永遠の始まりと狂った日常5
アルに別れを告げようと思って辞めた。あの日の夕暮れに元の世界に帰ると宣言した事、あれが私に言えるすべてだった。
彼の気持ちに答えられないのだから、それ以上言葉を駆使する事は意味がない。
それで毬夜にまず別れを告げに言った。毬夜に事態を説明するには時間がかかったけど、どうしても元の世界に戻らなければいけないという所は理解してくれたようだ。
「どうしても帰らなければいけないのですね」
寂しげにそう言ってくれる毬夜の優しさが嬉しかった。最近の毬夜は初めの頃より私に対してずっとあたりが柔らかい。
「私は明様が嫌いだと言った事を謝ります。貴方はいつか帰る日のために、誰にも心を傾けることなく過ごしていたのですね」
まあ……かっこよく言うとそうなんだけど、照れるな。
私は毬夜に一つ無茶なお願いをした。でもどうしても会っておきたい人なのだ。
「あのさ……朱里にお別れって出来ないかな?」
案の定毬夜は眉をひそめてうなった。
「難しいでしょうね。現在面会謝絶で隔離されていますから」
「そうだよね……」
それでも最後に会ってさよならを言いたかった。長い旅をともにしていくうちに、弟のように可愛くなった朱里に。
私の表情をくみ取ったのか、毬夜は一つ頷いて言った。
「なんとかしましょう」
「なんとかできる物なの?」
「正攻法では無理でも、無茶をすれば……」
毬夜の笑みがなんだか黒かった。どんな無茶をする気なんだこの人は。
そして日暮れを待ち、夜の闇に紛れて朱里の住む離宮へと向かった。どうやら毬夜は警備状況まですべて把握していて、その針の穴のように小さな隙をついて潜り込むつもりのようだ。
「お会いできても短い時間になると思います。覚悟していて下さい」
毬夜に言われて私は考えた。今起こっている事とかそう言う事は抜きにして、純粋に別れだけを言いに行こう。そして今までありがとうと言うんだ。
私達は女官服に着替えて、離宮の中まで入ると女官の振りをして堂々と、中の廊下を歩いた。毬夜の大胆な作戦に驚くばかりだ。
そうして離宮の一番奥の部屋にたどり着いた時、毬夜は辺りをうかがって確認した後、部屋の中へ呼びかけた。
「朱里様」
毬夜の声を受けて、しばらくするとゆっくり戸が開いた。中から顔を出した朱里が私の顔を見て驚いた表情で固まった。
「取りあえず中へ。ここでは人目につきます」
毬夜に促されるように部屋の中へ入る。まだ驚いた表情の朱里は、前とちっとも変わっていなくて安心した。思わず朱里をぎゅっと抱きしめる。
私の抱擁に、いつものように朱里は慌てて暴れた。
「明様……どうして」
「久しぶりだね朱里。今日はお別れを言いに来たの」
その言葉に朱里の体が小さく震える。
「私ね。元の世界に帰るんだ」
「ダメです。明様は兄上の側にずっといないと!」
私は兄を思う朱里の姿にせつなさと同時に安堵した。こんな可愛い弟がいればエドも大丈夫だ。私がいなくても、朱里がエドを支えてくれる。
「でもね私が帰らないと大災害を終わらせられないの。それにどっちみち私は帰るつもりだったから」
朱里の目が潤み出す。それでも泣くまいとぐっとこらえている。そのいじらしい表情に胸が苦しくなる。
「約束したのに、兄上の側にいると……」
「うん、ごめん。約束破る。でもその代わりみんなを守るよ。私にしか出来ない方法で」
そうこれは私にしか出来ない事。狂った物語を修正する。そのために異分子である私はこの世界を出なければいけないのだ。
朱里は目をこすってわき上がる涙をこらえると私に向かって言った。
「わかりました。それでは僕が兄上を守ります」
「うん。期待しているよ。朱里ならできる。朱里は強いもん」
そう言いながら朱里の頭を撫でた。柔らかい髪の毛が触り心地よい。こうして朱里を撫でるのも最後で、ますます別れがたく苦しい。
「子供扱いしないで下さい」
朱里が文句を言う姿が、実に子供っぽくて思わず笑ってしまった。こんな時間も最後なんだなと思うと胸が苦しくなる。
「明様そろそろ時間がありません」
毬夜に促され私は未練を断ち切って朱里から離れる。
「さよなら朱里。元気でね」
「明様もお元気で。もしも元の世界に帰っても僕達のこと忘れないで下さい。僕も忘れません」
今日こうして話した事は朱里の記憶には残らない。それを知らない朱里を哀れに思う。何も言わずに置き去りにすることが苦しい。
私は未練を断ち切り、夜の闇に紛れるように離宮を後にした。これが朱里に会う最後。可愛くて、お兄ちゃん思いで、優しくて、ちょっと危なっかしくて……。でも私はそんな朱里が好きだったよ。
この日はもう夜遅くなってしまったのでこれ以上お別れを続けるのは辞めた。また次の今日が来る。その時ゆっくりと……。そう思うもののいまだ決心がつかない。
まだ別れを告げてない人。一番別れたくないからこそ最後にした人。
エド……私は貴方になんて別れを言ったら良いんだろう。きっと悲しませる。私も悲しい。