(九)教授
手術をした日の翌日の朝、麻酔が効いているためかうまく体を動かすことが出来ない。それでも、今日からさっそくリハビリを開始するらしく、担当医と研修医が回診に来て、寝ながらでも出来るだけ体を動かすように新田に伝えた。
担当医は、執刀医の助手の医師だった。狐顔をした、いかにも神経質そうな容貌をしているこの担当医は、少しのミスも見逃さないという自信にみなぎっているようだ。
その日の午後、看護師が「少し歩いてみましょうか」と言うので、ふらつきながら歩いてみたが、ベッドからドアまで歩くのが精一杯であった。看護師が車椅子を持ってきてくれたので腰掛けているうちに、体がだるくなって悪寒がしてきた。体温を測ってみると三十八度を超えている。今日のリハビリはもう無理であると看護師は判断したようで、再びベッドに移された。
出来るだけ楽な姿勢を保とうと、ベッドの傾斜角度を調節していた時のことだった。大腸肛門科の教授が威厳に満ちた風格で、十人ほどの部下を引き連れて総回診に来た。新橋のクリニック医院長が言っていた、日本で五本の指に入る名医であった。部下を引き連れて総回診する様子は、まるで「白い巨塔」を見ているようである。
教授の部下が、新田の寝間着のボタンをはずして手術した腹部を教授に見せた。教授は、両腕を腰のあたりに組んでベッドのすぐ横に立っている。そして前かがみに新田の腹部を眺めながら「うん、綺麗だね」とだけ言って、部下を引き連れて病室を去って行った。
手術をした日から、日毎にナースステーションよりも離れた病室に移される。その日の夜、二人部屋の病室に移された。もう一人の患者は、歳の若い女性のようであった。術後の経過が良くないらしく、面会時間を過ぎていたにもかかわらず二人の男性が付き添いに来ていた。
ひとりは旦那、もうひとりは兄のようであった。旦那らしき男性は、うなだれながら病室の端から端までをひたすら歩き続けていた。女性は、かなり苦しそうで唸り声を洩らしている。医師が何度も行き来していた。
深夜に教授がやって来て患者を励ましていた。
「人工肛門にしたくないって言うから、わざわざ他の大腸を切り取って肛門に張りつけたんだからね。だから頑張るんだよ」
教授が若い医師に発破をかけた。
「黙ってないでさあ、何か考えてみて」
「KRとDCを投与してみてはどうですか?」
「……」
教授は、腕を組みながら少し考える素振りをしていたが、
「そうだね、それで様子を見てみよう」
と言って、教授は病室から去って行った。
しばらくすると、若い女性の患者は落ち着いたようだった。
深夜の慌ただしさから、新田はその晩一睡も出来なかった。解熱剤の点滴を受けると眠くなるので、昨晩は睡眠薬の点滴を断っていたのである。午前四時頃になって少し眠ろうと思った新田は、睡眠薬を点滴するように看護師に頼んでみたが、この時間になると睡眠薬はだせないと言われた。
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