魔王様に召喚されたそうです
眩しい光を感じて、征輝は瞼をゆっくりと開いた。体がチョコレートのようにどろどろに溶けて、再び固まったかのように気分が悪い。
(あれ、僕……)
少し眩暈を覚えつつも、征輝は体を起こした。眼鏡をつけたままであり、いつの間に転寝をしてしまったのだろう、と記憶を手繰り寄せる。
「そうだ、カツ君……!」
すぐに周囲を確認するのだが、そこで征輝は愕然としてしまう。というのも、周囲一面は紅珊瑚色の樹海であり、地面の砂も綺麗な紅珊瑚色をしていたからだ。
「ここ、どこ?」
日本にこんな場所があったなんて、と立ち上がろうとし、手足や腰に痛みを覚えた。よほど無理な体勢で寝ていたのだろうか、と腕を見る。衣替えが済んだこともあって半袖のシャツ姿なのだが、両手には鎖が巻き付いたかのような痕があった。時間が経てばすぐに消えるような痕だが、征輝は不気味さにぞっとしてしまう。
「もしかして、誘拐? で、でも誘拐する理由がわからないし」
父は普通のサラリーマンであり、母もごくごく普通の主婦だ。征輝の家は古くから続く武家の血筋ということもあってまるで武家屋敷のような家に住んでいるが、特別お金持ちというわけではない。
(本当に、どういうことなんだろう。ていうか、誰かいないのかな)
もしも誰かに誘拐されたのであれば、すぐ近くに誘拐犯がいてもおかしくない。だから警戒するものの、人の気配らしきものは感じなかった。
「取り敢えず、警察に保護を求めよう。カツ君のことを説明しないと」
目の前で親友が消えてしまったのだ。だが果たして、どう説明をすればいいのか。征輝は悩みながら樹海を歩き始めた。するとすぐに街道らしき場所に辿り着き、少し安堵する。
「よかった、道があるってことは誰かが通るかもしれない」
淡い希望が芽生えた。道は舗装されていないものの、車輪が通った痕跡があるのだ。
「農道っぽいな。とりあえず、道を進めばどこかに着く、よね?」
道なりにただ進んでいると、木々の合間より何かが飛び出してきた。それは、鬣や尾、そして蹄までもが青い焔で燃えている白馬。頭には銀色の角があり、そして背中にも二枚の青い焔に包まれた羽がある。
「何、あれ……」
疑問に思ったところで、突如青い焔を持つ白馬の上にポップのようなものが現れた。
☆インペリアルペガサス レベル95
征輝は思わず背後へ後退してしまった。突如として目の前にポップのようなものが現れたことも驚いたのだが、何より注目したのはレベル九十五という文字。
(ちょ、レベル九十五? もしもこれがゲームだったら、かなりやばいんじゃないの?)
夢であるならばいい。死んだとしても夢が覚めるだけなのだから。だが征輝にはどうしてもこれが夢だとは思えなかった。自らの身にただならぬ事態が起きているのは明確であり、そして目の前にいる獣は紛れもなく災厄そのもの。
(刺激しないように、ゆっくりと下がろう)
インペリアルペガサスはこちらには興味がないようだった。ただ静かに周囲を見渡し、再び樹海の奥へと消えてしまう。
「び、びっくりしたぁ……」
ほっと胸を撫で下ろすも、またしても何かが近づいてくる気配を感じた。ドスン、ドスン、と響き渡る振動。これにより、樹海にいた鳥が大空へと羽ばたいていく。
「なに? 地震?」
地震なら日本にいた時に何度も体験しているため、ある程度免疫がある。しかしながら、現在感じている振動は地震とは少し違う気がした。
(今度はなんだ?)
一拍間をおいて、身の毛もよだつ咆哮が聞こえてきた。征輝は突如影が差したことを知り、太陽が隠れてしまったのだろうかと空を見上げる。するとそこには、とてつもなく巨大な鳥がいた。否、嘴と羽は鳥のそれではあるが、体は恐竜のようであり、尾はトカゲに似ている。
◆ギガントアーケオ レベル97
征輝は目を丸くした。嘴の中には鋭い牙が生えており、いかにも獰猛そうに目をぎらつかせているのだ。
(さ、さっきとポップが違う。なんだよ! あれ!)
嫌な予感が的中し、ギガントアーケオが襲いかかってきた。鋭い牙で征輝を食べようと、頭を下げる。それはさながら、鳥が虫を食べる仕草と同じ。
「僕は虫じゃない!」
街道から逸れて、樹海の中へと逃げ込んだ。だがギガントアーケオは征輝を追いかけ、紅珊瑚色の樹木をなぎ倒す。
(これ、絶対に死ぬパターンだ)
征輝は顔面蒼白になり、必死に駆けた。そうして全力疾走し、広場のような少し開けた場所へ出た。そこには巨大な紅珊瑚色の樹木が一本だけあり、そのすぐ傍に金髪に青い瞳を持つ幼い少女と少年がいた。二人は何事かと怯えた顔をしている。
(僕がこのままあっちに逃げたら、怪物はあの幼い二人を狙うんじゃ……)
征輝は逃げる方向を変えようとした。だが一足遅く、ギガントアーケオは征輝ではなく幼い子供二人に気が付いた。
「に、逃げろ! 早く!」
二人の子供は足が竦んでいるのか、逃げる気配がなかった。征輝はぐっと唇を噛むと、全速力で疾走する。
「くっそおぉぉおお!!」
ギガントアーケオが大きく羽を広げた。それとともに無数の羽が上空へ舞い上がり、幼い子供二人に狙いを定める。そしてそのまま、まるで無数の矢のごとく幼い二人へ降り注いだ。征輝は咄嗟に二人を庇うと、幹の窪みへ押し込む。それとほぼ同時に、無数の羽が征輝の体を貫いた。心臓を貫かれ、首も突き刺され、腹部も足も羽が貫通している。
(子供は、無事?)
視線だけ向ければ、二人の金髪の子供は完全に硬直しているようだった。無理もない。目の前で人が串刺しにされたのだから。征輝も惨いところを見せてしまったと辛くなってしまう。
(……すっごく、痛い。なんだよ、これ……っ……)
あまりの痛みに涙がこぼれた。だが出血が激しいせいか、すぐに意識が遠ざかっていく。
(カツ君、ごめ……)
親友のことを思い浮かべ、ユキテルは意識を手放した。
ドクン、ドクン、と心臓の音が聞こえた。
征輝はおかしい、と思う。自らの心臓は貫かれ、停止したはずなのに、と。
けれども心臓が力強く打っているのだ。
まるで生きろ、と訴えかけているかのように。
(いや、生きているわけがない。だって僕、串刺しになったんだし)
そう、串刺しになったはずなのだ。だが体に痛みはなく、気分の悪さもない。
(もしかして、夢だった?)
脳裏にはなぜかずっと、黄金色をした心臓が浮かんでいた。なぜ黄金色の心臓なのか、わからない。だが黄金色をした心臓が動く度に、体に力が湧いてくるようだった。
(起きないと……)
全て悪い夢だったのだ。そうに違いない。目の前で親友が消えるわけもなければ、青い焔を持った馬や珊瑚色をした森などあるはずもない。
「……ん」
征輝は目を覚ました。だが両腕が重く、動かすことができない。どうしてだろう、と自らの腕を確認すると、金髪の幼い少女が右側に、金髪の幼い少年が左側に、征輝の腕を枕にして眠っていた。
「ど、どういうこと?」
征輝が思わず言葉にすると、二人の子供が目を覚ました。見た目十歳か十一歳ぐらいの幼い少女は飛び起きると、とびきりの笑顔を見せた。
「起きたよ、エレス! 目が覚めたよ!」
誰がどう見ても、美少女だと認める容姿を持つ少女が言った。見た目はヨーロッパ系なのだが、とても日本語が堪能である。金髪のさらりとした髪は艶やかであり、白い肌は透明感がある。
「本当だ、フェト。お兄ちゃん、起きたね! もう一週間も眠り続けてたから、心配したよー」
誰がどう見ても美少年だと認める容姿を持つ子供が言った。髪が短いことを除いて美少女と瓜二つの顔立ちであり、背丈が似ていることから双子かと想像する。美少女のほうは白に紺色のリボンやレースがあしらわれたドレスを着ており、美少年のほうは白のフリルブラウスに紺色のズボン姿をしていた。
「えっと、君達は? 僕、どうしてここに?」
どうやら寝台の上にいるらしかった。寝台と言っても、普通の寝台ではない。キングサイズの寝台であり、尋常ではない大きさである。
二人の子供は寝台から下りると、二人そろって恭しくお辞儀をした。
「ようこそ、トルテディア国ノーブルセレスト城へ! 私達はあなたを歓迎します!」
二人揃って同時に告げた。息がぴったりであり、寸分のずれもない。
「トルテディア国? まさかと思うけれど、ここ、日本じゃないの?」
美少年が笑顔で頷いた。
「はい。ここはニホン? という場所ではなく、ブランシュオ大陸の北端に位置する国です」
聞いたことがない名前だった。ブランシュオ大陸、という名前にも覚えが無い。とはいえ征輝の知らない国などたくさんある為、わからなくても仕方がないか、と思う。だがしかし、次の美少女の発言に征輝は耳を疑った。
「お兄ちゃん、異世界から召喚されたんでしょう?」
「え? い、異世界?」
「うん。だって、ニホンなんて国は、この世界には存在しないもの。それにお兄ちゃんが着てた服も見たことがないものだったし」
服と指摘され、征輝は自分の姿を見た。見慣れぬ白い寝衣を着用しており、まるで古代ギリシャ人が着用していたトーガに見えなくもない。
「じょ、冗談だよね?」
征輝が問いかけると、二人の子供はふるふると首を振った。
(異世界って、どういうこと……)
混乱したが、ひとまず寝台を下りた。天井は高く、青みがかった乳白色の壁で四方が覆われている。寝台の横にはベッドサイドキャビネットがあり、その上に征輝の眼鏡が置かれていた。征輝は眼鏡を装着すると、改めてクリアになった視界を見る。
(さっき、ノーブルセレスト城、って言われたっけ。本当にここ、お城なの?)
すぐ傍に、三メートルはあろうかというアーチ型の窓があり、征輝はそこから外を確認した。
「な……」
遠くに、光り輝く山が見えた。否、水晶でできた山があり、光に当たって輝いているのだ。これに、二人の子供も征輝を間に挟むようにして立つ。
「あれは、水晶山っていうんだよ」
美少女が教えてくれた。水晶山の右手側には赤い森が見える。
「西に見えるのは、珊瑚の森。お兄ちゃんがいた場所だよ」
美少年の言葉にドクン、と心臓が大きく跳ねた。慌てて自らの首や腹部を手で触って確認をする。
「そ、そういえば僕、どうして。あのとき確か見たことのない魔物に襲われて、怪我をしたはずなのに……」
これに美少女が笑顔で答えた。
「とっておきの回復魔法で治療したから、大丈夫なんだよ」
「回復、魔法?」
「うん! 超回復魔法!」
魔法などあるはずがない。魔法など非科学的であるし、存在などするわけがないのだ。
(こ、子供が言うことだし、真に受けちゃダメだよね? でも、それだとどうして僕は生きているんだろう……。あのとき僕は、鳥の化け物が放った羽で串刺しになったのに)
と、ここで室内に唯一ある大きな扉をノックする音が響いた。
「失礼します。フェト様、エレス様、そろそろお勉強の時間ですよ。……おや」
部屋に入ってきたのは、白い虎だった。正しくは白い虎の顔を持つ人であり、焦げ茶色のスタンドカラーの服の上に黒い胸当てと肩当の鎧を身に着けている。
「え? え? え?」
征輝は非常に混乱した。そんな征輝を面白がるように、美少女と美少年がくすくすと笑う。これに、白い虎の顔を持つ人物がコホン、と咳払いをした。
「フェト様、エレス様、客人に失礼ですよ」
二人の子供は声をそろえて「ごめんなさーい」と征輝の背後に隠れてしまった。征輝は緊張しつつも、挨拶をする。
「あの、初めまして。僕は風師征輝と言います。あ、風師が苗字で、征輝が名前です」
白い虎の人物はにこりと微笑んだ。
「初めまして、ユキテル殿。私はトルテディア国の王に仕える、ウルバーニ・スペラという者。ウルバーニが名前で、スペラが苗字だ。役職としては三大武将という地位を授かってはいるが、今はお二人の教育係を担当させていただいている」
名前が先にくるところはまるで外国のようだ、と征輝は思った。
「二人というと、この子達?」
「はい。そちらの女の子がフェト様で、男の子の方がエレス様です。双子でして、とても仲がよろしいのです」
双子は征輝の背後で会話をしていた。
「エレス。お兄ちゃんの名前、ユキテルって言うんだって」
「うん。可愛い名前だね」
「ユキテルだから、ユキちゃんでいいかな?」
「そうだね」
幼い美少女と美少年が顔を見合わせてくすくすと笑っていた。ウルバーニは部屋へ入り、征輝の顔色を確認する。
「随分と長く眠っていたと聞いた。気分のほうはどうだろうか」
「はい。全く問題はありません」
「そうか、それはよかった。すぐに着替えや食事を手配しよう」
征輝はウルバーニという人物をよく観察した。髭や耳が動く様子や太い尻尾など、どう見ても特殊メイクとは思えない。太い手足をしており、手は五本の指があるが肉球もしっかりとついている。
「か、感謝します」
「困ったときはお互い様だ。……それはそうと、フェト様、エレス様。客人にご迷惑をかけてはいけませんよ。さ、私と一緒にお勉強へ行きましょう」
そう言った瞬間、フェトとエレスは征輝にまるで吸盤のようにしがみついた。
「やだ、ユキちゃんと一緒にいる!」
「僕も、ユキお兄ちゃんと一緒がいい!」
「ダメです! ユキテル殿にもご迷惑です!」
ウルバーニがグワォと吠えると、双子は「ぴゃぁっ」と征輝の背後で完全に縮こまってしまった。征輝も、正直両足が震えてしまっている。
「あ、あの、僕は構いません。むしろ、慣れぬ場所で心細いので、二人がいると安心するので」
ウルバーニは眉間に皺を寄せて困り顔をしてみせた。
「むぅ……。仕方がありませんな。ではフェト様、エレス様。ユキテル殿の迷惑にならぬよう、きちんと助けてあげてください。わかりましたか?」
双子はコクコクと大きく頷いた。
(この子達、すっごく可愛い)
征輝は無意識の内に二人の頭をよしよしと撫で付けた。双子は嫌がることなく、むしろ撫でられて幸せそうにする。
「ユキちゃん、この国のこととか、いっぱい教えてあげる!」
「僕も、ユキお兄ちゃんに色々なことをいっぱい教えてあげる!」
ぎゅうっ、と左右から双子に同時に抱きつかれ、征輝は照れくさくなった。ウルバーニは問題はないようだと判断すると、一旦部屋を出ていく。
「あ、そうだ。さっき僕が異世界から来たって言ったけれど、どうしてわかるの?」
未だに自分が異世界などという非現実的な場所にいるとは信じられない征輝。
フェトは手をバタバタさせながら身振り手振りで説明し始めた。
「お空がピカァッて光って、雷がゴロゴローって鳴って、大きな魔力の乱れが起きたの。城にいる魔導師達は、異界の扉が開いた、って言ってた。だから私とエレスは一緒に外へ見に行ったの!」
うんうん、とエレスも頷いた。
「お兄ちゃんが来る前にもね、ここより遥か南方で三つの大きな魔力のうねりが起きたんだ。おそらく南方でも召喚魔法が行われて、異世界から異世界人を呼んだんだと思うんだけれど……。ここにいても魔力の波動がわかるぐらいだったから、南方では凄かっただろうね。空が赤黒く変色したらしいし」
「南方……?」
「うん。僕達のいるトルテディア国よりずっと南の方に、人族達が治める国があるんだよ」
人族達が治める、とは奇妙な言い回しだった。
「どういうこと? この国は人が治めてるんじゃないの?」
「ここは破滅王ゴルドネアが治める国だよ。魔族と呼ばれる者達が暮らしてる。魔族というのは獣人族やオーガ族、そして竜人族や魔狼族のことで、エルフ族や樹の精などは妖精族とされているよ」
聞きたくない感じの名前が飛び出してきた。
「そうなんだ……。それはそうと、破滅王って、随分と恐ろしい名前だね……?」
フェトは頬を膨らませていた。
「もう、エレスってば。破滅王っていうのは、王を恐れた周囲が勝手につけた二つ名でしょう?」
「あ、そうだったね、フェト」
「ゴルドネア様は、とても心優しくて偉大なる魔王なんだから」
「そうだね。大らかで聡明で、でも敵には容赦のない無慈悲な魔王だね」
征輝は完全に動揺してしまった。
「ま、魔王って……、それ」
記憶が間違っていなければ、その名を冠する者は、ゲームなどではラスボスではなかっただろうか。
それを裏付けるように、エレスが困り顔をする。
「僕達は、人族と仲が良くないんだ。人族は、魔族は問答無用で滅ぼすべし、って感じで襲い掛かってくるし。……南方で召喚魔法が行使されたのも、実は魔王を打倒さんとする勇者を召喚する為じゃないか、って言われてる」
「で、でも、僕も誰かに召喚されたから、ここにいるんだよね? ということは、人族側に召喚された、ってことじゃ」
「それはないよ。だってユキお兄ちゃんを召喚したのは」
フェトが自らの口元に人差し指を当てて、シーッと合図をした。
「もう、エレスってば。それ、魔王様に口止めされてるでしょう? 魔王様が召喚したことは秘密だ、って」
いや、もうそれ完全にばれてるんですけど、と征輝は蒼白になった。
(そっかぁ、僕は魔王に召喚されたのかぁ。知りたくなかったなぁ……)
征輝の気持ちなど知らず、エレスは舌をぺろりと出して自分の頭を小突いた。
「えへへ。ごめんごめん、そうだった」
征輝はダラダラと冷や汗をかいていた。そのまま震え声で問いかける。
「あ、あの。どうして僕は召喚されたのかな? 僕は魔法だって使えないし、運動神経だって悪いし、ただの一般人だよ?」
フェトとエレスは笑顔で同時に頷いた。
「うん、知ってるよ。ユキちゃんが弱すぎてすぐ死ぬってことは。だから、私達が守ってあげる」
「ユキお兄ちゃんは僕達が守ってあげるから、安心して」
幼い子供に守ってあげる宣言をされた征輝は、がっくりと項垂れた。