表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/45

第26話 雪解けの口づけ

 高圧洗浄によってピカピカに磨き上げられた祭壇は、雪山の太陽を浴びて神々しく輝いていた。

 周囲に立ち込めていた不快な瘴気は完全に消え失せ、代わりに澄み渡った冷気が肺を満たしていく。


「……終わった、のか?」


 クラウス様が信じられないといった様子で祭壇に歩み寄った。その足取りは軽く、先ほどまで彼を苦しめていた脂汗も引いている。


「はい。汚れの元は完全に断ちました。これで、新しい瘴気が生まれることはありません」


 私がゴム手袋を外しながら答えると、彼は自身の掌を見つめ強く握りしめた。


「体が軽い。……ずっと纏わりついていた鉛のような重さが嘘のように消えている」


 彼の瞳が揺れている。

 それは長年の囚人が鎖から解き放たれた時のような、呆然とした、しかし確かな希望に満ちた目だった。


「エリーナ。……何か、食べるものはあるか?」


「え?」


「確かめたいんだ。俺の体が、本当に治ったのかどうか」


 彼は切実な声で求めた。


 私は慌ててマジックバッグを探り、ポケットに入っていた小さな包みを取り出した。


「これくらいしかありませんけど……干し柿です。おやつ用に持っていたもので」


「……それでいい」


 私が手渡すと、彼はそのシワシワの果実を恐る恐る口に運んだ。

 これは、私が魔法で【下処理】をしていない、ただの市販の干し柿だ。もし呪いがまだ残っていれば、彼はまた「砂の味」を感じるはず。


 彼が一口かじった。

 サクッ、という微かな音。


 彼は目を閉じ、ゆっくりと咀嚼する。

 長い沈黙。吹き抜ける風の音だけが響く中、彼のアイスブルーの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。


「……甘い」


 彼は震える声で呟いた。


「渋みがあって、奥深い甘さだ。……これが、柿の味か」


「クラウス様……!」


「味がする。お前の魔法がかかっていない、ただの食べ物なのに……鮮明に、味がわかるぞ!」


 彼は残りの柿を一気に頬張ると、子供のように笑い、そして泣いた。

 その笑顔を見て、私も視界が潤んだ。


 よかった。本当によかった。

 彼の失われた三年間が、ようやく終わったのだ。


 次の瞬間。

 私は強い力で引き寄せられ、彼の厚い胸板の中に包まれていた。


「えっ、あ、あの……!?」


「ありがとう、エリーナ。……ありがとう」


 耳元で囁かれる声は熱く、彼の腕は痛いほどに私を抱きしめていた。


「お前が俺を救ってくれた。食事だけじゃない。凍りついていた俺の心も、人生も……すべてお前が溶かしてくれたんだ」


 彼の心臓の音が、トクトクと私の背中に伝わってくる。

 その温かさに私の胸もいっぱいに満たされた。


「……どういたしまして。これからは、美味しいものをたくさん食べられますね」


 私が腕の中で顔を上げると、彼と至近距離で目が合った。いつもは涼しげな彼の瞳が、今は熱情を帯びて私を捕らえている。


「ああ。だが……今一番味わいたいのは、これだ」


「へ?」


 彼がそっと顔を近づけ――。


 私の唇に彼の唇が重なった。


「んっ……」


 雪山の中、二人きりの口づけ。

 彼の唇は冷たい外気とは裏腹に、驚くほど温かく優しかった。触れるだけのキスから、角度を変えて、もっと深く。


 干し柿の甘さが、口移しで溶けていくような、甘美な時間。


 どれくらいそうしていただろうか。

 名残惜しそうに唇が離れると、彼は頬を染めて蕩けるような笑顔を向けた。


「……どんな高級食材よりも、お前が一番甘いな」


「~~っ!!」


 今度こそ私は茹でダコのように真っ赤になった。


 この天然タラシめ! 呪いが解けたら、口説き文句の威力まで倍増するなんて聞いてない!


 背後では、浄化された祭壇が祝福するように輝き、空には美しいオーロラが揺らめいていた。

 こうして私たちは「呪い」という過去を洗い流し、恋人同士として新たな一歩を踏み出したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ