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狼の贄~念真流寂滅抄~  作者: 筑前助広
第三章 雨の波瀬川
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第一回 風見鶏①

 読経が続いていた。

 腹の底が震えるような、低い声だ。心地よい風に乗り、秋晴れの空に響き渡っている。


(この坊主は、中々の美声だな)


 などと思えるほど、平山清記には故人を惜しむ気持ちこそあれ、悲しみは全く無かった。

 清記は、故人を知らない。会った事もなければ、顔も知らない。ただ、腰が痛いと言う父・平山悌蔵の代わりで、参列したのである。


(しかし、名刹に来れただけでも良しとするか)


 城下の北、寺之内町。その名の通り様々な宗派が軒を並べる寺町であり、この明善寺は小さいながらも由緒ある臨済宗寺院だ。しかも、檀家以外の者の立ち入りを禁止しているので、おいそれと来れる場所ではない。

 清記は焼香を済ませると、一礼して踵を返した。

 焼香の列は、一直線に山門まで続いている。それだけ、故人の人徳と名声があったのだろう。自分と同じように単なる義理での参列なのかはわからないが、この数に嘘はない。

 今日は、岡重太郎(おか じゅうたろう)という男の葬儀だった。

 書院番組頭しょいんばんくみがしら。身分は大組で、上士だった。死因は病死と届けられているが、そうではないという悌蔵に代参を頼まれた時に、


「これは噂じゃが、袈裟を一刀で()られていたそうじゃの。懐には手つかずというから、物盗りではあるまいよ」


 と、不敵な笑みで語り。更に、


「まっ、儂らにゃ関係のない話じゃ。香典を置いて、さっさと帰ってこい」


 などと、付け加えた。

 父が言うには、岡は新影幕屋流(しんかげまくやりゅう)を修めた剣客。元々は浪人であったが、その腕前を犬山梅岳に認められ、書院番に取り立てられている。歳は五十になろうかとしていたが、それでも剣名は高い。年始の御前試合では、小関道場の師範代だった小関忠五郎とも引き分けている。それほどの男が、何者かに斬り殺された今回の事件は、事情通の間では衝撃だったに違いない。


「剣の道を歩む者は、いつ何時敵が襲って来ても文句を言えない」


 ふと、父が常々言っている言葉を、清記は思い出した。

 つまり、剣で生きようと思うのなら、恨まれる覚悟をしろという事で、岡も剣の道を歩んだが故に、死ぬ事になったのかもしれない。


(あれは)


 清記は、列の中に見知った顔を見付けた。

 藩校〔学峰館(がくほうかん)〕で共に学んだ、武富陣内(たけとみ じんない)である。

 清記とは同じ八歳で藩校に入り、文武を競った仲である。身分は馬廻格の平士(ひらざむらい)であるが、清記にとって数少ない親友であり、廉平と同じく身分を超えた付き合いをしていた。


「陣内ではないか」


 そう声を掛けると、陣内がひょっこりと列から顔を出した。

 清記と同じ二十六歳であるが、その顔は三十はとっくに過ぎていると思えるほど老けていて、口許に一つだけ黒子がある。

 陣内が清記の姿を認めると、列から外れて駆け寄ってきた。


「おい、並ばなくていいのか?」

「別に安売りで並んでいるわけでもなし、遅れようが構わんよ。ちょうどよかった。今、時間あるか?」


 と、陣内は清記の袖を掴むと、寺の裏手にある墓域まで導いた。


「久し振りだな。元気か?」

「俺は、相変わらずだ。それより、お前はどうなんだ。暫く出仕を控えていたと聞いたが」


 この場所なら聞かれる心配はないだろうと、清記は陣内が伏せっていた事に触れた。


「俺ならもう大丈夫だ。ひと月ほど前から復帰したよ」

「それならいいのだが、無理は禁物だぞ」


 陣内は目付組与力を務めているのだが、気鬱の病で暫く休んでいたのだ。武富家は、祖父の代からの目付組に属していたが、城内や市井に密行し、身内であろうが友だろうが関係なく、その素行を調査し非違を告発しなければならないという仕事が、陣内の性に合わないらしい。それが原因で、陣内は暫く気鬱を患っていたのだ。清記が最後に会った時も、陣内の表情は晴れてはいなかった。


「すまんな、心配を掛けて。しかし、お前と岡殿の葬式で会う事になるとは思いもしなかった」

「父の代わりだよ。俺は岡殿の顔も知らん。それで話とはなんだ?」

「ああ、それだ。お前、岡殿について何か知らないか?」

「何かって?」

「死因だ。一応は病死という事にはなっているが」


 陣内が、声を抑えて耳打ちした。周囲には人影は無い。遠くで読経と木魚を叩く音が聞こえるだけである。


(なるほど、この為に列を離れたわけか)


 陣内は、目付組として岡の死因を探っているのだろう。久し振りに会った友人に訊く所を見ると、探索は順調ではないらしい。


「いや知らんよ、病だと聞いたが」


 清記は、驚いた風を装って言った。岡が斬殺されたという話は父に聞いたが、それを親友と言えど安易に伝えるべきではない。


「そうか、知らんか」

「さっきも言ったが、俺は赤の他人なのだ。それより不審な点でもあるのか?」

「ああ。お前だから言うが、岡殿は何者かに斬られたのだ。太賀稲荷(たがいなり)の裏手でな」

「そうだったのか」

「目付組の中には、名のある剣客を狙っているのかもしれぬという意見がある」

「名のある剣客? 殺されたのは、岡殿だけではないのか」


 すると陣内は渋い表情を見せて、


「江戸で、高倉(たかくら)権十郎ごんじゅうろう殿も何者かに()られている」


 高倉というと、小関道場で学んだ一人で、江戸藩邸では江戸詰め藩士を相手にした、剣術師範をしていた。この男も直接の面識も無いが、その剣名は耳に入っていたし、この夏に病で死んだと聞いていた。


「高倉殿が……」

「ああ。そこで、建花寺流の使い手であるお前さんにも、心当たりがないか尋ねたわけさ」

「そうか。しかし、陣内。俺は何も知らんよ」

「まぁ、そうだろうな。一応と思って訊いてみただけだ。すまん、足止めをして」

「いや、構わん。お前とも久し振りに話せた。どうも最近、嫌な事ばかりでな」


 すると、陣内は一笑した。


「お前も気鬱の病か? よし、今度飲もう」

「ああ」


 最後に、陣内は清記の二の腕を軽く叩いた。笑顔だったが、疲労の色も濃いと清記は思った。

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