第3話
それからカラスは毎日、朝の七時と夕方の五時に我が家を訪れるようになった。食事の時間は五分もない。少し突いて、『長居は無用』といった様子で飛び去っていく。
カラスの訪問が重なれば重なるほど、子猫は元気になっていった。獣医さんから「もう安心だ」とお墨付きを貰い、私と母は寝不足の顔を見合わせて微笑んだ。
私は子猫に『ミーコ』と名付けた。『ミーコ』だなんて安直な名前だと母には呆れられたが、名前は呼びやすいものがいいと思い、私は譲らなかった。
「ほんと、お母さんには助けられたよ」
夕飯を食べながら、私は改めて母に感謝した。
「あんなにお母さんが子猫の世話に慣れているなんて思わなかった」
すると母は少し得意げに、穏やかな笑みを浮かべた。
「昔、お父さん、……あんたのおじいちゃんが沢山猫を飼っていたのよ。昔のことだから気ままでね、ほとんど外で飼っていたの」
「へえ」
「避妊や去勢手術なんて当然やらない時代だったから、増える時には増えてね。お母さんも子供だったけど、おじいちゃんと一緒に子猫の世話をしたのよ」
「だから慣れてたんだ」
「そうね。昔取った杵柄ね」
ふふ、と母が声を立てて笑う。私は母の顔を見て、嬉しくなるとともに、安堵した。
二ヶ月前父が亡くなり、母はめっきりふさぎ込むようになった。放っておいたら食事も取らず、外出も減り。このままでは母まで死んでしまうのではと、私も気が滅入ってしまったのだが、母はミーコが来てから見違えるほどに生気を取り戻したのだ。
「ナ、ニャ」
ミーコの声が聞こえた。好奇心旺盛なミーコは今、段ボールの外が気になって仕方がない。段ボールを引っ掻いて、外に出たがるのだ。
「もうそろそろ、部屋に出しても良さそうね」
リビングにいるミーコを眺め、母が目を細める。私も母の向く先に目をやり、「そうみたい」と目を細めた。
私は新たに食器を購入した。そこに適当な野菜と肉を盛り付ける。
「カーコ」
私が庭で声を投げると、カーコは黒い翼を広げて芝生の上に降り立った。
カーコの前に餌を置き、縁側に移動する。私が縁側に座るのを見届けると、カーコは『よし』と言われたかのように食事を始めた。
相変わらず、カーコの食事風景は殺伐としたものだ。何を苛ついているのかと思うくらい、食材を突きまわす。
「でも、カーコって庭に居る時は鳴かないわね」
「そうだね」
母も縁側でカーコの食事風景を眺めることが日課となった。ミーコと同様、母には『カーコなんて』と冷笑されてしまったが、やはり私は安易な名前の方がいいと押し通したのだった。
「いつまで続くか分からないけど、私が復帰したら夕飯だけお母さんが餌やりしてくれる?」
「ええ、いいわよ」
心なしか、母の声が輝いて聞こえた。
「お母さん、ミーコのこと好きだけど、カーコのことも好きだよね」
すると母は、「とんでもない」と憤りを露わにした。
「ミーコを突いたのよ」
訴えながら、手に抱くミーコをきゅっと抱きしめる。
「そうだね」
私はそう答えるが、母の心中は手に取るように把握できていた。
(ミーコにはベタぼれ、カーコにはツンデレ)
どちらも愛情だと、私は笑みを堪えた。
ミーコが家の中を歩き回るようになった。トイレもすぐに覚えてしまい、粗相もない。母はよりミーコを愛するようになり、「いい子、いい子」と思いの丈ミーコを甘やかした。
ミーコが家の中をうろつくようになったからだろうか。カーコは餌を食べに来ると、餌を食べる前に必ず家の中を覗くようになった。
『ミーコいる?』
そんな様子で、じっと家の中に視線を漂わせるカーコ。するとミーコはカーコに興味を示し、窓際に寄る。
ガラス越しに見つめ合う一匹と一羽。カーコはミーコの姿に満足すると、がさつな食事を終わらせて飛び去るのだった。
ミーコも大分大きくなった。やんちゃになり、逞しくなった。もうカラスに突かれてか弱い声を出すような存在ではない。
「一度、直接会わせてあげようか」
私は母に提案したが、母は頑なに拒んだ。
「もしびっくりして、どこかに逃げちゃったらどうするの?」
それでなくても、猫は好奇心旺盛な動物だ。他の何かに囚われて出ていってしまうかもしれない。
「そうだよね」
ミーコは家猫、カーコは野生動物。もう住む世界が違う。私はカーコが飛び去った夕暮れを見上げた。