小人族
先日大砂白鮫を倒したということで、ウルサントから褒美にお金を貰った。最初は断ったのだが、持っていたほうがいいと無理やり渡されたのだ。ミュルサンス国でのお金を持っていなかったため、助かったというのが本音。征輝はレニエスと相談し、必要最低限だけ手元に残し、残りはアルフィスに渡したのだ。幼い子供達の衣服が不足しているため、それで服を買ってあげてほしい、と。余談だが大砂白鮫は高級食材らしく、倒した個体は結構な額で売れたらしい。
「レニエス、どうかした? 具合でも悪い?」
街のはずれに、貯水池を作るための土地が用意された。かなり広大な荒地だ。今日は掘る準備をするために、作業員や奴隷、兵士達と下見に来たのだが、同行したレニエスの様子がおかしかった。
「う、ううん。大丈夫だよ!」
「そう?」
ファウラシオ国より、捕虜にされていたエルフ達を迎えに兵士がやってきた。だが捕虜にされていたエルフ達は帰らず、未だ城に用意された一室などに留まっているのだ。そして、迎えに来た兵士達から何か話をきいたのか、レニエスもずっと顔色が冴えない。
「ファウラシオ国で、何かあったの? エルフの人達、ずっと故郷に帰りたがっていたんだろう?」
「帰りたいけれど、帰れないんだと思う……」
「どういうこと?」
「それは……」
レニエスから話を聞こうとしたところで、ウルサントがやってきた。
「やぁ、ユキテル少年。いいところに」
「ウルサントさん?」
「今からオジサンと一緒に、苔を買いに行かない?」
「苔ですか……?」
苔など何にするのだろう、と微かに反応が遅れてしまった。盆栽ぐらいしか用途が思いつかないが、この世界に盆栽があるとは思えない。
「そうそう。どんな泥水でも澄んだ美しい飲み水に変えてくれる、ナレ苔っていうのがあるんだよ。貯水池を作るなら、その苔が必要だろう?」
川の水も決して綺麗というわけではなく、飲んでお腹を壊す者達がたくさんいるのだ。とくに抵抗力のない子供が最も体調を崩しやすく、それによって死んでしまうこともあるらしい。これは、奴隷や兵士達から聞いた話だ。レニエスや征輝も川の水を飲んでいるのだが、煮沸しているおかげか、幸いにもまだ具合を悪くしたことはない。だが、これは単に運がいいだけの話だ。汚れた水を飲み続ける限り、死のリスクを冒していることには変わらないのだから。
「飲み水に……。そんな便利なものがあるんですか? 確かに必要ですよね。どこに行けばあるんですか?」
レニエスは征輝の服の裾を引っ張った。
「ユキ君。ナレ苔は、魔狼族が治めるメルクアーニ国の特産品だよ。誰もが欲しがるものだけど、簡単には手に入れられない。希少価値を上げるためにメルクアーニ国が厳しく輸出の制限をしているし、凄く高価なの」
「そうなの?」
「うん。そのへんの店で、気軽に買えるものじゃない。……ナレ苔だなんて、一体どこで手に入れるつもりなんですか?」
レニエスがウルサントを見上げた。ウルサントは後ろ頭を掻きながら、やや場の悪い顔をする。
「いやはや、君はとても賢いお嬢さんのようだ。世間知らずなユキテル少年とは違うようだね」
「せ、世間知らず……?」
「だってそうだろう? もしもユキテル少年がどこかの貴族の子息であるならば、学問や常識を教わっているだろう。だが彼にはそれが欠けている」
「ユキ君は確かに一般人ですが、何も知らないことに付け込んで、悪事に加担させるような真似をするのはやめてください」
「おいおい。私はこう見えて、一応は王族の端くれだ。悪いことなんて、させるつもりはないさ」
征輝は複雑な心境だった。
「世間知らずなの? 僕……」
レニエスはぎょっとした。
「ユキ君、自覚がなかったの? いつも見てて危なっかしいよ? まるで五歳の子供を一人で歩かせてる気分になるもの」
征輝は、そんなに酷いだろうか、とウルサントを見た。彼はニヤリと笑ってみせる。
「まぁ……、五歳児ではないな」
「ですよね?」
「五歳児のほうがまだしっかりしている。三歳ぐらいのお子様だな」
「え……」
ショックを受けた。レニエスはそんな征輝に構わず、ウルサントへ話しかける。
「ナレ苔を、どこに買いに行くんですか?」
「それは、到着してからのお楽しみだ」
征輝とレニエスは、ウルサントと一緒に出掛けることになった。
ウルサントとレニエスと一緒にやってきた場所は、ミュルサンス国で最大の港町、モルダスの中央だ。日帰りで行けるような距離の場所にあるわけではなく、二日かかったのだ。移動する際も馬ではなく、ミュルサンス国で古くから利用されている首長大トカゲと呼ばれる生き物に乗ってやってきた。深紅の皮膚を持ち、賢く、野生の首長大トカゲは群れで狩りをする生き物らしい。見た目が恐竜のようで征輝は一目で気に入ったのだが、レニエスは苦手のようだった。なんでも、蛇やトカゲなどの生き物は嫌いらしい。そのため、征輝が前に乗って手綱を操り、レニエスは後ろに乗っていた。トルテディア国で馬術の訓練をしていたのがよかったのか、首長大トカゲに乗るのはあまり苦労しなかった。
「レニエス、賑やかだね」
征輝が話しかけると、レニエスは頷いた。彼女は余程ウキウキしているのか、足取りが非常に軽い。
「うん。大きく喋らないと、お互いの声が聞こえないね」
モルダスは商業都市でもあるらしい。嘗てウルサントが統治していた場所らしいのだが、とても人通りが多くて活気づいていた。大通りには露店がずらりと並び、中央の広場では毎日朝市が開かれているらしい。海が近いせいか、風が吹けば潮の匂いがし、ネザーレの街やここへ来るまでに通った町や村のように、奴隷はいない。
「ウルサント様だ!」
ウルサントの姿に気付いた者達が、一斉にやってきて取り囲んだ。老若男女問わず、ウルサントに会えて喜んでいる様子がわかる。
「おぉ、皆元気にしているみたいだな」
「ウルサント様、うちでとれた魚をあとでお屋敷へ持っていきます!」
「悪いなー」
「野菜や果物も持っていくので、どうぞ食べてください!」
「そうか? じゃあ、後で頼む」
征輝とレニエスはぽかん、としていた。
「すごいね、ユキ君」
「そうだね」
ウルサントが振り返り、征輝とレニエスへ手招きをした。征輝とレニエスははっとすると、慌ててウルサントを追いかける。そうして辿り着いたのは、鉄柵に囲まれた大きな建物。オーガの塀による見張りが尋常ではなく、厳重な警備がされている。
「ここは? ウルサントさんの家ですか?」
「いや、ここはオークション会場だ」
「オークション?」
「あぁ。五日後、このオークション会場に目玉商品が売りに出される。それが、ナレ苔だ」
「まさか、オークションでナレ苔を?」
ウルサントは頷いた。
「あぁ。元々はあちこちにいる豪商を呼び寄せるための目玉商品に、とナレ苔を輸入したんだ。五日後に開かれるオークションでは、ナレ苔を目当てに有名な豪商がたくさん来るだろう」
「……買うお金はあるんですか?」
ウルサントは笑顔で首を振った。
「いや、全然?」
「え……」
「売り出されるナレ苔には、かなりの値がつくだろう。それこそ、城一つ買えるほどの値段が。だが、それほどのお金を出してでも、商人達は買うはずだ」
征輝は両腕を組んだ。
「城一つ買えるほどの値段……。それをまた転売するんですか?」
「いや、転売はしないだろう」
「希少価値があるってことは、ナレ苔はきっと、一度きりの消耗品なんですよね?」
「そのとおり。ナレ苔は水に一度つかってしまうと、性質が変化する。その水中にある内は半永久的に浄化作用を発揮するが、水の中から取り出すと途端に枯れてしまう。だから、輸送には細心の注意を払い、絶対に水が当たらないように運ばれる」
「繰り返し使うこともできない……。しかも、取り出すこともできない」
そんなアイテムを、誰もがほしがる理由。
「……ユキテル少年。この世界には、水が欲しくても手に入れることのできない国や地域がたくさんある。水はあれども、毒があって飲めないとかな。ナレ苔は、どんな水でも飲み水に変えてくれる奇跡のアイテムだ。金を出して安全が買えるなら、金を持ってる連中は飛びつくさ」
レニエスも頷いていた。
「水が豊富にある国なんて、限られてる。ファウラシオ国だって、エルフ族が住める場所は限られているし……」
「そのとおり。ナレ苔さえあれば、たとえ海水で作られた池でも、飲み水になるんだ。こんな奇跡のアイテム、欲しがらないほうがおかしいだろう?」
この世界では、水がとても貴重なものだというのはわかった。
「正攻法で皆が欲しがるナレ苔を手に入れるのは、益々難しいのでは……」
ウルサントも同意した。
「そう。問題はそこなんだよなぁ。オジサン、貧乏だから貯金とかあまりないし。君達二人もお金なんて持っていないだろうし……」
「ナレ苔よりも皆が欲しいって思えるものがあって、そっちにお金を使わせることができれば、なんとかなりますか?」
「どうだろう。そもそもナレ苔よりも皆が欲しがるものなんて、そうはないと思うけれど……。大体、今回のメインの売り出し物はナレ苔なんだし」
征輝の脳裏に浮かぶのは、ナレ苔を産出しているメルクアーニ国の王、ヴェルテスの顔だった。ナレ苔が欲しいと言うのは簡単だが、その見返りに何を要求されるかわからない。正直、ヴェルテスに借りを作りたくないのが本音。
「需要はないと思うけれど……、一回だけアンデッドの浄化をするとか……」
ウルサントとレニエスが食いついた。
「それだよ、ユキ君! アンデッドの浄化なんて誰もできないし!」
「ユキテル少年、いいこと言うな! それはいい考えだ! アンデッドの被害は年々増加しているし、浄化できる能力を持っているやつなんていない。よし、それを売りに出そう」
征輝は狼狽えた。
「でも、売りに出すのがそれだけじゃ、ダメなんじゃ……」
ウルサントが頭を悩ませた。
「他にも目玉商品があったらいいんだがな。たとえば、食べるだけでレベルアップする果物とか、世にも珍しい魔法の書とか……」
「異世界人が書いた本とかどうですか?」
「そんなものがあれば、ナレ苔よりも飛びつくだろう。ナレ苔はまた手に入れる機会があるが、異世界人の書いた本なんて二度と手に入らないかもしれないからな。その道のコレクターからすれば、喉から手が出るほど欲しいだろう」
レニエスがそういえば、と両手を叩いた。
「ドルザーナ国に、異世界人が作ったっていう幻の食材や料理があるんだけれど、そのレシピは秘伝で一部の料理人しか知らないの。もしもそのレシピを売り出すことができれば、皆飛びつくかもしれないけれど……、きっと無理だろうね」
征輝はすぐに反応した。そんな珍しい食材や料理ならば、是非とも自分も知りたい、と。
「どんなものなの?」
「確か……、ミソとかトーフ、っていう名前だったかな?」
征輝は目を丸くした。
(味噌と豆腐って……、この世界に大豆があるのかな? いや、大豆とは限らないか)
食べてみたいなぁ、と興味をそそられた。
「へー……、味噌と豆腐かぁ……」
「うん。湯ドーフとか、ミソスープとか、豆で作ったソースで焼いた鳥肉とか、有名だよ。でもそれら全て、作り方を秘密にしているの」
どれも作り方を知っているが、秘密にしているものを勝手に暴露するのは気が引けた。そもそも、征輝の知っている醤油や味噌かどうかもわからないのだ。
「……まだ誰も知らない異世界の料理レシピとか売り出せば、買ってくれる人がいるかな?」
「そんなレシピ、どうやって手に入れるの? もっと無理だよ。ユキ君、ちゃんと現実的なことを考えて」
怒られてしまった。だが仕方がない。レニエスは、征輝が異世界からやってきたことを知らないのだ。そして征輝自身も秘密にしている。
(困ったな。どうしようか……)
いい方法はないだろうかと悩んだところ、見慣れない種族の姿が目に飛び込んできた。
「あれは……?」
凡そ五歳ぐらいの背丈をした男性達がいた。フードをかぶっており、全員茶色の髪の毛を持っている。不思議に思っていると、ウルサントがすぐに説明をしてくれた。
「あれは、小人族だよ。世界中、どこにでもいる」
「世界中?」
「そう。小人族は世界でもっとも商魂逞しい一族と言われていて、極寒の地だろうが、灼熱の地だろうが、戦場だろうが、とにかくどこにでもいるそうだ。道具を売ってくれたり、買い取ってくれたり、自分では行くことができない場所へ荷物を届けてくれたりするらしい」
耳を澄ましてみると、何やら深刻な話し声が聞こえてきた。
「トルテディア国でメロンパンというパンが流行しているそうだ。実際に都で食べた仲間の話では、この世のものとは思えぬほど美味だったらしい。レシピを入手できないか王城と何度も交渉しているらしいが、断られているそうだ」
「なんと。こっちはエルフ族が中毒になるほど気に入っているという食べ物、コロッケを買いに行ったが、店は休業中だった……。噂では店の主がミュルサンス国に来ているらしいんだが……」
征輝はレニエスとウルサントに断りを入れてから傍を離れると、小人族のところへ向かった。
「あの、すみません。配達とかも引き受けてもらえるって聞いたんですけど……」
小人族の男性達が振り返った。
「あぁ。それなりに信用のあるところや、紹介状を持ってる人に限るが」
「え! 紹介状?」
「あぁ。うちはこれでも名の通った商会だから、きちんと身分がはっきりしている人か、店からしか依頼を引き受けないようにしているんだ。あんた、人族だろう。その腰にある剣、竜族の爪から作られた鞘だ。……悪いが、人族のために仕事をしたなんて知れたら、トルテディア国で商売ができなくなってしまう」
征輝は暫し悩んだ。ウルサントに頼めば紹介状ぐらい書いてくれるかもしれないが、ただでさえお世話になっている彼に、これ以上借りを作りたくはなかった。
「僕の仕事を引き受けてくれるのなら、コロッケとメロンパンのレシピを教えますよ」
小人族は互いに顔を見合わせて、大仰に笑った。
「冗談を。メロンパンはトルテディア国で流行している、最新のパンだぞ。それにコロッケは、ファウラシオ国の料理だ。君みたいな若い子が作れるとは思えないが。嘘をつくなら、もう少し上手な嘘をつくことだな」
小人達は真面目に話を聞くそぶりさえ見せなかった。そこへ心配したレニエスがやってくる。
「ユキ君。どうしたの?」
「レニエス……。あ、いや……。ちょっと手紙を届けてもらおうと思ったのだけれど、紹介状がないからダメだって断られてしまって……。紹介状がないかわりにメロンパンとコロッケのレシピを教えるって交渉をしたんだけれど、信じてもらえなくて……」
ウルサントも遅れてやってきた。
「ユキテル少年。メロンパンとコロッケって、何かな? オジサンの聞いたことがない料理名だけれど」
「メロンパンはさっくりと甘い生地が乗ったパンです。コロッケは、レニエスが畑で作る野菜を皆にもおいしく食べてもらいたくて、作った料理なんです。衣をつけて揚げるので、サクサクしてとってもおいしいんですよ」
「なるほど……。君、噂では料理が上手らしいものね? よし、わかった。そのレシピも、オークションで売り出そうか。俺のお墨付きがあれば、売れるだろう」
征輝は目を丸くした。
「え! いや、オークションでわざわざ売り出すような料理のレシピでは……」
「手紙を出したい、っていうのなら、私が代わりに出してあげるよ。私の名で出せば、まず間違いなく届くだろうし。どこに出すんだい?」
征輝は言いにくそうにした。
「えと、それは……」
ウルサントに頼めば、確かに手紙は届くのだろう。だがもしもオーガ族から手紙が送られたとなれば、フェトとエレスに迷惑がかかるのではないか。
「遠慮しなくていい。君と私の仲じゃないか」
小人族の男性がウルサントを見るなり、すぐに態度を改めた。
「これはこれは、ウルサント様。あなた様のお連れだとは知らず、失礼をいたしました。申し訳ありません」
「いやいや、いいんだよ。もしよければ、彼の依頼を引き受けてくれるかな?」
「はい、ウルサント様の頼みなら、喜んで」
「依頼のお金は私が出すよ。あなた方にはお世話になっているからね」
「ありがとうございます。……それでは、何をお運びすればよろしいですか?」
「それはまだ準備ができていないんだ。そうだろう? ユキテル少年」
征輝は頷いた。
「はい。筆記具を持っていないので」
「私の屋敷にあるから、後で貸すよ」
「何から何まで、感謝します」
フェトとエレスに無事だと知らせる手紙が送れるかもしれないと思い、ほっとした。