初めての魔法のお勉強
魔法についての説明が長いので、その部分は読み飛ばしていただいて大丈夫です。
朝になった。
征輝は夜明けとともに目を覚ますと、もう日課になっている鍛錬をすることにした。あまり目立つ行動はしたくないため、取り敢えず家の外をぐるぐると走ることにする。ランニングが終わったら、素振りなどの練習をするつもりだった。
「あ、カザシさん。おはようございます」
レニエスが家の中から出てきた。征輝はストップすると、笑顔で挨拶をする。
「おはようございます、レニエスさん。あ、僕のことは征輝でいいですよ」
「名前でお呼びして、いいんですか?」
「はい」
「で、では、ユキテルさん。今から畑仕事に行ってきます」
「畑仕事?」
「はい」
「では、僕も手伝います」
「え! でも今、体を鍛えている最中だったのでは……」
「お世話になっている身なので、手伝わせてください。この世界での作物とか興味がありますし」
「この、世界?」
「あ、いえ、この土地という意味です」
レニエスはあぁ、と頷いた。
「雑草を抜いたり、水撒きをします。こっちです」
レニエスの後ろをついていった。畑に案内されると、征輝はレニエスと一緒に雑草抜きをする。
(城にいたときは当たり前のように食事が出されていたけれど、こうして作物を育てないと食べられないんだよね……)
たまにぎょっとするような大きさのミミズらしきものがいて、少しビクビクしながらの畑仕事となってしまった。
「ユキテルさんって、貴族なんですか?」
「え?」
「その服……」
フリルのついたブラウスのことだと思った。森を彷徨った挙句、熊と戦ったせいで結構ぼろぼろなのだが。
「これは、弟と妹のように可愛がってる子達から貰ったんです。僕自身は何の身分もない、庶民ですよ」
「そうなのですか……。でもそう言われてみれば、立ち居振る舞いは全然貴族じゃないですよね」
「う……」
一応礼儀作法なども授業で習っているはずなのだが、全く身についていないことが証明されてしまった。征輝は自分が情けなくなってしまう。
「……ユキテルさん。庶民ということは、もしかして料理とかもできますか?」
「えぇ。簡単なものなら」
「本当ですか!」
征輝は突然の大声に、雑草を抜く手を思わず止めてしまった。そのままレニエスへ振り返る。
「はい……」
「あの、私に料理を教えてくれませんか?」
「え?」
レニエスは顔を下げた。
「……実は、自分でもわかってるんです。私の料理はおいしくない、って。でもトーラ様は優しいから、一度もまずいとは仰らないんです。いつもおいしいよ、と言って、召し上がってくれるんですけど……。ユキテルさんはもう既にご存知かと思いますが、私は料理ができません……」
返答に困ってしまった。
「あー、その……」
「誰かに教えを請うことができればいいのですが、私にはそれが許されないので……」
どういう意味だろう、と不思議に思った。気にはなるが、安易に訊ねることができない。
「僕も多くの種類を知っているわけじゃないですけど、わかる範囲でよければお教えします」
「有り難うございます、ユキテルさん!」
レニエスの尻尾が揺れていた。どうやら相当嬉しいらしい。
(レニエスさんって、素直で可愛い人だな)
だからなのか。昨日の彼女の発言は余計にギャップを感じた。
『私は……、三番目の姫は責任をとって償うべきだと思います。たくさんのエルフ達を傷つけ、不幸にしたのですから。人族の国へ奴隷として売られたエルフもいるそうです。家族の悲しみを考えると、私はオーガよりも王とその姫が許せません』
大切な人を失ったのか、それとも別の理由か。レニエスの昨日の発言には、何か私情があるように感じられたのだ。
征輝が雑草抜きの作業を続けようとしたとき、か細い悲鳴が聞こえた。
「どうしましたか?」
レニエスの所へ駆け寄った。どうやら雑草を鎌で刈ろうとし、誤って指先を切ってしまったらしい。血が掌にまで伝っており、痛々しい。
「血が出ているじゃないですか……」
「こ、これぐらい、平気です」
指を隠そうとしたが、征輝が手をとって阻んだ。
「ダメですよ。水で傷口を洗い流して、手当てをしましょう。小さな怪我だって侮ったら、化膿することだってあるんですから」
征輝はレニエスの体をひょい、と抱き上げた。普段からフェトとエレスを肩車したり抱っこしたり背負ったりしているせいか、つい癖でやってしまったのだ。レニエスの体はとても軽く、双子よりも背が小さい。
「わわ、ユキテルさん!」
「喋らないで。舌を噛むよ」
レニエスを両腕に抱いたまま、井戸へ向かった。
レニエスの傷口を井戸水で洗い流した後、征輝は家の中でレニエスの指に包帯を巻いて手当てをした。
「包帯、きつくないですか?」
「は、はい。ありがとうございます、ユキテルさん」
レニエスは手当された指先をじっと見ていた。征輝は台所へと顔を向ける。
「朝食は僕が用意します。その指じゃ、家事はできないでしょうから」
「すみません……。じゃあ、せめてお手伝いをさせてください。傍でユキテルさんが料理するところを見ていたいので」
征輝は笑顔で頷いた。どんな材料があるのかレニエスから聞き、征輝は何を作ろうか思案する。
(トルテディア国の料理、を作るのはまずいか……。トルテディア国で暮らしてる、っていうのがばれる可能性がある)
調味料は何があるのか確認するのだが、塩や砂糖のようなものは一通り揃っていた。トルテディア国の料理長から教わった香辛料もあり、これなら何でも作れそうだと考える。
「米もあるし、卵もあるし、朝はやっぱり和食かな」
野菜の煮浸し、卵焼き、吸い物、季節野菜の浅漬けを手早く用意した。
寝室から出てきたトーラはテーブルの上に並べられた朝食を見て、感心する。
「ほう……。ドルザーナ国の料理に似ているな。今朝はユキテル君が作ってくれたようだね」
征輝はお茶を用意した。
「はい。僕が作らせていただきました」
三人揃って着席すると、朝食を始めた。レニエスは一口食べて、体を震わせる。
「おいしいです、ユキテルさん!」
「本当? よかったです」
トーラはご飯をおかわしりした。
「レニエスが作る料理のほうがおいしいが、君の料理も悪くはない」
「そうですか? ありがとうございます」
レニエスもトーラもご飯のおかわりをし、綺麗に食べてくれた。口に合ったようだ、と征輝はほっとする。
昼食は何がいいだろうか、と考えつつ食事の後片付けをすると、レニエスは畑へ戻って水撒きをしに行ってしまった。魔法で水を撒くらしく、一人でもできるらしい。
征輝はというと、トーラと一緒に庭へ出て魔法の訓練を始めることとなった。
「レニエスは、可愛いだろう?」
「はい、とても可愛いです」
「嫁に欲しいと言っても、絶対にやらんぞ」
征輝は聞き間違いかと思った。そして、征輝に幼女の趣味はない。
「いえ、結構です」
即座に遠慮をすれば、トーラは杖をくるりと回して征輝の頭を殴りつけた。こぶができるほどではないが、地味に痛い。
「結構とはなんだ! レニエスに謝れ!」
「えぇ……? す、すみません……?」
どうして怒られたのかわからず、理不尽だと思った。
「まぁ、いい。取り敢えず、魔法の訓練を始めるぞ。君は魔力ゼロらしいね」
征輝が魔法を使えないのは、体内に魔力がないからである。そのせいで、魔法の訓練を行うこともできない。
(以前、ヴェルテスと魔力共有のスキルによって魔力が使用できるようになったけれど、魔法そのものを覚えていないから使えなかった)
もしも魔法が使えたら、たとえレベル十五だとしても戦略の幅が広がる。
「もしかして、トーラ様は僕に魔力を生み出せる方法を伝授してくれるのですか?」
「いいや? そんな方法など知らぬ」
「え?」
征輝は頭の中が真っ白になった。ならばどうやって魔法の訓練をするのだろうか、と。
「魔力を生み出す方法を教えるのは無理だが、魔力を譲渡することはできる」
「魔力を、譲渡?」
「そうだ。魔力譲渡の魔法で私が魔力をユキテル君に渡せば、君は魔法を使うことができる」
「本当ですか?」
「うん。でもまぁ、君の場合は魔力ゼロだから、少し事情が異なるんだけれどね」
言葉を濁らせるトーラに、征輝は不安になった。
「……どういうことですか?」
「魔法を使用すれば魔力がその分減るのは当然だが、君は魔力を保管する器が体内にないから、魔力譲渡で受け取った魔力は時間が経てば消失してしまう。だから、長時間のストックはできない。もしも魔力を保管する器が体内にあれば、魔力譲渡で受け取った魔力をずっと保有し続けることができるんだけれど」
征輝は素直に落ち込んだ。
「でも……、短時間なら魔力を保有することができ、魔法も使えるんですよね?」
「その通り。……魔力のほうは、私が君に分けてあげよう。君は、その魔力を用いて魔法の練習をするといい。魔法の基本についても、私が教えてあげるよ」
征輝は奇妙に感じた。
「どうして、僕に魔法を教えてくれるんですか? 僕は、人族ですよ?」
「全ては私のためだから、気にしなくていい。君は何も心配せず、ただ魔法を習得することだけを考えてほしい」
トーラは、未来を見ることができる、予言というスキルが使える。
(もしかして、何か未来を知っているのかな……)
得体のしれない征輝を引き取り、更に魔法を教えてくれるのだという。しかも、トーラはエルフの元国王。
「わかりました」
トーラは手のひらの上に、発光する球体を生み出した。それは宙に浮き、征輝の胸元へ吸い込まれるように消えていく。
「私の魔力を少し分けた。何か感じるか?」
まるで体中に巡っている血液の循環がわかるかのように、魔力が満ちるのがわかった。
「はい。自分でも不思議なんですけれど、はっきりと魔力の存在を感じ取れます」
トーラは頷いた。
「ではまず、魔法の説明を始めるとしよう。現在殆どの者達が使っている魔法は、新式魔法と呼ばれている」
「新式……?」
「そうだ。遥か昔、古代人が魔法を簡易的に使えるようにしようと、呪文という名のコマンドを編み出した。以来呪文を唱えると、それに応じた魔法が発動するようになっている」
「呪文が作られる前は、どうやって魔法を使っていたんですか?」
「数日間に及ぶ祈祷や、生贄、術式の構築など、ある一定の手順を踏んでいた。……魔法はそもそも、この世界の事象に干渉し、変化を起こすこと。変化を起こさせるには、この世界そのものを書き換える力が必要となる。その力が、魔力だ」
「書き換える力……?」
トーラは両手を持ち上げた。右手には赤い炎が出現する。
「何もない場所に、炎を生み出してみた。これは私が、炎がここにあると結果を書き換えたから、出現している。全ての魔法の基本は、世界に干渉して結果を書き換える力、と認識してもらえたらいい」
「じゃあ、人によって魔法の得手不得手があるのは、その世界を書き換える力が大きいか小さいか、ということですか?」
トーラは頷いた。
「そうだ。そして君が持っている『災厄』というスキルも、事象を書き換える力だ」
トーラには、災厄というスキルを持っていることは一度も話したことがない。だが彼は知っているようだった。
(そういえば、災厄のスキルも魔力を消費したな……)
そこではっとした。
「『魔力消費無し』のスキルはどうなるんです? 結果を書き換えるのに魔力が必要なのだとすれば、魔力消費無しで『災厄』のスキルが使えた理由がわかりません」
矛盾しているように思えた。結果を書き換えるのに魔力が必要だというのに、征輝が所有している『魔力消費無し』のスキルがあれば、魔力を消費しなくても事象を書き換えられてしまうからだ。
「ユキテル君は魔力ゼロの場合、魔力消費無しのスキルを持っていても魔法を使えないだろう? それは、複製するものがないからだ」
「複製?」
「そう。君はヴェルテスと魔力共有をすることにより、ヴェルテスの魔力を自分の魔力とした。そしてヴェルテスの魔力をコピーしたことで、魔法が使えるようになった。即ち、魔力消費無しのスキルとは複製する能力のことだ。つまり君が災厄のスキルを用いたとき、君の体内では魔力が複製されていたということ。……『魔力消費無し』のスキルとは、魔力を消費しなくても魔法が使用できるというスキルではなく、実際には複製した魔力を消費しているから、もともとの魔力が減っていないだけだ」
ヴェルテスの名を知られていることに畏怖を覚えたが、口には出さなかった。
「あぁ、なるほど……」
征輝の脳内では、なぜか乳酸菌が浮かんでいた。乳酸菌があればヨーグルトを作って増やせるが、肝心の乳酸菌がなければ作ることすらできない。
「因みに、スキルは魔力を消費するものと、消費しないものがある。魔力消費無しのスキルは、勿論後者だ」
「はい」
「どうやら君は、魔力を複製する能力は他の誰よりもあるらしい。魔力消費無しのスキルがあるから魔法など使い放題だけれど、魔力譲渡で手に入れた魔力を体内で増やせるわけではないから、気をつけるようにね。そこは勘違いしないように」
「つまり、僕が魔力譲渡で魔力を受け取って魔法を使う際は、砂時計のように時間制限がある、って思っておけばいいですか?」
「そういうことだね。君の体には栓がないから、魔力を受け取っても徐々に零れ落ちていくから」
残念だ、と項垂れた。だが、なんとなく理屈はわかった。恐らく、もしも自分の体の中に魔力を保管するための器があれば、自分の作り出した魔力を複製することができたのだろう。だがその器がない征輝は、魔力を複製しても保管する場所がないのだ。魔力譲渡という魔法で一時的に魔力を保有することができるみたいだが、受け取った分しか持つことができないのだろう。
そして魔力共有で複製ができるのは、使いたいときに使いたい分だけ引き出すからだ。魔力を保管することなく、その場で使用するから複製ができるということ。
(なんだか、思ってた魔法のイメージと違う。炎とか風とか、もっと簡単に出てくるイメージだったのに)
だがしかし、魔法を勉強している、という実感が湧いた。
「話が少しずれてしまったな。先ほどの続きだが、呪文の誕生によって誰もが簡単に魔法を使えるようになってしまった結果、忘れ去られようとしている魔法がある。それが、古式魔法だ。古式魔法は術式を簡易化できない複雑なものが多く、しかも発動までに時間がかかる。だがその反面、強力なものがたくさんある。召喚魔法などもその一つだ。異世界人を呼び出す術式も古式魔法の一つであり、正しい手順、供物、術式の構築などをしなくては発動ができない」
「……っ!」
どきりとした。召喚魔法によって征輝が異世界から呼ばれたことを、もしやトーラは知っているのだろうか、と。
「現在は新式魔法しか教えないのが主流になっているが、ユキテル君には古式魔法を覚えてもらおうか」
「え? どうしてですか? 古式魔法のほうが、術式を簡易化できないし、発動までに時間がかかるんですよね?」
「でもユキテル君は詠唱無しのスキルを持っているんだろう? 古式魔法の何がネックになるって、何日も不眠不休で術式の構築をする精霊語を唱えることだ。精霊語は唯一この世界で訳されない言葉でもある。そして、古代人がこの世界の言葉や文字を統一する際に用いたのが、精霊語を利用した古式魔法だとも言われている」
「精霊語、というのは、精霊が使う言語なんですか?」
「精霊は、あらゆる物質に宿る。人族の言葉を借りるならば、神に等しい存在だ。つまり魔法とは、神の力を行使している、ということにもなる。……もしも精霊魔法、という言葉が出てきたら、古式魔法のことだと覚えておくといい」
征輝は頷いた。
「詠唱無しのスキルがあれば、その精霊語は省略できるんですよね?」
「あぁ。だが、覚えなくてもいい、とは言っていない」
聞き間違いだろうか、と思った。
「……え?」
「いくら詠唱無しのスキルを持っているとはいえ、その魔法を発動させるために必要な術式の骨組みを知っていなければ、使用はできない。よって、まずはこれね」
トーラは百科事典のような大きさの本を、十冊ほど征輝へ手渡した。征輝はあまりの重さによろけてしまう。
「……これは?」
「精霊語の術式が書かれた本だよ。全部暗唱できるように頑張って」
「む、無理です! こんなの! 一ページ覚えられるかどうか……!」
「大丈夫、大丈夫、君若いし。あ、精霊語や本についてわからないことがあれば、レニエスに聞くといい」
トーラは笑いながら家の中へ入って行ってしまった。