第1話:テスト
夏。それは新たな出会いを感じさせる季節。
夏。それは非日常的なことが起こりそうな季節。
夏。それは…。
「梶山、お前こんな点を取って恥ずかしくないんか?」
「は、はぁ…」
俺、梶山雪人は今、担任の山口先生(通称ヤマ先生)にお叱りを受けている最中だ。時計は午後3時を指している。かれこれ4時間、説教を受けている。
「お前、運動は確かに出来るが、学業も少しは力を入れてもらわんとなぁ」
1学期最後の授業だった今日は、学期末のテスト返しと終業式の2時間で終わった。クラスの奴らはチャイムが鳴ったと同時に教室を飛び出していった。学生生活の中でも、今日という日が1番幸せな日だ…と、俺は思う。
俺だってみんなと一緒に教室を飛び出したかった。今日は予定があったんだ。親友のユウジとゲーセンに行く約束だったし、その後はクラスの奴らとカラオケ大会だったんだ。
でもみんなキャンセルになった。いや、キャンセルにさせられたんだ。今目の前にいる人物に。担任のヤマ先生に!
「先生、俺用事があるんでそろそろ…」
「!何をバカなことを!用事だと?どうせ遊び呆けるつもりなんだろう。今何を話してたか分かってるのか?」
「…俺のテストの点のことです」
「そうだ。全教科赤点のお前に、夏休みがあると思っているのか?」
ヤマ先生の言葉に、俺は目を丸くした。
「え?」
「赤点のお前には夏休みはないんだよ」
ヤマ先生が眉間にしわを寄せて言葉を繰り返した。目が本気すぎて怖かった。俺はおそるおそる、もう一度聞いてみた。
「えーっと、赤点の俺は夏休みがない…っておっしゃったんですか?」
ヤマ先生はゆっくりと頷いた。何度も頷いた。
「そういうことだ。まぁ夏休み全部が潰れることはない。来週の頭から1週間、みっちり勉強だ」
「せ、先生、でも俺来週ばあちゃんの家に帰る予定が…」
せっかくの夏休みだぞ。勉強なんか誰がするか!
俺は嘘をついた。ばあちゃんの家なんて行く予定はない。何故なら一緒に住んでいるからだ。しかしヤマ先生は困った顔をせず、逆にニヤリと笑った。
「先生、今日梶山のお母さんに電話して聞いたんだ。来週は特に予定はないっておっしゃってたぞ。めいいっぱい、勉強をやらせてください…とも、おっしゃってたな」
「なっ!きったねぇー!!親に連絡するなんて…」
俺はカッとなって文句を言った。するとすかさず、ヤマ先生の日誌パンチが俺の頭にヒットした。
「いってぇ!」
「きったねーとはなんだ!そう思うなら次からは赤点を取らんことだな。よし、じゃもう行っていいぞ」
ヤマ先生は席を立ち、職員室を出ていった。俺は深い溜息をついて職員室を後にした。
来週から学校かぁ。なーんだかなぁ。
俺は重い足取りで自分の教室へと向かっていた。ヤマ先生に呼ばれるまでは、自然とスキップが出ちゃうくらい心が軽かったのに。今じゃ両足に重りを付けて歩いているみたいだ。そうこうしている内に自分の教室に着いた。ドアの取っ手に手をかけ開けると、見知らぬ女子生徒が俺の席にうつ伏せになって座っていた。
「えーっと…?」
俺はびっくりしつつも、自分の席に近づいた。誰だ?クラスの奴…じゃないな。見たことない子だな。
「あ、あのぉ」
声をかけてみた。けれど起きる気配がない。もう一度呼んでみたが、結果は一緒だった。今度は肩を叩いたりしてみた。さすがに起きるだろうと考えたが、全く起きない。
「…死んでる?」
俺は一瞬ひやっとしたが、静かにしているとスヤスヤと寝息が聞こえた。爆睡しているようだ。
「なんだよ…」
はぁ…と、また大きな溜息をついて、俺の席の1つ前の席に座った。無理やり起こすやり方もあるけど、この見知らぬ女の子の寝顔を見ていると、とても出来そうになかった。スヤスヤと幸せそうに寝ているのだ。夢を見ているのか、時々笑みを浮かべていた。
俺はしばらく時間を忘れてその子を見つめていた。
よく見ると肌がとても白い。風に吹かれて、簡単に消えてしまいそうなくらいだ。髪の毛はうつ伏せになっているので分からないが、肩までの長さのようだ。栗色で柔らかそうな髪だ。顔立ちも良く、桜色の唇がとても可愛かった。
「…俺、何見てんだ?」
急に恥ずかしくなってしまった。きょろきょろと辺りを見回したが、誰もいない。俺はほっと胸をなで下ろした。このまま待つのはやめよう、何だか気が狂いそうだ。俺は彼女の肩を揺すった。
「おいっ、起きろよ」
「ん…」
起きた彼女の目は開いてはいるものの、焦点があっていないみたいだ。俺の顔をじーっと見ている。そしてきょろきょろと周りを見た。
「君誰なの?そこ俺の席なんだけど」
「え?梶山君の席?」
俺の名前を知ってる!でもこの子、本当に見覚えがないんだけど。
「どこかで会ったことあるっけ?」
「何言ってるんですか。私同じ…」
彼女は始めは笑いながら話していた。が、その途中でぴたりと止まってしまった。だんだんと顔が赤く染まっていく。そして表情が引きつっていった。
「あ、あれ?なんで梶山君が?私…」
「あれって、聞きたいのは俺のほうなんだけど?」
「わぁぁぁ!ご、ごめんなさい!!」
突然大きな声で謝った彼女は、勢いよく立ち上がり、猛スピードで教室を飛び出した。しかし勢い余って、額をドアにぶつけてしまった。
「痛っ!」
「だ、大丈夫かよ!?」
彼女は、だ、大丈夫です…と、額を押さえながら教室を出て行った。
「…ドジだな」
俺はぷっと吹きだした。嵐のような子だった。
「俺も帰ろー」
彼女が席を立ったので、俺は机の中のものを出すことが出来た。ガサガサと手を突っ込み、机の上に出した。配られたプリントがぐしゃぐしゃになっていた。俺のいつもの癖だ。ヤマ先生は俺のプリントを見るたび、
「なんとかしろよ!情けない」
と、説教する。まぁそんなのはいつものことだから気にはしない。
「?何だこれ」
ひらりと、薄いピンクの封筒が机の上から落ちていた。拾い上げてみると、宛名は俺の名前が書かれていた。まるっこい可愛い字だ。封筒の色からして、さっきの彼女の唇を思い出してしまった。
「こ、こら、俺は何を…ひょっとして、俺ってば欲求不満?」
まぁ、ここ何年か彼女なんていなかったし…と、考えかけてすぐに頭を横に振った。
「あー、もう!」
俺は恥ずかしくて、いやらしい気持ちを消すように封を切った。中には一枚の紙が入っていた。広げてみるとそこには…。
「伊東小春、数学、98点…??」
その手紙はラブレターではなく、伊東小春の数学の答案用紙だったのだ。
「これをもらってどうしろと?…つーか、めちゃめちゃ頭いいし。つーか、伊東小春って誰?」
俺は生まれて初めて、テストのラブレターをもらったのだ。