聖騎士になりました
その夜、征輝は夢を見た。それはおそらく、フェトとエレス、そして二人の父親の過去。
青い衣に金糸と銀糸で刺繍が施された立派な服を着た男性が、フェトとエレスを連れて、花の咲き乱れた場所を散歩している夢だ。男性は金髪に青い目をしており、フェトとエレスの顔によく似ている。フェトとエレスも、少しだけ幼い顔つき。
『パパ、今日はお仕事しなくていいの? さぼったら、またウルバーニ達に怒られちゃうよ?』
フェトは男性の手をしっかりと握った状態でそう言った。征輝は、その男性がゴルドネア王なのだろうと考える。一目見ただけで心を奪われてしまうような清廉な振る舞いと、心服せずにはいられない王としての気配。
『大丈夫だ。ちゃんとウルバーニ達に許しをもらってきたから。今日は二人とずっと一緒にいられるよ』
『本当? やったぁ! パパ、大好き!』
はしゃぐフェトに、微笑ましそうに目を細めるゴルドネア。エレスは自らの父にいいところを見せようとしているのか、背筋をぐっと伸ばして少し気取った歩き方をしている。
『フェト。お父様は疲れているから、あまり無理を言っちゃダメだよ』
『もー、エレスってばかっこつけて。パパと一緒にお出かけできるって聞いて、部屋を走り回って喜んでいたくせに』
『フェト! なんでそんなに口が軽いの! 内緒って言ったのに!』
ゴルドネアは楽しそうに笑った。エレスは顔を真っ赤にし、少しいじけてしまう。
『エレス。転んでしまうといけないから、私と手を繋いでほしい』
『ぼ、僕はそんな子供じゃありません! 手を繋がなくても、ちゃんと一人で歩けます』
『いや、私が転んでしまうから、手を繋いでほしいんだ』
ゴルドネアが差し出した手を、エレスはしっかりと握った。
『お父様、ウルバーニ達が驚いていましたよ。滅多に失態をおかさないのに、階段を滑り落ちたり、歩いている途中に柱へぶつかった、って。お仕事を無理しすぎではないのですか?』
『大丈夫だ。私は体だけは丈夫だと自負しているのだから』
『病気になっても知りませんからね』
三人で木陰に腰を下ろし、花畑を眺めた。ゴルドネアはフェトとエレスの肩を抱き、自分のほうへ引き寄せる。
『二人とも、本当に大きくなった。フェトもエレスも、私の自慢の子供だ』
フェトもエレスも幸せそうに笑っていた。フェトはゴルドネアの膝上に頭を乗せると、寝転んだ状態になる。
『パパ。来年もこうやって、三人でお花を見に来ようね。夏は湖で泳いで、秋は果物狩りをして、冬は樹氷を見に行くの』
『予定がいっぱいだね。休み、とれるかなぁ……』
『お休み、とるの。絶対とるの!』
『そうだね。夏は湖、秋は果物狩り、冬は樹氷、そして来年はまた花見がしたいね』
エレスはむっとしていた。
『フェト。我儘はいけないよ。お父様はお忙しいのだから。このトルテディアに住む皆の生活を豊かにするために、お仕事をされているんだ』
ゴルドネアはフェトとエレスの頭を撫でた。
『フェトはその正直さと素直さが美徳だね。エレスは真面目だけれど、甘え下手だ。皆が後継者として期待するあまり、妙に大人びてしまったのだろうね。もっと子供らしくて構わないと、言えたらいいのだろうけれど……』
難しい顔をして考え込むゴルドネア。フェトは体を起こすと、不思議そうに首を傾げる。
『パパ、どうかしたの? 何か悩み事? 困っていることがあるなら、私とエレスが話をきくよ?』
ゴルドネアは首を振ると、フェトとエレスを強く抱きしめた。そのまま、無言で涙を流す。
『お父様、どうしたのですか?』
『……、すまない。……すまない』
このとき既に不治の病におかされていることを、ゴルドネアは幼い子供達に告げることができなかったのだと、征輝は察した。愛する二人の子供を残し、先に逝かざるを得ない悲しみ。
征輝はフェトとエレス、そしてゴルドネアの心情を思って涙した。
レベル一の状態では危ないこともあり、征輝はカリスとエリオットにレベル上げを手伝ってもらった。相変わらずカリスは口が悪いものの、征輝が魔物に何度やられても見捨てず、付き合ってくれたのだ。
そうしてレベル十五に戻った征輝は、城へ帰還してからカリス達とともに謁見室へと招かれた。そこにいたのはウルバーニ、フェト、エレスの三人。
「やっぱり、ユキテル殿はレベル十五でないと」
ウルバーニがこう言ったのと同時に、カリスとエリオット、そして双子までもがうんうんと頷いていた。続けてカリスは両腕を組むと、信じがたい表情をする。
「ユキテルが突然強くなってオーガの王をぶっ殺したなんて、信じられないんだよなぁ。でもエレス様とウルバーニ将軍が見たっていうのなら、本当なんだろうし」
フェトも同意していた。
「強いユキちゃんなんて、ユキちゃんじゃないよね」
酷い言われようだった。だが実際、征輝も強い自分など自分ではない気がする。しかしながら、戦場でのことまで否定するつもりはなかった。
(あのときやらなければ、フェト様もエレス様もきっと殺されていた)
だから、オーガの軍をほぼ壊滅させたことや、命を奪ったことを否定する気はなかった。大切なものを守るために、戦うと決めたのだから。
ウルバーニは、征輝の頭に手を置いてわしゃわしゃと大きな手で撫でた。
「ユキテル殿」
「ん?」
「あの戦場での君の行いは、最良の選択だった。君が守ってくれたから、私達が無事で、フェト様やエレス様もここにいる。ありがとう。君がフェト様やエレス様、そして皆を守った」
完全に油断していた征輝は、目から涙がこぼれた。
「ぁ、すみません……」
慌てて顔を伏せ、眼鏡をとって涙を手の甲で拭った。だが次から次へと涙がこぼれ落ちてくる。
戦場で兵士達の遺体回収をした際、自分のした結果に幾度も直面した。征輝が戦場で『災厄』のスキルを使ったのは、敵兵とはいえできる限り殺さないようにするためだ。だがその効果は絶大で、多少戦意を喪失させて武力を削げればいい程度に用いた災厄スキルは、敵兵の殆どを瀕死、または戦闘不能状態へ追いやった。一部の捕虜を残してミュルサンス国へ帰還させたのだが、相当なトラウマを植えつけてしまったのか、二度とトルテディア国とは戦争をしたくない、と怯えながら言っていたそうだ。そんな話を聞いた征輝は、正直なところ心を痛めた。侵略をしてきたのはオーガ達とはいえ、好きで傷つけたり、誰かを殺したわけではないからだ。けれども、同時に思ったのだ。もっと早く自らが到着をしていれば、たくさんの者達を救えたのではないのかと。
戦死者の数は、トルテディア国側のほうが多かった。ミュルサンス国の王、ベルゴスが強すぎたせいだ。トルテディア国の戦死者の三割近くは、ベルゴスによって殺されている。オーガ族は魔法を使う才にはあまり恵まれていないが、物理攻撃や魔法によるダメージには強い耐性がある。元々の防御力が高いというのに、今回は魔法を得意とするエルフ族が彼らのサポートに入っていた。トルテディア国側が行使した魔法や攻撃はエルフの結界によって阻まれ、ただでさえ強靭な肉体を持っていて防御力の高いオーガは、更なる難敵になったのだ。しかも、エルフたちが乗っているグリフォンによる、空からの攻撃もあった。トルテディア国側にもワイバーンがいるが、数の多さが違う。
これは後にウルバーニから聞いた話だが、もしも征輝がいなければ、トルテディア国側が負けていたのは間違いなかったらしい。征輝の用いた『災厄』は、広範囲に効果がある攻撃スキル。『災厄』のスキルを用いなければ、たとえベルゴスを倒したとしても大軍は退けられなかったとのことだ。
つまり、今回の戦は本当に危なかった、という大筋の見立てがなされている。
征輝が泣いていると、エレスが征輝の手を握った。
「ユキお兄ちゃん。ごめんね。苦しませて……」
「いや、ちが……」
「ユキお兄ちゃんは、何も背負わなくていいんだ。僕が全部背負うから。……僕が強かったら、ユキお兄ちゃんにあんなことをさせなくて済んだ。ごめんなさい」
征輝は、もしもエレスが強かったら、と想像した。エレスが強かったら、人の命を奪う咎を、全部背負うことになっていたのだ。
自分よりも幼いエレスが。
征輝の涙が止まり、表情が引き締まった。
後悔がないわけではない。これからもきっと、迷うだろう。けれども、あのときのことは最前の結果だったのだと受け入れた。
「僕は、僕のしたことから目を背けるつもりはない。それと……」
ユキテルはエレスの額を指先で小突いた。
「な、なに?」
「僕はお兄ちゃんなんでしょう? 僕にまで気を遣わなくていいんだよ。むしろ、エレス様が背負っているもののほんの少しでも、僕に分けてほしい。僕はそのために、ここにいるんだから」
心からそう述べれば、エレスは敵わないと目を潤ませた。
「……実は、ユキお兄ちゃんのことについて、皆と話し合ったんだ。ユキお兄ちゃんもこの異世界に来て、二ヶ月が経つ。だから、そろそろ正式にお仕事についてもらってもいいんじゃないか、って」
「仕事? 子守りじゃなくて?」
「それは、僕達のそばにいてもらうための口実だよ。本当のお仕事じゃない。……ユキお兄ちゃんには、正式に僕の側近として働いてもらいたいんだ」
「ぼ、僕がエレス様の?」
「ユキお兄ちゃんは、王家の墓所でアンデッド達を浄化し、更にオーガ達からトルテディア国を守ってくれた。十分な実績だしね」
いずれトルテディア国にてなんらかの職につき、働くことは以前から考えていた。だが、王城で働くことは想像していなかった。
「でも、僕はこの世界の知識に疎い。僕に務まるかな……」
「暫くは聖騎士兼ご意見番として傍にいてくれたらいいよ」
「それって、これまでとあまり変わらないんじゃ……」
フェトとエレスがにこぉ、と笑っていた。
「そんなことないよ、ユキお兄ちゃん」
「そうだよ、ユキちゃん」
ウルバーニは苦笑していた。
「喪が明けたら、エレス様の戴冠式をする予定だ」
「戴冠式……。ということは、エレス様が王になる、ってことですか?」
「あぁ、そうだ。ユキテル殿には今後もこの国で色々学んでもらう。同時に、外交の仕事も手伝ってもらおうと考えている」
ちらり、とウルバーニが征輝の背後へ目線を向けた。征輝はその視線の先を追う。すると、いつの間にか子犬のヴェルテスがちょこん、と座っていた。全く気配を感じなかったことに、征輝は驚く。
「国交は大事だ。これからも貴国とは仲良くしたいと思っている」
どういうことだろう、と征輝は今ひとつ事態を呑み込めていなかった。これを説明したのはフェト。
「ユキちゃんってば、ヴェルテスを召喚で呼べるようにしちゃったんでしょう?」
「え? あ、うん……。成行き上だけれど……」
「ヴェルテス王は狡猾だから、様々な利益を考えて、ユキちゃんに召喚ができる権限を与えたんだと思う。だからユキちゃんを責めるつもりはないんだけれど、正直今のユキちゃんは物凄く微妙な立場にあるの」
「僕が?」
「うん。もしもユキちゃんがメルクアーニ国の王であるヴェルテスを召喚できるなんて噂が広まれば、ヴェルテス王の身の安全にかかわる。だから王の身を危険にさらさないために、メルクアーニ国へ連れ帰って監禁するのが、一番の安全策になる」
征輝はぞっとした。監禁などされたくはない、と。
「それは、困る……」
「うん。でも安心して、そうはならないから。……ユキちゃんにはずっと秘密にしていたんだけれど、ユキちゃんの体にはあるモノが入ってるの。だから、メルクアーニ国へは連れて行かせない」
「それはもしかして、ゴルドネア様の心臓のこと?」
そう質問をすれば、フェトとエレスは大きく目を見開いた。エレスは恐る恐る征輝を見上げる。
「知っていたの……? ユキお兄ちゃん……」
「うん……。といっても、知ったのはつい最近なんだけれど……。ゴルドネア様が、夢の中で教えてくれたんだ。僕がなぜ、心臓を与えられることになったのか。……あと、ごめんね。二人にとってはとても辛いことなのに、ずっと知らなくて……」
フェトとエレスは同時に首を振った。
「ユキお兄ちゃん。僕たちのお父様は、病のせいで余命は僅かだと宣告を受けていたんだ。だから、お父様とお別れしなくてはいけない、というのはもう随分と前から覚悟をしていたよ。……お父様が亡くなったことは悲しいけれど、ユキお兄ちゃんがずっと一緒にいてくれたから、僕たちは寂しくなかったよ」
フェトも同意した。そんな二人の健気な様子に、征輝は少し俯く
(僕は、不甲斐ない……。フェト様とエレス様に、いつも気を遣わせて……)
二人は征輝よりも幼いのに、父親の死を悟られないまいとしてきたのだ。二人の心情を思うと、自分はなんと能天気だったのかと落ち込む。フェトはそんな征輝を見て、にこりと笑った。
「話を戻すけれど、ユキちゃんは私達のパパの心臓が体にあるから、メルクアーニ国へは簡単に連れ去ることはできないの。だから、安心して。私たちが守るから」
征輝はほっとするも、ヴェルテスがにやにやしていた。
「ユキテル。遠慮せず、周りに自慢してもよいのだぞ。この私を呼び出す権限を与えられた、と。噂が広まれば、私もお前を母国へ連れ帰りやすくなるからな」
エレスがヴェルテスを睨み付けた。
「そんなことはこの僕が許さない。ユキお兄ちゃんは、僕達のお兄ちゃんなんだから」
まだ子供のエレスと子犬姿のヴェルテスが見詰め合う姿は、傍目から見れば非常に可愛らしかった。けれども、会話の内容は全く笑えない。征輝は悩ましげにヴェルテスを見る。
「ねぇ、ヴェルテス様」
「なんだ、ユキテル。畏まらずとも、ヴェルテスでいいぞ」
「……ヴェルテス。盟友の関係って、解消できる?」
「できるが、するつもりはないぞ。お前には今後、私の手伝いも存分にしてもらうつもりだ。なに、働きに応じた褒美は与えてやる。だから心配はするな」
がくり、と征輝は項垂れた。エレスも悩ましげな表情を浮かべる。
「ユキお兄ちゃんは、お人よしなところがある。そこを悪い奴につけこまれないか、心配なんだ。現に、ヴェルテス王に上手く利用されてしまったようだし」
「心外だな。悪しざまに言われるようなことをした覚えはないが。お前達の危機になんの見返りもなく手助けをし、ユキテルの頼みを快くきき、今もこうしてユキテルを守っている。ほらどうだ、私ほどいい奴はいないぞ」
嬉々として語るヴェルテスに、冷ややかな視線を向けるエレス。
「残念だけど、恩を売りつけているようにしか見えないよ」
「フフ。なに、私は売れる恩はいくらでも売る主義だ。回収が見込める相手に限るがな」
エレスとフェトが征輝を守るように立った。不謹慎だとは思うが、双子と子犬の組み合わせは非常に可愛らしい。
「ユキお兄ちゃん」
エレスが低い声で呼びかけた。
「なに? エレス様」
「ユキお兄ちゃんは、僕の側近になってくれるよね?」
「うん、一応、頑張ってみるつもりだけれど」
フェトとエレスは、ヴェルテスに勝ち誇った顔をした。だがヴェルテスは少しも表情を変えない。
「私のことも側近にしてくれてよいのだぞ。私はユキテルの盟友スキルで友人関係になったのだし、友人として役に立ってやるぞ」
「お断りします」
双子が同時に否定した。
「残念だ」
エレスは厳しい表情をしていた。
「血鎖の魔狼王。……その気になったらお前はこの国を乗っ取ることなんて、わけない」
「ほう。随分と高く評価されているのだな。だが安心しろ。私は今のところ、ユキテルにしか興味がない」
「ユキお兄ちゃんに妙な真似をしたら、許さないから」
「妙なマネ、とはどういうものだ? 私は頭が悪いから、よくわからないな」
征輝は場の空気がこれ以上悪くなるのを恐れ、双子とヴェルテスの会話に割って入った。
「それぐらいにして。僕についての話はもういいから」
止めに入ったのだが、双子とヴェルテスは征輝を激しく睨み付けた。
「ユキお兄ちゃんは黙ってて。これは僕達の問題なんだから」
「そうよ、ユキちゃんは引っ込んでて!」
「そうだ。部外者のユキテルは黙っていろ。これは我々の話し合いだ」
当事者だというのに、邪魔扱いをされてしまった。征輝は傷つくと、しゃがみ込んで顔を覆う。これにエリオットは同情的な顔で慰めた。
「ユキテル殿、落ち込まないで。あの三人はちょっと話に熱中しすぎているだけですから」
カリスはどうでもよさそうに溜息をついた。
「アホらし。帰ろ……。腹減ったなー。久々に城下町に行って、飯でも食いに行くかー」
ウルバーニとエリオットも賛成した。
「それは名案だな。私も同行させてもらおう」
「あ、カリス様、ウルバーニ様、私も行きますー」
僕も、と征輝は立ち上がろうとした。だがエレスとフェトが征輝の手をつかみ、ヴェルテスが征輝のズボンの裾を噛む。
「どこへ行くつもりなのかな、ユキお兄ちゃん。まだ話は終わってないよ?」
「まさか、私達を置いてご飯を食べに行ったりなんてしないよね?」
「そうだぞ、ユキテル。よもやこの私を置いていく気ではなかろうな。お前は一体いつからそんなに偉くなったのだ。ぅん?」
征輝は真っ青になった。カリス、ウルバーニ、エリオットの三人に助けを求めて視線を送るが、彼らは我関せずとばかりにさっさと部屋を出て行ってしまう。
(皆の薄情者ーっ!)
この後征輝は、二時間もの間謁見室へと留まらざるを得なかった。