第3話 生活魔法の本気を見せてあげる
呆れ顔のギルド職員さんから鍵を受け取り、彼を見送った後。
私は店の入り口に「準備中」の札をかけ、鍵をしっかりと閉めた。
シーンとした店内に、私の足音だけが響く。
改めて見渡すと、本当にひどい有様だ。
床の汚れは層になっているし、椅子の脚は折れ、壁紙は剥がれかけている。天井の隅には、立派な蜘蛛の巣がいくつも揺れていた。
「ふふ……燃えてきたわ」
普通なら絶望して膝から崩れ落ちる光景だろう。
でも、私にはこれがある。
私は深呼吸をし、両手を広げて意識を集中させた。
体内の魔力が循環、指先に集まってくる感覚。
王城では「光魔法が使えない」と馬鹿にされていたけれど、私の魔力量自体はミリアより遥かに多いのだ。その全てを生活のためだけに注ぎ込む。
「さあ、行くわよ。――【洗浄】! 【修復】! 【防虫】!」
私の詠唱とともに眩い光が店内を駆け巡った。
シュババババッ!
まるで早回しの映像を見ているようだった。
床のこびりついた油汚れが一瞬で剥がれ落ち、空中に霧散していく。
蜘蛛の巣や埃の塊は光の粒子となって消滅し、黒ずんでいた壁紙は真っ白な色を取り戻す。
さらに、折れていた椅子の脚が勝手にくっつき、傷だらけだったテーブルの表面がツヤツヤに磨き上げられていく。
壁の隙間に潜んでいただろうGやネズミたちは、私の強力な結界魔法に弾き飛ばされ、店の外へと強制退去させられた。
(ごめんね、よそで生きてね)
「ふぅ……」
光が収まると、そこには新築同様――いや、それ以上に輝く空間が広がっていた。空気は澄み切り、古い木材の良い香りが漂っている。
窓ガラスは一点の曇りもなく、外からの光をキラキラと反射させていた。
「うん、完璧!」
所要時間、わずか十秒。
これぞ、私が極めた生活魔法の真髄だ。もし掃除業者がこれを見たら、商売あがったりだと泣いて怒るに違いない。
私はピカピカになった床を靴下で滑るようにして厨房へと向かった。
ここが一番の重要ポイントだ。
厨房ももちろん新品同様に生まれ変わっている。錆びついていた魔道コンロは黒光りし、シンクは顔が映るほど輝いている。
私はコンロの魔石を確認し、魔力を流し込んだ。
ボウッ!
青い炎が勢いよく立ち上る。火力も申し分ない。冷蔵庫代わりの「氷室」の魔道具も正常に稼働し始めた。
「よし、住環境は整ったわね。そしたら……」
ぐぅ~~。
タイミングよく、お腹の虫が鳴いた。
そういえば、朝から何も食べていない。
私は王都を出る時に市場で買い込んでいた食材をマジックバッグから取り出した。
固くなったパン、干し肉、萎びかけた数種類の野菜、そして貴重な卵が一つ。
「今日はこれを使って、『まかないオムレツサンド』にしましょうか」
まずは干し肉を細かく刻み、水で戻した野菜と一緒にフライパンへ。
油を敷いて炒めると、ジュワァッといういい音とともに、肉の香ばしい匂いが立ち上る。そこに塩で味を整え、溶いた卵を一気に流し込む。
半熟のうちに火から下ろし、余熱でふんわりと仕上げるのがコツだ。
それを軽くトーストしたパンにたっぷりと挟めば――。
「完成! 私の特製、具沢山オムレツサンド!」
熱々の湯気が立ち上るサンドイッチを両手で持ち、大きく口を開ける。
パンのサクサク感、トロトロ卵、そして干し肉の旨味が口いっぱいに広がった。
「ん~っ! 美味しい~!!」
一人きりの店内で、私は幸せを噛み締めた。
誰にも邪魔されない食事。なんて贅沢なんだろう。
その時だった。
ガタンッ。
店の入り口のドアが何者かにぶつかったような音を立てた。
「え?」
私はサンドイッチをくわえたまま動きを止めた。鍵は閉めているはずだ。
恐る恐る入り口の方を見ると、すりガラスの向こうに、とてつもなく大きな人影が立っているのが見えた。
(な、なにあれ……熊!? いや、人間……?)
その影はしばらく扉の前に佇んでいたが、やがてゆっくりと去っていった。
私はホッと胸を撫で下ろしたけれど、気づいていなかった。換気のために少しだけ開けていた小窓から、私の作った料理の匂いが外の通りに漂っていたことに。
そして、その匂いに釣られて足を止めたのが、この街で最も恐れられている『氷の騎士団長』だったことに。




