(五)告知
内視鏡検査をした日から二週間後、検査結果を伺うためにお茶の水の大学病院に向かった。診察室の前の控室で順番が来るのを待っていたが、新田の名前は一向に呼ばれなかった。予約しておいたはずなのだが、後から来たひとが次々と診察室のなかに入って行った。新田は気が気でなかった。折りたたみ傘の柄を指で擦りながら、陽性なのか、陰性なのか、頭のなかでその事ばかり繰り返し考えていた。結局二時間も待たされた。
やっと新田の名前が呼ばれ、診察室のなかに入って医師の前の椅子に腰掛けた。
「やっぱり、悪い病気でした」
医師は、直接癌という言葉を使わなかった。癌の告知を受けた新田は、不思議と正常な精神状態である。
「手術のために入院の予約をとりますが、ご都合はどうですか。早ければ十日後に入院出来ますが」
「十日後でかまいません。あと、すみませんが精神安定剤と睡眠薬を処方してもらえませんか?」
「わかりました。それから、タバコは入院する一週間前から吸わないようにしてください。肺に負担がかかりますから。では、十日後に入院の予約をしておきます」
家に帰るとまず、富山に住んでいる母方の伯母に連絡した。相談できる者が身近にいなかったのである。母親は初期の認知症にかかっており、姉は新興宗教に心酔している愚姉であった。伯母から事情を聞かされて、東京に在住しているいとこの恵子さんから連絡が来た。
「岳ちゃん大腸癌になったんだって。おばさんから聞いてびっくりしたわよ。それで、どんな具合なの?」
「いえ、検査したら初期の大腸癌でした。盲腸の手術をするようなものですよ」
新田は、恵子さんを心配させないように、虚勢を張ったような口ぶりで答えた。
「それはよかったわね。腰が痛いとかないの?」
「どこも痛いところはないです」
「わたしの知り合いで、腰が痛いっていうから、病院で検査したら大腸癌だって言われて」
「どれくらいの癌だったんですか?」
「末期の癌だって」
「どうなったんですか?」
「亡くなったのよ」
「……」
新田は、電話機の本体と受話器をつないでいる螺旋状のコードを、左の親指と人差指で転がしながら恵子さんの次の言葉を待った。
「でも初期の癌でよかったわよ。いつ入院するの?」
「来週の木曜日に入院する予定です」
「それじゃあ、わたしもその日に行きますから。病院で落ち合いましょう」
恵子さんは姉に代わって、親戚への連絡や見舞金に関する事をすべてやってくれた。
新田は自暴自棄になっていた。仕事から帰宅すると食事もとらずにパチンコ屋に出かけ、医師から禁煙するように言われていたにもかかわらず、タバコを吸いながら閉店までパチンコに興じた。パチンコをやりながら、自分の腹のなかで癌細胞が増殖し、体が蝕まれていることを思うと無性に腹立たしかった。
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