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狼の贄~念真流寂滅抄~  作者: 筑前助広
第二章 謀略の坂
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第一回 懊悩①

 激しい竹刀の音が、道場に響き渡っていた。

 夜須城下、城前町にある奥寺大和の屋敷。その邸内に建てられた、剣術道場である。

 平山清記は、竹刀を手に道場の中央に立ち、稽古を受ける奥寺家の家人を代わる代わる相手にしていた。

 夏も盛りを過ぎたというのに、夜須の盆地は連日唸るような暑さだった。波瀬川から引いた城下の掘割は、この熱気からか腐ったような臭気を放っている。道筋では陽炎が発生し、道行く人は家屋の陰を縫って歩く有様だ。

 そんな日に、灼熱と化した道場で、清記は滝のような汗を流していた。武者窓のみならず、戸という戸は開け放たれているが、それでも中は蒸す。

 この日、清記と共に汗を流している者は七人。士分の家人が三人、足軽が二人、中間が二人だ。大和の意向で、身分に捉われずに参加する事が許されている。他藩に比べ、身分の別が強い夜須の家風を考えれば、珍しい事であった。


「武士であろうがなかろうが、奥寺家の者に変わりはないからな」


 これについて、大和は清記にそう語ってくれた。清記は最初こそ驚いたが、大和の決定ならばと従う事にした。

 稽古を重ねるにつれ、足軽や中間の稽古熱心さに清記は目を奪われるようになっていた。勿論、家人の稽古も熱心であるが、彼らは更に輪をかけている。すると、家人も負けまいと熱を入れる。その相乗効果が、清記にまで伝播し、出稽古に夢中にさせる。それには理由があった。


「大和様は、武芸に秀でた者を士分に取り立ててくださるのでございます」


 そう教えてくれたのは、中間の太蔵(ふとぞう)という若者だった。清記は、内心で頷いていた。奥寺家の活気はこれだと思った。目標があり、正当な評価をし、見返りがある。それが、人を成長させるのだろう。


(村でもやってみたいな)


 これをやらない手は無い。建花寺村にも、建花寺流の看板を掲げた道場がある。この道場は、家人や代官所の下役しか使わないが、百姓や下人に教えるのもいい。家人として雇い入れる時の目安にもなるし、何より村の自衛力の向上に繋がるのではないか。

 この件に限らず、大和を見ていると学ぶべき点は多い。当主として為政者として、父よりも参考になる。

 そもそも、父は御手先役以外の事に感知しない。内住郡代官としての政務は与力や下役に丸投げしているし、家中の事も基本的に三郎助に任せている。それが清記にとって、父の唯一にして大きな不満だった。


「手元の意識が甘い」


 そう叫んで、清記は小手を軽く打った。打たれた家人は、返事をして次の者と代わった。


「次」


 清記の声に呼応して、防具姿の男が立ち上がった。


「倉持か」

「応っ」


 と、若者が声を挙げた。

 倉持平次(くらもち へいじ)。奥寺家の足軽である。角ばった顔にはあどけなさが残るが、その体躯は既に出来上がっている。

 その平次が前に出る。やる気と肝は据わっているが、腕の方は団栗の背比べな奥寺家中にあって、この平次だけは光るものを感じていた。

 技術は粗削りだが、太刀筋に鋭さがある。思いっ切りがいいようで、同時に臆病でもある。この若者に一本を取られる事は無いが、上手く躱された事は何度かあった。


「来い」


 すると、平次が気勢挙げて突進してきた。まるで、猛牛である。

 鋭い大上段からの打ち込みを、清記は敢えて躱さずに弾いた。

 手が痺れる。平次の思いっ切りの一撃は流石だった。続く下段からの斬り上げは、余裕を持って鼻先で躱したが、返す刀の横薙ぎ一閃は、思ったより素早く清記を慌てさせた。


「まだまだ」


 そう言った平次の足を、清記は出会い頭に払うと、平次は面白いように宙に浮いて背中から落ちた。そして、首元に竹刀の切っ先を突き付ける。それで終わりだ。


「参った」


 清記は頷くと、平次に手を差し出して引き起こした。


「倉持、剣はどこで学んだ?」

「小関道場で少々」

「一刀流か」


 どうやら、奥寺家は一刀流と縁が深いらしい。大和も東馬も、そして志月も一刀流である。家人にも通わせているのだろう。


「なるほど。通りで、鬼気迫る太刀筋なわけか」

「しかし、敗れました」

「ああ。皆もだが、これだけは気を付けて欲しい。道場では剣術だけだが、実戦はそうではない。殴りもすれば、蹴りもする。飛礫を投げる事もある。常に頭では実戦を想定するのだ。苦しければ、腰にしがみついてもいいぞ」


 皆が声を揃えて返事をする。それが清記にとって気持ちがいい。汗が、心に沈底した闇を洗い流してくれるのだ。

 三日前、清記は人を一人斬っていた。相手は、御蔵町(みくらまち)の目明しで留三郎(とめさぶろう)という親分だった。今回は御手先役のお役目ではなく、平山家の稼業としての殺しの仕事(ヤマ)だった。

 依頼された者を殺し、銭を得る始末屋稼業。これは御手先役としての費用の一切を負担する代わりに、藩庁から公に許された既得権益でもある。当然ながら、この殺しで捕縛をされる事は無い。

 清記は、始末屋稼業を好きではなかった。御手先役と始末屋。人を斬るという行為に、どちらも変わりない。しかし、心の根幹にある支柱のあり様が違う。

 御手先役は、忠義である。御家への忠、民百姓への義が存在している。それが偽りでも、お題目にはなっているし、それで自らを欺く事も出来るのだ。

 しかし、始末屋には銭しかない。幾ら御手先役を続ける為であっても、そこからは卑しき欲しか清記は見出せないのである。それでも、断る事は出来ない。当主である父の命令だからだ。父の言葉を絶対である。

 それで、留三郎という男を斬った。留三郎が悪徳目明しである事はわかったが、それが死に値するものなのかはわからない。それでも殺した。そうする他に術はなかった。

 それから半刻ほど、汗を流し稽古を終えて道場を出ると、大和の娘・志月が長屋門を潜って屋敷に入るところに出くわした。

 志月は、小関道場からの帰りなのか、いつもの若衆髷の男装である。


(志月殿か)


 そう思ってくれた何気ない視線が、志月と合った。清記は慌てて頭を下げたが、一方の志月は愛想笑いすら浮かべず、ただ黙礼を返してそそくさと奥へと消えた。

 この視線に他意は無い。ただ、視界に入っただけのだ。しかし、あの反応は誤解されたのかもしれない。


(ますます嫌われるな)


 そう思うと、苦笑するしかなかった。

 志月との関係に、変わりはない。顔を合わせれば、軽く挨拶をする程度だ。本来はそれでいいのかもしれない。自分は剣術を指南するだけで、奥寺家に仕えているわけでもない。そう自分に言い聞かせても、落胆と寂しさが胸に(よぎ)る。

 そんな清記の背に、


「先生」


 と、いう声が飛んだ。

 振り向くと、平次が立っていた。はち切れんばかりの笑顔に、清記は自分にはない眩いものを覚えた。


「いやぁ、先程の一手は参りました」

「ああ、あれか」

「見事な出足払いでございました。剣ばかり意識しては、まさに足元をすくわれるとは、この事ですね」

「そうだ。敵が剣だけを使うとは限らない。常に何が起きてもいいような心構えをしておく事が肝要だ。私は大和様に実戦に模した稽古をと頼まれたのだが、本当は武道場の板張りではなく、野外でしたいほどなのだ」


 すると、平次が白い歯を見せて笑った。


(どうして笑う?)


 今は実戦の心構えの話だ。笑うような場面では無いだろうに。と、怪訝に眉を潜めた清記に、


「笑うところですよ、平山先生」


 と、平次が言った。


「出足払いは、足をすくう技でございますからね」

「なるほど。言葉をかけているのか」

「そう言われると、調子狂いますね。でも、それが平山先生だ」


 無邪気に笑う平次を見ていると、清記は自分の無粋さを恥じながらも、思わず笑みが零れる。


「どうです? これから一杯。いい店があってですね。中間の連中と飲みに行くんです」

「ああ、いいね。だが、これから所用があってね」

「それは残念。では、また今度」


 何の屈託もなく、平次が去っていく。真っ直ぐな視線は、清記にはやはり眩かった。

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