第8話 騎士団長様の不器用な餌付け
あれから数日。
『食堂 陽だまり亭』は、すっかり騎士団員たちの社員食堂と化していた。
「おばちゃーん! こっち『唐揚げ定食』追加!」
「おばちゃんじゃないわよ、お姉さんと呼びなさい! はい、お待ち!」
「エリーナさん、俺の服のボタンも直してくれませんか?」
「はいはい、ご飯の後でね」
ガイル副団長をはじめとする騎士たちは、私の料理と生活魔法の便利さにすっかり味を占め、非番の日はほぼ入り浸っている状態だ。
お店が繁盛するのは嬉しいことだ。……ただ一人、面白くない顔をしている人物を除いては。
ドォォォン!!
ランチタイムのピーク時。
店の扉が乱暴に開かれると同時に、巨大な物体が床に投げ出された。
店内の床が揺れ、食事中だった騎士たちが一斉に飛び上がる。
「な、なんだ! 敵襲か!?」
「……いや、あれは……」
入り口に仁王立ちしていたのは、今日も不機嫌オーラ全開のクラウス様だった。
そして、彼が足元に転がしたのは――どう見ても巨大な魔物の死骸だ。
「き、騎士団長! そいつは『ブラッディ・バイソン』じゃないですか!?」
騎士の一人が素っ頓狂な声を上げた。
ブラッディ・バイソン。
全身が赤い鋼鉄のような筋肉で覆われた、狂暴な牛型の高ランク魔物だ。その肉は極上の霜降りで知られているが、皮が硬すぎて加工が難しいため、市場には滅多に出回らない高級食材である。
「ク、クラウス様? これは一体……」
私が目を白黒させていると、彼は腕を組み、フンと鼻を鳴らした。
「やる」
「え?」
「差し入れだ。……今朝、森で見かけたから狩ってきた」
彼はチラリと店内の騎士たちに鋭い視線を送った後、私を見つめた。
その目は口ほどに言っていた。
『俺の方がいい客だろう?』
『だから、俺を優先しろ』と。
(なにこれ、猫が獲物を飼い主に見せに来るやつ……!?)
どうやら部下たちが私に懐いているのが気に入らず、最高級食材を持ち込むことで「俺が一番の上客だ」とマウントを取りに来たらしい。
不器用すぎる。そして可愛すぎる。
「まあ! こんな貴重なお肉、いいんですか?」
「ああ。だが、解体には専門の業者がいる。少し時間がかか――」
「ありがとうございます! さっそく今日のランチに使いましょう!」
私は彼の言葉が終わるのを待たず、エプロンの紐を締め直してバイソンの巨体に向き合った。
「えっ、おい待て。ここで解体する気か? 血で汚れるぞ」
「大丈夫です。私にかかれば一瞬ですから!」
私は右手をかざし、イメージを構築する。
対象は巨大な牛。皮、肉、骨、内臓。それぞれをパズルのように分解するイメージ。
「お願いね! 【瞬間解体】!」
パァァァッ!
魔法の光がバイソンを包み込んだ次の瞬間。
ポンッ、という軽快な音とともに巨体はきれいに部位ごとに分かれていた。
皮は綺麗に畳まれ、肉はブロック状に積み上がり、骨はスープ用にカットされている。血の一滴すら床には落ちていない。
「「「えええええーーっ!?」」」
騎士たちが絶叫した。
クラウス様も、いつもの無表情が崩れ、少しだけ口が開いている。
「そ、そんな……専門の職人が三人がかりで半日かかる作業だぞ……?」
「一瞬……いや、瞬きする間もなかった……」
「よし、鮮度抜群ね!」
私は呆然とする男たちをよそに最高級のロース肉を塊のまま厨房へ運んだ。
この肉質なら、余計な味付けはいらない。
熱々に熱した厚手の鉄板に、分厚くカットした肉を乗せる。
ジュウウウウッーー!!
店内に暴力的なまでの肉の香りが爆発した。
表面はカリッと、中はレアに。
仕上げにニンニク醤油とバターをひと回し。
「お待たせしました、クラウス様。とれたてバイソンの『ギガ・ステーキ』です!」
ドンッ、とカウンターに置かれたのは、皿からはみ出さんばかりの巨大ステーキ。
クラウス様は我に返り、喉をゴクリと鳴らした。
「……いただきます」
ナイフを入れると、抵抗なくスッと切れる。
彼が肉を口に運ぶと、その冷徹な瞳がとろりと蕩けた。
「…………美味い」
その一言の破壊力に周囲の騎士たちが羨望の眼差しを向ける。
「い、いいなぁ……」
「団長、一口だけ、一口だけでいいんで……」
ガイル副団長が恐る恐る手を伸ばそうとすると、クラウス様はギロリと彼を睨みつけ、自分の皿を腕で囲い込んだ。
「やらん」
「け、ケチーッ!」
「これは俺が狩り、彼女が俺のために焼いた肉だ。貴様らにはやらん」
そう言って、クラウス様は幸せそうにステーキを頬張り続けた。その背中からは「誰にも渡さない」という強い意志と、「もっと褒めてもいいぞ」というオーラが滲み出ている。
私は苦笑しつつ、彼のために赤ワインを注いだ。
どうやらこのお店の序列第一位は、当分の間、この不器用な騎士団長様で決まりのようだ。




