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第4話「水ノ試練ハ偽リナリ」



 「ここは……異世界とか裏世界とか、そういう場所か……」


 海暖を助けるために水球の仲へ飛び込んだ一誠。意識を失っていた彼が目覚めると、そこには木造校舎が聳え立っていた。


 倦怠感の残っていた体もようやく戻ったろころで立ち上がる。一誠は改めて周りを見渡した。


 彼がここは異世界、裏世界である断言したのは自分の通学する水盛公立高校の旧校舎の正門にいたからだ。小中学校の何かしらの授業で見覚えがある木造校舎で、その正門に高校名が刻まれているのだから旧校舎で間違いない。そしてこの旧校舎は現在では取り壊されているのである。彼が異世界であると判断するのは妥当だろう。


 見上げた空は不気味な暗さを漂わせる。曇り空のようには見えないのに薄暗いのが不安を煽るのかもしれない。ただ、視界の確保に困らないのでそこだけは安心を覚える。そんな空が広がっている。


 一誠が覚悟を決めて正門をくぐり歩いていく。静けさの中を突っ切るように木造校舎に入ると、学生が出入りする昇降口に辿り着く。習慣で上履きを履こうとしたことに苦笑してから、一誠は気を取り直して先へ進もうとした。


 昇降口を抜けたすぐの廊下のことである。

 突如、粘土のある手で腕を掴まれたのだ。


「な!? うわ!?」

「アぁ――アぁ――」


 瞬間、小さな虫が皮膚の中へ入り込むような気持ちの悪い感覚が伝わってきた。咄嗟に振りほどくいたところでようやく状況を把握する。先ほど水森山公園で見かけた、人の形をした液体の化け物だったのだ。


 走って逃げようとするも、慌てたせいで振り返った先が壁という失敗をする。方向を切り替えたところで化け物に抱き着かれる。


「ぐ、う、離せ! 離せてめえ!」

「アぁ――」


 一誠は振りほどこうと抵抗するが拘束は続いている。触れている部分はもちろん、脳や心臓にも何らかの虫が入ってくるような感覚に、一誠は明確な死の恐怖を感じた。


 しかしそこへ救いの手が表れる。化物の背後から現れた女の子の手がその首根っこを掴み、一誠からあっさりと引き剥がしたのだ。


「破! 退散!」


 錆止女玲奈が力を込めた掌底を繰り出す。化け物に掌底が接触するとそこから霊力の光が放たれた。それで化物は跡形もなく爆散して消滅してしまった。やはり水の塊なのだろうか、やられる際は水飛沫が舞った。


 一誠はそれで危機を脱したと確信してで壁に背を預けてずり落ちて座り込んだ。過度な緊張が抜けて思わず力も抜けてしまったのである。


「おい、一誠」


 安全な状況になったところで玲奈が凄い形相で彼の襟を掴み立ち上がらせる。そしてあいた右手でジェスチャーをする。


「立てた指は何本に見える?」

「は? いきなり――」

「いいから答えろっ。何本だ?」

「三本だ」

「これは?」

「五本……」

「私の名前は?」

「玲奈だろう。それが――」

「フルネームではっきりと!」

「錆止女玲奈だ。それで――」


 一誠から期待した通りの返答がされて、玲奈は喜びを噛み締めた。その直後に怒りが湧いた。それに任せてグワングワンと凄い力で一誠を揺らした。


「バカ野郎! 今ので死にかけたんだぞおまえ! 普通なら今ので認知症か何かの脳障害になってたっておかしくなかったんだ! てめえの筋肉に感謝しろこの野郎!

 それでなんでここにいやがる!?」

「ぐ!? いや待ておちつ――」

「言われずとも想像つくがあのまま水羽さんを追ってきたな!? 違うか!?」

「いや、その通りだっ! 待て! 落ち着け!」


 息を荒した玲奈が言われて離し、息を整えて冷静になっていく。その間に一誠も深呼吸をして落ち着きを取り戻していく。


 少し間が空いてから、玲奈が安堵のあまり彼に抱きついた。


「無事でよかった。マジで焦ったんだぞ……」

「……悪かった。それで、さっきの化物、何だあれは?」

「水の唖者(あしゃ)と呼ばれる神の眷属だな。まあ眷属と言うより化物のほうが近い。簡単に言えば、そこらへんの動植物の霊や人間の地縛霊を無理矢理に融合して自我を崩壊させた霊魂だからな。お前を襲った理由は単に食欲のようなものに従っただけだろう」


 顔を少し赤らめた玲奈が一誠から離れ、衣服を整えて気を紛らわす。一誠はそれに気づいて微笑ましく思う。


「……水の唖者にはうかつに触れるなよ? 触れただけで気が触れる……精神汚染をされて脳に障害が残る可能性が高いからな。掴まれたら妙な違和感を感じただろう?」

「ああ。例えるならムカデか何かが皮膚の中に入り込む感覚だな」

「そこまでわかったか。本当に筋肉が無かったら死んでるな。まああれを見たら一目散に逃げるのが最善だ。

 よし、ここや公園に近づかなければ今後は出くわすこともないさ。さ、帰ろ――」

「それは断る。俺は海暖を追う」


 渋い顔を浮かべる玲奈。


「……そんなに大切か? というかこんな危険な目に遭って余計にわかるだろうに」

「だからこそだな。それにお前、海暖を助ける気はないだろう?」

「今日はお前がいるから当たり前だ。私は確かに強いが、神を相手に人を守ったまま挑めるような力量はない。明日から水羽さんを助けに入る、だから――」


 玲奈が言葉を止めた。眼光を鋭くし気配を探るように周囲を見渡す。一誠もつられて緊張し、周囲を見渡した。


 そして校内放送のように。少女のようでいて威厳に満ちた声が校内に響く。


『奥へ辿り着けば、必ずや水羽海暖を渡そう。我が水の試練を受け入れよ』


 玲奈が頭を抱える。横目で見た一誠が覚悟を決めた顔つきになっていたからだ。多少とは言え親しくなったのだ、無駄とわかっていても彼の行動を制止しようとする。


「一誠、誘いに乗るな」

「神様ってやつは嘘をつかないってイメージだが違うのか?」

「邪神様やら何やらほど拡大解釈や神様基準とかでわけのわからんことをするもんだ。慈悲の心も神様基準で期待なんぞできねえよ」

「それでも……俺は行く。悪いな」


 一誠が校舎の奥へ踏み出す。


 そのまま少し距離が空いたところで、玲奈が盛大にため息をついた。彼女は右手を上にして念じると、霊能力で指輪を無から精製する。


 玲奈が駆け寄り一誠の腕を取る。彼は驚いたがそのままされるがままにしていると、一誠の人差し指に指輪が付けられた。


 その瞬間、一誠は指輪の使い方を理解する。


「指輪の使い方はわかるか?」

「あ、ああ。念じて声を出せば六発の霊力でできた弾丸を撃てる……で、いいよな?」

「よし、しっかり適合しているな。この武器はさっきの水の唖者なら一撃で仕留められる。霊能関係の便利道具ってやつだ。時間が立てば霊力の弾丸は自然に装填されるが、すぐには戻らない。それと何発も使うとそのうちぶっ壊れる。

 どうしても逃げられない時だけ使え」

「……ありがとう」

「おまえが帰らないんじゃ私だって帰れないからな。それに、私だって水羽さんを助けたい気持ちはあるさ」


 玲奈が呆れも含めたがどこか嬉しそうな笑顔を彼に贈ると、彼女は別方向に進み始めた。


「ここからは別行動だ。私はこの空間――ああそうそう、ここは水守神社の神様――水守之白水が作った結界の中だ。正確には裏世界を利用した結界だな。

 だから私は脱出路の確保や白水の妨害を行なう。それと本当に水羽さんの元へ辿り着けるような細工もしてくる。道標(みちしるべ)のようなものを感じたりしたら素直に従え。まず私からの誘導だからな。逆に嫌な予感がするなら避けろ。そいつは白水からの誘導だ。クソ迷惑な感じのな。

 だからお前はお前しか頼れない。死ぬなよ?」


 一誠は玲奈のお人好しに笑った。


「恩に着る。おまえも気を付けろよ、親友」


 お互いに頷いて、二人はそれぞれの行動を開始した。




   ■   ■




 玲奈と別れて、一誠は奥へと進む。ただし校舎の奥というよりは自分の直感が、この先が奥である、と感じるような場所に向かって足を進めている。


 玲奈の助言に従っているというのもあるが、それ以上に木造校舎の特徴がそうさせてくると言っていいかもしれない。


 木造校舎は裏世界だと言わんばかりにおかしな構造だった。明らかに外観の五倍はあるだろう廊下が続いている。教室の扉が閉まっている場所は開かない。試しに叩いてみたが違和感が大きい。見た目は一般的な教室の扉にありがちな樹脂のような素材なのに、叩いた感触は冷たい鋼鉄のように感じた。


 途中、一誠は何度か徘徊する水の唖者と呼ばれるあの化物に遭遇した。しかし索敵能力は高くないのか、一誠を発見することはできていない。


 木造校舎の廊下は直線で隠れる場所はほとんどない。しかし途中にあるロッカーや、扉の空いている教室には乱雑に積まれた大量の机、文化祭のために貼られたような黒幕などがあった。


 それを利用すれば水の唖者から隠れる場所には困らなかったのである。


(いったいこれで何を試しているんだ? 度胸なのか? 時間稼ぎだと言われたほうがしっくりくるぞ……)


 そう疑問に思ったところで妙な教室を発見する。奇妙な部分とは明白だ。入口の扉部分が薄い水の膜のようなもので覆われているのだ。


 直感はここを通れと告げている。勇気を出して触れると特段、体に異常はない。そして水の膜を通って中に入ることもできる。


「……ままよっ」


 覚悟を決めて中に入ると拍子抜けするほど他の教室と変わらなかった。それに安堵したところで教壇の上に何かの本が置いてあることに気付く。それも表紙がやたら古風であった。タイトルは『供物』である。


「物騒な――」


 ガチャンと音がなる。入口から聞こえたことと、聞き覚えのある音から考察するに、教室の鍵が掛けられたのだろう。先ほどあった水の膜も無くなり入口は完全に締め切られている。


 読めと言わんばかりの誘導に一誠は危機感よりも苦笑を覚えた。


 本のページを開く。内容は大雑把に言うと『裏祭りで最初に死亡してしまった女の子の話』と『その女の子が死亡してから始まった猟奇事件の被害者の話』の二つ。


 一つ目の話を読み始めると同時に頭の中で鮮明な映像が浮かび上がっていく。想像力の話ではなく、書物からの霊的な力で植え付けられていく感覚だ。


『――結婚の話は無くなりました。覚悟はしていましたが、仕方ありません。いくら寂れた田舎の村といえど最低限の相手は選ぶものです。私のような生まれつき白髪で体が弱い女は生まれる子にも問題が出る、と言われれば否定できない事実です。

 私が好いた方は承知の上で交際をしておりました。しかしやはり彼のご両親は子供には幸せになってほしいものです。再三の説得に彼はこの話をとうとう承諾してしまいました。それを残念とは思いません。誠実な益荒男である彼と結ばれたい女性は、それこそ山ほどいるのですから。しかしそれがかえって、これからの人生が独り身であることの寂しさを認めているような気がしました。

 水守神社の裏祭りに巫女として参加せよと言われたのはそんな時期でした。気晴らしもあって、快く承諾したことを覚えております。しかしそれは、悪辣な男達の悪巧みを隠すための大義名分であったのです。

 水守神社の本殿にて、私は大勢の男性によりひどく乱暴にされました。苦しい中、最後の力で抵抗した時、男がしつけと言って私の首を絞めたことが死因となりました。

 その時、神社の神様が告げられたのです――貴様らがそのような解釈をするならば、我も相応(そうおう)の汚れを以って水の教えを広めよう――と。

 私はその時、水に溶ける心地よさを知りました』


 前半を読み終えて、そのまま二つ目の話を読み込んでいく。


『小金持ちのバカ男を盛大に振ったことがこんなことになるとは思わなかった。まさか私があの謎の猟奇事件の被害者になるとは。

 目の前の人間だった化物に両手両足を切り落とされるほど、私は悪行を働いたつもりはない。来世ではぜひとも幸せな人生を送らせてほしいね。その願いも込めて、バカ男の顔で舐めしゃぶって来る、この水の化物にされるがままになろうじゃないか。

 しかしこれが神様の仕業だとは思わなかった。本殿の死亡事故の噂は本当だったのかもしれない。それが呪いになったと言われても私は信じるね。魂の分割に手足千切るのも、婚約者がいる女への横恋慕を手伝うとか意味が分からんもの。

 錆止女さんの忠告を軽く見すぎたな。彼女には申し訳ないことをしてしまった。ヤバすぎる神様なんでとっとと逃げてほしいね。あんたみたいな不器用だけどいい人は長く生きるのが世のため人のためだよ。

 将来の旦那様はなんとかなるでしょ。実直坊主なだけあっていい人だからすぐ見つかるよ。見つからないならまあ名僧になるのが確定だな。もし独り身で名僧になってたら化けて出てやるとしよう。挨拶は“お酒をよこせぇ!!”でいいな』


 そうして、読み終わった一誠の顔から嫌悪感が漏れた瞬間である。

 入口の扉から鍵が開いた音が鳴り、水の膜が出現した。


「……先だ先。今は考えることじゃない」


 不愉快な感情を振り払うと一誠は教室を出る。すると先ほどとは違う場所に出てしまう。明らかに一階であったはずなのに二階の廊下にいるのだ。彼のすぐ横には下へ続く階段があるし、廊下の窓から見える景色の高さからして間違いないだろう。


 二階から降りることはできない。一階と三階へ繋がる階段を遮るように水の膜に覆われているからだ。その水の膜は先ほどと違って通過できない。波打って波紋を作るくせにやたら硬質な壁が、薄く張られた水の中にあるようだった。


(先へ進もう。ろくな未来がなくてもそうするしかない)


 一誠は覚悟を決めて廊下を歩き出す。直感を信じて先へ先へと。そしてたまに見かける徘徊する水の唖者をロッカーや変な空き教室を利用して隠れてやりすごす。


 そしてまた、水の膜が張ってある教室を発見する。迷いなく入ると、教室の中は異質な空間が広がっていた。


 中央に机がポツンと一つ。その床には何かの呪文なのかわからないが、装飾された円形の図形があり、その中には漢文が書かれている。その真ん中に机があるという形だ。


 教室の黒板には多彩な色のチョークで風景が描かれているが、黒板消しで乱暴に消したようにぼかされていて詳細はわからない。かろうじてわかったのは神社の中、拝殿か本殿の中を描かれたもののように見えるということだ。


 一誠がそんな教室の情報を把握したところで背後から鍵の掛かる音が聞こえた。先ほどと同じと悟って中央に足を進める。


 予想通り机の上には本があった。

 タイトルは『水』だ。


『上善は水の如し。水は万物に利益を与えるものである。故に水は他者から敵視されることがない。これ即ち真理なり。人の生き方もかくあるべし。

 魂はこれ人の(もと)なり。魂が宿る場所は一つにあれど、一つに留まらず。これ即ち(たい)の枝葉にも宿る。これ原理(げんり)なり。

 愛は偏るものなり。愛は共にあることなり。これよく共存の(さわ)りの理由となる。故に枝葉を切って分け与え、水の如く調和させ(たま)え。

 水はものを溶かす。溶けば即ち(いち)なり。水神(すいじん)の顕現は溶けることに成る。故に白水は信徒を水に溶かすことを水神の務めと(さだ)む』


 ただの哲学のようにも見えるし、あるいは神社の教義かもしれない。そう思うとなぜか嫌な予感を感じた。


 読み終えてしばらくすると、教室の扉が開いた音が鳴った。


「……さて行――?」


 ヒタリ――。そんな音を立てるような細長い液体が上から垂れて来る。ふと見上げたところでそこには、四足歩行の水の唖者が天井に張り付いていた。


 一誠が急いで距離を取ったところで水の唖者が地面に落ちる。


「アぁー!!」

「ビビらせんなボケ!」


 四足歩行の水の唖者が立ち上がる。やたら手が大きく爪が鋭い。それを生かして一誠を切り裂くため、水の唖者は飛び掛かろうとした。


 一誠は迷わず玲奈から受け取った指輪を使う。指を銃のように構えて「放て!」と言えばそこから霊力の弾丸が放たれた。


 戦いはそれで終わりである。発砲された霊力弾(れいりょくだん)はあっさりと水の唖者を粉砕し、水飛沫を飛び散らせた。


「フー!」


 急激な緊張のせいで心臓がおかしくなったが、それも少しずつ元に戻っていく。一誠の思考も動物的な反応よりも人間的な理性を取り戻していく。


 ちなみに先ほどの指輪による霊力弾を人間に当てた場合、大人くらいなら物理的に吹っ飛ばす上に霊感能力が低い場合は確定で気絶させる代物だ。玲奈くらいの高度な霊能力者の場合は吹っ飛びもしないし、爪楊枝で肌をツンツンされる程度の痛みしか発生しないらしい。


「……そう言えば、混ぜ物って言ってたな。さっきのは人とトカゲが混ざってトカゲの魂が強いってパターンかな? 怖い怖い。熊とか馬とかは勘弁してほしいな」


 そうして一誠は先に進む。

 次の場所は――体育館へと繋がっていた

 バン! と背後から力強く扉が閉じた音が耳に届く。


『水の試練を乗り越えよ』


 体育館に響く水守之白水の見下ろした声。それに合わせて、館内にウジャウジャといる水の唖者たちが一斉に畠山一誠のほうへと振り向いた。


 先ほどまでとは違う趣向の試練であると気付き、一誠は走り出す。同時に、速度は出ないものの水の唖者が彼に向かい出す。水の唖者の大半は人型だが、その中に壁や天井にいるトカゲ型は動きが機敏であった。


「大量にもほどがあるだろうが!」


 目指した先は、というよりは逃亡してたまたま辿り着いた先は、まずは会議室や更衣室に繋がる小さな体育館内の小さな廊下である。そこから外に出れる作りになっていたので出るべきかと迷った。しかしそこへ繋がる道は、会議室から出て来た数体の水の唖者によって塞がれてしまう。


 別の行き先を探そうと少し戻ろうとすると、体育館から入って来た水の唖者が一誠を挟み撃ちにしてきた。


「――放て!」


 撃ったのは体育館側にいる水の唖者へ二発だ。これにより複数体を倒して通路を確保する。どこへ逃げると慌てたところで目に付いたのは体育館の二階へ続く廊下であった。一誠は必死になってその階段を上り切った。


 そして二階へ辿り着く。広いスペースがあり、そこには複数台の卓球台が置かれている場所だ。しかしその隙間に人型の水の唖者で埋められている。


「反対か! そこは直線だぞクソがっ!」


 卓球台の反対側にある通路へ向かう。その狭い直線の通路は観客が一階のコートを上から眺めるためのスペースと言ったところだ。その先にはトレーニング室と書かれた部屋があるのだが、幸運なことに、その部屋の入り口には水の膜が張られている。


 思ったより早く出口を見つけたと安堵したと同時に焦りが生まれる。なぜなら、通路の横に外を眺める窓に外からへばり付き、一誠を追ってくる複数体のトカゲ型の水の唖者がドンドンドン! と窓を鳴らして追跡して来たからである。


 そこへさらに体育館の天井に張り付いていた複数体の水の唖者が落下する。その内の二体が一誠の進行先を塞いだ。


「放て!」


 指を構えて霊力弾を放ち、進路上の水の唖者を消し飛ばす。走りに力を入れる。そこへ、後ろから追跡していたトカゲ型の水の唖者が一誠へと飛び掛かかった。一誠は水の唖者に抱き着くかれるような形になりかける。


「だりゃああ!」


 背中にあの恐ろしい寒気を感じた瞬間、一誠は反射的に飛び込み前転で水の膜を飛び越えた。勢いの転がったのが幸いしたのだろう。前転の際に接触していた水の唖者との距離が離れてくれたのである。


 向かい合って指と爪が構えられる。


「アぁ―!!」

「放て!」


 適度に距離がある状態で爪による近接攻撃と銃弾のような遠距離攻撃はどちらが有利か。言うまでもないだろう。


 水の唖者が霊力弾により四散すると同時に、玲奈の指輪も音を立てて崩れた。胃の一の危機を脱出したという安堵を覚えて、一誠は座り込む。


「フー……ここは……神殿、じゃなくて、神社の拝殿かな?」


 休憩しながら周囲を見渡して状況を把握する。どうやらここはとてつもなく広い神社の中といったところだ。現在地は通路ではなく広間のような場所のど真ん中と言ったところである。


 神社内の壁や天井には提灯(ちょうちん)のようなものが掛けられており、そこから淡い光が出ている。それで室内を明るくしているのあろう。他にはとても大きな衝立(ついたて)――仕切りや目隠しに使うもの、屏風に近いもの――が置かれている。何となくだが、これが入口になったのかもしれないと一誠は考えた。


 一誠が状況を確認していると、大きな拍手が聞こえて来る。


 警戒心を引き出された一誠が振り返ると、そこには長い白髪をツインテールにした青い着物の女の子がいた。


 彼女は一誠を愉快気に思って頬を緩ませている。


「時間稼ぎの余興とは言え、よくぞ乗り越えた。人の子よ、素直に称賛しようぞ」

「……余興?」

「――おっと、水の試練と言っていたな。クックック」


 一誠は警戒心を抱いたまま、しばらく白水の我慢するような笑いを眺めていた。


 しばらくして水守之白水が口を開く。彼女の口には何かしらの意図からか、明らかに嬉しさが含まれている。


「我が信徒達の願いから予想はしていたが、やはり貴様は中々な益荒男(ますらお)の気質を持っているようだ。気に入ったぞ」

「……そいつはどーも。それで、海暖は返してくれますかね?」

「クック――せっかちなやつだな」


 白水は嬉しそうに苦笑しながら指を鳴らした。


 すると広間の壁だと思っていた部分がゴトン、と音を立てて引き戸のように開いた。中は直線の廊下である。高さは数メートルで横幅も自動車二台は通れるかもしれないほどの広さがある。左右には拝殿の広間にもある提灯がずらりと並んで暖かい光を放っている。


「この先で海暖が眠っているぞ。あの娘には私の加護を満たしているからな。もうしばらくはそのままであろう。久方ぶりの信徒達から願いを承ったのだ、いくら神である私でも丁寧に対応したくなるというものさ」

「……連れ戻しても?」

「水の試練を乗り越えるなら好きにするがいい。さあ、行け」


 疑い深い目を向けつつも、一誠は奥へ向かって走り去った。


 白水はその姿が見送ると、不意に別の笑顔を浮かべる。自身の背後にヤンチャ娘の気配を感じ取ったからだ。


「錆止女の小娘め。ずいぶんと好き勝手に領域をいじるじゃないか。おかげであの益荒男がここに辿り着いてしまった。言い訳を聞こうか?」

「彼を貴殿と接触させてしまったことは、未熟を恥じるばかりです、水守之白水」


 嬉しそうに振り返る白水に反して、玲奈は不愉快さを表にしていた。


「白水でよい。ふむ? 完璧にいじれているわけではないのか。貴様の能力を過大評価していたかな?」

「あんまり舐め腐らないほうがいいですよ。こう見えて私、凄腕の霊能者なんで」

「力が強いだけの凡人を手練れの戦人(いくさびと)と評するのは見当違いというものだ、小娘」

「しゃーねえ……ぶん殴ってわからせてやるか」


 玲奈が右手のこぶしを握って開いた左の(てのひら)を叩いて気合を入れる。途端、霊力が解放されて圧力が増す。自身の霊力と守護霊の加護を一体化したそれは、平凡な霊能力が見れば卒倒しかねない強度を見せつけていた。


 白水はそれを鼻で笑っている。


「授業料は腕一本、というところか」


 白水の周りに水が出現する。それが変形しつ複数に別れ、それぞれがバスケットボールのような水球へと形作られた。白水の近くで浮遊する水球は、まるで生きているかように白水の周りを動いている。


「さあ、古流も習っておらぬ未熟者の錆止女よ、かかって来るがいい。心がけ次第で指一本に減らしてやろうぞ?」

「人間舐めんじゃねえ! 根腐り女神がぁ!」


 玲奈が急速に近づいて全力でぶん殴って轟音が鳴る。喧嘩殺法と言わんばかりの大ぶりの拳が命中した先は、白水を守るように水球が変形して張られた水の膜だ。音に反して水は一切の乱れを生じていない。


「馬鹿力め」

「それはどーも! おらあ!!」


 玲奈の放った蹴りが水の膜を変形させる。同時に玲奈が後退して印を組んで呪文を練り、錆止女家の秘伝の霊術を構築していく。


 白水は余裕を保ちながら、水球を変形させて玲奈に対応する。


 二人の激闘はしばらく、神殿内に響いた。




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