プロローグ
それは絶対に勝つことのできない戦だと予言されていた。
誰もが悲観し、誰もが嘆き、誰もが死を覚悟した。
だがたった一人だけ、その運命に抗った男がいた。
その者は、幾千の挫折と後悔を繰り返そうと、自らの信じるもののために戦った。
その者は、圧倒的な強者に挫けようとも、決して諦めることはしなかった。
その者は、万の大軍に絶望しようとも、希望を見出すことを諦めなかった。
ゆえにその者は救世主であり、闇を照らす者であり、奇跡を起こす者。
人々はその者を、英雄と呼んだ。
~トルテディア国 英雄の詩より~
※
「……なんだかおかしな夢を見たなぁ」
風師征輝は、高校への登校中にあくびをしながら呟いた。威厳ある男性の声で、暗闇の中からずっと誰かに呼びかけられている夢を見たのだ。不思議と嫌な感じはしないが、どうせならもっと楽しい夢を見たいと考える。
(そうだ。今日は週刊誌の発売日だっけ。買って帰ろう)
あの大好きな漫画はどうなったのかな、などと下校時のことを想像して浮かれた。
地味で目立たず、黒縁の眼鏡をかけ、どこにでもいるような少年が、征輝だ。背も平均であり、中肉中背。顔立ちこそニキビ一つなく綺麗な肌をしているが、童顔に見られるために気にしていた。というのも、女みたい、とクラスメイトからからかわれることがあるからだ。
(せめて、髭。髭が生えてきたら……)
自分の顎をさすりながら、征輝はごく真剣に考えた。本人からすれば至って切実な悩みではあるが、本人以外にしてみればどうでもいいことだ。
「おーい、征輝ー!」
坂道を上がっていると、背後から親しみある声に呼びかけられて振り返った。
「おはよう、カツ君。珍しいね、登校時間が一緒だなんて。部活はお休み?」
征輝は幼馴染である水明台克人へと笑顔で挨拶をした。克人は軽い足取りで征輝に追いつくと、爽やかな笑顔で返す。
「あぁ。なんでも明日の休日にバザーをするらしくてさ。武道館を貸してくれってことで部活が休みになったんだ。それよりほら、これ見ろよ。ひっでえと思わないか?」
克人は短く切りそろえた前髪を見せた。
「どうしたの?」
「うちの母ちゃんがさ、散髪代しぶって無理やり前髪を切ったんだよ。そうしたら案の定失敗してさー。母ちゃんもさすがに悪いと思ったのか、その後散髪代くれたから切ってきたんだけれど……」
短くなりすぎた前髪をつまみ、不服そうにする克人。征輝よりも十五センチほど背が高く、顔立ちもよくて運動神経もいい為にかなり目立つ。克人は剣道部に所属しているのだが、他の部活から助っ人で呼ばれることも結構あるのだ。男女問わず人気があるが、克人は征輝を蔑ろにしたことは一度もない。むしろ征輝こそ克人の親友という立ち位置にいさせてもらっていることを悪く思っているぐらいだ。
「でもそれはそれでよく似合っているよ。カツ君、おでこの形がいいし」
克人は左腕で目の前を覆って泣き真似をしつつ、右手で征輝の背中をバンバンと叩いた。
「お前ってやつは、本当に心の友だな! 俺は幸せだぞ、お前と親友でいられて!」
「い、痛い、痛いよ、カツ君! 大袈裟なんだから」
これは絶対に背中にもみじの手形ができている、と征輝は思った。
「あ、そうだ。今日の放課後、久しぶりに一緒にモッズバーガー行かないか? どうせお前、本屋に立ち寄るんだろ?」
「うん。モッズバーガーに行こうか。午後の体育の後って、お腹が減るしね」
二人でそんな約束をしたところで、征輝はおかしなことに気がついた。もうすぐ目的地である高校だというのに、生徒の姿が一人も見当たらないのだ。克人も異変に気づき、後ろ頭を掻きながらおかしな顔をする。
「あれ、征輝。今日って、学校休みだったか?」
「そんなはずは……、って、え? カツ君、あれ見て!」
坂道に設置されているガードレールの縁に、鳥が着地しようとする姿で静止していた。まるでリモコンの一時停止ボタンを押したかのように。
「なんだよ、これ。どうなってるんだよ」
「わ、わからない……」
不気味な姿に、二人は近づくのを躊躇った。そうして周囲を見回すと、今度は克人が声を上げる。
「征輝、あれはなんだ?」
克人の指し示した方向に、空が赤黒くなっている部分があった。その部分に、まるで漫画やゲームで描かれるような、幾何学模様の魔法陣みたいなものが浮いているのだ。それも二つも。
「え、映画の撮影、とか?」
「最近の映画の撮影ってのは、随分と大がかりなんだな」
そんなはずはない、と征輝も克人は思っていた。だが目の前の現象をどう説明していいのかわからなかったのだ。
「ひとまず、校舎へ行かない? 先生がいるかもしれないし」
「ぁ、あぁ……、そうだな。行こう」
坂道を走り出そうとした瞬間、征輝と克人の上空に光り輝く魔法陣らしきものが現れた。きらきらとした光の粒みたいなものが降り、二人は焦る。
「ま、まずいよ!」
「上を見ないで走れ、征輝!」
全力で走り出そうとしたが、一歩遅かった。魔法陣より光の柱が落ちてきたのだ。征輝はその光の柱をかわそうとした。だが征輝の脚力では到底間に合わず、飲み込まれかけてしまう。
「……ひっ!」
「征輝!」
克人は寸前で、征輝の体に体当たりをして庇った。征輝は坂道をごろごろと転がるが、すぐに起き上がって克人がいる方向を見る。
「か、カツ君! カツ君?」
克人がいた場所には、何もなくなっていた。空に浮かんでいた不気味な魔方陣も消え失せていたのだ。静けさだけが支配しており、自分の体にある心臓が痛いぐらいに打つ。
「カツ君、どこ? カツ君!」
大声で呼んだが、克人からの返事はなかった。
(そんな、嘘だ、嘘だ、嘘だっ!)
克人が光の柱に飲み込まれる寸前、突き飛ばされたのだ。征輝は真っ青になり、消えてしまった親友の姿を探す。しかしながら、克人の姿はどこにもない。
『汝、我の求める者か』
どこからともなく、不気味な声が聞こえてきた。征輝は、その声に身を竦める。
「な、なんだ?」
『汝、我の呼びかけに応えよ。そして願いを聞き届けよ。さすれば、我は汝に栄誉、権力、金、いかなる褒美も授けよう』
征輝は、その声が自分の内側から聞こえているのだと知った。こんなときに幻聴など冗談ではない、と無視しようとする。しかしながら、自らの内から問いかけられた質問に、征輝は心の中で答えてしまう。脳裏に浮かぶのは、自分を庇ってくれた親友の姿。
(栄誉も権力も金もいらない、僕は守る強さが欲しい。庇われるなんて、嫌だ!)
あの時、もっと自分の足が速ければ。
あの時、得体のしれないものに恐怖を感じなければ。
征輝は後悔と悲しみが支配する。
『その願い、聞き届けよう』
征輝の足元に、赤黒い魔法陣が広がった。
「……な、なんだこれ!」
魔法陣より無数の鎖が出現し、征輝の手足や腰などに絡みついた。逃げることは叶わず、それどころか身動き一つすらとれない。
『我の元へ来い!』
征輝の両足が、まるで底なし沼に落ちたかのように沈み始めた。
(や、やばい、やばいよ、これ!)
不気味な魔法陣にどんどんと体が吸い込まれ、顔が沈む瞬間に、征輝は大きく息を吸い込んで止めた。
初めての異世界小説なのでお見苦しい部分が多々あると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。