第10話 蘇りしダンジョン——ナイトフォールへの誘い
翌日、俺と白石はタイタンズ隊長のガイにもらった端末を手に、指定されたビルの地下へと向かっていた。
この端末には、小さな画面に二つの数字の文字列だけが表示されていた。
……いや、普通に意味がわからん。
それ以外にボタンなどもなく、眺めていて文字列が増えるわけでもない。まるで「お前の知識で解読しろ」と言わんばかりの無言の圧力を感じる。
(いや、無理だろこれ……何の説明もねえのに、仮に座標とか言われてもわかるわけねえじゃん)
途方に暮れて白石に相談したところ、彼は端末を一瞥しただけであっさりと答えを出した。
「緯度と経度だね。GPS座標。簡単だよ」
「……いや、簡単ってお前」
「スマホの地図アプリのアドレスのここと、ここの数値を置き換えれば……」
そう言って白石は、スマホを取り出してスラスラと端末の数値を打ち込んでいく。
ものの数秒で地図アプリ上にピンが立ち、目的地が示された。
「ここだ。都内某所のこれは……雑居ビルだな」
「え、いや……すげぇな、お前」
「まあ、マイクラの座標管理みたいなものさ。やったことあるだろ?」
「マイクラ?」
「Minecraft。知らない?」
「知らん……」
「……まじで?」
白石が信じられないものを見るような顔をしてくる。
だが、俺は本当にやったことがないのだ。
ゲームは好きだが、どちらかというとファンタジー系のRPGやローグライクダンジョン探索ものばかりプレイしていたからな。
「まあいいや、とにかく行こうか」
そうこうして目的のビルに辿り着いた俺たちは、周囲を警戒しながら無言で建物の中へと足を踏み入れた。
外観はごく普通のオフィスビル。だが、異様な静けさが漂っている。
(……妙だな)
都内のビルなら、たとえ廃ビルでももっと雑音があるはずだ。
だが、ここはまるで"世界から切り離された空間"みたいに音がない。
無機質なコンクリートの壁、埃っぽい空気、剥がれかけた案内板。
かつてはオフィスとして使われていたのだろうが、今は完全に放棄されている。
静寂の中、俺たちの靴音だけがやけに響いた。
「……なんか、ホラーゲームの生配信みたいな雰囲気だよな」
思わず呟くと、白石が微かに笑った。
「確かに。でも、ゲーム配信と違うのは——"本当にヤバい敵"に襲われても、コンテニューは無しだ」
(……それは確かに)
白石の言葉に妙な説得力があるのは、こいつが普段から冷静だからか。
「ここだ」
白石が端末の画面を確認しながら、建物の奥へと進む。
階段の入口には「立入禁止」の黄色いテープが無造作に貼られていた。
その向こうには、地下へと続く真っ暗な階段。
「……あのさ」
「ん?」
「これ、普通に考えてめちゃくちゃ怪しくね?」
「今さら何を言ってるんだい?英雄」
白石は当然のように足を踏み入れた。
俺も覚悟を決めて、後に続く。
「あ、ちょっと待った」
そういうと俺は妄想を使い、例の黒い仮面を出現させて装着した。
「へえ、そういう感じで出現させるんだな……面白い」
白石が興味津々な目で俺を見つめてくる。
正直、こんなふうに注目されるのは相変わらず苦手だ……
(……さて)
妄想英雄、降臨の時間だ。
「てことは……彼らの前では正体を隠すってことで良いんだね?」
「当然だろ……設定は大事だからな」
そう言うと俺は、一度大きく深呼吸をした。
途端に、俺の中の"スイッチ"が切り替わる。
神崎シンは"妄想ぼっち”の高校生。
だが——この瞬間から、黒翼の使徒、そして妄想英雄になるのだ。
(……よし、行くぞ)
地下へと続く階段は、まるで異世界へと誘う奈落のように暗かった。
壁にはカビ臭い匂いが染みつき、遠くでかすかに水滴が落ちる音が響く。
階段を一段ずつ降りるごとに、俺の胸が高鳴っていく。
やがて——俺たちは地下のフロアに辿り着いた。
そして、そこには——
「待ってたぜ、イマジナリー・ヒーロー」
薄暗い地下の奥に、腕を組んで立つ男の姿。
タイタンズの隊長、城ヶ崎ガイが不敵な笑みを浮かべながら俺を迎えた。
「……お前、本当に俺をそう呼ぶつもりなのか」
仮面の奥で、俺はわずかに苦笑する。
ガイは肩をすくめ、ニヤリと笑った。
「そりゃそうだろう。お前がそう名乗ったんだからな」
俺は黒い仮面の奥で目を細める。
(……まあ、いいさ)
これから俺たちは、未知の領域へと足を踏み入れる。
やはりキャラクターも、"妄想英雄"としての設定でいこう。
「さて……深淵の先にある、闇の帷へ進むとするか——」
俺は、地下奥に青く揺らめく光を見つめながら、静かに呟いた。
「……相変わらず大仰だな」
ガイは腕を組みながら、不敵に笑っていた。
だが——俺の視線は彼の背後に釘付けになった。
そこには——
青く怪しげな光が、円環状に渦巻いている。
不安定な光の膜のようなものが、そこにぽっかりと空間を歪めながら浮かんでいた。
光が収縮し、まるで吸い込まれるような感覚を覚える。
(これ……まさか)
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「まさか……これってダンジョンに入るポータルか?」
「そうだ」
ガイが静かに頷く。
「支配者がやってきてから、世界中にあったダンジョンポータルはすべて消失した。
だが——これだけは例外だった」
「懐かしいな……」
隣で白石が呟く。
「子供の頃に何度か見たよ。もちろん、入ったことはないけどね」
「俺は自衛隊に入る前に何度か挑戦したことがある」
ガイが懐かしむように目を細める。
「当時は配信者やハンターたちがダンジョン攻略配信をしていた。
クリアすれば大金を稼げるし、レアアイテムを手にすれば一攫千金……
あの頃は、"ダンジョン"がまだ一般人にも許されていたからな」
「……ダンジョン探索が、娯楽だった時代か」
俺は興奮を隠しきれなかった。俺が妄想に勤しむようになったのも、ダンジョン配信がきっかけだ。当時のダンジョン探索では、不思議な武器や魔法が実際に使われていたという。
「そうさ。だが、それももう過去の話だ」
ガイが青白いポータルを振り返る。
「支配者が現れてから、ダンジョンポータルは一斉に消滅した。まるで誰かがこの世界のルールを書き換えたみたいにな」
「……!」
俺はその言葉に反応した。
(世界のルールを書き換える……それって、俺の"妄想の力"と同じようなものか?)
「——でも、ここだけは例外だ」
ガイはポータルを指さしながら言った。
「ナイトフォール——俺たちの拠点は、このダンジョンの奥にある」
「……!」
「つまり、"あの人"も、このポータルの先にある、ダンジョンに居る」
「"あの人"か……」
俺と『同類』と言われる謎の人物。ナイトフォールを作りレジスタンスを率いるリーダーが、このダンジョンの先で俺を待っているだと。
ガイは少し口を噤み——やがてゆっくりと答えた。
「ああ、この世界で、支配者に唯一抗い続けている人であり、彼らと同じ……いや、超える力を持つ特別な存在だよ」
「支配者を超える……力だと?!」
急速に俺の胸が高鳴る。
俺の妄想の根底には、本やアニメやゲームで見てきたヒーローの存在がある。まさか本物に会えるなんて。
そして、目の前に広がるのは——ずっと憧れていたリアルなダンジョンへの入り口。
(やばい、心臓の音が周りに聞こえるんじゃないか……!)
一体どんな事が、この先で待っているんだ?さっきからワクワクが止まらないんだが。
「さあ、行こうぜ」
ガイが俺の肩をポンと叩く。
俺は白石と視線を交わし——
青白い光のポータルの中へと、足を踏み入れた。