小さな手に隠された真実2
目の前で殺し合いを見るのはつらいものだが、こうやって見えない中、音だけで戦いを感じるのも恐ろしいものだった。敵が近くまで来ていたりしないか?エドやアルは大丈夫なのか?
落ち着かなくなって、私は立ちあがってテントの入口へ踏み出した。
「明様。どこへ行かれるのですか?」
「私、この目で戦いを見て、戦闘に慣れたいの」
私の腕にしがみつくように、朱里はからみついて言った。
「明様は慣れなくていいです。敵も味方も関係なく、人が死んだら悲しい。そんな優しさを持ったままでいてください」
私を見上げ、すがりつくような目で私を見る朱里。私の事を思ってくれる朱里の気持ちは嬉しかった。でも私もここは引けない。
「朱里は手にタコができるほど剣術を鍛えたのは何のため?人を殺したいからじゃないでしょ。守りたいから、誰かの力になりたいからでしょう。私もそう。エドやアルや朱里を守りたい。だから強くなりたい」
朱里は悲しそうな顔をしたが、私の腕を離してくれた。代わりに左手で私の手を取る。
「わかりました。では僕の手を離さず、そばにいてくださいね」
私は頷き、朱里とともにテントの外に出た。
外は雨でこの前の戦いよりいっそう視界が悪かった。所々にある雨よけがされた灯りが、わずかに周囲の状況を教えてくれた。私達のいる場所を中心に、少し距離を置いて兵たちは戦っていた。
「明様。あそこにアルフレッド殿下が」
朱里が指示したのは、ちょうど兵達の少し後ろに立つ人物だった。白かったマントが泥と雨で汚れている。雨にぬれた髪が体にまといつくのもかまわず、よく通る声で周囲に指示を出していた。
「エドは?」
朱里が左奥の方を指し示す。辺りは暗く、多くの兵が入り乱れる混戦のため良く見えないが、赤いマントが時折見え隠れする。赤は帝国では王族の証らしい。あの激戦の中でエドは今戦っているのだ。
兵士達のあげる叫びや怒声と、剣や鎧がぶつかり合う音。めまぐるしく動き回る姿は、雨に音がかき消され、視界がぼやけ、遠い世界の映画の様に現実感がなく感じられた。現実感がないせいか、この間の戦闘の様に吐き気や震えはなかった。しかしそれでも目をそむけたくなるほどの光景だった。
だめよ。しっかり見なくちゃ。私はもう少し近くで感じたくて、歩き始めたが朱里に引きとめられた。
「それ以上近づくと、弓の射程範囲に入ります。危険です。お下がりください」
そうか。銃がなくても弓はあるか。安全な後方で指揮を取っているように見えるアルも、危険に身を晒しているのだ。黒髪が多い帝国人達の中で、金色の髪をしたアルの姿はひと際目を引いている。急に心配になった。
「アル大丈夫かな?」
「大丈夫です。明様も知っているでしょう。アルフレッド殿下の魔法の力を。自分一人の身を守るくらいの魔法は簡単ですよ」
「エドは大丈夫?」
「エドガー王子は銃だけではなく、剣の名手としても帝国で有名なんですよ。大丈夫です」
大丈夫と言う朱里の言葉は私だけではなく、朱里が自分自身に言い聞かせているように見えた。どれほど強くても心配なのだろう。本当はそばで助けたいのに、私を残して行かれないから、朱里はここにいる。
「朱里、私……」
言いかけた言葉は途中で止まった。朱里が怖い顔をして振りかえったからだ。私達のいたテントの後ろには川があるだけのはずが、なぜか数人の男達がいた。その背後に見える川に、船が止められていた。増水して雨で荒れ狂う中、船でここまでやってきたのか!
味方でない事は、朱里の緊張した背中からわかった。
しかしなぜか男達はすぐに襲ってはこなかった。一人の男が私達にゆっくりと近づき、朱里の前で立ち止まって跪いた。
「朱里様。お迎えにあがりました。参りましょう」
「断ると言ったら?」
朱里の可愛かった声が嘘のように冷たく響く。男を見降ろす朱里の表情も冷たく見下すようなものだった。
どういう事だ?様付けって言う事は、朱里は偉い人だったの?それにどうしてこんな時に朱里を連れて行こうとしているの?しかも朱里は嫌がっているみたいだ。
突然の事にわけがわからなかった。
助けを呼んだ方がいいだろうか?とも思ったが、前線の兵士達は目の前の敵と戦う事に必死で、遠く離れた私達に訪れた危機に気付いてもいないようだ。
「その時は、そちらの女性と一緒に力づくでもお連れします」
その言葉に朱里が殺気だったのが私にもわかった。震えるほどに恐ろしい表情の朱里は、大きく深呼吸をすると、苦い物でも口にしたように嫌な顔をした。
「私が素直についていけば、この方に手出ししないか?」
「はい」
まさか、私を庇って誰とも知れない相手についていくつもり?いや、朱里は知っているんだ。相手が何者か。わかっていて行きたくないのだ。
朱里は目を閉じてしばし考えた後絞り出すように言った。
「わかった。行こう」
「朱里!」
理由も何もわからない。でも行かせちゃいけない気がして、必死で私は止めた。朱里は私に向かっていつもの様な無邪気な笑顔を見せた。
「大丈夫。明様。この人達が僕を殺す事は絶対ない。だから……」
朱里は小さな手を伸ばして私の手を握った。雨に濡れた手は笑顔とは裏腹に震えていた。殺す事はないと断言しながらも、何を朱里は恐れているのだろう?
「僕の分までエドガー王子をよろしくお願いします。王子もきっと明様がそばにいれば大丈夫です」
手を離した朱里は男達の後に続いて、雨で荒れ狂う川を、船に乗り込み消えていった。私がいなければ大人しくついていく事もなかっただろう。
また足手まといになってしまった。
落ち込みかけた気持ちを食いしばって耐えた。今すべきは落ち込んで立ち止まる事じゃない。朱里を助けるために動かなきゃ。私は川に背を向けて走り出した。