4.無力で非力な赤い拳
兵士見習いとしての生活が始まって一週間。むさ苦しい筋肉と汗にまみれる日々の中で、俺も少しはこの生活を受け入れてきていた。
「ソウセイ!今日の午後空いてる?」
それはこの少年、カルベ・オデネイルのお陰である。翠色のあどけない瞳にオレンジ髪を揺らして笑うカルベは、お世辞にも兵士向きとは言えない。だが、この少年は兵団の中で邪険にされている俺にも普通の仲間として接してくれた。それが今の俺にはこの上なくあたたかかった。
「あぁ。今日の午後は訓練も無いしな。」
「それなら、午後から都の散策にいかない?君はまだここらへんのことよく知らないだろ?案内するよ!!」
筋肉痛で正直どこにもいく気にはなれなかったが、ミルディア王国にきてから訓練続きでここがどんなところかも知らなかったため散策も良いかもしれないと思った。なによりカルベがものすごく目を輝かせていたので断ることなんて俺にはできなかった。
>>>
大通りは色とりどりの屋根が連なり、石造りの建物が建ち並ぶ景色、石畳を叩く馬車蹄の音、客を呼び込む商人たちの野太い声、そしてどこからか漂ってくる香辛料の効いた料理の匂い。雑多な種族が肩を並べて歩くその熱気に、自分は今、本当に異世界に立っているのだと実感した。
「あそこがミルディア王国の王様達が住んでる城だよ。ここはミルディア王国の城下町なんだ。」
だからこんなに賑やかで、発展しているのか。最初に転移してきたところがここだったら良かったのに…そう心のなかでため息をつく。
カルベに連れられ雑貨屋や屋台を巡った。俺はまだ兵士見習いだから給料はないが、トリシアが少しのお金をくれたのでそれで刺繍道具を買った。転移してすぐに襲われたとき破けてしまったスラックスを縫うためだ。俺がこの世界にもってきた大事な思い出の品だし、大切にしておきたい。そんなこんなで店をカルベと散策をしている猛烈な違和感が俺を襲った。
(なんだこれ…来る。……何かが、来る。)
何かが俺と共鳴した。背筋を凍らせるような、粘り気のある悪意が俺の中に入り込む。気持ちが悪い。
「カルベ、道をかえよう。……今すぐだ」
「えっ? あっちの店、まだ見てないよ?」
「いいから!」
カルベの手を引き、路地裏へ駆け込んだ。だが、逃げても逃げてもそのねっとりとした悪意は振りきれなかった。逃げた先で漆黒の法衣を纏った集団が俺達が来るのが分かっていたかのように待ち構えていた。その中心で、紫色の瞳が三日月のように細められた。
「あはっ…見つけた。……キミだよね?あの大きな力…良いものを秘めてるコ…。」
「私は選定純化会が1人、オードリーナ・メドウズ。よろしくね。早速だけどぉ…特異秘脈持ちのコ!私達と一緒にきて貰うよー。」
薄気味悪く笑いながら近寄ってくる彼女が放つ空気は、生物としての本能が「逃げろ」と叫ぶほどに異質だった。一度捉えられれば逃げられない。そんな予感。
「その顔、嫌な予感がするってカオー? 正解。でも、予感できても避けられないのがぁ…『運命』なの。」
次の瞬間、彼女の踏み込み一歩で一気に距離を詰められる。ガチガチと歯を鳴らし、恐怖で立ちすくんでいる俺の腕をカルベが強く掴み後ろに押した。その瞬間、「邪魔。」カルベの右腕を女のナイフが深く入り込み一気にに引き裂いた。生暖かい血液が俺の頬に張り付く。
「あ、…あ゛ぁぁぁぁぁッ!!」
カルベがあまりの激痛に悶絶している。俺のせいで…どうにかしないといけないと頭では分かっているのに体が動かない。
「あぁ。ごめんなさい!!用があるのはキミじゃなかったんだけど、邪魔になるから刺しちゃったぁ…。ごめんねぇ…今、楽にしてあげるから。」
少し早口で捲し立てた後、悪魔のような女が狙いを定めてナイフを引いた。その瞬間、頭上から一人の男が舞い降りてきた。
「…そこまでだ、イカれた宗教の狂信者共。」
深いフードに顔を隠した男が、彼女のナイフを素手で叩き落とし、素早く腹に打撃を加える。男の鋭い連撃が包囲を割り、一瞬の隙が生まれた。
「今のうちに走れ。 奴らの狙いはお前だ。」
「あんたは……!」
「オレンジのガキの出血が酷い。早く行け。」
追いかけてくる追手に木剣を投げて必死で逃げた。フードの男の加勢により、なんとかその場を脱した俺はカルベを背負い、息を切らしながら兵団の宿舎へと逃げ帰った。その場にいた兵士に事情を説明し、カルベはすぐに医務室に運ばれた。
助かった。確かに助かったはずなのに。
耳の奥では、別れ際にオードリーナが口にした、歌うような声がフラッシュバックしていた。
『逃げていいわよ。……でも、またすぐに貴方を迎えにいってあげる。』
それは約束ではなく、確定した未来。
どんなところにいても、あの藤紫の瞳からは逃げられない。そんな気がした。
夜の帳が下りる頃、俺は自分が、かつてないほどに冷たく、震えていることに気づいた。
俺のせいでカルベを巻き込んでしまった。宿舎の廊下に座り込んだ俺のポケットの中には、買ったばかりの刺繍道具が入っていた。
思い出の品を直そうなんて、なんて呑気なことを考えていた俺のせいでカルベは…。
俺はただ立ち尽くしていた。あいつが裂かれるのを、見ていることしかできなかった
「クソッ…!!」
このままじゃ…ダメだ。俺は、強くならなくちゃいけない。赤く汚れた拳を強く握りしめ、そう決意した。




