5.選抜試験開始
カルベと俺が襲われた次の日。
俺はカルベの部屋の扉の前で足を止めていた。お見舞いに来たはいいが、どの面下げて会えばいいのか分からなかったからだ。
俺のせいでカルベは腕を切り裂かれたようなものだ。
なのにあの時、俺は怖くて。動けなかった。
そう立ち尽くしている俺の前の扉がいきなり開いた。
「「あ。」」
誰だ。と上を向くとアレク・ギアリーがこちらを見下ろしていた。何故コイツがこんなところにいるんだ?そんな疑問が浮かび硬直している俺を無視して歩いていくアレクが横目で俺を見て小さく呟くのが聞こえた。
「チッ。こんなやつとつるんでるからあんなことになるんだ。」
その去り際の辛辣な言葉にが俺の胸を突き刺す。
確かにその通りだ。
でも、言われなくても分かってんだよ!!
俺が何かしたわけじゃない。俺だって巻き込まれたんだ!!アイツらに俺の何がッ…
「あ、ソウセイ!!…もしかしてお見舞いにきてくれた?」
そう内心で毒づく俺にカルベが声をかける。
ベット端に腰をおろしてこちらに笑いかけている。
「えっと…うん。その大丈夫か?腕。」
「うん!全然平気だよこのくらい。兵士だから。」
大丈夫か?…って大丈夫じゃないに決まってるよな。なに聞いてんだ俺は。
そう頭を片手で搔き毟り、カルベの右腕に目を落とす。
分厚く麦穂巻きで巻かれたカルベの右腕は首から三角巾で吊るされていた。
「それ…動かないのか?」
「あぁ。これね大袈裟だよね。もう全然大丈夫なのに腕を休めるためにって。」
そう笑ってカルベはベット脇のテーブルにあるリンゴを右手で手にする。
「これ、アレクさんが持ってきてくれたんだー。」
だが、その指先がリンゴの赤い肌に触れた瞬間、俺は絶句した。
カルベの指は、リンゴを『掴んだ』のではなく、ただそこに置物のように『置かれた』だけのように見えたからだ。
「……カルベ?」
「あれ、おかしいな。ちょっと滑っちゃった。」
カルベは苦笑いしながら、さらに指を曲げようとする。
けれど、彼の右指は痙攣するようにピクリと震えただけで、リンゴを持ち上げることはできなかった。
そのまま、リンゴは無慈悲にゴロリと床へ転がり落ちる。
カルベは、床に落ちたリンゴよりも、自分の右手を不思議そうに見つめていた。
まるで、見知らぬ誰かの落とし物を確認するかのように冷めたく、他人事のような視線で。
「おかしいな、感覚はあるんだけどな……。ちょっと遠いっていうか」
その言葉に、俺はアレクの罵倒よりも鋭い痛みを感じた。
『遠い』んじゃない。繋がっていないんだ。
脳から発せられた命令が、あの切り裂かれた傷口で、行き止まりになっている。
「……貸せよ。俺が剥く。」
俺は震えそうになる手を隠すように、床のリンゴをひったくった。
「ごめんね。」
逆だ。謝らなきゃいけないのは俺の方だ。
俺があの時動けていれば。アレクの言う通り、俺がこいつの隣になんていなければ。
こいつに「ごめん」なんて言わせている。
深い傷を負い、その指先から自由を奪われた被害者に、加害者同然の俺が、あろうことか慰めさせている。
その事実に、胃の奥からせり上がるような強烈な不快感を覚えた。
俺は、その動かない手を視界から消し去るように自分の体で遮り、猛然とリンゴを剥き始めた。
そうでもしなければ、俺は今すぐこの部屋を飛び出して、自分の情けなさに叫び声を上げてしまいそうだったからだ。
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それから一週間が経った。
俺は今、ミルディア王国兵団の大規模募集の選抜に参加している。
突き抜けるような青空の下、風が平原の草を波立たせている。集まった数百人の熱気と、あちこちで響く武器の触れ合う音が、余計に俺の焦燥感を煽った。
選抜といっても兵団も人手不足でなるべく多くの人手が欲しいためそこまで難しいことをするわけではないとトリシアは言っていた。
ただ、今後兵士としてやっていく『覚悟』があるかどうかを試すもののようだ。
選抜の場所はミルディア王国周辺の平原で、内容は当日の試験開始時に言われるらしく、毎年内容も異なるらしい。
毎年団長が内容を決めるそうだが、大規模遠征かなにかで今は王国に不在。
そのため副団長であるトリシアが内容を決めたようだ。当然だが、俺には教えてくれなかった。
まだ選抜開始時間まで時間がある。俺は緊張を紛らわせるために、兵団見習いになってから自分がやってきたことを反芻した。
カルベやトリシアに教えて貰い、覚えた付け焼き刃の剣技、自分の秘脈を扱うコツ。まだ俺は制御できるところまでいけなかったが、以前より少しは「力」の流れが分かってきた気がする。
脊髄から力が枝のように流れるような感覚。それが俺の『共鳴』の力の流れのようだ。
意識的に使おうとすると途中で力が離散するような感覚に陥りまだ使えないが…。
この選抜に落ちたら俺はこの世界に他に行く宛なんてない。
少なくとも俺は謎の勢力に狙われている身なのだから一人になるのは避けたい。
戦闘のプロが沢山いる兵団にいるのが今のところ一番安全だ。
そんな風に思考を巡らせている俺に朗々と響く快活な女の声が降ってきた。
「あんたみたいなのもこの選抜受けるの?」
振り替えると槍斧を背負った存在感のある尊大そうな女が立っていた。
「何か問題でも?」
「ただ、死なないといいけど。」
「死ぬってなんだよ。」
「あんた知らないの?兵士選抜は毎年死者でてんのよ。まぁ死ぬ程度の覚悟で望むから死んでるんだけど。」
「まぁ、今年は相当人手不足みたいだから簡単そうだけどね?難易度を落とすかは知らないけど。」
「それって…」
聞き返そうとした瞬間、平原に凛とした一つの声が響く。
「注目。これより兵団選抜試験を執り行う。
範囲は王国周辺の平原全域。対象は徘徊する全異形獣。一匹でも狩れば合格とする。各々グループで協力するもよし、単独で動くのもよし、技量と知略、そして度胸を見せてもらう。」
異形獣って…この世界に来たときに襲ってきた化け物か!?まじかよ…。
「現在の平原には多数の異形獣が出没しているわ。上位の異形獣は森付近にいるから森にあまり近づきすぎないように。忠告しておく。もしもの時監視役が助けに来るなどと思わないなと。ここで死ぬ程度の奴は、戦場では足手まといにしかならないわ。」
俺が襲われた異形獣は上位種だったようで今回の平原には出没しないようだ。と少し胸を撫で下ろす。
だが、冷酷に突き放すように放たれたトリシア・ラドクリフの言葉に俺は再び気を引き締める。
「…自分の命の価値を、その手で証明してみせて。始めなさい。」
周囲の空気が一変した。参加者たちが一斉に獲物を求めて駆け出していく。
「なんだグループでの協力もありか。あんたも精々頑張りなさいよ。」
女が背中を向けて走り去っていった。
俺は一人、静かに息を吐いた。
今の俺にどれほどの価値があるかは分からない。だが、あの時動けなかった自分を殺すには、ここで化け物を殺すしかないことぐらいは分かっている。
「……行くぞ。」
俺は背後を振り返ることなく、異形獣が潜む平原へと足を踏み出した。
こうして王国兵団選抜試験は開始された。




