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第7話「軟ラカキ水ハ無間ニ入ル」



 海暖を水守神社で救出して一〇日後くらいのこと。


 玲奈が通学する学校で一誠を空き教室に呼び出していた。時刻は夕方の少し前くらいで、生徒が部活を始めようとしている。


「よっ。久しぶりだな」

「ああ、後始末とやらは終わったんだな?」

「もちろんだ。錆止女のお仕事は終わった。しばらくはただの高校生さ」


 玲奈が嬉しそうにウインクする。

 一誠も安堵して笑みを浮かべた。


「水羽さんの状態はどうだ?」

「数日後に退院とは聞いてる。脳波がまだ少しおかしいから念のためだそうだ。明日にでもまたお見舞いに行こうと思ってる。一緒にどうだ?」

「お? いいの? 容赦なくイチャイチャを邪魔するぜ?」


 神社での出来事のあと、一誠は海暖を背負って天音山公園の入口に問題なく降りることができ、玲奈もすぐに合流して問題なく収まった。海暖もすぐに救急車で搬送されたが命に別状もなく今は様子見の入院中である。


「というか、助かったのは君のおかげだからな。あいつもお礼ぐらいは言いたいさ。医者への説明が面倒じゃないのもきみのおかげだろ?」

「私のおかげというか家系のおかげかな? まあ昔からそっちのことで世話になってるからなあ」


 医者の手配や海暖の両親への説明は玲奈とその関係者が行なった。病院関係はそもそもほぼ仕事仲間のような関係で説明の問題がなく、海暖の両親への説明は霊能力を実演したことですんなり納得してくれたとのことだった。


 一誠のほうは短時間の夜中の外出だけであったから、ちょっとした小言を両親から貰ったくらいで深いことは訊かれず、特に問題も起きていなかった。


「よし、じゃあ近況についてはいいな? 質問あるか?」

「いや、特にない――ああ、そうだ。あの公園にはもう行かないほうがいいか?」

「水森山公園か? 昼間だったら別に構わんぞ。夜はまあ、念のために行くな。まだウロウロしている水の唖者がいるかもしれん。よほど運が悪くない限り遭遇しないとは思うがな」

「わかった。気を付ける」


 一誠が神妙な面持ちで承諾すると、玲奈は嬉しそうに微笑む。

 さらにそこから、玲奈は笑みを悪戯っ子の色に変化させた。


「一つ、大事な話がある」


 玲奈が踏み込んで近づく。一誠へかわいらしい少し上目遣いを送る。彼はそれをされる見当がつかないので、されるがままだ。


 彼の戸惑いをよそに、玲奈が両手で一誠の右手を包む。


「一誠、私はあんたに惚れた。だから、付き合ってくれ」

「……は?」

「恋人になれって言ってんだよ、恥ずかしいなもう」

「はあ!?」


 常識外れの爆弾発言をしているのに玲奈は楽しそうであった。一誠の戸惑った反応を楽しんでるのは間違いないが、それだけではなかった。


 一方、一誠は完全に困惑している。理由は一誠の気持ちが海暖にあるし、玲奈はそれを間違いなく把握しているからである。


「何をトチ狂ったことを――」

「狂っちゃいないさ。真面目に考えてあんたがいいなって思ったんだよ。ああもちろん、水羽さんが正室で私が側室という形で全然かまわない。どうだ? 二人くらいなら相手にできるだろ?」

「しかも二股推奨してきやがった……」


 頭を抱える一誠。彼女の手をほどいて視線を見下ろせる校庭へと移す。

 玲奈も視線を移して校庭を見下ろした。そこで余計に顔が赤くなった。視線を外されたことで緊張が抜けたせいかもしれない。


「まあ、水羽さんへのメリットは将来のニート生活の保障だな。錆止女の仕事は儲かるから大人も子供も養うには問題ないからな」

「とんでもねえ話からとんでもねえ話を連結させるな」

「そうでもないって。それにさ……あんたがいいって言うのは錆止女の仕事も関係してんの」

「仕事に?」


 玲奈がちょっと困った笑顔を浮かべた。


「そう。錆止女の仕事ってのは今回の事件みたいなことを解決することなのさ。命がいくつあっても足りないような危険な仕事がけっこう回って来る。政治が少子化を推進してるその反動ってやつだな。要はやり手が少ねえんだよ。

 それならいざという時のために、冷静な判断力で、家庭を守ってくれる旦那様が欲しいってわけよ。それで――」

「…………」

「あんたは愛する人間のためには危険なことにも省みない。そういう愛情深さもあるってわけだ。これで惚れない女がいてたまるかよ」

「せめて男を見る目が節穴でいてほしかったなあ」


 ビシっとした口調の玲奈。そこから伝わって来るのはしっかりとした価値観であって、衝動的な動機などは(うかが)えない。


 一誠自身、困惑はあれど嬉しくもあった。褒められていることに変わりはないからだ。そして今回の水守神社の騒動で、錆止女玲奈がいかに危険な世界で立ち回っているのかを理解しているつもりである。


「それにな。裕福な家庭って意味でも水羽さんはいてほしいってのもある。子供がいるのに大人が一人しかいない家庭ってのは裕福からほど遠いからな。子供が二人も三人もいるなら、今の世の中だと貧困になるしな。

 私は自分の子供がさ、そういう寂しさも貧しさも体験してほしくないわけよ。だからおかしいことを承知で、あんたに愛の告白してるってわけだな。

 そういうわけだ。どうだ? 私と恋人になれよ? いい人生は保証するぜ」


 胸に手を当てて自信に満ちた言葉を発する玲奈。

 一誠は無下に出来なくて腕を組んで黙り込む。


 一誠としては玲奈への尊敬の念はますます深まるばかりだ。何故なら自分よりもはるかに将来について考えているし、仕事への責任感も垣間見えるからである。相手の事情も考えず、杓子定規(しゃくしじょうぎ)の一般的な価値観で彼女の一夫多妻論を否定するのは気が引けた。あまりにも誠実に欠けると思ったからである。


「ああ、そうそう。お前と付き合うために錆止女の仕事を辞めるってのは無しだからな? どうしても駄目ならお前との恋愛は諦める」

「それはまあ、そうだろうな。そう思いつつ、なぜ? と不思議に思うが」

「理由は簡単。今は錆止女の仕事をやれるのが私しかいないんだ」

「霊能力者の家系なのに? おじさんおばさんがやってそうなイメージがあったぞ」

「母さんがやってたけど、二年前に妹を生んでから体をちょっと壊しちゃってなあ。日常生活は問題ないけど仕事のほうは誤魔化し切れなくなって、それで今年から本格的に私が継いでるって形なんだよ」

「おまえそんな大変な状況なのか」

「まあ私は近年稀にみる才能の塊だから余裕でやれてるけどな。未熟な部分はこれからゆっくりと習得していくさ」


 さらりと言った玲奈の環境に一誠は驚いた。そしてなんとなく、玲奈は霊能関係の仕事をしたくなかったのではないかとも感じた。声の調子が積極的ではなく、受容的で仕方なくという印象を受けたのである。


 実際、一誠が彼女の立場なら裸足で逃げ出している。どれだけ専門的な力があろうとも、あの恐ろしい存在と関わる、まして戦いたいとは思わないのだ。


 そんな感じで一誠が返答に困っていると、玲奈が悪戯を仕掛けるような笑顔を浮かべる。


「まあ、そういう事情なわけよ。だからすぐに答えを出せってわけじゃねえ。じっくり悩んでくれよ。その間に私は水羽さんを説得して夜の楽しみ方を考えておくからな」

「さらっと外堀を埋めつつ下ネタ方向に行くな、バカやろう」

「ちなみに説得する自信はある。去年の文化祭で話は盛り上がったしな」

「盛り上がったのかよ……ん? そんなにあいつと仲良かったか?」

「いい機会だから水羽さんと仲良くしよーと思ってたらさ、さっきの家の事情で忙しくなって遊びとか誘う機会がなかったんだよ。まあ今回のことは、仲良くなる口実ができたと思って前向きに捉えるようにしようぜ? な?」

「……そういうことにしておくか」


 玲奈が楽しげに笑う。一誠も釣られて笑う。恋愛面では胃痛が痛いというとんでも表現をしたくなる状況なのだが、それをなぜか、あまり否定したくない思いがあった。


 その後は世間話に移って他愛もない談笑して、二人は解散した。


 平穏な日常をが戻った。それを日に日に実感しながら一誠は帰宅する。いつものように専業主婦の母がいる我が家へ。


 しかし今日は珍しく一誠の母が玄関で出かける準備をしていた。見れば買い物に行く様子だ。昼に何か購入を忘れていたのかもしれない。


「ただいま」

「あら、おかえりなさい。丁度良かったわ」


 母が靴を履き終わって立ち上がると一誠に話しかける。


「急なことだけど、今リビングにね、遠い親戚のお子さんが来ているの」

「親戚の? 誰だ?」

「遠い親戚だからあんたも初めて会う子ね。というのも、住んでる場所が雨の災害で避難することになったんですって。それでしばらくの間、ウチで預かることになったのよ」

「それはまた……わざわざ遠い親戚を頼るとは珍しいな」

「近い親戚が同じ地域に住んでたからとかいろいろ理由が重なったというわけね。そういうわけだから挨拶をしておきなさい。お母さんちょっと買い物に行ってくるからね」

「行ってらっしゃい」


 母を見送ってから部屋に戻り荷物と着替えを澄ます。いろいろと思い起こしながら。

 考えを整理し始めて準備が終わり、リビングへ向かう。


「どうも、はじめ――」


 ソファーに座っている着物姿の女の子を見て、一誠は固まる。


「知らなかったか? 軟らかい水は無間に入るのさ」


 白い髪の女の子が笑っている。


「壁にヒビが入ればそこから漏れ出る。それが水というもの性質である。だから私はここにいる。

 さあ、我が信徒達の願いを叶える前に少し話そうではないか。余興に付き合え、畠山一誠」




   ■   ■




 一誠の家のリビング。夕焼けの日差しがはっきりと窓から差し込む時刻。


 一誠が呆然としている中、ソファーに座る青い着物を着た白い髪の女、水守之白水が受け入れるような微笑みで彼に視線を送っていた。


「座れ。立ちっぱなしでは落ち着かぬだろう?」


 一誠は沸き上がった恐怖を飲み込むように息を飲んでから、指示通りに座った。


「……訊いてもよろしいですか?」

「もちろんだとも」

「どうして、俺の家にいるんです?」

「我が信徒達の想い人を知りたくなった。それに時間稼ぎで適当に作った物とは言え、私の試練を乗り越えたのだ。興味が湧くのも当然であろう」


 白水が茶飲みに入れられた水を飲む。それを眺めていると茶器がひとりでに動いて宙に浮き、一誠の前にある湯飲みに水が注がれていく。


 水を注がれる音が異様なまでにうるさかった。


「玲奈からはあなたの封印が成功したと聞きましたが……?」

「私は水に属する神である。封印にわずかな隙間があれば通ることが可能さ。小娘はそれを失念していたのだろうな。大きな力を持つ神は小さな穴では抜けにくい、その先入観が邪魔をしたのだろう。未熟な小娘らしいかわいい失敗というやつよ、許してやれ」


 白水が挑発するように言う。それはまるで一誠に玲奈へ憎しみを向けさせたいような意向があるかのようだ。


 一誠はそれを無視しつつ、重要なことを考える。自分の命か。違う。これ以上の被害を可能な限り小さくするためのものだ。


 例えばそうあの『婚約者の話』のようなことにならないように。


 彼はすでに諦めの境地を抱いている。


「……俺の体は誰の元に送られますか?」

「我が信徒達三名とまあ、癪だが錆止女の小娘、それから貴様の両親だ。フフフ、上善は水の如し。貴様の魂はきちんと皆に配ってやるぞ、喜べ」

「なるべく綺麗な方法でお願いします」


 白水は少し考える。名案とばかりに笑顔が開く。


「腐らぬように燻製のように加工するとしよう。特に貢献した海暖には貴様の首を贈るゆえ、泣いて喜ぶであろうな――ハッハッハッハッハ!」


 喜ぶわけないだろうと思いつつ、一誠は何とか誘導しようとする。


「俺の死は取り消すってことはできませんか?」

「私は神であるぞ? 信徒の願いを受け入れた以上は叶えるものだ。

 祈った願いと実現した事柄が違うというならば、それは海暖自身の徳の積み重ねが足りず、世を巡る様々な(みち)の扱い方を知らなかったというだけに過ぎぬ。

 いくら我が信徒であれ、そこまで過保護にするつもりはない」


 白水が不機嫌そうに吐き捨てた。一誠としては丁寧に尋ねたつもりだったのだが予想以上に反抗的に見えたのかもしれない。


 不機嫌になったことに焦りつつも冷静に。深呼吸を。


「お聞きしたいのですが、願いを叶えた海暖も殺される対象になるのですか? あなたの結界内で知った過去のことで違和感に思ったもことがあるのです。

 いえ、願いを叶えるという意味では少し不親切な感じに思ったと言いますか……なんて口にすればいいんでしょうねこれ……」

「うむ?」

「例えば、海暖に思いを寄せるどこかの男子が“海暖が欲しい”などのような願いを叶える場合、俺のように死んでしまうのか、ということです。そうなっては、わざわざ俺がバラバラになってまで彼女の傍にいる意味がなくなると思ったんですよ」

「ああ、なるほど。たしかに分け与えることばかりに注力しすぎている面があるな」


 白水が納得した顔を浮かべている。彼女はあくまで神様なのだ。自身の教義に沿ってという形ではあるが、信徒が幸せであることに尽力するだろう。


 一誠はそれに賭けて、どうにか海暖達にこれ以上の危害が及ばない確約をさせたいのだ。自分はもうどうにもならないけれども。


「実に素晴らしい提言だ。よかろう、供物を共有する信徒とその関係者はしばらくの期間、供物の対象から除外するとしよう。これで充分であろう」

「ありがとうございます、白水様」

「ますます気に入った。やはり貴様の心臓は私が貰うとしよう。その魂の欠片を以って眷属として造り直すゆえ、私によく仕えよ」

「わかりました。最善は尽くします。ありがとうございます」


 海暖たちが対象とならないことが確定した。それを確信して一誠は静かに喜びを噛み締めた。そうやって自分を誤魔化さないと今にも発狂しそうであった。


 そんな一誠を見据える白水は嬉しそうに微笑んでいる。彼のような心の強い人間は好ましいからだ。誰かへの思いを重ねているような心地よさがあるほどに。


「褒美を授けよう。貴様が供物化する日を決めさせてやる。呆れさせるような――」

「来月の水曜日はいかがですか?」

「水の付く日か、いい日だ。ではそうするとしよう」

「ありがとございます。じゃあ俺は、みんなへの別れの言葉を考えてきます」


 一誠は取り乱さないように気を張って、リビングから退出しようとする。


「我が問いに答えよ、畠山一誠」


 白水が呼び止める。

 彼は背を向けたままその言葉を聞く。


「これから長く共にあるというのに、言葉は必要か?」

「魂は共にあるでしょうけど、正しい言葉を伝えられる今だけですからね。誤解されるのだけは嫌だなって思うんです」

「いい心がけだ。助言として“希言は自然なり”という言葉を贈る。覚えておけ」

「なんですか、それ?」

「言葉は少ないほうが自然という意味だ。好きだ愛しているという言葉達はな、余計な飾りがなくとも伝わる。むしろ飾りがあるからこそ伝わらないこともあるのさ。嘘を必要とする時こそ多弁になるものだろう? その逆を心がけよ」

「……ありがとうございます」


 言って、一誠は自室に戻る。混乱する思考と恐怖に駆り立てられる感情をゆっくりと落ち着けてから、海暖と玲奈に連絡を取った。



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