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第35話 胃袋を掴まれた海賊王

「……船長、もう我慢できません」


「ああ……匂いだけで白飯三杯はいける」


『ブラック・スカル号』の甲板では、屈強な海賊たちが腹の虫を鳴らしながら、陸の鉄板を羨望の眼差しで見つめていた。

 彼らが普段口にしているのは、ウジが湧く寸前の堅パンと塩辛いだけの干し肉、そして泥水のような酒だけだ。

 そこへ、ニンニクバター醤油という悪魔的な香りが届いているのだ。


「……チッ。野郎ども!」


 船長のドレイクが意を決したように叫んだ。


「小舟を下ろせ! 上陸する!」


「へ!? し、しかし船長! あれは『氷の騎士団』ですぜ! 罠に決まって……」


「うるせえ! 罠でもいい!」


 ドレイクは吠えた。


「あんな美味そうな匂いを嗅がせやがって……食わずに死ねるか! ……それに、あいつら、俺たちに気づいてるのに攻撃してこねぇ。こっちの出方を待ってやがる」


 船長はニヤリと笑うと、マストから「白いシーツ」を引きちぎって掲げた。


「俺は、あのメシを食いに行くぞ!」


 ***


 波止場では緊張が走っていた。


「閣下! 海賊が小舟で……! 武器は……持っていますが、白旗を掲げています!」


「……来るな」


 クラウス様が呟いた。


「エリーナ、お前の読み通りだ。……だが油断はするな。ガイル、いつでもかかれ」


「はっ!」


 騎士たちが盾を構え、海賊たちを迎撃できる位置に移動する。やがて小舟が波止場に着き、中から大柄な男が飛び降りてきた。

 隻眼に編み込んだ髭。腰には物騒なカトラス。

 彼は騎士団の包囲網を睨みつけ、最後に鉄板の前で平然とイカを焼いている私を見た。


「……あんたか。この匂いの元凶は」


 ドスの効いた声だ。

 私は動じず、笑顔で返した。


「いらっしゃいませ、お客様。ちょうど今、試食が焼き上がったところですよ?」


「……試食だと?」


「はい。『浄化クラーケンのガーリックバターソテー』です。一口いかがですか? タダですよ」


 ドレイクは、私の顔とイカの串焼きを交互に見た。そして、おそるおそる、その一切れを口に放り込んだ。


「…………っ!!」


 次の瞬間、ドレイクの隻眼がカッと見開かれた。噛んだ瞬間に弾ける、イカの強烈な旨味と甘み。バターとニンニクの暴力的な香り。そして、醤油の香ばしさ。


「……う、」


 彼は串を握りしめ、感動に打ち震えた。


「う、美味い……。美味すぎるぞ、これ……ッ!!」


 彼は串をひったくり獣のように残りを貪り食った。


「なんだこの歯ごたえは! 噛めば噛むほど味が出る! 硬いだけの塩肉とはワケが違う!」


「船長!? ど、どうしたんですか!」


「毒か!?」


 遅れてきた部下たちが慌てるが、ドレイクは部下の手からパンを奪い取り、鉄板に残ったソースを拭って食べ始めた。


 私はニコニコしながら、彼に冷たい水を差し出した。


「お口に合いましたか、船長さん」


「……ああ。参った。降参だ」


 ドレイクは水を一気に飲み干すと、その場にドカリと座り込み、私を見上げた。


「……で、嬢ちゃん。俺たちに、こんな極上のメシを食わせて……何の用だ? まさかタダ飯食わせて終わりってワケじゃねえだろ」


 話が早い。


 私はクラウス様が頷くのを確認して切り出した。


「単刀直入に言います。あなたたち、ヴィンターヴァルト家の『公認交易船』になりませんか?」


「……はあ?」


「この港を拠点に、私たちが作った『高級缶詰』を、王都以外の国に運んで売ってほしいんです。もちろん報酬は弾みます」


「馬鹿言え。俺たちは海賊だぜ? 交易なんぞ……」


「報酬は、売上の三割。それに――」


 私はとびきりの笑顔を向けた。


「寄港するたびに、私が作る『陽だまり亭』のフルコースを船員全員に食べ放題でご提供します」 


「……!!」


 売上の三割と毎日食える極上のメシ。

 海軍に追われ、固いパンをかじる日々との、天秤。

 答えは、一瞬で出た。


「……嬢ちゃん。いや、姐御!」


「その話、乗ったァ!! 俺たち『黒髑髏海賊団』、今日からあんた専属の『運び屋』だ!!」


 こうして北の物流問題は、最強の海賊王の胃袋を掴むことで一気に解決へと向かったのである。

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