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第6話「道は小事より大事へ移り道を成す」



 一誠が夕方の校庭へと足を踏み入れる。校庭の中央で手を振っている海暖を目指していると、途中で背後からドンと何かが崩れた音が聞こえた。


 振り返ると背後にあるはずの木造校舎が見えなくなっている。代わりに校庭に閉じ込めるような津波のようになった水の壁が音を立てずに出現していた。水の壁は揺らめいているが、そこから動くことはない。


(……そのうち動き出すんだろうが、泳いでどうにか……いや、海暖の確認をするのが先だ。白水の試練なんだから。突然出て来る抜け道や脱出路を見逃さないようにな)


 冷静でありながら投げやりにもなった心境で、一誠は再び校庭の中央へ進み出す。心を落ち着けるようにゆっくりとした足取りで進み、そのまま海暖との距離が縮まった。


「こんなところで何をしてるんだ、海暖」

「恋のおまじないって言ったら納得してくれる?」

「残念だが、おじさんおばさんを心配させてるからゲンコツがいいところだな」

「あーん! いーちゃんのいけずー!」


 海暖が舌を出して怒ってますというわざとらしいアピール。いつもの海暖らしい冗談の含まれた微笑ましいやりとりだ。しかし今はそんな場合ではないと気を取り直す。


 海暖の家の家族構成はごく普通の仲のいい三人家族だ。彼女がいなくなれば泣き暮れる彼女の両親の姿が簡単に思い浮かぶ。


「俺が今、どんな状況かわかるか?」

「もちろん! 水守様の試練を突破しようとしてるんだよね? それができれば私と晴れて恋人になれるっていうご褒美が待ってる試練だ!」

「残念ながら違うぞ」

「そんなー!?」


 海暖が大げさかつ素直な気持ちで驚いている。危機感がない。しかしそれを偽物と断言することは一誠には出来ない。何故なら本物が洗脳されて口にしているパターンがあると考えたからだ。


 慎重さを保ったまま一誠は会話を続ける。


「帰りの水の試練はどうやら、俺の知り合いが本物か偽物かを当てるゲームのようなものらしい」

「自信を持って言います。私は本物です! さっき持って行ったのは偽物だよ」

「ああ、そっくりすぎて俺もかなり迷ってる」


 右手で頭を抱える一誠。


「だから確認作業がしたい」

「確認作業?」

「ああ。そうだな……おまえ、いつから俺のことが好きだった?」


 海暖が顔をポっと赤らめた。恥ずかしそうにもじもじしている。いつもならもっと大きく恥ずかしがるのだがその様子はない。今は好意を積極的に表にしているからだろう。


「最初はもちろん、大切なお友達っていう感覚だったよ。幼稚園の頃から一緒だもん、そりゃあそうなるよ。恋愛なんてそんなの意識しない時期から一緒にいるからね」


 彼女が自分の思いと過去を語る。一誠がときおり頷く。


 ――もっとも古い記憶は幼稚園で積み木を積んでる記憶。いーちゃんが黙々と一生懸命に積んでいって私も一緒にやってるんだけど、何か気に食わなかったのか私が大泣きして、それを慰めてくれるんだよね。その時からずっと仲がいいんだ。


 一緒に遊んだり、勉強したり、お出かけしたり、変な場所に突っ込んだり、海に行ったりと、思えばありがちなことを二人でやっていたね。その中で嬉しかった……好きになったのは、男の子から薄色オバケって呼ばれるのをいーちゃんが止めてくれたことかな。一緒にからかってくるのをやめるだけでも嬉しいけどさ、相手の悪いことを辞めさせるともっと嬉しいのは当たり前だよね。


 他にもいろいろあるけど、初恋はそこが始まりだよ――


「いーちゃんは――私のどういうところが好き?」


 ある程度話したところで、海暖が問い返す。


「語るのは難しいが、まあ適当に言うとな――」

「適当じゃなくてしっかり言いなさいっ。私は将来の奥さんだぞコノヤロー」

「しょうがないやつだな」


 一誠が苦笑して返答を始める。

 ――俺がお前の好きなところは、まあ優しいところ、他人に配慮できるところと言えばいいのか。誰に対しても気遣うし、迷子になった知らない女の子をデートをほっぽり出して親御さんを探そうとしたりな。すぐそこに親御さんがいたことはまあ目を瞑るとしよう。


 外見で言うなら美人なところもだな。きれいとか美少女とかの基準もあるにはあるが、お前には喧嘩をしてももう一度話したくなる顔、雰囲気がある。そういうところも大事だ。


 あとは……良いことは良い、悪いところは悪いと言える、何気なく芯があるところもいいな。かと言ってコンクリートのような頭の固さがあるわけじゃない。話せばわかってくれるというのも美点だ……うん、こんな感じでどうだ?――


「べた褒めじゃん。いーちゃん私のこと好きすぎ?」

「何をわかり切ってることを言うんだ。当たり前だろう?」


 呆れながらも恥ずかしそうにする海暖。それを見た一誠は心外と言わんばかりに驚いた態度を作っていた。


 そうしているうちに、いつの間にか二人を書こう水の壁が迫って来ていた。音が静かすぎぎたために気付くのが遅れ、一誠は少し慌てている。海暖のほうに動揺は見られない。


 一誠が海暖へと距離を縮める。もし本物だったら水の壁から身を挺して守るつもりだからだ。それに効果があるかはわからないが、彼女を守れるなら少しでも効果的なことをしたかった。


「なあ、海暖」

「なーに? いーちゃん?」

「俺達、どっちが先に好きになったと思う?」

「それはもちろん! ……っ」


 一誠の何気ない問いに海暖が顔を赤らめる。

 そして勇気を振り絞るように口にする。


「わ、私が先に好きになったに決まってるじゃない。愛してるよ、いーちゃん。小学生の時から、ずっと」


 愛の告白を受ける一誠。

 彼は安堵した顔を浮かべる。


「本当に恐ろしい試練だったな、きみもそう思わないか?」

「いーちゃん?」

「“放て”」


 指輪から霊力弾が放たれる。海暖を模した水の唖者が水しぶきを上げて霧散した。それを確認すると彼は緊張を吐き出すように大きく息を吐き出した。


「最初に惚れたのは俺のほうだよ。結婚しようってありがちなことを、幼稚園の時にな。海暖は適度にからかってくるのに忘れるとは……まったくひどい偽物だ」


 夕方の空を見上げる。それが急速に暗くなっていく。水の壁が明確に津波のような巨大な形になって徐々に迫って来きているからだ。


 出口を探すが見つからない。このままでは津波に押し潰されるだろう。


(――玲奈、すまないが頼む)


 一誠が濁流となった津波に押し流されていく。ゴボゴボと溺れそうになる中、誰かの声が聞こえた気がした。


「――掴まれ! 一誠!」


 はっきり聞こえた女の子の声のほうへ、一誠は手を伸ばした。




   ■   ■




「ここじゃない……ここじゃない……」


 錆止女玲奈がブツブツと言って作業をしている。その集中力は凄まじい。もう完全に日が暮れて辺りが薄暗くなってしまったのに、全く気にもかけていないほどだ。


 彼女は水守神社の中央の貯水池付近の宙に浮いているバカでかい水球に両手を突っ込んでいる。それは水守之白水が作った水の結界だ。この中にまだ畠山一誠が取り残されている。


 その水球があるからだろうか。真夜中だというのに神社の中はもちろん、水森山公園全体が奇妙な光源が確保されており、視界の確保にだけはさほど困らない。


 そんな状況で、一時間ほど続けていたところでようやく。


「――っ!? ここだ! おい! 聞こえるか!!」


 玲奈の眉間を険しくしてさらに奥へ手を突っ込む。数秒後にびっくりした顔になるが、反転して嬉しそうな顔になる。成功を確信したのだ。


「そうだ! こっちの方向だ! いいぞ――よし! 掴まれ! 一誠!」


 ガクンと玲奈の体が揺れる。その瞬間、大きな笑みを浮かべた。上半身を水球に入れる勢いで、全身に力を込めてある男を引っ張り出した。


 そうして抱きしめる形で畠山一誠が水球の中から飛び出した。勢いがありすぎてやや強く地面に投げ出されてしまい、水に濡れた服に土汚れがこびり付いた。


 一誠がうめき声を上げつつゆっくりと目を開ける。するとすぐさま状況を理解したのか、慌てた様子で周囲を確認し始めた


「こ、ここは!?」

「落ち着け。ここはもう水の結界の外だ。んで、水羽さんはあそこな?」


 玲奈が指を指すと一誠が海暖の元へ駆け寄っていく。自分の目で海暖を確認したことで大きな安堵の息を漏らしていた。


 一誠がその顔を浮かべて玲奈に振り返ると、彼女は嬉しさと茶化したくなる衝動を混ぜた笑顔を返した。


「ああ、水羽さんはどうもねえよ。念のために病院に行けばなお良しだ。じゃあ、最後の一仕事だ。水羽さんをおんぶしろ」

「おんぶ?」

「ここはまだ安全じゃないってことだな」


 一誠が緊張した顔になり、海暖を背負う。

 玲奈がそれを見て、手でついてこいと指示して先導する。


 参拝道らしき獣道を足早に通って公演奥地の休憩所まで辿り着く。休憩所にはいないが公園の道に水の形をした人の化け物――水の唖者がウロウロしていた。


 一誠が恐怖から冷や汗を流す。玲奈は心境的に余裕があって、無駄な緊張感を取り除いた警戒を続けている。


「来た時も思ったが、ここって夜はやばい場所だな……」

「今日はさらに特別だな。山全体に影響が出るあの結界を展開していたわけだしな。ああ、だいたいのやつは動きがのろいから近づきすぎなければ大丈夫だが――」


 その時、大木の上から何かが飛んで来た。正体はトカゲ型の水の唖者である。その軌道は真っ直ぐに一誠を狙ったものだ。


 しかし玲奈が二人を守るように飛んできた化物を撃墜する。喧嘩屋のような力任せの豪快なパンチで地面に叩き落とした。水の唖者はそのままあっさりと消滅する。


「たまにこんなのがいるからな!」


 襲撃にイラついた玲奈は叫び、一誠はその頼もしさのあまり口笛を吹いた。


「というわけで、あまり離れすぎないようにな」

「了解した」


 二人が散歩道を歩いていく。速度は思ったよりゆっくりと。避けられる水の唖者を避け、たまに襲撃して来るトカゲ型に対処もしたからである。


 そして公園の入り口に辿り着くと、水守之白水が愉快気に見下した表情で彼らの前に姿を見せた。


「一誠、先に行け」

「……俺にできることはあるか? 連絡とか?」

「大丈夫だ。私がやられることはない。でもここにいるとお前らが巻き込まれる」

「無事を祈る」


 一誠が一目散に石階段を降りていく。

 すると、白水がわざとらしく驚いた様子を見せた


「男として女を捨てるとは情けないやつ――」

「おい? 欠片も思ってねえくせに口にしてどうすんだ? 要件を言えよ」

「おお、冷静だな? もっと動揺してもおかしくないはずだがな? このような状況でも冷静とは錆止女もいい娘が当主になったものだ」


 玲奈の堂々とした態度に水守之白水は本心から驚いていた。何故なら自分が錆止女の立場ならば、焦りに焦って平静さなど保ってられないからである。


 表面上だけの冷静か。それを確認するために白水は指を鳴らして威嚇攻撃を行なうことにした。出現させた水球を針のように細長くして何十にも分裂させる。その水の針を、白水は石階段を下りている一誠達に向かって投射した。


「――なるほどなるほどなるほど」


 白水は笑みを深めて確信した。玲奈は霊力で防御陣を描き、それで構成された盾を複数形成し、投射された水の針を見事に防ぎ切ったからである。


 もし自分が錆止女の人間なら、一誠達の安全など気にもせず、投射攻撃の隙を突いて致命傷になるような一撃を放ったであろう。


 それをしないということはやはり錆止女玲奈は力が強いだけの未熟者だ。


「いや、実に美しい愛だな、錆止女の小娘。私がこの世にきちんと顕現した際は必ずや貴様にも施しを授けてやろうぞ」

「そんな機会は訪れねえよ」


 そんな上機嫌な白水に反して玲奈は不機嫌である。白水の態度の意図がわからないからだ。神だから尊大だとしても尊大が過ぎるという思考が巡った。


 意図を探るため、玲奈は慎重ながらも少し挑発する。


「結界の中でさえ私に苦戦してただろうに、よくもまあ余裕だな? 少し結界の隙間から力が溢れている程度じゃ、さっきとそう変わらねえだろ?」

「たしかに正面からぶつかれば、先ほどの戦闘のように我が手足はまたもがれるだろうな。そして私の攻撃に対して、貴様が我が信徒とその恋人の守りに徹すれば、問題なく守り切れよう」

「なら今日は終いでいいだろ? 千日手になるだけだぜ?」

「ハッハッハッハッハ!」


 白水がついに大笑いを零す。玲奈が油断せずに構えているからだ。防御陣を万が一にでも突破されるなど錆止女の名が廃る。そんな考えが透けて見えた。


 白水はそのせいで余計に笑っていたが、さすがに自重(じちょう)することにした。


「いいだろう、今日はこれで終わりだ。行くがいい」

「…………」

「嘘はつかぬよ。まあ、貴様の言う千日手に付き合ってもよいぞ?」

「せいぜい、封印されるまで公園の風景でも楽しんどけ」


 そう言い残し、玲奈は警戒しながら去っていった。

 姿が見えなくなったところで白水がぼやく。


「今代の錆止女は力も才覚も素晴らしい。が、私と相対するには経験が不足しすぎていたな。水の性質の理解が浅すぎるわ」


 笑みを浮かべた白水が振り返って両手を広げる。


 すると水の唖者が彼女の前に集合してくる。その中に、それぞれが大きな水球に取り込まれて眠っている谷町と甘藷も姿もあった。水の唖者がうめき声を上げつつ、その二人の水球に白水の前に差し出す。


「さあ我が信徒よ、そろそろ目覚めよ。実体でしか届かぬ最後の封印に少しでもヒビを入れよ。さすればお前達の願い、改めて叶えて進ぜよう」


 二人の両目が開く。水球が地面について割れ、二人は綺麗に着地する。そして揃って祈るように膝まづく。


「「――拝命、承りました。水守之白水様。御身への信仰、ますます深めまする」」

「励め」


 本物の二人が嬉しさに満ちて行動を始める。

 水守之白水は奥へと消えていった。





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