第14話 簒奪の刻《ハーヴェスト・オブ・ソウル》
都市の天空に浮かぶ、巨大な球体の要塞——《ネオ・オムニスフィア》。
そこには、思念波を通じて結びついた”意識の集合体”が存在していた。
「諸君、時は熟した」
静寂を破る声が響く。
ゼル=アグノス——支配者の司令官が、重々しく口を開いた。
彼の前には、青白いホログラムが浮かんでいる。そこに映し出されているのは、人類の都市——管理区域23-β(旧・東京都)の光景だった。
「人類は、我々の支配のもとで思考を放棄しつつある。
彼らはもはや、我らの支配に疑問を抱かず、管理に従い、秩序を保つだけの存在となった」
ゼルの言葉に、審議会の者たちが無言で頷く。
そう、彼らにとって、人類の従属とは歴史の中で繰り返す「予定調和」に過ぎない。
技術顧問のマルキオスが、端末を操作しながら報告する。
「これより、オーバーマインド信奉者の人間から順次、生体素粒子の回収を開始します。
支配の固定化は順調に進行中。大規模な反抗の兆候は、今のところ……」
その時——モニターの映像が切り替わった。
黒い仮面の男が、異形の兵器を破壊する場面が繰り返し再生される。
それを見つめながら、副官カリスト=ヴェルムが、冷静に呟く。
「懸念は……例の”仮面の反逆者”か」
ゼルは目を細める。
「あれ以来、仮面の男に動きはない。そもそも人類が超思念科学を操れるはずないのだ」
「だが、仮に偶発的な事故だとしても、仮面の男の存在は”予測不能な変数”になりうる」
ゼルは手を組み、静かに号令した。
「熟した果実は、早いうちに収穫すべきだろう……
命の簒奪を開始せよ——」
◇ ◇ ◇
〈都内〉管理区域23-β地区
そこには、支配者を讃える巨大なドーム型施設がある。
天井の高い空間には無数の光のラインが走り、青白い輝きが規則的に明滅している。
それはまるで、建物全体が脈動しているかのようだった。
そこに、数千人もの人々が集められていた。
誰もが沈黙している。
まるで感情を奪われたかのように、ただ壇上を見つめていた。
壇上に立つのは、支配者の管理官。
男は、冷たい無機質な声で告げる。
「市民の皆様、本日より、特別な社会貢献プログラムが実施されます」
淡々とした声には、一切の抑揚がない。
それに対し、人々の反応も鈍い。
何の疑問も抱かず、ただ受け入れることが当然であるかのように。
——為政者が変わったところで世の中はどうせ変わらない。
長きに渡る支配の中で、彼らは疑問を捨て”思考する”ことを放棄していた。
ゴゴゴゴゴ……
突如、ホール全体に低い振動が響く。
天井の中央がゆっくりと開き、漆黒の球体が降下してきた。
光を飲み込むような暗黒の表面。
そこには無数の幾何学的な紋様が刻まれている。
《ソウル・ハーヴェスター》——魂を刈り取る機械生命体。
それが空間に定着すると、中心部が滑るように開いていく。
——そして、“奴”が現れた。
淡いローブをまとい、ゆっくりと壇上に降り立つ男。
その下に着込んだ銀色の鎧が怪しく光を放つ。
長い袖に隠れた腕は痩せ細り、顔は深いフードに覆われてた顔から唯一見えるのは——不気味に発光する”蒼白の瞳”。
無数の人間が集まるホールの壇上に立ちながらも、彼は一切の威圧を感じさせない。
まるで、そこに”人間”ではない何かが立っているような感覚。
人々は無意識に息を詰めた。
それは、まるで“捕食者”を前にした弱者が感じる本能的な恐怖だった。
男はゆっくりと手を上げる。
その動作すら、冷酷に計算されているかのように、無駄がなかった。
「始めよ」
静かな声が、場の温度を一気に奪う。
その瞬間——
ホール全体に、目に見えぬ”波”が放たれた。
重力が歪んだような感覚。脳が締め付けられるような鈍い痛み。
“命の簒奪”が始まったのだ。
「……ぁ、あ……」
最前列にいた女性が、ふらりと身体を揺らし、次の瞬間、膝から崩れ落ちた。
「う……あ……なん……で……?」
彼女の目が、焦点を失い、虚空を彷徨う。
口元から、淡い光が漏れ始めた。
——それは”魂”だった。
人間の意識を、思考を、感情を、存在そのものを削り取り、
《ソウル・ハーヴェスター》が静かに吸収していく。
最初に倒れた女性を皮切りに、次々と人々が崩れ落ちる。
「し、信じてたのに……ぁ、あぁ……」
もはや叫ぶことすらできない。
何が起こっているのか、理解する暇もない。
彼らは一人、また一人と倒れ、“空っぽの器”となっていく。
無感情のまま、まるで抜け殻のように崩れ落ちる光景。
「……ふむ」
ローブの男——“侵食者“が、小さく息を吐いた。
それは感嘆でも、満足でもない。
ただ、淡々と”事実を確認した”だけのもの。
彼の足元には、すでに無数の人間が転がっていた。
その全員から、“魂”が引き抜かれ、天井の《ソウル・ハーヴェスター》へと吸収されていく。
しかし、それでも彼は満足していなかった。
なぜなら——
「試運転はもう良いだろう……では本格的に始めよう」
男が再び手を上げようとした、その瞬間——
轟音が響いた。
「……っ!?」
突如として、管理区域の一角が炎に包まれた。
遠くで警報音が鳴り響く。
その場にいた者たちが、一斉にそちらを振り向く。
「人の命を、奴らの燃料にさせるわけにはいかん……!」
吹き上がる炎の中から、装甲をまとった兵士たちが現れる。
その先頭に立つのは、タイタンズ隊長・城ヶ崎ガイだった。
彼は、支配者たちを睨みつけながら、拳を振り上げる。
「さぁ……これが、人類の……反撃の狼煙だ!」
その叫びが響き渡った瞬間——戦いの幕が上がる。
◇ ◇ ◇
「おい、見ろよ……」
昼休みの教室。
誰かがスマホの画面を見せると、クラスの空気がざわついた。
——管理区域23-βで発生した”謎の光”と、大量の失踪事件”
——タイタンズがテロを実行か? 支配者の発表に矛盾も
ニュースアプリの見出しが次々と更新されていく。
画面を覗き込んだ生徒たちは、声をひそめながら不安げに囁き合っていた。
けれど、その騒ぎも長くは続かない。
数分後には、クラスの誰もがニュースを閉じ、他愛のない会話へと戻っていった。
“異変”は確かに起きている。
けれど、関わるつもりはない。
それが今の世界の”当たり前”だった。
——だが、俺は違う。
画面に映る映像を見つめながら、俺は無意識に拳を握る。
(……来たか)
ナイトフォールで佐藤カイと出会ってから、一ヶ月。
俺はレジスタンスと共に、この日のために準備を進めてきた。
「支配者による人類の”浄化“……ボクの世界では”
厄災”と呼ばれた命の簒奪が、まもなく始まる」
カイの予想どおり、支配者は、ついに”浄化”を本格化させた。
「ボクは、この世界に直接は介入しない。なぜなら別世界からの干渉は、予測不可能な崩壊をもたらす危険があるからね」
つまり、奴ら人類の命を簒奪せないために、俺たちが動くしかない。
——“選ばれし者”である“俺”がやらなきゃ……世界が終わる。
俺は周囲に気とられないように、何食わぬ顔でスマホを伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
すると——
「ねえ、シン……最近、妄想を呟かないよね」
ふと、隣から低く冷静な声がした。
顔を上げると、そこには露崎ユリがいた。
いつものように表情を崩さず、長いまつげの奥の紫紺の瞳で俺をじっと見つめていた。
けれど、そのまなざしには、どこか”探るような”色が滲んでいた。
「……そうだっけ」
俺が聞き返すと、ユリは腕を組みながら小さく頷く。
「そうよ。前は四六時中、中二病みたいなことを呟いてたじゃない?」
「……いや、そこまでじゃないだろ」
「十分してた。あんた、昼休みに突然”これは俺のダークネス・シナリオだ……“とか言ってたの、覚えてないの?」
「……まあ、言ってたかもしれない」
思い返すと、確かに過去の俺は”妄想”をそのまま口にしていた。
だけど今は違う。
俺が持つ”妄想”は、もはやただの夢物語じゃない。
現実を変える”力”がある。
無闇に使えば奴らに学校が狙われる可能性だってあるんだ。
ユリは俺の顔をじっと見たまま、少しだけ視線を落とした。
長い黒髪が肩にさらりと流れる。
「……それが、ちょっと気になってたのよ」
「え……何が?」
「妄想を呟かなくなったこと」
「別に、大したことじゃないだろ」
俺が何気なく肩をすくめると、ユリの眉がわずかに寄った。
「……ほんと、鈍いわね」
「え?」
「バカ……そういうことじゃないのよ」
ユリはため息をつき、目を伏せた。
その横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「妄想がなくなったんじゃなくて、あんた……何かをひとりで抱えてるんじゃないの?」
「……」
心臓を、掴まれたような感覚がした。
ユリは俺の”変化”を、ちゃんと見ていた。
俺が前のようにくだらない妄想を口にせず、本気で何かに向き合っていることを。
——そして、それを”一人で背負っている”ことを。
「……何かあったなら、話してよ……わたしたち幼馴染でしょ」
ユリの声は、驚くほど優しかった。
普段のクールで理知的な態度ではなく、どこか”幼馴染”としての本音が混じっているような……そんな声音。
だけど、俺は答えられない。
彼女を巻き込みたくない。
この戦いは、“俺”がやらなきゃいけないんだ。
「……悪いけど、言えない」
俺はそう言って、立ち上がった。
ユリの表情が、僅かに陰る。
だけど、何も言わない。
ただ、静かに俺を見つめていた。
窓の外を見上げる。
そこには、支配者の母船が浮かんでいる。
「ユリ……今でも英雄を信じてるか?」
「……え?」
ユリは一瞬驚いたように目を瞬かせた。
けれど、すぐに冷静な表情を取り戻す。
「……妄想英雄なら、まあ信じてもいいかな……なんかカッコよかったし」
「……そっか」
「ねえ、シン……あなたが、その……」
外の空気が変わる。
俺の直感が危険を知らせる。
同時に、学校の外に黒い波動が広がった。
まるで空間そのものが震え、歪むような感覚。
ここに“奴ら”が来る——
開け放たれていた教室の窓から入る風が吹き荒れる。
轟音——まるで世界そのものが軋むような不穏な音が、学園の空を震わせた。
空気が重く、肌にまとわりつくような違和感。
まるで”現実”が塗り替えられていくような、底知れぬ恐怖が広がる。
「……なんだ、あれ、戦争でも始まるのか……」
誰かが震える声で呟く。
その瞬間——
《奴ら》は、空を覆っていた。
無数の黒い機影。
整然と並び、学園上空を埋め尽くす銀色の軍勢。
——ソルジャー部隊 《エクリプス・コーパス》
かつて、人類のすべての軍隊を蹂躙し、絶対的な勝利を収めた支配者の戦闘部隊。
その機械的な躯体が冷たい光を反射し、銃火器を構えた兵士たちが、静かに配置についている。
圧倒的な戦力差——もはや、抵抗などという言葉は無意味だった。
そして、彼らの中央に立つ者。
黒銀の鎧をまとい、全身から”権威”のオーラを放つ、支配者の将軍——
《ヴェル=グラム》
支配者、恐怖四将の一人。
“戦場の簒奪者”と呼ばれる、最高位の戦士でもある。
人間に似た長身のシルエット。
しかし、彼の”顔”には、感情の一切が存在しない。
銀色の仮面が冷たく光り、禍々しいエネルギーがその全身を包み込んでいる。
ヴェル=グラムは、ゆっくりと右手を掲げた。
それだけで——学園の全空間が、一瞬で沈黙した。
風の音も、鳥の鳴き声も、人々の囁きすらも消えた。
“死”の気配だけが支配する、静寂。
そして——
ヴェル=グラムは、無機質な声で告げる。
「仮面の反逆者よ——聞こえているな?」
学園中に、重く響く声。
それは音ではなく、“直接脳に響く”ような異質な感覚を伴っていた。
「貴様がこの場に潜んでいることは、すでに確認済みだ」
「支配者に刃向かった罪——“調和”を乱した存在として、貴様に出頭を命じる」
「今から――3分間だけ待ってやる」
教室内の空気が凍りついた。
「妄想英雄のことだよな……?」
「やっぱり、うちの生徒……なのか」
生徒たちは顔を見合わせ、恐怖に震える。
——そして、ヴェル=グラムは、ゆっくりと続けた。
「応じぬ場合——この学園の生命体をすべて、簒奪する」
——瞬間、誰かの悲鳴が教室に響いた。
「そんな、私たちは何もしてないのにっ!」
「やめて……やめてくれ……!」
「軍隊でも勝てないのに、どうすれば」
生徒たちの間に恐怖が、連鎖する。
抗えない絶望が、空間を満たしていく。
だが——その中で、ただ一人。
俺は、静かに立ち上がった。
「学園ごと簒奪する?やっぱりか……」
そう呟き、窓の外を見上げた。
そこには、無数の兵士たちと、将軍が待っている。
「ユリ……安心しろ。あいつらの“予定調和”なんて、俺がぶっ壊してやるから……」
その瞬間、俺の体から漆黒のオーラが溢れ出し、その背中に黒翼が現れた。
教室の空気が、一瞬で変わる。
周囲の生徒たちが、俺を見て息を呑む。
ユリは、ゆっくりと一歩だけ俺に近づいた。
その瞳の奥に、揺れるものがある。
「…シン、死なないよね、戻ってくるよね?!」
「……」
俺は何も答えず、窓枠に足をかける。
ユリは、その腕をわずかに伸ばした。
まるで、俺を止めようとするかのように——
ユリは一瞬、幼少の頃にヒーローを名乗り自分を庇ってくれたシンの横顔を重ねる。
そして、覚悟を決めたかのような真剣な表情を浮かべ叫んだ。
「必ず戻って!そして、明日もわたしを守って……妄想英雄」
それが、彼女の精一杯だった。
俺は、その言葉を背中で受け止めながら——
「任せろ、俺は深淵より甦りし“黒翼の使徒”。おまえの英雄だ」
黒翼を広げ、奴らが待つ上空へと飛び立った。




