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最後までお付き合い頂けたら幸いです。
「リネア。新しく聖女が認定されたことは知っているな?」
「……はい」
私は恐る恐る答えた。ブレア殿下の声色に嗜虐的なものを感じたからだ。
「我がイザーク王国では代々、聖女を王妃に迎えることになっている。リネアが王太子である私の婚約者なのはそのためだ。そうでなければ、地味で田舎臭いお前などと一緒になることはない」
何度となく聞かされた台詞だ。
「……そうですね」
「もう一人の聖女は裕福な商人の娘で、若くて大層美しいそうだ。魔力も十分にあり、癒しの女神からの加護も厚い」
「……はい」
気が付いたら、私は奥歯をぐっと噛みしめていた。手は無意識に固く握られ、しばらく開きそうにない。
「明日、新しい聖女が挨拶に来ることになった。楽しみだな」
「……」
何も発することが出来ない。
「話はそれだけだ。もういいぞ」
私は身体を硬直させたまま、ブレア殿下の書斎から離れた。
灯りの魔道具が照らす仄暗い王城の廊下には、私の足音だけが響く。
こんな不安な気持ちになったのは五歳の時以来だ。
口減らしの為に、名もなき農村に住む両親から教会へ預けられたあの日。
ボロボロの馬車に揺られながら見た風景はひどく曖昧なものだった。
きっと心の奥底で現実を見ることを拒否していたのだろう。
やっと辿り着いた王城の自室。
いつまでここに居られるのだろう?
王太子であるブレア殿下は私のことなど愛してはいない。
ただ仕来りに従い、私と婚約しただけ。
どれだけ尽くしても、ずっと見下されたまま。
でも、私の居場所はここしかないと思っていた。
……それも危ういのだけれど。
あぁ、もう何も考えたくない。
ベッドに横になると、全く眠くはないのに視界は灰色になり、意識が遠くなった。
#
何度も繰り返されるノックに目を覚ますと、窓から日の光が差していた。私は着替えることもなく、眠ってしまっていたらしい。
硬くなった身体を無理矢理動かして扉を開くと、いつも良くしてくれる侍女と──。
「初めまして。リネアさん。私はマリエールよ」
一目見て分かった。彼女が新しく認定された聖女だ。手入れの行き届いた黄金色の髪に白い肌。勝ち気な蒼い瞳が輝いている。
「……何の用?」
「一応、リネアさんは聖女の先輩だから挨拶をしておこうと思って。それに、この部屋を出て行ってもらわないといけないし」
「それは──」
「分からないのか? リネア、お前との婚約は破棄する。私はこのマリエールと婚約することにした。早々に出て行くがいい」
急に姿を現したブレア殿下が冷たく言い放つ。そしてその腕にマリエールが絡み付いた。二人は示し合わせたように視線を合わせて笑い合う。
あぁ。この二人は今日が初対面なんかじゃない。昨日、ブレア殿下が私を呼び出したのは、反応を見て楽しむ為だったのだ……。
もう嫌だ。消えてしまいたい。
侍女がサッと身を引いて道を開けた。出て行けと言うことだろう。
何も考えられず、私はそれに従う。ただただ、足を動かす。
見送る者はいない。
門兵さえも、私のことが見えていないように振る舞う。
誰か……助けて欲しい。誰でもいい。私を……。
呆然と歩き続け、結局縋ったのは慣れ親しんだ場所だった。
王都に三つある内の、最も外れにある小さな教会だ。
もう陽は落ちようとしている。身体は冷え切っていた。
礼拝堂の重い扉を開けると、年のいったシスターが怪訝そうな顔でこちらを見つめている。
「……リネア様? 一体どうしたのです? こんなところにいらっしゃるなんて」
「……」
言葉が出てこない。その代わり、ただ涙が流れる。
「とにかくお疲れの様子。今晩はこちらの教会にお泊りください」
「……」
シスターに手を引かれ、小さな個室に案内された。中には古びた机とベッドだけ。王城の豪奢な部屋とは比べるべくもなかった。
「では」
シスターは何も聞かずに部屋を出ていく。
私にはそれが有り難かった。
#
「……ア」
「……ネア。……リネア」
「聖女リネア。起きなさい」
扉の向こうからする声に驚き目を覚ます。一瞬、ここは何処かと見渡すが、あぁそうだ。小さな教会の小さな個室だ。
「聖女リネア。入るぞ?」
遠慮のない声がして、扉が開かれる。姿を現したのは円形の帽子をかぶった見知った男、カペラ枢機卿だった。
「探したぞ。聖女リネア。てっきり中央教会に来ると思っていたのに、まさかこことはな……。で、事の経緯は把握しているな? 教会としてはマリエールとブレア殿下の婚姻を支援する。お前にはその邪魔にならないように地方へ行ってもらう」
「……ぁ……ぅ」
「なんだ? どうした?」
「……ぁ……ぅ」
喋れない。言葉がでない。頭が真っ白になる。
「聖女リネア。まさか……気が触れてしまったのか?」
違う。そんなことはない。必死に首を振って否定する。
「ふん……。心が壊れて言葉を失ったか。なんと情けない……。聖女に認定されたにもかかわらず、教会に泥を塗るつもりか?」
そんな……。そんなつもりは……。何で言葉が出てこないの?
「まぁいい。こんな状態なら地方の教会へ送る話もなしだ。これを見越して二人目の聖女の神託があったのやもしれん……。近いうちに癒しの女神からの加護もなくなるだろう。リネア。お前の聖女認定を取り消す! 今この時をもって、教会はお前と無関係だ! 何処へでも好きなところへ行くがいい! なるべく早く王都から姿を消すのだぞ」
そう言ってカペラ枢機卿は懐から小袋を取り出して机に放る。
「餞別だ。その金を使って何処か遠くへ行け」
強く閉められたドアの音が随分遠くに聞こえた。
いよいよこの王都に私の居場所はないらしい。もしかしたら、この世界に私の居場所なんてないのかもしれない。
私は机の小袋を手に取り、ふらふらとした足取りで個室を出た。
#
王都の北側にある港には大きな客船が幾つも停まっていた。どの船にも水夫達が忙しなく物を運び込んでいる。
私はその内の一隻に何の考えもなく乗ることにした。行き先だって聞いていない。王都から離れられるなら、何処だっていい。
甲板に立ち、海を眺めている内に船は港から離れて動き始めた。
船には様々な人がいてとても賑やかだ。商人や冒険者、貴族の子女も見かける。皆、新しい土地への期待に満ち溢れていて、瞳が輝いている。
「……ぁ……ぅ」
やめておこう。彼等に混ざるのは。きっといい事は起きない。話すことの出来ない変な女と思われるだけだ。
私は階段を降り、暗い客室の隅で一人、小さくなって瞼を閉じた。
出航して三日目のことだ。今までになく船が揺れて、水夫達が慌ただしくしている。
嵐に出会したのかもしれない。
普段は甲板に出て遊んでいる商人の子供達も、船酔いで客室に蹲っていた。
介抱してあげたいけれど、今の私は話すことが出来ない。見すぼらしく、ただ怪しいだけの女だ。
何もしちゃいけない。人と関わってはいけない。そう言い聞かせて目を瞑ろ──。
ドンッ! と客室の天井に鈍い音が響く。ドタバタと甲板に人が集まる気配がある。何かあった? 事故だろうか?
気が付くと客室を飛び出し、甲板へと続く階段を登っていた。風で重くなった扉を身体で押して開けると、大粒の雨が顔を叩く。そして視界の先には横たわる男。
「……ぁ」
どいて!
人垣をかき分け、口から血を吐く男の横に膝を突く。
「ゴフッ」
口元からまた血が溢れる……。酷い怪我だ。この風でマストから落ちたのだろうか? 直ぐにでも処置をしないと危ない。
私は怪我を治すために聖なる魔力を全力で集める。周囲が急に静かになった。
うっすらと輝き始めた手を、男の胸に当てて心の中で──。
【癒しの光よ!】
……青白かった男の顔にほんのりと生気が戻ってきた。別の水夫が慌てて怪我をした男を客室へと運ぶ。
そして、再び激しく風の音が鳴り始めた。
「ヤバい! デカい波が来る!! 掴まれ!!」
えっ……?
鉛のような色をした海面が大きくうねっている。
立ち上がり、何処かに掴まろうとするが力が入らない。癒しの魔法を使ったからだ……。
大きな波が船を飲み込むように迫ってくる。
うん……。もういいか。
私は力を抜き、委ねるように波に飲まれた……。
#
ゆらゆらと漂っている。
たまにチャプンと音がするぐらいで、辺りは静かなものだ。
私はどうなったのだろう? ここは死後の世界だろうか?
未だ目を開けられず、ただ時間が流れていく。
「×××× ××× ×××」
聞いたことのない言葉だ。天使が話している?
不意に身体が持ち上げられた。
「×××! ×××!」
そんな大きな声を出さなくても聞こえているのに。何を言っているのかは分からないけれど……。
「大丈夫か!」
「……ぁ」
突然耳に入ったイザク語に瞼を開くと、目の前に男性の顔がある。男はほっとしたようで、深く息を吐いた。
「イザーク人?」
コクコクと頷くと、男は一瞬目を瞑ってから困った顔をした。
「俺、イザク語苦手」
片言のイザク語だ。外国人だろうか? 褐色の肌、黒い髪に黒い瞳。イザーク王国ではあまり見ない風貌だ。
「大変……」
そうポツリと漏らしてから、男は動き出す。そして私は男に横抱きに抱えられていることに気が付いた。
「……ぁ……ぅ」
「うん?」
「……」
バシャバシャと音がする。首を捻って見渡すと、少ししたところに砂浜が見えた。つまり私は海に浮かんでいたのだ。
助かってしまった……。
完全に終わりだと思ったのに……。
男は私の思いとは関係なくズンズン海の中を進んで砂浜に上がり、それでも私を下そうとせずに歩き続けた。
小高くなった丘の上に家があった。古びているものの落ち着いた雰囲気の素敵な外観だ。
「着いた」
玄関の前まで来て、男はやっと私を立たせる。随分と過保護だ。
家の前には畑があり、見たことのない野菜がなっている。ここはイザク大陸ではないみたい。一体、何処だろう?
「ふふ。入る」
キョロキョロと物珍しそうにする私を見て少し笑い、男は玄関の扉を開けた。
恐る恐る足を踏み入れると、家の中は意外なほどに綺麗で驚く。
男は漁師なのだろう。様々な漁具がリビングの棚に整然と並べられていた。
「座る」
流木で作った椅子を勧められ、言われるがままに座った。磨き上げられているようで、触るとツルツルして気持ちいい。
私の対面の椅子にドカリと腰を下ろし、男は自分を指差して言った。
「ロラン」
男の名前はロランだ。期待するような瞳でこちらを見ている。
「……ぁ……ぅ」
リネアと言ったつもりだけど、私の口から出た音は小さなうめき声だった。
「うん?」
「……」
下を向いてしまう。
「大丈夫。大丈夫」
ロランさんは私が話せないことを察したようだ。頭を掻きながら少し困った顔を作った。
「お腹は?」
そう尋ねられた途端に、空腹を知らせる低い音が私の身体から響いた。顔が赤く染まるのが分かる。恥ずかしい……。
彼は笑いながら立ち上がり、リビングの横の台所で料理を始めた。手慣れた様子で、テキパキと動く。
意外にも台所は魔道具が充実しているようだった。直ぐに鍋から湯気が上がり、魚介のいい香りがリビングまで流れてきた。
「食べて」
そう言って椅子の前のテーブルに置かれたのは具沢山のスープとパンだった。野菜と魚と貝がドンっと主張している。
彼も同じメニューを持ってきて、食べ始めた。
一見すると逞しい漁師といった風貌のロランさんだけど、何処かその所作には気品がある。
「うん? 冷める」
「……ぁ」
はい! と心の中で返事をしてスープを口に入れると濃厚な旨味が広がった。美味しい……。今まで食べたどんなスープよりも。
「美味しい?」
コクコク頷くと、彼は満足気に笑った。
あまりの美味しさに、あっという間に平らげる。するとスッとおかわりが出された。見透かされたようで恥ずかしかったけど、私は我慢出来ずにスープ皿を受け取る。
やっぱり美味しい……。人を夢中にさせる魔法のようなスープだ。どんな秘密があるのだろう?
先に食事を終えたロランさんは台所で後片付けを始める。手伝おうとしたら、肩をポンポンと叩かれた。座ってなさいと。
なんだか変な気分だ。
教会でも王城でも感じたことのない安心感。
これが、家という空間なのかもしれない。
ロランさんの背中を眺めながら、なんとなくそう感じるのだった。
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