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狼の贄~念真流寂滅抄~  作者: 筑前助広
第三章 雨の波瀬川
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第五回 尻拭い①

「太刀筋が鈍っております」


 そう声を掛けてきたのは、志月だった。

 奥寺家での稽古が終わり、支度を整えて道場を出たところだった。志月は相変わらずの若衆髷の男装である。


「志月殿には、そう見えますか?」

「ええ、左様に。迷いといいますか、気が入っていないと申しますか。心ここにあらずのように思えます」

「まさか、見抜かれるとは。志月殿には隠せませんね」


 すると、志月は鋭く冷たい視線を投げかけて、咳払いをした。


「剣は口以上に語ると申します。わたくしでよければ、お話ぐらいはお聞きいたします」

「志月殿が?」

「何を驚いておられるのです。清記様には、当家を救ってくれた御恩がありますから」

「いや……」


 清記は志月の態度の軟化に嬉しさを覚えながらも、相談したくても出来ない事情を忌々しく思った。

 清記の悩みは、大和と梅岳との対立、そして板挟みになっている現状である。いっそ、どちらか旗幟を鮮明にすれば楽になるのだろうが、そんな事は出来るはずもない。この悩みを打ち明ける事が出来るのは、佐々木三郎助ぐらいなものだ。先日も、愚痴を聞いてもらったばっかりだった。


「しかし、些細な悩みでございます。次の稽古には解決しておりますよ」

「だといいのですが」


 心配する志月の表情に清記は胸の高鳴りを覚え、それを紛らわすように視線を上げた。

 奥寺邸は、敷地以上に広く感じる。それも、庭に多く樹木を植え森のようにしているからだろう。まるで、鎮守の杜にいるようでもある。

 近くで郭公(カッコウ)が鳴いた。静寂に響き渡る。反応した清記を見て、志月は微笑んだ。


「亡き母の趣味なのですよ」

「ほう、お母上の」

「母は舎利蔵峠(しゃりくらとうげ)の近くで育ったものですから」


 舎利蔵峠は、夜須藩の北にあり藩境にもなっている峠だった。辺鄙と言っても差し支えは無い。


「母は、没落した武家の生まれでした。母の父、つまりわたくしの曽祖父は町奉行も務めていましたが、政争に敗れて舎利蔵峠近くの村に逼塞していたのです」

「それが何故、奥寺家に?」

「その母を、遠乗りをしていた父に見初められ、反対を押し切って夫婦(めおと)になったそうなんです」


 そこまで言って、志月は頬を染めた。清記は軽く微笑んで、


「私も憧れます。お父上のように、心のままに生きてみたい」


 と告げた。


「心のままに?」

「ええ、私の信念に従って」


 そうなれば、どれだけいい事だろう。家や役目に縛られず、心のままに生きてみたい。


「よう」


 突然、声を掛けられた。気配も無く現れたのは、東馬だった。懐手を崩さぬまま、意味深な笑みを浮かべている。


「お二人さん、お揃いだね」

「兄上、お帰りですか?」


 志月が訊くと、東馬は薄ら笑みのまま頷いた。


「邪魔しちゃ悪いと思ったんだが、我が愛しい妹が若い男と二人で話している姿をみちゃ、兄としても心穏やかじゃなくてね」

「兄上。わたくしはそんなつもりではございませぬ」


 清記が言うよりも早く、志月が否定した。それはそれで寂しい事だが、清記も一緒になって首を横にした。


「でも相手が清記なら構わんさ」

「だから、違います」


 志月が少し頬を膨らませ、機嫌を損ねたのか屋敷の方へ去っていった。


「まぁ、あの気の強さが玉に瑕だな」

「東馬殿、私は斯様なつもりではございませんよ」

「ふん、まぁいいさ。焦らず、じっくりが肝要だ。急いては事を何とやらだ」

「何の話ですか」

「いや、こっちの話だ」


 東馬の口振りは、日を追って親しいものに変わっていっている。実際に竹刀を交えはしないが、稽古の時に覗きにくる事もあるのだ。都合を付けば、二人で飲みに行く事もある。

 歳は清記の二つ年上なので一歩引いた態度を取っているが、東馬に対して友愛の気持ちと同時に、微かな嫉妬も確かに芽生えている。

 清記にとって、東馬は眩し過ぎるほどの存在なのだ。剣の腕前は勿論の事、陽性の性格は自分と真逆であり、誰とでも気軽に打ち解け、それでいて信頼もされているこの男が、清記は羨ましかった。


「それで東馬殿は、今日はどちらへ?」


 清記は話題を変えようと、話を振った。江戸から戻ったものの、東馬は何をする風でもなく、毎日ふらふらとしているのだ。大和はそれを咎める風でもないが、志月は眉をひそめている。


「今日はな、ちと剣客狩りの下手人を探していたのさ」

「ああ、あの」


 最近、どこからどう漏れたのか、瓦版が剣客狩りと称して一連の騒動を報じて市井を賑わせている。一応、公式には病死とされているので、内部から情報を漏らした者がいるのだろう。兎も角、未だ下手人は捕縛されておらず、目付の陣内は連日城下を駆け回っているという。


「自分で言っては何だが、俺も名の知れた使い手。人気(ひとけ)の無い場所を歩いて、剣客狩りの下手人をおびき出そうという算段でね」

「そんな事をしては、大和様に叱られませぬか?」

「親父が? まさか。その親父から命令だからな」

「それは」

「まぁ、命令というかな。毎日暇なら、例の下手人でも捕まえて来いとね。俺も面白そうだとは思ったのだが、調べてみると色々違和感を覚えてね。なんともおかしい」

「違和感ですか」


 清記は声を抑えて訊いた。


「ああ。世間じゃ剣客狩りと言われておるだろ? しかし、そう言う割りには狙われた者達は、言わば全盛期を過ぎているんだ。岡殿は五十、高倉殿は四十八、桐島殿は四十五、飯田殿に至っては六十七だぜ」

「そう言われてみれば」

「例えば、これが夜須藩に混乱をもたらす為の謀略だとする。そうすると、まずは俺やお前とか、若くて活きのいい奴を狙わないか? 『夜須藩で至強の奥寺東馬が()られた』という衝撃は強い」

「確かにそうですね。しかし手あたり次第というか、勝てそうな相手から狙うという手もありますよ」

「そうかもしれん。だが、全盛期を過ぎたと言え、弱いというわけでもないしな。高倉殿に限っては、俺すら勝てるかわからん。かと言って、桐島殿は彼らに比べたら一段と劣る。どうも腑に落ちん」


 と、東馬は顎に手をやって首を捻った。


「遺恨、という線はある」


 それだ、と清記は思わず声を挙げそうになった。


「全員の年齢を考えれば、二十年ぐらい前だろう。その時に何かあり、下手人はその遺恨を晴らしているに違いない。そう思わないか? 清記」

「ええ。納得が行きますね」


 そうは言ったものの、清記は悌蔵の言葉を思い出した。


「まっ、儂らにゃ関係のない話じゃ。香典を置いて、さっさと帰ってこい」


 それはつまり、関わるなという事なのだろう。しかも、今回は東馬が言うように遺恨の線が強そうだ。夜須藩の剣客を狙った謀略なら清記の興味をそそるが、遺恨となればどうでもいいと思ってしまう。そうさせるだけ、御手先役の役目で遺恨の尻拭いをさせられてきたのだ。

 ふと、表が騒がしくなった。東馬は清記の袖を引いて樹木の陰に隠れた。


「清記、見ろよ」


 東馬が顎でしゃくる。それは屋敷に入ってくる大和と、談笑しながら続く若い武士達だった。

 見た事のない取り巻きは、家人ではない。恐らく大和を支持し、奥寺派を形成する若い藩士なのだろう。若手上級藩士の間で、大和への支持は高まっている。


「大和様の支持者ですね」

「そうだ。三日に一度はああやって集まって、正論を交わしている。どうも居心地が悪くて仕方がない」

「東馬殿は加わらぬのですか?」


 すると、東馬が鼻を鳴らして


「政事など、全く興味が無い。むしろ、嫌いだね。俺は剣だけがあればそれでいい」


 と、言い捨てた。


「それに、奴らは理想論だけの近視眼だ。青臭い事ばかりを言ってやがる。親父も存外味方に恵まれんな」


 酷い言い様に清記は苦笑すると、東馬が視線を移して舌打ちをした。


「あいつを知っているか?」


 東馬の視線の先、大和たちとは一歩遅れて長屋門をくぐった男の姿があった。背が高く痩せているが、猫背。下顎が前突した男だった。


「いえ」

衣非外記(えび げき)だ。一年前からよく顔を見掛けるようになった。何度か顔言葉を交わしたが、嫌な男だった」

「衣非というと、十六家の?」


 東馬が頷く。十六家とは、〔栄生十六家〕とも呼ばれる栄生家功臣の家系である。栄生家を興した栄生経直(さこう つねなお)に付き従った家人の末裔で、衣非家はその一つだった。彼らは〔大譜代(だいふだい)〕という家格を有し、梅岳が老職に登って全権を握るまでは、代々要職を独占していた。

 今では大譜代の待遇だけを認められて飼い殺しになっているが、その十六家の一つが大和に接近している。大和は思った以上に勢力を伸ばしている事への驚きより、これで梅岳との対立は避けられないと清記は思った。


「十六家のお一人とは、頼もしいお味方ではありませんか」

「いや、衣非家は名前だけだよ。先々代の当主が失脚して依頼は、ずっと無役。その時に一緒に失脚したのが、俺達の曽祖父だが」

「なるほど、そうした繋がりが」

「おい」


 東馬が話を遮り、清記を小突いた。衣非が足を止めたのだ。そして、清記達の方を向き、軽く黙礼をくれた。

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