焦燥と苦悩の王子2
アルの足の速さに、私は一度彼を見失った。それでもアルの行く先に確信があったから、迷わずそこに向かった。
馬を管理する馬房についた時には、すでに中から騒がしい音がしていた。
「お待ちください、アルフレッド殿下。このような夜遅くに一人でお出かけなど危険です」
「馬使い風情が、私に逆らう気か!下がれ」
私が馬房に近づくと、馬使いの男とすれ違った。自分一人でアルを説得は無理と悟って誰かを呼びに行ったに違いない。馬房の中に足を踏み入れた時、アルがまさに馬に乗ろうとする所だった。
「なんだ。明。俺を止めに来たのか?無駄だぞ」
「聖マルグリット王国に戻るつもり?今から戻っても戦争には間に合わないわよ」
言いながらゆっくりとアルとの距離をつめた。窓から指し込む、青白い月明かり照らされたアルの表情は、頭に血が上って追い詰められているようだった。未だかつてないほど厳しい表情で私を睨み付けている。
「それでも俺は参加する。俺は王国の王子だ」
「帝国との外交という、仕事を放り投げて?」
そこで僅かにアルは表情を強ばらせた。しかしすぐに厳しい表情に戻った。
「それでも俺は国へ戻る」
もはや何を言っても無駄だった。彼をここまで追い詰める原因を作ったのは私だ。秘密を隠したまま、だまし討ちみたいな方法でここまで連れてきた。
だから最後まで責任をとらなきゃいけない。
「わかった。じゃあ一緒に王国に帰ろう。私も連れてって」
アルは厳しい表情を崩して、あっけにとられていた。
「帝国に行きたいんじゃなかったのか?」
「アルが一緒じゃなきゃ行かない。私はアルの所有物なんでしょう。守ってくれるって約束じゃなかった?」
「エドガーよりも俺を選ぶか」
アルは嬉しいような、苦しいような、複雑な表情を浮かべて、私の腕を掴んで引き寄せた。
「後悔しても遅いぞ。もう渡さない」
「好きにすれば」
アルが先に馬に乗り、後から私を引っ張り上げて、アルの前に乗せてくれた。アルの両腕に挟まれ、私はアルの首にしがみつくような体勢になり、馬は走りだした。
夜更けに先触れもなく、宮殿から出る者はいないと、門番も油断していたのだろう。アルがスピードを緩めることなく駆けていったら、門番も止める余裕もなくあっさり通り過ぎた。
宮殿を抜け人気のない街を駆けながら、私はこの先の事を考えた。
私は本気で王国まで二人で戻る気なんてない。王国は遠すぎて旅慣れない私達が、何の用意もなくたどり着けるとは思えなかった。
途中でアルの気が代わりかけたら、すぐに説得して戻るつもりだ。それまで側にいる。アルを一人にはさせない。
アリパシャ国は昼は暑いが、夜に馬で駆けると肌寒かった。特に腕と腹回りを露出している私は、震える程に寒かった。
しばらく歯をカタカタ鳴らせて震えていたら、さすがにアルも気がついたようだ。一度止まって、アルが身につけていたマントでくるんでくれた。
「大丈夫か?」
「こんな格好で出てきちゃったから。城のみんな今頃大騒ぎだろうね。私達がいなくなっちゃって」
「いい気味だ。エドガーの顔が青ざめる所を見たかったぐらいだ」
「お母さんの事、帝国のせいじゃないってわかっても、まだ仲良く慣れないの?」
「そう簡単な問題じゃない。それに、今は別の意味でライバルでもあるしな……」
そう言って見下ろすアルの視線は、何故か意味ありげだった。
ライバル?次期王同士、どちらが立派に慣れるか張り合ってるのかな?私が色々比較しちゃったから、対抗心でもわいてきたか?
「行くぞ、しっかり捕まってろ」
アルは片手で手綱を握り締め、もう片手で私を抱きしめた。
マントのおかげで寒さが気にならなくなったら、今度はアルの存在が急に気になりはじめた。
息がかかりそうなほどの距離。揺れる馬の上でマント越しに密着状態。そんな状況に何故かドキドキした。
どうしてだろう……そうか、これはあれだ!
足場の悪い吊り橋を一緒に渡ったカップルが、吊り橋の恐怖を恋と錯覚する。吊り橋効果に違いない。
今まで馬車には乗ったけど、馬に乗るのは初めてだもんね。
うん、恋じゃない。恋じゃない。動悸が激しいのは馬のせいだ。
ハイペースで飛ばしていたせいか、城は遠ざかり、市街地をそろそろ抜けそうな所まできた。
このまま無計画に飛び出して、アルはどうするつもり何だろう?などと考えていたら、破裂音とともにいきなり馬が悲鳴をあげ暴れだした。
今の破裂音何?と考える余裕もなく、私とアルは馬から振り落とされ、地面に叩きつけられた。
落馬したのに、意外に痛くないなと思ったら、私をかばってアルが下敷きになっていた。
アルに悪いと思って起きあがろうと、地面に手をついたら、ヌルリと気持ちの悪い感触がした。
月明かりに照らすと赤黒く光り、錆びた鉄のような匂いがした。血だと頭が認識し、とっさに悲鳴をあげそうになった。
その時悲鳴が出なかったのは、周りに人の気配を感じたからだ。気づけばいつの間にか遠巻きに私達は囲まれていた。肌に突き刺さるような剥き出しの敵意が恐ろしい。
薄暗い月明かりの下、何者かもわからぬ集団に囲まれている。
帝国の兵士達に守られて、安全だった戦場でさえ腰を抜かすほど怖かった。でも今ここにいるのはアルと私の二人だけ……。しかもアルは怪我をしている。
絶体絶命の危機だとわかって、今度こそ叫びだしていた。
「嫌!!助けて!」
誰に助けを求めていたのかもわからなかった。倒れているアルか、それとも遠く離れたエドや朱里だったか。ただわかる事は、刻々と忍び寄る殺気を持った集団に、命乞いをしても無駄だろうという事だけだった。