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2閉ざされた聖域

 リトがサコルに捕らえられたのは今から五日前の夜半過ぎ、旧街道の最終地点よりさらに離れたトウカ村だった。

 トウカ村はリトの住む樹海から程近くにあり、リトは幼いころから祖父ジト=ファと二人でこの村の民家へ訪れ、療治や生薬を卸したりして樹海では手に入らない品々と交換してもらっていた。

 リトはこのビルリンク・ルム皇国の北東に果てしなく広がる、森緑恒樹海(しんりょくこうじゅかい)という名の森林地帯に暮らす少数民族の人間だった。

 黒髪に赤銅色の肌と、瞳は常緑樹の葉のように深い緑色をしているこの民族は、樹木信仰から木を切る事を極力したがらないため家屋を持たず、樹海内を常に移動しながら生活している。

ルム人からはその特異な瞳の色と住んでいる場所からその名をとって、「森緑(しんりょく)(たみ)」と呼ばれていた。

 森緑恒樹海はビルリンク・ルム皇国の領土という事になっているが、そこに住む森緑の民らは皇国に属しているつもりはない。先々代の皇帝が制定し、蟻の子一匹からも取り立てると揶揄された悪名高き人頭税も、この民には強いる事が出来なかった。

なぜならば森緑恒樹海は森緑の民以外、人が足を踏み入れる事の叶わない地だったのである。

怨樹(えんじゅ)

 そう呼ばれている、この国の民が忌み嫌う木がある。

決して枯れず炎にも焼けず、伐ろうと刃を入れたならば、その者自身も怨樹と同じく体が裂け絶命してしまう。土に毒撒き故意に枯らそうとする者あれば、その者の血肉が毒となり同郷の者らを恐れさせた。

 怨樹について、「皇国大全」にはこう記されている。


 『森緑の民は古代からの習わしで死者の骸に木の実を抱かせ、「転樹(てんじゅ)()」という術を施し埋葬する。その骸を苗床に育った木が成長し、「怨樹」となるのだそうだ。怨樹というのは我々ルム人からの呼び名で、森緑の民らは「先祖の木」という意味のホムラカラペと呼んでいる。

樹木信仰の民達は、死後樹として生まれ変わる事ができると歓喜してこの呪術埋葬を行ってきたという。何千年もの前からその転樹の儀が行われ続け、やがて広大な森林帯を造りあげていった。この転樹の儀を行う森緑の民の者がはたして術士の一人であるかどうかは国内外でも論争中である。(中略)

我々がひとたび怨樹の森林帯に入れば、木々が鬱蒼と茂り見通しの利かない暗がりの中、たちまち方向感覚を失い遭難する。そして森林中を満たしている、怨樹から発散された瘴気を吸う事によって半時を待たず意識が混濁し、死に至る。

森緑恒樹海は外周をこの怨樹の森林帯で覆われているため、外部からの侵入が叶わない。(海路については後述する。)

ただ唯一森緑の民のみが、同族であるためか怨樹の作用をまったく受けないようだ。そして彼の民は決して森で迷う事は無いという。以上が森緑の民以外の人間が森緑恒樹海へ入れない理由である。

建祖の残した書によると、その怨樹の森林帯を抜け森緑恒樹海に入り最奥地に至ると、陸地を分断するように東西に渡る長細い湖に出ると記されているが、そこまで辿り着いた国民は皇国史上誰もいない。

その湖の向こう側に存在する果てしない地こそが、始皇帝ハウタラ以降の代々の皇帝が、多大な犠牲を払ってまで怨樹を切り拓こうとした理由である。

絶対不可侵の国、ヨラン秘聖国(ひせいこく)

彼の地こそがビルリンク・ルム皇国のみならず、東大陸エイジア中の国々が羨望と畏れを抱き到達を求めるものである。

ヨランは国と名が付いているが、ビルリンク・ルム皇国建国初期の創世歴950年頃まで交流のあったヨラン国民も、その後約四千年間全く姿を見せていない。よって、既に亡んだ国という説もあり、国と呼ぶか地域と呼ぶかは各国で違っている。

しかし創世史では、各国に散らばる術士の血筋は確かに遥か昔ここから出でて大陸中へ散らばったとされる。

やがてその一人建祖ハウタラが森緑恒樹海の周辺地域に住んでいたルム民族をまとめ、ビルリンク・ルム皇国を建国された。

森緑の民は、その偉大なる皇帝と術士達の故郷・ヨラン秘聖国への道を断絶した「忌まわしき罪人」の民として、諸国中から憎まれてきたのである。

故にルム国民の間では森緑の民と親交を持つなど、皇帝に対しての裏切り行為なのだという認識でいる。』


 皇国大全には裏切り行為とあるが、森緑恒樹海で採れる希少な生薬と独自の治療技術を持つ森緑の民とは、医者のいない僻地の村々にとってはその助けを断つことはできず、今日まで村民たちの間で決して外部に漏らさぬよう掟を守り秘密裏に交流が持たれてきた。

 森緑の民を呼ぶ時、村民はカッコリの実という固い外皮の木の実を風鈴に細工したものを軒下に下げておく。するとルム人にはカコリ、カコリ、という微かな音しか聞こえないものが、森緑の民には遥か遠くの森奥にまで独特な音となって聞こえてくる。当人たちの間でそれを往診の合図としている。

 その日も、いつものようにカッコリの実の音を聞いたリトは、夜半過ぎに生薬と療治道具を持ってトウカ村に訪れたのだった。


 リトは村に着くと、若干緊張して家々の間を歩いた。深夜だったのであたりは寝静まっている。村人を起こさないようなるべく無駄に歩き回りたくないのだが、村を吹き抜ける風がカッコリの実を揺らし目的の家の場所を教えてくれているので、迷わず歩みを進められる事ができる。程なく実が軒下にぶら下がっている一軒の民家に着いた。ここだ。

 リトは深呼吸をしてから、玄関の戸をコツコツと叩いた。戸が開くと老婆が出迎え小声で「ささ、こっちの部屋に来なされ。」と誘導した。

リトは老婆に勧められるまま寝間に入ると、そこには苦しそうに唸る男が頭まで布団をかぶり横になっていた。

さっそく床に臥している男の顔色を診ようと布団をめくった時、オオカミのような異様に鋭い眼光とぶつかった。

とたん、リトは背筋にゾクリと悪寒が走るのを感じ、反射的に立ち上がろうとした。しかし布団の中の眼光の主は獲物を逃さず、リトの腕を力一杯掴んでいた。

「我は検義士である!皇帝の勅命により貴様を捕縛する!」

検義士だって!リトはすかさず逃げようとしたがその体はすでに検義士の鮮やかな捕手術によって緊縛されていた。もがけばもがくほど縄が絡まった。

(しまった、だまされた!)

 森緑の民を「未開人」と呼んで侮蔑し、時に暴力を持って差別する都のルム人との接触も御免だが、森緑の民は何よりも皇帝の走狗、検義士に捕らわれることを恐れている。

長い歴史の中で代々の皇帝たちは、ヨラン秘聖国への「帰還」を夢見て森緑の民を捕らえ拷問し、或いは懐柔し、閉ざされた樹海を突破する方法を見出そうとした。しかし様々な手を尽くしてもその方法は見つけられず、業を煮やした或る代の皇帝は森緑の民が滅びれば怨樹にかかっている呪術が解けるのではと、捕らえた森緑の民を次々に人質にして親族を樹海の外までおびき出し虐殺を行った。

  そういった悲劇が歴史の中で幾度も繰り返され、やがてリトのような薬術を代々受け継いできた「解毒師」のファ氏族しか森の外へ出なくなった。

リトも幼いころから皇帝の手の者にだけは絶対に捕まるなと教えられ、樹海の外へ出るときは用心に用心を重ねてきたのだが、それでも祖父ジト=ファと二人でトウカ村のように密かに交流を保ち続けてきた村々を訪ね歩いていた時から、あわやという危険な目にあった事が幾度かあった。


 検義士と名乗る男、サコルは、身をよじって抵抗するリトの頬を殴りつけ、痛みで倒れこもうとするリトの髪を乱暴に掴み上げた。

「喜べ。ビルリンク・ルム皇国第82代皇帝、ヨンカ・レン・ビルリンク・ルム陛下が森緑の民をご所望だ。身に余る光栄だろう。」

リトは顎の痛みも忘れ恐怖に固まった。

ビルリンク・ルム皇国皇帝。

その人が森緑の民を求める理由はただ一つ。リトには考えるまでもなかった。どの時代においても皇帝の御前に召されて生きて樹海に帰ってきた森緑の民はいない。筆舌に尽くしがたい拷問を受け、或いは皇国繁栄祈願の生贄のようにされたりもした。

「官吏さまよ、これでお約束通り報奨金は頂けますかねい。」

「ああ。その前に、婆さん。提灯用のカラ菜油をくれ。たんまりな。」

「へぇな。朝を待たず今すぐ断たれるんでい?」

サコルは老婆に油瓶を手渡されると、ぶん、と振り投げて叩き割った。カラ菜油が部屋中に飛び散る。続いて明かりの灯されていた蜀台を蹴倒した。あ、と思う間もなく炎が部屋中に広がる。

「嗚呼ァ!なんてことを!何の咎めも無いと言ったじゃないかぁい!」

するとサコルは玄関の戸を開け、わざと村中に聞こえるように大声で言った。

「皇国の裏切り者め。森緑の民などと交易するぐらいなら病死を選ぶのが真のルム人だ。貴様のような奴が居ると陛下の御世が汚れるわ!」

老婆は「見せしめってわけかい!」などと喚いて無茶苦茶に掴みかかろうとしたが、全く相手にならずサコルに突き倒され蹲った。

サコルはリトを抱え外に出ると戸を閉め、心張棒を張った。閉じ込められた老婆が激しく戸を叩く音が聞こえたが、やがて火の燃え上がる音にかき消された。

新月夜の深い闇の中で、さっきまで居た民家が赤く赤く燃え上がっている。

リトは目の前で起きている事実に追いつけず愕然とした。

(酷い、酷い、どうしてこんなことに……!)

「憐れだな?可哀想に。こうなったのは全て森緑の民、お前の所為さ。婆さんもあの世でお前を憎むだろうよ。」

激昂も空しく今の緊縛されたリトにはサコルを睨みつける事位しかできなかった。村を出るとサコルが待機させていた馬車馬が木に繋いであった。荷台には鉄檻が置かれている。リトは精一杯抵抗したが、サコルに自由の利かない躯体を容赦なく蹴り飛ばされ、檻に押し込められた。


 崩れ落ちる民家の音と炎のあがる音、鉄檻の鍵がかけられる音がリトを絶望に捕らえ、かくして「罪人を乗せた」馬車は皇都へと走り始めたのだった。



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