第8話「徳を以って道に従う」
思わぬ形で白水と遭遇したあと、一誠はすぐさま玲奈と連絡を取った。驚愕した彼女はすぐに再調査を行なった。
結果は無情にも水守神社の封印が解けているとのことだった。会って話したいということで、二人は学校をサボって普通の公園にて待ち合わせをした。
とは言っても、電話で伝えた以上の話はない。一誠のまとわりついた雰囲気――白水による霊的な印のようなものが付けられており、再調査の結果を裏付けるようなものしかそこにはない。
つまり、畠山一誠はこのままだと――殺される。
「大丈夫だ、なんとかする」
玲奈の表情は強気だが、発する声には悲嘆がどうしても含まれる。職業柄、彼女は神々の恐ろしさをもよく知っているからだ。
「無理をするな」
「無理なんかしてない! 錆止女の意地だ! 私の失敗でこんなことになった! だったら最後まで責任を――」
「玲奈」
一誠が穏やかに名前を呼んで制止する。
「あれは怖い神様だ。素人でもわかるくらい恐ろしい神様だよ。バカなことを考えなくていい。きちんと怖がって、敬って、真っ当な人の道を歩め。俺はそれで満足だ」
「ば――」
それでも反論しようとした彼女を、彼は抱きしめて黙らせる。手段を問わず、彼女のやろうとしていることを口にさせたくなかった。
「海暖のことは頼む。それと、お前も幸せにな」
玲奈が目を見開いて、一誠と距離を離す。彼女は物を言いたげだったが、適した言葉が出せず、逃げるように去って行った。
その姿を焼き付けてから、海暖のところへ行く。
彼女と会った場所は病室だ。学校へ行かず明るい昼の時間帯に尋ねたので面会時間はたっぷりと確保した。その時間をしっかり使って状況を説明していく。
予想通り、海暖は何度も謝りながら泣き出した。責めているわけではないので言葉には迷ったが、一誠は精一杯に彼女を慰めている。
「ああ、その前にまず、これだけは言わせてくれ」
「……何を言うのよ」
「きみを愛してる」
「……私も、愛してる。ずっと」
冷静で落ち着きのある一誠に反して、海暖は悲痛を通り越した重い感情に支配され、顔を伏せたままだ。
水守神社という霊能関係を体験した二人にとって、白水の宣言というものはほぼ確実に現実化する恐ろしいものであるからだ。
「ねえ、わ、私が代わりになるっていうのは――」
「それはダメだな。あくまで供物の対象は俺だ。おまえが代わりになるなんてことは、白水様も許さないだろう」
「……待って。私以外にも願った人がいたの?」
「少なくとも二人はいたな。ただ――」
「そいつらを殺せば願いの撤回ができるでしょう!? 教えて! 私が――」
「やめろ。どうせ“死してなおその傍で魂と寄り添え”のようなことを言われるのがオチだ。あれはそういう神様だ」
「そうだけども! そうだけども……っ! 少しでも可能性があるなら賭けてもいいじゃない……」
海暖は感情のまま考えを口にしている途中で悟ったのだろう。言葉の最後には勢いが衰えていた。一誠の言う通りだと思ったからだ。
「終わったことは仕方ないさ。それよりな」
一誠が財布にしまっていた二人分のチケットを出す。そのチケットとは遊園地と水族館だ。どちらも田舎である水盛町から少し離れた場所にある大規模な施設のものである。
「病み上がり直後で悪いんだが、退院後のデートのお誘いだな。どうだ?」
「もちろんだよ、もちろん……!」
二種類のチケットを取ると、海暖の頬に涙が伝っていく。
「素敵な思い出にする……! ずっと……! 大切な宝物にする……!」
言い終わって、二人はしばらく抱き合っていた。
■ ■
夜も更けた水守神社。貯水池が構えられたその中央。呪具として拵われた日本刀と霊力によって硬質化した水がぶつかり合う音が響く。
そして不意に決着がつく音が鳴った。折れた日本刀が宙に舞う。同時に大繩のように太く伸びた堅い水の縄が、玲奈の体を叩きのめして地面に転がす。まともに打たれたせいか、玲奈の口から血が流れた。折れた肋骨の破片が肺に刺さったか、肺といった内臓が打撃で損傷したからだろう。
痛みでうずくまることを強いる中、それに逆らうように這いずりながら、玲奈は折れた日本刀を手に取ろうとする。
そこへ、見下ろしている白水が彼女の手を踏みつけた。
「まさか古流も修めもせず、封印の解かれた私に挑むとはな。殴り方も刀の降り方も素人そのものではないか。先の錆止女は才能こそ貴様の十分の一だったが古流を体得するのはもちろん工夫も一流であった。それだけでなく、分析力や計画力も優れていた。故に私も手間取って封印されたのだ」
「……うるさい」
「それをなんだ貴様は? たかが封印中の私を押しただけで思い上がって情けない。実力が足りぬならせめてあの錆止女のように十数名の応援を呼ぶくらいはせよ。それができる程度の徳は積んでいるように見えたが……まさか気性に任せて挑むとは思わなんだ。そんなに難しい道の流れではなかったはずなのにな、クックック」
「うるさいっ!!」
踏まれていない手で霊力弾を形成し、踏みつけている白水の足首を狙う。当然だがわかりやすい攻撃のそれは当たることはなく、あっさりと白水は距離を取った。
そのおかげで玲奈は満身創痍ながらも立ち上がる。距離を取った白水は余裕を保ち続けている。拘束しようがしまいが結末は変わらない。それほどまでに隔絶した実力差をすでに確認したからである。
「こんな色ボケのために私と交渉した一誠も哀れなものだな。私ならとうに愛想を尽かしておるわ」
「交渉だと……っ!」
「やつは我らの供物となる宣告を受け取る際、実によく道を読んでいた。私という理不尽な力によって形成した道をな。自身の末路が変えられぬならせめて愛する人の未来は自分の願い通りにしたい。我が教義に反しないように実にうまく交渉したものだよ。ほだされて私もつい許したというわけさ、フッフッフ、あいつは本当に立派な益荒男だ」
「…………」
「貴様はそれを台無しにしようとしている。錆止女のくせに無様だな、ええ?」
「………っ!」
一誠のことを語る際、水守之白水は実に愛しい物を愛でるような語り口であった。両腕の所作もまるで彼を抱きしめたそうにしているではないか。
それを不快に感じ取り、あるいは油断であると判断し、玲奈は接近して殴りかかる。残念ながら、それは白水の不快感と呆れの感情が増すだけに終わったが。
「あぐ!?」
「この技を知っているか? 先の錆止女が使っていた関節技だ」
「霊力が……!? クソ! 流し込むな邪魔をするな!」
「悪態をついている場合じゃないぞ、クックック」
玲奈は自覚していなかったが、体の負傷によって動きの精彩さが欠けていたのである。そのためあっさりと殴りかった玲奈の右手首を掴まれ、そのまま立った状態で逆関節を掛けられてしまった。
白水の技は相手の手首を掴んで自分の体の位置を動かし、相手の手首、肘、肩の関節を曲がらない方向へ曲げようとするものだ。当然、玲奈の体はそうならないように動こうとする。そうすると自然と動きの取れない体勢で固めることができる技となる。
最終的に玲奈は背筋を反ったような姿勢で、掴まれた右手に寄りかかるようにして固まってしまう。左腕は自由だが白水に届くような場所にはない。霊力弾でも打てば反撃できるだろうが、それは白水の掴まれた腕から流し込まれる最低限の霊力にとって阻害されている。白水が手を離せば異常もなく元通りになる程度の妨害だが、手を離されない限りは何も抵抗できない状態だ。
「さて、どこを壊してやろうか」
この立ち関節技において仕掛けた白水はどこにいるのか。それは玲奈の背後だ。そして左腕は自由に動かせる。本来ならここから相手の首を折る、肋骨もろとも心臓を叩き潰す、もしくは小刀などの刃物で止めを刺すのが常道である。
それをようやく、玲奈が本能で悟って青い顔をした。その反応を楽しむように白水は人差し指を指した状態で、玲奈の肌をなぞるように触れていく。
「肺と胃腸を潰して、蚕のように自立できない体にする」
「――っ」
「両の肩甲骨を砕いて、常に両腕を下した猿のような体にする」
「は、は、は――っ」
「背骨の真ん中を砕いて、常に糞尿を垂らして芋虫のように這いずる体にする。
さあ――どれが好みだ?」
「――うるさい……うるさいうるさい!」
泣き出しそうになりながらそれでも強がった。諦めたくなかった。認めたくなかった。恐怖とそれらが混ざった癇癪であった。
「冗談だ。授業料は先に口にした通りだとも。宣言通り、貴様の左腕をいただこう、もちろん、その腕に宿る魂もろともな」
ブチっという肉のちぎれた音が大きく聞こえた。ほぼ同時に噴水が流れるような音が耳に触れたような気がした。
「うあああああああああああ!?」
白水の拘束が解かれ、玲奈が痛みのあまり地面でのたうち回る。魂も千切られたように持っていかれたため、その激痛は通常よりも何倍も増している。
それを見下ろす白水の目は、まだ冷たいままだ。
「さて、次は偉大なる我に不敬を働いた罰を与えようぞ」
失血死を防ぐため、白水が粘度の高い水の膜を作った。それで玲奈の欠損した部分を覆ってやることで止血が完了する。痛みのほうも抑えられたが、玲奈はまだ痛みで体が震えている。
白水はそれを気にするそぶりもなく、右手を上げて小さく霊力を解き放った。術の発動ではない。周囲に潜んでいる水の唖者達をこの場に呼んだのだ。
ザッザッザとすり足のように地面を歩く音で、玲奈が顔を上げる。水の唖者が自分に向かってくると気づいて、恐怖が込み上げてきた。
神と戦って満身創痍となり霊力も使い込んだ。左腕と共に魂の一部が千切り取られてしまった。そんな彼女には、もう抵抗する力がほとんど残っていない。
「覚悟も考えも浅いわ、小娘」
「ち、違う――わ、私は――」
「まあよい。今日は祝いの日としよう。久方ぶりの裏祭りを開いてやろうぞ」
「ふう――っ! ふう――っ!」
怯え始めた玲奈はここに至ってようやく逃げるという選択肢を取った。しかし状況は残酷で、十数体に及ぶ人型の水の唖者達が集まったせいで、逃げる道などない。追い詰められるように包囲されたところで、玲奈は追い払おうと拳を振った。
「やめろ! どけ! ――っ!? うぐ……っ」
霊力の足りないその攻撃は、水の唖者に少しばかり衝撃を与えるだけであった。水の唖者達は「アぁー――」とうめき声を上げつつ、玲奈を殴りつけていく。何発かは耐えたものの、複数人からの殴打により、玲奈はすぐに地面へ崩れ落ちた。そして、玲奈は水の唖者達に複数名で拘束されてしまう。
その状態で改めて白水と視線を交わされる。白水は彼女を見てなにやら思慮をするとやがて、名案とばかりに目を開いて笑った。
白水が近くの水の唖者に触れ、そのまま水の体の中に手を入れる。
「小さきものよ、繁殖せよ」
言うや、無色透明の水で構成されていたはずの水の唖者が、悍ましい深緑色に染まった。そしてその中には何か小さな虫が蠢いている。一般的な感性に任せて言うなら、それは寄生虫や病原菌と称するものだろう。
玲奈は緑色になった水の唖者を見て、耐えていた感情が壊れ始めたのか、少しずつ涙が頬を伝り始める。
「さあ我が眷属:水の唖者達よ! こやつを輪姦せ! 拝殿に連れ込み、時間をかけて隅から隅まで混ざり合え!」
「ひっ!?」
もう否定できない。玲奈の頭に凄惨な未来が次から次へ駆け巡っていく。
「なに、現代の医学ならば死にはせぬよ。拝殿にてしっかりと交わるがよい」
「ああ――ああ――ああああ!?」
「さらばだ錆止女よ。道を見誤った己の徳を、存分に悔い改めるがいい」
水の唖者達が玲奈をまるで神輿のように担ぎ上げ、古びていながら綺麗な拝殿へと連れていった。
白水は一瞥もせず、静かな佇まいを維持する本殿のほうへ足を向ける。
「さあ、些事は終わった。別け貰った一誠の魂をしっかりと造り直して溶かさねばならん。そうだな……いや急いて決める必要もない、せっかくの益荒男の魂なのだからな。フフフ、フフフ――ハッハッハッハ!」
こうして。
水上神社は再臨し、水森地区は少しずつ禁足地への未来を歩み始めた。




