怪しい男
今、この店内は独特な緊張感に包まれていた。
「あら?なんや、警戒されとるとは思ったけど...そんな殺伐としなくてもええんやない?別に喧嘩しに来たわけやないんやから」
それは当然この目の前の男のせいだ。
唐突に表れて、挑発のような事を繰り返す。
そもそもアナザーを取り出しておいて穏便になんてどの口が言うのか。
もちろん、天使の事もあるから勝手に判断するのはやめたいところだが...それでも、ここにアナザーを持った人間がたくさんいるのを分かった上でここまで余裕をひけらかした男に警戒心が最大限まで振り切れる。
「...そろそろ、なんか話してほしいんやけど?寂しいやん」
ここで初めて男の顔面に張り付いた薄っぺらくて胡散臭い笑みが崩れる。
それは悲しそうな表情をしていたが、全くそれを真実とは思えなかった。
明らかに演技だと、そう思わせてくる。
「あなたは……だれ?」
「だれ?ああ!!そうやったそうやった!自己紹介がまだやったな!」
天使の最大限警戒を残した、絞り出すような質問にその男はまた芝居がかったような大袈裟なリアクションを取りながら名乗る。
「初めまして、俺は九重 隼。三葉学園の三年、アナザーは梟の兄ちゃんがいつか置いてったんで持っとります。よろしくね」
男は何も気にすることなくただ、自然体で名乗る。
九重と名乗るこの男はこの自己紹介の間も決してアナザーを放してはいない。
それが、こいつも話しがしたいと言いつつもこちらを警戒している証拠だった。
「それで...九重?話とは言うがな、何を話そうってんだ?」
「ん?別になんでもええよ?ただ、キミらがあの神人計画の成功体と戦って勝ったから仲間に入れてほしいって思うただけやねん」
「しん...?」
九重は仲間に入れてほしいとまるで本心のように語る。
だが、しんじん...なんだって?
知らない言葉が出てきて困惑する。
念のため誰か今の言葉の意味を知らないかと見渡すと、天使が信じられないものを見るような顔をしていた。
そして、天使は懐からアナザーを取り出して即座に起動する。
「光!!」
その言葉と共に光は即座に収束して、俺たちが何かをすると考える暇もなく九重に向かってレーザーを放った。
それは、いつか俺に放った貫通力に特化させた収束された一撃。
「おい!」
思わず出た声は俺の声か相賀の声だったか、急に攻撃に移った天使に驚きつつもその結果を見守るしかない。
すでに放たれた攻撃は何の障害もなく一瞬で九重に襲い掛か―
―らずに消えた
「は?」
「...え?」
確実に必殺と言ってもいいタイミングの不意打ち。
あれをどうにかするのは生身の人間には無理だ。
例え、俺がアナザーを起動していたとしてもあのタイミングなら体を硬くして受ける以外に選択肢がない。
それだって、硬くするのが間に合うか不安になるようなそんな攻撃だった。
それをいま、九重は何もしていない。
アナザーの起動すらしていない。確信がある。
起動していたら、あの周りに情報をバラまく圧力のようなものが少なからず感じられるはずなのに...それが全くないのならこいつは能力を使ってない。
だというのに、今こいつに襲い掛かっていた必殺の暴力は前触れもなく霧散した。
夢のように消えてしまった。
あまりにもあり得ない出来事に俺と天使の口から声が漏れる。
「...おー怖。急にえぐい攻撃するやん?なんか、怒らせるようなこと言ったか?」
「あなた...誰?」
その天使の言葉は先ほどと同じ問で、先ほどと同じように絞り出すような言葉だったが、先ほどよりもよほど強く締め付けられているような声音だった。
「誰って、今自己紹介したやん。聞いてもらえんの辛いわ」
「そうじゃなくて!!なぜその計画の事を知っている!一体何者なんだ!!」
天使の激昂が響く。
短い付き合いだが、ここまで取り乱す天使を見るのは初めてだった。
だが、このやり取りで分かったことがある。
コイツは天使の敵で、俺たちの敵だ。
「相賀…店壊しても怒るなよ」
「大丈夫だ」
「増幅!」
「拡張!!」
俺と相賀が同時にアナザーを起動して戦闘状態になる。
相賀はそのままその位置から遠隔で殴るようで、俺はそれに合わせて距離を詰める。
しかし、すでに相賀の拳が届いているはずなのに九重は小動もしない。
それを見て俺は肉体の強化を引き上げて、一撃の威力を高める。
常人なら一撃で骨が砕け散るような威力で九重の顔面を捉える。
その瞬間も九重は何もしていない。
薄っぺらい笑みを浮かべたまま無防備に攻撃を受けた。
そして、俺は体中の力が抜け落ちて攻撃の勢いのまま転んだ。
俺の体は床に投げ出され、いくつかのテーブルやイスを巻き込んだ。
「...は?」
「なんだ、これ...」
俺は床に倒れたまま、起き上がろうともがくが力全く入らず指の一本だって動かすことができない。
何とか動く目で相賀の様子を見ると、相賀は自分の拳を見つめて驚愕していた。
「力が...!入らね...!!」
「なんで、拳が当たった感触がしねぇ?」
何をされているのか分からない。
依然として九重からアナザーを起動している気配を感じない。
九重が手に持っているアナザーも全く輝きを放っていない。通常状態と変わらない。
何が起きているんだ?
「あんま、暴れんでよ。そうされたら自衛ぐらいはするで?」
理解すらできないそれによって俺と相賀、天使までもがこいつに抵抗する術を無力化された。
六鹿は下手に手を出すことを恐れているのか、厳しい目で状況を観察していた。
「お話しさせてほしいんやけど?」
「まずは質問に答えろ。なぜ、計画を知っている」
「なぜ言われましてもな。まぁそんな隠すことやないんやけど...うちの親、計画側の人間やったんですよ。それで分かるやろ?」
「あなた、あのイカれた連中の仲間?」
「う~わ、やめて。あんな頭のネジが何本も欠け落ちたような連中と一緒にされたくないわ」
「ならなぜ知っている?外に情報を漏らすほどネジが飛んでるとは思わないけど」
攻撃をことごとく無力化した九重に対して、こちら側が取れる手段はもう残っていなかった。
だから、九重の要求を呑むような形で天使が情報のやり取りをする。
しかし、その中身はまるで理解できるものじゃなかった。
俺には二人が話している内容の欠片も理解できないし、知らない話だった。
「そら、うちの親から聞いたに決まっとるやん?まぁ、漏らしたことがバレたのか、他にもやらかしとったのか知らんけどポックリ逝っちまったみたいやけどな」
「そう...でも、それならなぜあなたは無事なの?なんにせよあなたが部外者なら隠蔽も兼ねて狙われるはずでしょ」
「せやね…それはそうやな。だけどな?天使ちゃんかて、今は狙われてないやん」
「……」
二人の会話のほとんどは理解できなかったけど、二人が何かしらの知ったらまずい事を知っているということは理解できた。
そして、それによって何者からか狙われるということも。
「それは、確かに」
「な?だから、俺が今もこうしてのうのうと生きていられるのも不思議じゃないやろ?ま、それも限界かなーって思ったからこうしてキミらに会いに来たんやけど」
「それはどういう?」
「ん?気が付いとらんの?あんだけ派手に暴れたら、さすがに逃げ隠れしにくいやろ」
それは、確かに気にはなっていた。
俺たちも天使を警戒していた時、その戦闘の痕跡から調べていた。
もし、この先俺たちのように身を守るために攻撃するような事を考えるゲーム参加者が現れたら?
もし、この先積極的にゲームに参加している人間が俺たちを標的にしたら?
俺たちはこの街で目立ち過ぎた。
優先的に狙われる可能性があるとは考えていた。
「あんな派手なことが起きて、何事もなくっちゅうのは虫が良すぎやろ?それにゲーム参加者は当然やろうけど、あっち側の人間も本格的に調べようとするんじゃないかってな?特に天使ちゃんという特大の地雷がおるんやから……俺としてはそれに巻き込まれるようにバレるよか、キミらと一緒に行動して対処したいって思ってるんや」
「それは……」
「どうや?仲間に入れてくれんかな?」
店内を沈黙が支配する。
誰も何も言えない。
九重の言っていることは正しいと分かる。逆の立場だったらそういった賭けに出ることも理解できる。
それでもすぐには信用できない。
特に天使に関する事は俺たちでは判断できないが怪しいところしかないからだ。
言葉では何とでも言える。だけど言葉を信じないと前に進まないというのはままならない。
「怖いなぁ、まぁこのままだとこれ以上のお話なんてできないやろなぁ…ここはいったん引きます。また会いましょ」
「まて!結局どこまで知っているんだ!!」
「そうやな...俺はそういう計画があったということしか知らんよ?それは本当。キミらと仲良くしたいっちゅうのもな」
最後の最後まで九重は飄々とした態度のまま店を出ていく。
そして、九重が店を出た瞬間に全く利かなかった体の自由が戻り、立ち上がれるようになる。
結局、アイツの能力についてはよくわからなかった。
いったい何をされたのか。
もしもう一度戦うことになるのならその正体は掴みたいところだけど、ヒントが少なすぎる。
「っくそ」
相賀も悪態をついている。
あの闘いを経て強くなったと思ったが、そもそもそれは真正面から殴る蹴るをさせてくれる相手に対してだけだ。
能力は分からない事が多い。少なくとも九重と俺や相賀は相性が悪いのだろう。
俺たちが意気消沈していると再びカランと店の入り口のベルが鳴る。
「遅くなりました~、え?なにこれ、どうしたの?」
それは何も知らない我が妹の呑気な声がこの店の空気を換えてくれる音だった。




