夢の女王
なんでこんな事になったのだろう。
いったいいつからこんな事になっていたのだろうか。
いや、俺がそんなことを思うよりも、もっと身近にあったはずのそれを知るはずの少女にとってこれはどれほどの事なのだろうか。
相賀がそこまで考えていたとは思わないが、一人で来るように言ったのは大正解で一つの不安要素ができる結果となった。
「...本当にこっちでいいのか?」
「ああ、もう感じてるやろ?」
認めたくない、信じたくないという心が冷静な頭と逆の可能性を求めている。
だがそれを、無情にも切り捨てる九重の言葉。
それは正しいがゆえに、俺の心に深く刺さる。
周囲は夕方の住宅街だというのに、全くと言っていいほどに静まり返っていた。
ただし、その家屋の一つ一つが大きく、塀も高く広いこのエリアではあまり喧騒とは無縁という印象を受ける。
そんな中でも特に立派で大きな家。
俺たちはそんな家の前に立っていた。
何故って、そこから濃密なアナザーの気配を感じたからだ。
家の前に立てば、きっとどんな鈍感な人間でも気が付けるほどに禍々しい気配を漂わせている。
もちろん、アナザーを持っている人間じゃなければその気配にやられて意識を保つことすらできないだろう。
そんな普通ではない状態になっている、よく知る家。
ああ、そうだ。
俺はこの家を自分の家の次ぐらいには知っている家かもしれない。
もちろんそのすべてを知っているわけじゃない。それでも確かに少しの間、ここに通い詰めた記憶はまだ新しい物だ。
「なんで六鹿の家なんだよ...」
「...やっぱりそうなんやね、表札みてそうかもなとは思っとったわ」
「いったい、いつから...」
「それは俺もわからん。ただ、今まで六鹿のあの子が無事なら...この能力者は事故じゃなくて故意である可能性が高くなったな」
そうか、そうだった。
元々、九重の話ではこれは事故か故意かは分からないって言っていた。
それならば、六鹿が無事で何も知らないというのならこれはこの家にいる人間の故意的な物なのだろう。
六鹿にはバレないように隠していたということなのだろう。
「よし、行こうか」
「...え?行くってどうすんだよ」
「ああ、ちょっとな」
九重はそう言うと六鹿の家とは逆方向。
先ほどまで俺たちが通った道を戻り始める。
何をするのかと思ってそれを見ていたら、何もない道路の真ん中で立ち止まる。
「このへんか?」
そうして何かを手探るかのように手のひらを彷徨わせて、そこにあるはずの何かに触れる。
その瞬間。
パリンッ
と、儚いなにかが割れ砕けるように空間がひび割れる。
そのままその崩壊は進んで、今まで強力な力によって隠されていた真実が姿を現した。
「...すまんな。鍵、開けてくれへん?」
今まで何もいなかったその空間には、ここにはいないはずの少女たち―天使と希空...それに六鹿がそこにいた。
「...いつから気付いていた?」
「そうやな...最初から、かな?」
「なに?」
「天使ちゃんさ、能力発動するときに情報が拡散しないように制御していたみたいやけど...俺みたいに敏感な奴にとっちゃどんなに隠していても能力発動されればすぐに分かるで?まぁ、俺の場合は俺の能力によって感知能力が向上しとるからその影響もあるんやけどな」
どうやら、天使たちは能力を使って透明になって追いかけてきていたらしい。
しかし、それを九重は看破していたと。気が付いているのなら教えてくれてもよかっただろうに。
「それで、事情は言わんでも分かるやろ?六鹿ちゃんにはお家に招待してほしいんやけど」
「......その前に、一ついいですか?」
「なんや?」
「私の家がこうなっているのを知っていたんですか?」
「まぁな」
「いつから…」
「それは俺がいつから気が付いていたかって話か?それともいつから六鹿ちゃんの家がこうなっていたのかって話か?どちらにしろ、俺が気が付いたのはキミ等が倉庫街でドンパチした後やな。キミ等の事を調べていた時に気付いた。その時にはすでにそうなっていたから俺もいつからこんな家になっていたかは知らん」
「そう…ですか」
六鹿は見るからにショックを受けた様子で、いつもの冷静ですぐに切り替えて今の最善を考えてくれる六鹿の姿はどこにもなかった。
それは希空から見てもそうだったようで、心配そうに六鹿に寄り添うって心配そうにしている。
「大丈夫?」
「…あ、ええ。ごめんなさい希空ちゃん。結構、びっくりしちゃって…それで、これの原因を調べるために家に入りたいって事ですね」
「ああ、そういうことや。頼めるか?」
「…分かりました。私もショックはショックですが、自分の家がこんな状態なのに呑気にしてられませんから」
希空の前で見栄を張る様に調子を戻した六鹿は、家の調査に協力するという。
しかし、俺の目にはまだまだ空元気で本調子にはなっていないように見える。
「六鹿、無理すんなよ」
「ありがとう、晴くん。でも、こんなにも無関係でいられない事態なら私が頑張らないと」
それだけ言って、六鹿は家の門を開く。
ここまで、自宅の家の門を開くことをこんなにも辛そうにすることがあるのだろうか。
信じたくない、でも目の前の事を無視することはできない。そういう葛藤が見える表情のまま六鹿は帰宅した。
そして、六鹿の案内で俺たちも六鹿邸へと足を踏み入れた。
家の中は覚悟を決めて入った割に普通だった。
普通の豪邸だ。
もちろん、いまだに濃密なアナザーの気配はそこら中を漂っているがそれだけだった。
「さて、とりあえずはこの気配を辿って原因の元へ行こうか」
「そうですね、案内は任せてください」
「こうして、向こうのテリトリーに入ったんだ。隠す気も今更無いようだし…向こうから急に襲われることもあるかもしれないよ」
「そんときは俺たちが盾になるから後は頼むぜ」
「たちって俺もかよ」
「ほな、そういうことで行きましょか」
そうして俺たちはまとまって警戒をしながら進んでいくことになった。
流石に豪邸とはいっても人の住む家だ。
そう何時間もかかるわけでもなく意外とすらすらと進んでいく。
「改めて、恵麻さんのお家ってすごいですよね」
「ああ、始めてきたが...ガチでお嬢様なんだな」
「やめてくださいよ。あなたたちまで、私をお嬢様って扱ったら悲しくなります」
空気を変えるためか、努めて明るい調子で希空が話し始める。
それに気づいてか、気づいていないのか相賀が話題に乗っかる。
気持ちは分かる。何度来てもデカい家だと思うし、こんな家に住むなんて本当に住む世界が違うんだと認識する。
六鹿も希空の考えていることが分かっているのか、言葉はやめろと言うが口調が少しだけ優しかった。
「こっちの方ですね」
「こっちは行ったことがないな」
「この先はリビングとかダイニングですから、あんまり人を呼ぶ部屋じゃないですからね」
六鹿の案内で進んでいくと、また豪華そうな扉の前に着く。
ここまで来てしまえば嫌でも分かる。
このアナザーの持ち主は、確実に悪意がある。
この濃密な悪意ある気配は俺たちの体にまとわりついて、今にも罠にかけようと渦巻いている。
そして、それを隠す気がない。
悪意を隠すことなく、ただただ嘲笑うように垂れ流している。
この先に”敵”がいると全員が理解した。
覚悟を決めて、タイミングを合わせるようにお互いの顔を見合わせる。
その時、ドサッと相賀が崩れ落ちた。
「オウガ!?」
「お、おい、どうした!」
相賀は倒れて、目を開けることはなく規則正しく息をしているだけだった。
急なことに全員に困惑が走り、頭の中で最も高い可能性を考える。
何らかしらの攻撃を受けた。
そう考えるのが自然だが、どんな攻撃かが分からない。
「やられた...そうやった、すでに十六夜くんは相手の攻撃を受け取るんやった」
九重の言葉で思い出す。
そうだ。ここに来る前に相賀は言っていた、最近変な夢を見ると。それがアナザー効果ならすでに相賀は攻撃を受けていたということだ。
いや、それならなんで俺は倒れていない?どうして相賀だけが?
「気にしなくていいよ、それは、寝ているだけだからね」
困惑と警戒によって強張っていた俺たちは扉の向こうからの声によって再覚醒する。
いや、俺と六鹿だけは更なる困惑へと誘われていた。
「こ、の声は...」
「おい、嘘だろ?」
天使が無言でアナザーを起動する。
それを見て俺たちも即座にアナザーを起動して、何が起きても対応できるように警戒を強める。
九重が全員の準備が出来たタイミングでゆっくりと扉を開く。
その部屋は広く、かなりの大人数がゆっくりとくつろぐのに十分な広さがあった。
六鹿の家族がここで団欒するのに便利そうな家具は綺麗に整理されており、部屋の中央には大き目のソファが置かれていた。
そのソファに座っている人物を俺も六鹿も知っていた。
いや、この家にいる時点で六鹿は誰であろうと知っている人物なのだろうが、俺も知っている人物というのは限られている。
俺と六鹿の関係はアナザーに関わってから始まっている。
だからこそ、俺も知っている六鹿の家の人間は限りなく少なく口が堅い人だけとなっていた。
その人物はゆっくりとソファから立ち上がり一礼する。
相も変わらず、茶髪にピンクのインナーカラー。ピアスは耳が隠れるほどつけていて、白衣なんて飾りとでもいいそうな服装の女。
「お帰りなさいませ、オジョウサマ?」
その表情は心の底から楽しそうに歪んだ弧を描いていた。
「本当に敷浪さんなんですか?」
「どういう意味かな?こうして姿を現して、それでも私が私だと信じられないと?」
「そうじゃなくて!こ、こんなアナザーの力をまき散らして...いつからですか!」
「いつから?家の前でもそんな話をしてたようだけれど、オジョウサマって始まりをそんなに知りたがるタイプでしたか?」
家の前だ?なんでこの人、外で起きていることをその話の内容まで把握しているんだ?
いや、そうじゃなくて。本当に敷浪さんがアナザーの持ち主だったとは。
この人は六鹿とは昔からの付き合いだと言う。それならば、きっと色々考えていた可能性の中では六鹿にとっても最悪に近い物だったのではないだろうか。
「いいから答えて!」
「はいはい、そうやって感情的になるの久しぶりに見ましたよ…えっと、いつからアナザーを持っていたって事でいいですよね?それなら簡単ですよ。最初から。あなたと出会う前から私はアナザーの持ち主でしたよ?」
それは六鹿にとっても俺にとっても衝撃的な話ではあった。
一体いつから六鹿のお世話係をしているかは知らないが、1年2年の話ではないのだろう。
何年?十数年か?
それほどの間、身近にはこうやって悪意を持って能力を使うような存在が傍にいたというのはなかなかに衝撃的だ。
「ンフフフ、正直なところで言うなら潜り込むのは権力者だったら誰でもよかったのだけど...なかなかオジョウサマは面白い事になって六鹿の元へ来てよかったと思ったよ」
「どういう...事?」
「なに、私は退屈していたからね...いっちょ能力を使って権力者を堕落させてやろうと思ったのだけど、オジョウサマがあんまりにも面白い存在だったから気に入っちゃってね?だから、もっと面白くなるまで我慢しようかと思ったんだけど...我慢しすぎちゃったな、ここまで事が大きくなったら私じゃ介入が難しい。だから、いっそ全部ぶちまけようかなってね」
敷浪さんの言っている事は半分も理解できないけれど、その話している姿が、言動がどうにも気色悪く見えた。
悪意を剝き出しにして、決してこちらに歩み寄ろうとは欠片も思っていないのが分かるのに、敷浪さん本人を悪く思えないのだ。
敷浪さんを敵と認識できているのに嫌いになれないでいる。
やっていることも言っていることも嫌悪しかないのに本人を嫌いになれない矛盾が気色悪い。
「すまんが、お喋りはそこまでにしてくれへんか?」
気付けば敷浪さんの流れに持っていかれていた空気を九重が強引に戻す。
それで、ようやくもう話すという段階はとっくに過ぎ去っている実感を得て、臨戦態勢に入る。
「これ以上のお喋りは、向こうの思う壺やで?しっかりしてくれ、俺ら三人で相手せなあかんのやから」
「三人?」
その言葉に疑問を覚え、後ろを振り返ると天使と希空の二人が倒れていた。
「そんな、馬鹿な」
「ンフフフ、話してても敵から注意を背けちゃいけないよ...まぁ、注意をしててもダメだったろうがね」
「何をした?」
「大したことじゃないよ...君たちは私の能力をある程度予想していたんじゃないか?」
敷浪さんはそう馬鹿にするように、嘲るように話から白衣のポケットからアナザーを取り出す。
「夢、これが私の能力...今はぐっすりとお休み?」
そう、その言葉が聞こえた瞬間に目の前が真っ白になった。
抗いがたい、優しい温かみを心の内に感じた。
これに抗う事こそ苦痛であるとすら感じた。
優しい、優しい、眠りのそこへと旅立った。
最後に見えたのは俺と同じように崩れ落ちる六鹿の姿だけだった。
・夢
人に夢を見せる能力。それだけ。
この能力は特別なことは他に存在しない。
ただ、抵抗の低いものから眠らせて好きな夢を見せる事ができる。
起きようと思えばすぐにでも起きることができる何の強制力もない夢を見せる。
ただし、敷浪撫子という色にとって人を誑かし、甘やかし、堕落させることは何も難しい事ではなかった。
彼女は人に覚める事を拒むような最悪の夢を見せる。
それは、麻薬のように人々の意思を溶かし崩して覚めない夢に閉じ込める。
彼女の優しい夢から覚める方法は、夢に堕落しないほどの強靭な精神力によってはねのけるか、誰かに起こしてもらう以外に方法はない。




