第40話 崩壊する王都
北で結ばれた「金貨五千枚の契約」は、静かに、しかし確実に王都を蝕み始めた。
デニング伯爵は、王都に帰還するや否や秘密裏に夜会を開催した。集まったのは、宰相の強硬なやり方に不満を持つ、有力貴族たちだ。
「……デニング卿。我らを呼び集め、一体何を見せるというのかね」
集まった貴族たちが訝しむ中、伯爵は自信満々に銀の皿を差し出した。
皿の上には、あの日ノースガルドで食べた『イチゴタルト』が【鮮度保持】魔法によって完璧な姿で鎮座していた。
「皆様、まずはこれを。……北から持ち帰った『未来』でございます」
貴族たちは半信半疑で、その赤い果実を口に運んだ。そしてデニング伯爵とまったく同じ反応――いや、それ以上の衝撃に打ちのめされた。
「な……!?」
「馬鹿な! この甘みと酸味……! 王宮の菓子職人でも、こんなものは作れん!」
「この『缶詰』とやらもだ! 一口で……金貨100枚の価値がある!」
一度「本物」を知ってしまった彼らにとって、王都の料理は色褪せて見えた。
彼らのプライドは「美食への渇望」によって一瞬で塗り替えられたのだ。
「宰相は何をしている! こんな宝を『制裁』だと? 愚かにもほどがある!」
「北との交易路を閉ざすなど、我らの資産を腐らせる気か!」
「こうなれば、我々が動くしかない。……北へ行け! あの聖女様に金貨を積め!」
王都の貴族たちは、王家の制裁を公然と無視し、我先にと金貨や宝石をかき集め、密かに北のノースガルドを目指し始めた。
王都の市場からは金貨が消え、逆に北からの供給が止まった南の食材が破産し、王都の経済は大混乱に陥った。
***
一方、ノースガルド。『食堂 陽だまり亭』。
「……すごいことになりましたね」
私はデニング伯爵から送られてきた「追加注文書」の束と前金として積まれた金貨の山を前に、呆然と呟いた。
もはや食堂の売上というレベルではない。国家予算だ。
「くくっ……」
カウンターでその様子を見ていたクラウス様が、肩を震わせて笑いを堪えていた。
「どうしたんですか、クラウス様」
「いや。お前の『美味いもの』が、俺の騎士団や軍隊が百年かかってもできなかったことを、たった数ヶ月で成し遂げたと思うとな」
彼は立ち上がり、私の腰をそっと抱き寄せた。
「お前は、剣より強く王都を跪かせた。……大した女だ、俺の女神は」
「もう、からかわないでください。私はただ、美味しいものを食べてほしかっただけです」
私が照れて俯くと、彼は私の顎に手をかけ、顔を上げさせた。
「だが、まだ終わっていないだろう?」
「え?」
「王都の経済は崩壊させた。だが、俺たちの『因縁』は、まだ王都の牢にいる」
彼の言葉に、私はハッとした。
ノースガルドの地下牢に拘束されていた、アレクセイとミリア。彼らは先日、王都の宰相からの強い要請により王都へ「送還」されていたのだ。
「あいつらを、このままにはしておけない?」
クラウス様の瞳が冷たく、鋭い「北の王」のそれに変わる。
そうだ。北は経済的に勝利したが、私を「偽聖女」と罵り、追放したあの二人は、まだ何の罰も受けていない。
「……そうですね」
私はクラウス様の手を握り返した。
「私たちの幸せを邪魔した人たちには、ちゃんと『お代』を払ってもらわないと」
北の冬は、まだ終わらない。
王都に残る最後の「汚れ」を掃除するため、私たちは未来へと歩みを進めるのだった。




