる今を生きてるんだろ?



「……俺、お前のことが好きなんだ」

鼻をずずっと鳴らして言った俺の告白に彼女は瞬きをした。

「だからお前には生きてほしいんだ。今だけじゃなくて、明日も来年も」

「梶山君……」

彼女の呟いた言葉に、無我夢中だった俺は我に返った。どうやらスイッチが切れたみたいだ。

「あっ、だ、だからさ」

俺は急に恥ずかしくなった。ここから逃げ出したくなった。

「とにかく、手術を受けろってこと! 可能性がなんだ、数字なんかに惑わされるな! あと、おばさんが心配してたからなっ」

早く去りたい気持ちが強くなり、そうだ、今日は用事があったんだ! と、大きな独り言を口にした。

「じゃ、じゃあまたな」

「はい、また」

いつの間にか、彼女はいつもの笑顔を見せていた。俺は手を振り、彼女の病室を後にした。


あぁ、なんて恥ずかしい台詞を言っちゃったんだろ。しかも告白しちゃったし。帰りの電車の中。俺は電車のドアに体を預けていた。ガタン、ゴトンとリズムのいい電車の振動が俺の体に伝わった。

恥ずかしい台詞だけど、本当にそう思ったんだ。俺は彼女と一緒にいたい、生きていたいんだ。

「手術、受けてくれるかな……」




俺が人生初めて告白をした日から翌日。俺は、恥ずかしくて顔を合わせたくない気持ちと、手術のことが気になる気持ちがごちゃ混ぜになっていた。しかし、ふんっと自分に気合いを入れて、病室のドアを開けた。そこには元気な様子の彼女がいた。笑顔で出迎えてくれた彼女は開口一番、こう言った。

「私、手術を受けることにしたんです。また梶山君に、いろんなものをもらっちゃいましたね」

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