フェト
フェトはカリスと一緒の馬に乗りながら、泣くのを我慢していた。
生まれたときからいつも一緒だったエレス。フェトの兄であり、大切な家族。
そのエレスが、殿をすると言って戦場へ残った。
(エレスを残して、私はどこへ行こうというの)
成竜として覚醒もしておらず、未だ力も魔力も弱い稚竜の状態。
オーガの王に勝てるわけがないのだ。
(エレス……)
兄に何かあったらと想像しただけで、吐き気がした。
「フェト様。ご気分が悪いのですか?」
カリスの心配そうな声が聞こえた。
「……ううん、平気よ」
亡き父に祈った。エレス達の無事を。けれども現実が残酷で儚いことも知っている。
フェトは、今は泣くべきところではないと顔を上げた。水晶山まで逃げ込めば、オーガの軍も簡単には追ってこれないだろう。
地の利はトルテディア国側にある。
フェトがそう考えたとき、カリスや周囲の護衛の兵が不穏な気配を察知した。林道に入ったところであり、そこを抜けなければ水晶山へは行けない。
「フェト様、追手です」
小声でカリスが告げた。
「え? まさか……」
兄達が討たれたのだろうか、とひやりとした。
「おそらく、少数の精鋭をこちらに差し向けたのでしょう。振り切るのは難しそうです」
風を切る羽音が聞こえた。これにすぐさまはっとする。
「……まさか、グリフォン?」
「おそらく。エルフの乗り物を、連中が手に入れたんでしょう」
フェト達は馬に乗っているのだが、グリフォンの速さには敵わなかった。上空から突如舞い降りてきたかと思うと、行く手を塞ぐ。
カリス達は馬を停止させた。
鷲の顔に下半身は獅子という、奇妙な体を持つグリフォン。ただの乗り物としてではなく、グリフォン自体の戦闘力も高い。鋭い爪のついた前脚で馬と兵士を攻撃するだけではなく、鋭い嘴も武器となる。本来、グリフォンという生き物は、オーガが調教できるような魔物ではない。他の種族と比べて体力の低いエルフが、自身の身を守るために飼育しているのだ。
「皆さんお揃いでどこへ行くんだ?」
黄土色の目と髪に、ダークブラウンの肌。額に角があり、筋肉質な体。彼らは紛れもなくオーガだとわかった。ただでさえ彼らの体は硬いというのに、重装備をしている。
(あともうちょっとで、水晶山なのに)
フェトはぞっとした。ざっと視認しただけで三十はおり、彼らのレベルは七十から八十五と幅広い。対してフェト達は七十から七十五のレベルを持つ十八人の兵士で構成しており、一番レベルが高いカリスでも八十だ。王家の墓所にてアンデッド相手に戦ったことによりカリスはレベルが上がったが、それでもオーガ達に比べれば圧倒的に不利だ。
ここで、護衛の兵士達がフェトとカリスの前に立った。
「カリス様、我々がなんとか道を作ります。その間に姫様を」
カリスは迷うことなく頷いた。これにフェトがぎょっとしてしまう。
「み、皆を置いていくなんて、やだ! 私も戦う!」
声が震えた。だが、護衛の兵士達は笑顔を浮かべる。
「フェト様、我々を信じてください。決して負けたりしません。それともフェト様は、我らが負けるとでも?」
「そ、そんなことは……」
「大丈夫です。我々が必ず勝ちます。たとえ、竜化してでも」
竜化とは、人から竜の姿へ変身することだ。
もしも竜化をすれば、人型のときよりは格段に攻撃力が上がる。
だが戦時中は、竜になることを禁止していた。そのわけは、竜族が持つ特性にある。古来より、竜族が竜の姿になって戦うことは神聖なものだとされていた。しかしながら人族との戦争により、その風潮は大きく変わった。竜の姿のままで死ねば、その肉体は人へは戻らず、竜の姿のまま残る。人族はその肉体にある鱗や皮膚、鰭や骨に至るまで武器や防具、楽器や道具、靴など、様々なものに利用をしたのだ。人族によって誇りを汚されただけではなく、同胞の肉体を用いて作られた武器や防具により、戦況は不利になった。このことから、戦時中に竜化することは認められていないのだ。
他にも、禁止した理由がある。竜化するまでの時間だ。簡単に竜になれるわけではなく、かなりの集中力を要する。人によって竜化に要する時間は色々だが、最低でも三分から十分はかかると言われている。この間、竜化の準備をしている者は完全な無防備状態となり、狙われれば反撃も防御もできない。
「竜化は絶対にダメ!」
フェトは却下した。助かる方法があるとすれば竜化をすることだとわかっていたが、なぜトルテディア国の兵達が人の姿にこだわって戦っているのか、彼らの気持ちを知っていたからだ。
人族との戦争で、竜の姿にもなれない人族に多くの同胞を殺されたことにより、竜族は同族との戦い以外で竜の姿になることは、最大の恥と考えるようになった。竜の姿になって戦うぐらいならば、殺されたほうがマシだと考える竜族もいるほど。ゆえに、オーガとの戦争中であっても、竜化する者がいないのだ。それほどまでに、自らが竜族であるという誇りを重んじていたのである。
フェトはそんな彼らの気持ちを痛いほど理解していたため、止めた。
だが、兵士も引かない。
「他にいい方法がありません。ここで全員共倒れになるぐらいなら、自分が竜になります」
支援しようと、他の兵士達も目配せして頷いた。
オーガ達はさせるかとばかりに、攻撃を仕掛けてきた。トルテディア国の兵士とミュルサンス国の兵士達が衝突するが、オーガ達の元々の数が多い上に、グリフォンもいる。
(このままじゃ押し負ける……っ!)
馬がグリフォンの爪によって引き裂かれ、兵士達も次々と切り殺されていく。
フェトは、もうやめて、と両手で顔を覆った。
自分達が一体何をしたというのか。
(ただ平和に暮らすことを望んでいるだけなのに)
そのとき、馬が走り出した。
「カリス? 何を……っ、みんなが」
「ここにフェト様がいれば、皆は逃げられません」
「でも……っ」
突破しようとしたが、レベル八十五のオーガが立ちはだかった。
「おっと、どこへお散歩に行くつもりだ。おとなしく、その小娘を差し出してもらおうか」
カリスは大剣を手にした。
「この方はお前らのような薄汚い奴が目にしていいお方じゃねえよ。ゲスが」
そう言って、馬上より降りた。フェトは当惑する。
「カリス?」
「あのオーガを倒します。でも万が一俺が負けそうになったら、フェト様は一人で馬を走らせて逃げてください」
「いや……っ、そんなこと、できるわけない……っ」
「俺は、ゴルドネア様に恩があります。フェト様とエレス様を守ることこそが、俺の使命です。お二人を守るためなら、この命を捧げます」
そう告げて、カリスはオーガと剣を交えた。だがオーガの力はとても強い。決して竜族の力が劣るわけではないが、戦慣れした彼らとでは、分が悪いのだ。
(誰か、助けて……っ、このままじゃ、皆がっ)
フェトの体が震えた。
「パパ、助けて……っ。パパ……っ」
もうこの世にいない父に向って、泣きながら救いを求めた。
目の前には、地面に伏したまま動かない味方の兵。
竜化をしようとした兵も、その彼を守っていた者達も、次々と倒れていく。
恐怖と絶望の中、オーガたちは徐々にフェトとカリスを包囲して迫ってくる。
(エレス……)
フェトは、自らの腰に携えた、自害用の短剣を確認した。このままオーガ達に嬲られて殺されるぐらいならば、と死を覚悟する。
だが――。
「フェト様っ!」
どこからともなく声が聞こえた。