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夢見た世界宛ての梟便  作者: 時ノ宮怜
第3章-夢は無力に泣く雨の如く-
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幸せな悪夢:一桁の傷痕

 この状況に私は特に焦らなかった。

 今、私を襲うこの現象に私は冷静に考えを巡らせることができていた。

 それでも、不快。

 そう、不快だ。

 これがただの夢だって分かっている。

 こんなのただの幻だって分かっていた。


『本当に?』


 だって、そうでしょう?

 私は()()を今まで忘れていた。

 今、こんな場で都合よく脳裏をよぎるわけがない。


『そうかな?あるんじゃないかい?』


 あるわけない。

 あるわけない。

 あるわけない。


 ましてや、お父様がこんな言葉を私に投げかけるわけがない。


 目の前にいる男性。

 威厳に満ちた振る舞いにその目には強さを宿したその姿は確かに私の記憶にあるお父様の姿。

 もう、数年は直接会っていない家族の姿だ。


『ンフフ。これが夢だと、幻だと思うなら消してしまえばいいのに...出来ないんだねぇ。可哀そうなオジョウサマ』


 うるさい。

 分かっている。

 私が見ているのは、魅せられているのは私の近くにいて裏切っていた敷浪さんの私を捉えるための罠。

 きっと、この夢はさほどの強制力もなく、覚めようと思えば醒めてしまう儚い夢。

 ああ、使い古された言い回し。

 人の夢と書いて儚いか、なんともこうして実感してしまえばその儚い(うそ)に縋りそうになっている自分を思い笑うことも出来ない真理なのだろう。


『ああ、いいよ。私はオジョウサマのそれが見たかった。ねぇ、どうだい?ずっと望んでいたものと、ずっと忘れていたかったものを同時に見せられた気分は?教えておくれよ、そうしたら...心優しい私はお礼にオジョウサマを優しい優しい夢に招待してあげるよ?』


 そうやって、私を見て嗤っているのを隠しもしない。

 きっと、都合のいい夢に逃げる私を見て楽しみたいのだろう。

 分かっている。こんなくだらない夢に囚われていないで、こんな分かり切った甘言に惑わされていないで早く現実に帰らなきゃいけない。

 だけど、そう。

 敷浪さんの魅せる夢は、ああ、なんて幸せな悪夢なのだろう。


「恵麻。友達は選びなさい。私たち六鹿の宿命として、絆はとても大事な物だから。六鹿としてつながる友達は選びなさい」


 それは確かに昔に言われた言葉。

 ああ、そうだ。そう言われたんだ。

 私はまだ、それを正しく理解していなくて、選ぶという事を分かっていなくて。

 何を選べばいいのかお父様に聞いたんだ。


「いい子になりなさい。確かに選ぶのは難しい事だ。だから、いい子になりなさい。そうすれば少なくとも表面上はいい友達と出会えるだろうから」


 お父様はそう言っていた。

 だから、私はいい子になった。

 勉強も頑張った。友達関係も頑張った。できる限りいい子になる様に努力した。

 そして、誰に対しても平等に接した。いい子はそうするものだと思ったから。


 こんなに頑張って、頑張って、いい子になりました。

 これで、私は友達を選ぶことができるのでしょうか?

 そう聞いたことがあった。


「お前は...何もわからなかったんだな」


 ただ、その言葉だけが返ってきた。

 なんで、どうして。

 私はただ、お父様の言う通りにしただけなのに。


『可哀そうに、可哀そうだねぇ...慰めてあげるよオジョウサマ。悲しかったんだね、悔しかったんだね...致命的に意味が解からなかったんだよね?分かるよ。分かってあげられるよ。オジョウサマは、()()()()()が発現するぐらいには変わっているから、私だけはその苦しみを分かってあげられる。その傷痕を埋めてあげられる。ンフフ、ゆっくりおやすみ』


 ―――


 昔の事はほとんど覚えていない。

 不思議と思い出そうとすると霞がかかったように記憶が薄れていく。

 思い出せない中で、ただ一つだけ覚えているのは兄の存在。

 当たり前のことだけれど、私が生まれた時からいる兄の存在は思い出せない記憶よりもずっと身近な私の昔の証明だった。


「兄さん!」


 だから、私としては兄さんと同じ学園に通いたかった。

 常に感じていた兄と私を繋ぐ、確かな何かがほんの少しでも細くなるのが嫌だった。嫌でたまらなかった。

 だけど、母さんはそれを良しとしなかった。

 兄さんは特にもめる事もなく六鹿へ進学したのに、私はお金を随分と積んで七曜へと進学した。

 きっと、母さんなりの末っ子への甘やかしのつもりだったのだろう。

 それが子供(わたし)の望んでいることと全く違っていたとしても、それが確かに不器用な愛の形だと信じることができたから。


「希空。本当は七曜に行きたくないんだろ?俺からも説得しようか?」


 そう言ってくれた兄さんはとても穏やかな顔をしていた。

 妹の私ばかりが目を掛けてもらっているような状況なのに、それでも私に寄り添ってくれる兄が私は確かに好きだった。


「大丈夫。母さんの気持ちもわかるからさ...私は七曜に行くよ」

「そう...か?」


 兄さんはあんまり納得いっていないような感じだったけど、私はこれでよかったと思う。

 家族中が悪いわけじゃないから、こんな事で仲違いするとは思わないけれど...きっと、兄さんには苦労を背負わせることになるし、母さんにも少なくないショックを与えてしまうと思う。

 私は、家族が好きだ。

 昔の事を忘れちゃった私には今いる家族を大事にしたい気持ちが強い。

 だから、私が我慢して何も悪いことがないならそうしたいって思った。


『それで後悔したんだ?』


 後悔じゃない。

 別に私としては後悔ってほどに、この選択が間違っていたなんて思わない。

 確かに、兄さんとの距離は物理的に空いてしまっているし、会える回数もぐっと減った。

 でも、それで兄さんと私の関係が何か変わったかというとそうではない。

 何も変わらず、相変わらず、私たちは仲のいい兄妹だ。

 なら、それでいい。


『本当かなぁ?』


 ただ、一つだけ。

 あの時、わがままを言って兄さんと同じ学園に行っていたら。

 そうしたら、私はどれほどの幸福の中にいたのか気になる。


『そうだよね?そうなんだよ?君はまだまだ、満たされていないんだ。もっと、もっとと望んだ方がいい。だから、私は幸せな夢を見せてあげよう』


 夢?


『叶えたい夢があるんだろう?魅せられた夢があるんだろう?ここは夢の中なんだから、好きなだけ見ていくといいよ。ンフフ、フハハ』


 ゆっくりと溶けるような声が響く。

 まるで、頭の中に直接、はちみつを流し込むように。

 甘く、誘惑する声がする。


『ほら、君の大好きなお兄ちゃんだ』


 気が付けば、いつかの過去の情景は消えていた。

 そこは見覚えのある家のリビング。

 無駄に機械とかが散乱している、ちょっとおかしな家。


 そこにいるのはさっきまで一緒にいた兄さんの姿。


「ん?おはよう、希空」

「...え?ああ、うん…おはよう」


 いつも通りの挨拶をする。

 そのことに何か違和感を感じたけれど、それが何なのか分からなかったので気にしない事にした。


「ほら、早くしないと遅刻するぞ?」

「え、あ!」


 兄さんにそう言われて、ようやくもう時間がほとんどない事に気が付く。

 一体、今日はどうしたというのか...ちょっと抜けているのかもしれない。

 急いで、()鹿()()()の制服を着て玄関に急ぐ。

 すでに兄さんは靴を履いて待っていた。


「お前のせいで俺まで遅刻したら困るぞ」

「私は兄さんと違って優等生だから、一回ぐらいの遅刻じゃ困らないもん」

「あ、そういうこと言うなら置いていくからな」

「わー!ごめんごめん!」


 玄関口でそんな普通のやり取りをする。

 私はこんな時間が好きだ。

 こうして、何でもない日常がとっても貴重な物の様な気がして好きだ。


 今日も日差しが強い。

 もうすぐ夏がやって来るかもしれない。そう思うと、今年の夏休みは兄さんとどう過ごすか楽しみになってくる。

 強い日差しに目を細めながら空を見ていると、一羽の梟がいるのに気がついた。


「梟?」

「どうした?早くいくぞ?」

「あ、待って!」


 兄さんの言葉で視線を離した後、梟はどこかへ飛び去ってしまった。

(リブラ)(重圧)

重力、斥力、引力、質量などを操る能力。

孤高なる権能。全ての世界に通じる原初にして始まりの名を冠する能力。

その本質はその名とともに存在する。


六鹿 恵麻が発現させた当初は「重圧」という仮の名で発動していた能力。

それはこの能力の本質のほんの一部でしかなく、この能力は重力、斥力、引力といった分かりやすい物から、空間歪曲、場合によっては時間間隔の延長など能力の格としては非常に高く自由度の高い能力である。

しかし、能力を発言した本人の気質による物だろうがあまりにも殺傷能力が高すぎる運用は無意識的に避けており、その能力の真価が発揮されることはないだろうと思われる。

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