第6話
ミーコが家に慣れてきたところで、私は職場に復帰した。
同僚は私を腫れ物の様に扱った。同僚たちの心理は理解できる。私だって反対の立場なら、相手にどんな声をかけていいか分からないだろうから。仕方ないと思えた。
不思議なものだ。同僚に気遣われると、私はより『被害者』らしくしなければならないのではないかという気分に苛まれた。同情してほしいとは思っていない。ただ、相手側の持つ期待のようなものを裏切ってはいけない気がしたのだ。
被害者、傍観者、どちらが先に『いつもどおり』を始めればいいのだろう。時間が片づけてくれることを待つしかなさそうだった。
私は朝だけ、カーコとミーコにご飯をあげる。
一匹と一羽は、必ず互いの存在を気にかけている。時々、カーコがミーコの遊びに付き合ってあげることもあったけど――。
帰宅し、私はミーコに「ただいま」と声を投げた。けど、ミーコは丸まったまま、私に顔一つ寄越さない。何だか、様子がおかしい。
「お母さん。ミーコ、何か変じゃない?」
もしかして、体調が悪いのかな。
母が、ふふっと笑い声を零した。
「ミーコね、カーコに怒られちゃったの」
「え?」
「今日はちょっと遊びが過ぎちゃってね、ミーコが力加減を誤っちゃって」
カーコがよろけるぐらいの猫パンチを放ってしまったらしい。
「それでカーコが怒っちゃってね」
カーコは『カー!』と鋭い声でミーコを怒鳴りつけたかと思うと、すぐに羽ばたいてどこかに行ってしまったそうだ。それから、ミーコはずっと落ち込んでいると言う。
「そうだったんだ」
ほんの一時間ほど前の出来事だ。ミーコの傷もまだ鮮明なのだろう。カーコを傷つけてしまったことにショックを受けるなんて。ミーコ、本当にカーコが好きなんだ。突かれまくっていたのに。
「ミーコ、落ち込まなくてもいいよ」
それでも、ミーコは毛玉のままだ。
明日、カーコは来ないかもしれない。もしかしたら、もう二度と、来ないかもしれない。そうなれば落ち込んでいたミーコも、次第にカーコを忘れてしまうのだろう。ううん、来なくなってしまうのだったら、忘れられた方がいい。でないと、つらいばっかりだから。
次の日、カーコは当たり前の様子で我が家に降り立った。
『ミーコいる?』
――といった様子で、家の中を覗いてくる。
「ミーコ、カーコが来たよ」
するとミーコは一目散にガラス戸へと走り寄った。ガラスに隔たれながらも、その勢いにカーコは一度羽ばたいた。
私は慎重に、ガラス戸を開けた。僅かな隙間をすり抜けて、ミーコが縁側に飛び出す。カーコはいつもより少し距離を取りながらも、私に『ご飯は?』と視線を寄越した。
私は庭に、ご飯を二つ置いた。
カーコは少しばかり慎重になっているものの、懲りた様子は見せなかった。いつもどおり、ミーコと並んで食事をする。時折、ミーコに視線をやり、またコツコツと自分のご飯を啄んだ。その様子が、『昨日みたいなのはもうナシだからね』と言っているようだった。
それ以降、ミーコは力加減を誤らなかった。ちょいちょいとカーコにじゃれることはあったけど、かなり控えめなじゃれ方になったのだ。
カーコも面白がって(いるんだと思うんだけど)、時折ミーコの前でわざと黒い翼を広げてみせる。そのタイミングが絶妙で、私と母は慌てふためくミーコを目にして笑った。それでもミーコはカーコと遊ぶのをやめない。懲りないのだ。もうミーコは、自分がカーコと対等なのだと思っているのだろう。
(ほんと、カーコも、ミーコも強いな)
カーコも強いけど、ミーコも強い。当初は、カーコに餌にされかけていたのに。嘴で突かれて、か弱い声を上げていたのに。
ミーコとカーコが、前に進む。恐れを乗り越え、前に進む。
人と動物の命の長さは違うのだ。彼女たちに迷っている時間などない。人間みたいに、いつまでも恐れて、籠もっていられない。
ミーコとカーコが、光に向かって走り出す。彼女たちの目の前には、どんな光景が広がっているのだろう。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「私、明日、警察に行ってくるよ」
私も、彼女たちと同じ景色が見てみたい。少しだけ、走り出してみたい。
「分かった」
母はそれ以上、何も言わなかった。