罠
サイレンが鳴りやみ、あたりは静寂に包まれた。
「一体何が............」
一体何が起きるのかと警戒し、あたりに意識を集中する。
機械兵たちは変わらず、直立不動で整列したままだった。
そんな中で、変化しているのは一か所だけ。
部屋の端にある沢山の水槽の内の一つ。
真っ赤に染まったそれは、いまだ何か変化しているのかたまに気泡が浮かぶが、それ以外は染まってしまった水のせいで何も分からなかった。
「希空.........」
その水槽には沢山の希空の内の一人が入っていた。
それが変化したのだから、希空の身に何かが起きているんじゃないかと不安になる。
ふらふらと近づき少しでもその水槽の中がどうなっているかを確認しようとする。
しかし、近づいても近づいても何も見えない。
それほどに水槽の色は濃く、気泡が多かった。
「壊すしか.........」
こうなってしまえば、水槽を壊して中の希空を助け出すしかない。
そう思って、拳を握り、全力で、それは今までを含んでも比較できないほど、今出せる全力で。
「すぅ............」
息を吸い、腹に力をためる。
それを吐き出す様に、一歩踏み出して、固めた拳を打ち出す。
たったそれだけだが、それ故に強力な一撃だった。そう確信していた。
しかし、
「.........無傷......だと?」
水槽は少しの振動を中の水に伝えただけで、傷一つなくひび割れすらせずにそこに在った。
よくよく考えてみれば、この部屋は先ほどまで俺も、機械兵も、周りを気にしないほどに暴れていたのだ。
そんな中に、部屋の隅とはいえ沢山ある水槽がたった一つだって割れなかったのはおかしい。
博士が守っていたとか、偶然とか、もしかしたらを考える事は出来るが、それでもやっぱり不自然ではあった。
その答えがこれ。
ただ純粋に水槽が硬く、壊れないだけ。
「ッ!まだだ!」
ただの拳では壊せないのなら、さらに火力を。
さきほどパクらせてもらった技を。
右手に力を貯めて、抑え込むように腰を落とし構える。
そしてそれを躊躇いなく抜き放つ。
「虚剣抜刀!!」
元々の使い手ではないからか、記憶にある物よりも遅い気がするその技。
それでも、機械兵をまとめて吹き飛ばすぐらいは出来る、知る中では最大瞬間火力が最も高い技。
それを赤く染まった水槽に放った。
下手をしたら希空ごとぶち抜いてしまうかもしれない。
そんな不安がよぎるが、そこは水槽の頑丈さを信用するしかない。
今はそれよりも、すこから希空を救いだすことだけを考えて、放った。
水槽に直撃した、透明な破壊の力は部屋全体を揺らすほどの衝撃を生み出し、轟音を放った。
それはまるで金属同士が強く打ち付け合ったかのような轟音。
決して水槽のガラスを打った音でないそれが俺以外の音がない部屋に響き渡った。
「くそ、が......何で出来てんだよ!」
それでも、水槽は無事だった。
まるでそれが当然とでも言うかのような、それとも中にある物を確実に守るためだろうか、無傷でそこに在る。
ここまでくれば嫌でも分かる。
何かの能力によって水槽を守っているのだろう。
ここに九重でもいれば、案外あっさりと壊せたかもしれないが、いない人間に縋ることは出来ない。
だが、それでも諦めきれない。
一度でだめなら何度でも。
それが何の能力か知らないけれど、攻撃を無効化する系ではないのは確かだ。
そうであったならこんな衝撃も音も出ずに威力をそもそもかき消しているだろうから。
なら単純に硬くなるとか、そう言う系であるとあたりをつける。
「無効化じゃないなら、その内限界が来るだろ」
それは希望的観測。
ただの願望なのかもしれない。
少なくともこの能力は確実にこの塔のシステムに組み込まれた機械が使用している能力だろう。
ならば、限界とはこの塔のエネルギーが尽きることを指す。
俺一人と塔のエネルギーのどちらが早く限界を迎えるかなんて分かり切っている。
だとしても、やめる訳にはいかない。
もしかしたら今この瞬間に九重が動力を何とかしてくれるかもしれない。
ちょっと待てば天使が追い付いて、光で壊してくれるかもしれない。
でも、それもやっぱり都合のいい願望だ。
だから、このまま続ける。
可能性があるなら何度でも。
「虚剣............」
「ああ、すまない。それで壊せるとは思わないが、他の機器に悪影響がありそうだからやめてくれ」
放とうとした二撃目が完全に振りぬかれる前に、何かが体を貫いた。
「あ?」
「一度やられて、不意を打つ......君の真似をしてみたんだけどなかなか効果的だね」
状況を上手く認識できずに、ゆっくりと視線を落とす。
自分を貫くのは手だ。
誰かの手が腹を貫いていた。
「.........ごふ!?」
内臓がいくつも潰された。
その衝撃でせり上がってくるものをこらえることも出来ずに、口からあふれ出す。
口の中が瞬時に鉄の味に支配される。
腹からも、血は流れていく。
口から溢れたそれと、比較にならないほどに。
「ふむ、初めて人を貫いたが......なるほど変に温かくて体の中の動きがダイレクトに感じられて不快だな」
その聞き覚えのある、しかし少しだけ違う声の主は俺の腹から手を引き抜く。
支えを失った腹の穴からは圧力からか、内臓が少しまろび出る。
あまりにも体が損傷したからか、能力を維持できずに輝いていたアナザーが輝きを失って地面に落ちた。
それを何処か他人事のように見てから、自分を貫いた相手を視界に入れる。
「.........てめっ.........な、で!!!」
腹に穴が開いたせいか、息もしずらく声が絶え絶えとなる。
そこにいたのは、先ほどまで戦っていた博士よりも少しだけ若く見えるもう一人の博士だった。
あり得ない、確かに博士は倒したはずだ。
殺せたかは分からない。確認していないが、腹をぶち破って倒れたはずだ。
そもそも、まだそこには血まみれで倒れている博士がいるのに......こいつは何者なんだ?
「なんで......かな?なんでねぇ......教えてあげようか。今の私は気分がいいからね」
そのもう一人の博士は言って。
何処からか取り出したタオルで手を拭っていく。
「まず、君は疑問に思わなかったのかな?この街を創ったのは私だ。私が始めた壮大な実験だ。だがそれは何年も前なのに、私の姿がいわゆる青年程度である事に何も疑問に思わなかったのかな?」
博士は語る。
しかし、腹の穴からようやく痛みが脳みそに届いてそれどころではなかった。
傷を強く握って圧迫することで少しでも痛みを紛らわせようと、血が流れるのを止めようとする。
「結論から言うと、君の妹の能力の有効活用だよ。流石の私も時を操ることは出来なかった。キミの妹は無限のエネルギーのヒントとはなってもそれそのものには成れなかった。そこで考えたのはその『自分』を生み出す能力。アナザーユーザーが能力で生み出したものは、能力を解除すれば消える。しかし、能力によって起きた現象は消えない。炎の能力で物を燃やせば、最初に出した炎は消えても燃えた物が元通りになる事は無い」
博士は饒舌に語る。
能力の使い方を。
「じゃあ、能力で生み出した人間は能力を消せば消える。だけど例えばその人間が食べた物はどうなる?傷を負って血を流したならその血は?人間が存在すれば必ずその痕跡は残る。それらすべてが能力を解除しても残ったままなら?」
最悪の使い方を。
「例えば子供を産んだらどうなるのかな?その疑問の答えが今の私だ。時間を操ることは出来なくても、成長を促進させることや、記憶を植え付けることは出来るからね、そう言った今までの実験の結果を合わせることで、私は古い私を捨て、新しい私を創ることに成功したのだよ」
それは想定を超える最悪だった。
俺が思っていたのは、実験のモルモットにされている事だった。
だけど俺の想う最悪は、まだまだで奴は平然とその上を言った。
「さて、では君の役目もこれで終わりだ。なかなかいいデータが取れたが、本来の目的は君のそのアナザーだからね」
博士は俺に近づき
落ちているティリス・アナザーを拾う。
「ご苦労様」
ただ、それだけを言ってアナザーを持ってコンソールを弄り始める。
「これで、私の夢も完成に近づく」
吐き気のするような事実を突きつけられて、腹に穴を空けられて、守らなきゃいけなかったアナザーも奪われた。
もう、これ以上ないほどの絶望が俺の心に訪れる。
だけど、ただ一つ。
たった一つだけの希望が輝いて見えた。
博士はその希望に気が付いていない。
だからこそ、コレは強く輝くのだ。




