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私がロランさんの家に居着いてからそれなりの月日が流れた。
彼は私に「どこから来た?」とか「帰らないのか?」なんてことを言わない。
彼が言ったのは「好きなだけ居ていい」だけ。
私はそれにどっぷりと甘えていた。
与えられた客室のベッドは私の身体にぴったりで、一度寝てしまうと気持ちが良くてなかなか起き上がれない。
窓の外で空が白み始めている。
リビングから物音が聞こえた。ロランさんだ。
彼の朝は早い。
まだ日が昇る前から起き出してあれこれと準備し、海へ向かう。そして小さな漁船で磯を周り、籠網を上げては掛かった魚を回収。そしてまた仕掛ける。
それが終わると次は自ら海へ入る。貝を獲るのだ。それも山ほど。
ロランさんに拾われた日に初めて食べたスープの秘密は、このルウム貝と呼ばれる二枚貝だった。
イザーク王国では見たことのないルウム貝は、この島の特産品だ。
日が真上に昇るまで海に潜って貝を集め、昼食の後に家の庭で解体する。乾物を作るのだ。
ロランさんが得意げに語るルウム貝の乾物はとても価値があるらしい。わざわざ商船が買い付けに来るほどに。
「おはよう、リネア」
ベッドからようやく這い出してリビングに向かうと、ちょうど彼は出掛けるところだった。
ロランさんはとても頭がいい。私がこの島に来てから直ぐ、商人にイザク語の本を注文して勉強を始めた。今は簡単な文字も読める。だから、私のことも「リネア」と呼んでくれるようになった。
私はまだ、「ロランさん」と呼べないけれど……。
「今日からルウム貝の乾物を作るのを手伝ってくれないか? 実は商売相手が増えそうでね。量を増やしたい」
もちろん! 居候の私は手伝いがしたくてウズウズしていたのだ。少しでも彼の役に立ちたい。
私が頷くのを確認すると、ロランさんは満足そうな顔をして海へ出かけていった。
さて、私は私で家事をしないと。
家の掃除は私の仕事だ。
実のところ、私は掃除が得意である。
普通に掃いて、拭いてもするのだけれど、奥の手があるのだ。
少しだけ聖なる魔力を手に集め、リビングのテーブルに向ける。そして──。
【浄化!】
怪我を治す【癒しの光】とは別の、最近使えるようになった聖魔法。
この魔法を掛けると、ありとあらゆる物が一瞬で綺麗になる。恐ろしいほどに。
カペラ枢機卿は癒しの女神の加護がなくなると言っていたけれど、むしろどんどん強まっているようなのだ。
なんとなく聖魔法のことはロランさんには秘密にしているのだけれど……。
さて、次は何処を綺麗にしようかな。
私は得意になって掃除を続けた。
#
昼食を終えると、ロランさんは家の庭に大きな桶を三つ並べた。そして網にいっぱいのルウム貝がどさりと置かれる。
「リネア。こうやってナイフを入れるんだ」
手のひら程のルウム貝にナイフを差し入れて小刻みに動かすと、パカリと開く。
そして乾物にする貝柱の部分とそれ以外とを別々の桶に選別していく。
「怪我しないようにな」
ウンウンと頷き、私はルウム貝の解体を開始した。
最初は上手くいかなかったけれど、一度コツを掴むとリズムよくパカパカと貝が開いて楽しい。
夢中で作業をしていると、ロランさんに「子供みたいだな」と言われた。私はもういい歳なのに!
そう言えば、彼は何歳なのだろう?
私よりは大分年上だとは思うのだけれど……。
作業がひと段落した頃、休憩ついでに私はある試みをした。
解体した貝殻を桶から取り出し、自分の歳の数だけ地面に並べたのだ。
私の行動を怪訝な顔で見つめるロランさんだったが、貝殻と自分を交互に指さすと理解してくれたらしい。
「リネアは二十歳なのか……」
ロランさんは複雑な表情をする。
私が「あなたは?」と手を向けると、彼は重い腰を上げた。
そして私に倣って地面に貝殻を並べ始める。
十……二十……三十。
ここまで並べてロランさんはこちらをちらりと見た。私の反応をうかがうように。
笑顔を返すと、彼はまた貝殻を並べ始める。
四十……四十四。ここで手が止まった。彼は四十四歳だ。
「おじさんだろ……?」
何故だかロランさんは申し訳なさそうにしている。私にとって年齢なんて関係ないのに。
「びっくりしたか?」
そんなことないと首を振るけれど、ロランさんは納得しないようだ。男心は難しい。
私が困っていると、彼はハッと気が付いたように次の作業を提案した。
「お、俺は貝殻を捨ててくるから、リネアは乾物にする部分を洗っておいてくれ」
うん。分かった。綺麗にすればいいのね。それ、得意だよ?
桶を持って海に向かうロランさんの背中を見送りながら、私は手に聖なる魔力を集めた。
このことが、どんな事態を巻き起こすとも知らずに……。
#
「リネア! 何かしたか!?」
商船が帰った後、ロランさんは勢いよく家の扉を開けてそう言った。台所で料理をしていた私は驚き、包丁を落としそうになる。
私がヘマをしたのだろうか? 不安になって縮こまっていると、彼は側に来て「違う違う」と手を振った。
「リネアがルウム貝の乾物の手伝いを始めてから、商人からの評判が凄くいいんだ」
はぁ。良かった。文句でも言われたのかと、緊張しちゃった。でも、評判がいいってどういうことだろう?
「今までよりも遥かに日持ちが良くて、味も極上。そして何より──」
何より?
「食べると、あらゆる病気が治るらしいんだ……」
……えっ!? 私は丁寧に【浄化】で貝柱を綺麗にしているだけだけど……。一体何が起こったの!?
「その顔、何かあるな?」
うっ……。バレてる……。ここは素直に白状した方が良さそうだ。
包丁を置き、右手に少しだけ聖なる魔力を集める。そしてまな板に手をかざして──。
【浄化!】
ピカピカになったまな板をロランさんが真剣な表情で見つめている。
「リネア、聖魔法でルウム貝を清めていたのか?」
は、はい。そうです。と頷く。
「つまり……癒しの女神の聖女ってことか……?」
どうだろう? 私は教会から聖女認定を取り消されている。未だに聖魔法は使えているけれど。
よく分からなくて首を捻ると、ロランさんは私を気遣うように質問をやめた。
「これは大変なことになるぞ……。まぁ、俺がなんとかするかぁ……」
そんなに大事なの? よく分からないけれど、彼が何とかしてくれるならば大丈夫。全幅の信頼を寄せているのだ。
#
ロランさんの言った通り、私達の生活は大変なことになった。今まで七日に一度程度しか来なかった商船がひっきりなしにやって来るようになり、その対応に追われている。
ただ、ルウム貝の乾物は直ぐに作れるものではないし、私の聖魔法にも限りがある。
一見の商人が来ても断ることが多い。売ってあげたくても、売れないのだ。仕方がない。
「頼む! 少しだけでいいんだ!!」
イザク語で叫びながら玄関の扉を叩くのは、イザーク王国からやってきた商人だろう。
流木の椅子の上で無視を決め込んでいたロランさんだったが、あまりにうるさいので相手をするとにしたようだ。
彼は扉を開け、立ち塞がるように商人と対峙する。
「悪いがルウム貝の乾物は売れない。先約がある」
「私はイザーク王国のブレア王太子からの依頼でやって来たのだぞ! それなのに売れないと言うのか!?」
思わぬ名前が聞こえて玄関の向こうを覗き込むと、腹の突き出た商人が顔を真っ赤にして叫んでいる。目が合ってしまい、怖くなって引っ込む。
「とにかく売れないものは売れない。帰ってくれ!」
ロランさんがピシャリと言い放つと、商人は「後悔するなよ!」と捨て台詞を吐いて去っていった。
扉をきつく締めて鍵をかけると、ロランさんはため息をついた。
「全く……。下品な商人だ」
うちの国の人が済みません。もうイザーク王国には何の愛着もないけど……。
「あーいう輩は気をつけた方がいい。リネア、しばらくは一人で出歩くなよ」
気を付けます。
「しかし、王太子の名前を出してくるとは。別の商人から聞いた話では、そろそろ王位を継承するらしい。その際に自国の貴族に【奇跡のルウム貝】を配るつもりなのかもな。地固めってやつだ」
最近、私達の作るルウム貝の乾物は【奇跡のルウム貝】なんて呼ばれているそうだ。病気になった時のお守りとして、色んな国の貴族の間で高値で取り引きされているとか。
「モノで国を纏めようなんて、馬鹿げた話だよ」
そう言いながら流木の椅子に座ったロランさんは、珍しく遠い目をしているのだった。
#
その朝はなんだか物々しかった。
空に雲は一つもないけれど、どうも気分が重い。
ロランさんも何かを感じているらしく、表情に緊張感がある。
しかし二人ともそのことは口に出さず、ただ静かに朝食の皿を見つめていた。
──カチカチカチ。
開けていた窓の外から、金属の擦れる音がした。その音は次第に大きくなり、人の集団の気配がある。
立ち上がったロランさんは自分の寝室に入り、険しい表情で鞘に入った短剣を持ち出してきた。
家の直ぐそばで足音が止まる。
──静寂。そして。
「聖女リネアよ! よくぞ生きていた! 迎えに来たぞ!!」
態とらしく明るく振る舞うその声には覚えがある。カペラ枢機卿だ……。
ロランさんが私を見つめる。
違う。私はブレア殿下に婚約を破棄され、言葉を失い、カペラ枢機卿に教会から追放されたの。そう伝えたくて、必死に首を振った。
「分かった。任せておけ」
玄関の扉を勢いよく開け放つと、ロランさんは堂々と出ていく。外にはカペラ枢機卿とあの商人、そして鎧に身を包んだ三人の騎士。
「人の家の庭で朝から騒々しい。せっかくの朝食の時間が台無しだ。今すぐお引き取り願おう」
今まで聞いたこともない、低く重たい声だ。騎士達が身構えた。
「ふん! 漁師風情が偉そうに! さっさとリネアを出せ!」
「断る」
そう言った途端、騎士達が剣を抜いた。
「やってしまえ!!」
それは一瞬の出来事だった。鋭く斬りかかってくる騎士の剣をひらり躱すと、ロランさんは短剣を振るう。
騎士の腕が飛んだ。
騎士の脇腹が赤く染まった。
騎士の首元に刃が突きつけられた。
「……その短剣の紋章は」
カペラ枢機卿が目を剥いて驚いている。商人は腰を抜かしていた。
「ほぉ。流石に気が付いたか。俺の名はロラン。レガス王国国王の弟と言えばわかるかな?」
「そ、そんな馬鹿な! 何故こんなところに!」
「貴様らの知ったことか」
ロランさんの覇気に全員が飲まれていた。
「しかし、リネアは我が国の……」
「リネアは俺の妻になる。諦めろ」
「えっ!」
えっ!
思わず声が出た。
カペラ枢機卿の額から汗が吹き出している。
「今すぐ帰るか、剣の鯖になるか。どうする?」
「くっ……覚えていろ!」
そう言ってカペラ枢機卿はくるり踵を返して逃げていく。それを商人と騎士達が追いかけ始めた。命からがらとはこのことだ。
「ロランさん!」
私は家から飛び出し、短剣を鞘に仕舞う彼に飛びついた。
「リネア……お前……」
「もう! 王弟ってどういうことですか! それに私を妻になんて……」
「そんなことより……」
「そんなことじゃありません!」
「リネア……喋れるようになったのか……」
あっ。本当だ。
#
あの騒動以来、私の状況は少しだけ変わった。
前は別々だったけれど、今はロランさんと同じ部屋で寝ている。
前は名前を呼べなかったけれど、今はちゃんと「ロランさん」と呼べるようになった。
前はただの居候だったけれど、今はロランさんの妻だ。
でも、生活は変わらない。
ロランさんは毎日のように海へ行き、籠網を仕掛け、ルウム貝を獲る。
私は掃除をして料理を作り、ロランさんの帰りを待つ。彼が帰ってきたら、一緒に昼食を楽しみ、その後は【奇跡のルウム貝】を作る。
穏やかで幸せな毎日。
そういえばあれ以来、イザーク王国からの干渉はない。ロランさんのお兄さんが激しく抗議したそうだ。もちろん、貿易もしていない。
ブレア殿下のせいで【奇跡のルウム貝】の恩恵が受けられないと、イザーク王国の貴族達は彼を糾弾しているらしい。
でも、私はブレア殿下に感謝している。あの婚約破棄がなければ、今の私はない。
もう二度と、私が「聖女リネア」と呼ばれることはないだろう。今はただのリネア。ロランさんの妻なのだから。
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『魔法で猫の姿にされて困っていたら、変態王子に拾われました。早くも身の危険を感じています』
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