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83 恋心


「……つっ!」

 思わず顔をしかめてから、オレンジ色の髪をした可愛らしいアンディーは声をだしてしまう。

「つめたーい!」


 素足の先にふれた河の水はとても冷たかった。

 すでに日は完全に沈んでいて気温もかなり下がっている。月明かりがキラキラと反射する川の水は、かなり冷え切っている。

 そこへ全裸で、水浴びするのだ。水の冷たさが身にしみて当然だった。

 思わず水の中に入るのを躊躇してしまう。


 そんなアンディーを横目に、黒髪の美少女カミラは、何も言わず、ずんずんと水の中に入っていく。

 軍隊用の固形石鹸を独り占めして、さっそく、その綺麗な黒髪を洗い始めた。


「うわ、本当だ、つめたい。つめたい。つめたい」

 少年の様な見た目のエッダもそう文句を言いながら、全裸のまま平気でジャバジャバと河の中に入っていく。


「もうアンディー。ぐずぐずしてると、また先輩に怒られちゃうわよ」

 冷たい水に入るのを躊躇しているアンディーにフレヤが、諭すように声をかける。

 ちなみにこのクルクル巻き毛が可愛らしいフレヤの方が、アンディーより年下なのだが、性格的にしっかりしていて、雛鳥(キューケン)の中ではすっかりお母さん的なポジションにいたりする。


 フレヤが言うとおり、確かにグズグズしてると、またロルダグルク先輩に小言を言われてしまうだろう。

 アンディーが意を決して水にはいる。


「でも、やっぱりつめたーい!」

 足首までしか水に入っていないのに、また思わず声に、出して叫んでしまう。


「アンディー、往生際が悪いわよ、あきらめなさい!」

 フレヤが、笑いながら、アンディーの右手を引っ張って、水の中の引きずり込む。


「そうだ、アンディー 諦めろ!」

 エッダも、一緒になって、笑いながらアンディーの左手を引っ張る。


 『ものはついで』と言った感じで、カミラも無言で、バシャバシャと、アンディーに向かって水を掛け始める。


「ああああん つめたい やめて、やめて。

 特にカミラ、的確に顔を狙って水を掛けるのやめてー つめたーーい!」 

 

 アンディーの悶えるような声が、薄暗くなり始めた川面に響き渡るのだった。

 


 アリファ姫を守る一行は、ダフネ隊長やリュウド副隊長が立案し、更に勇一やアマウリなどの意見を取り入れた、かなり長期的な移動計画の基に移動を行っている。昼間の移動も無理をせず睡眠と休息を十分に取り、更にできるだけ栄養のある食事を多めに取っている。

 そして、もちろん衛生面にも気を使っている。

 元々王族の親衛隊である穢れなきバラ(ホワイトローズ)は、普通の軍隊よりも、人一倍見た目にも気を配る。

 ボロボロな見た目や、不潔は身なりは、守るべき王族の品位を下げてしまうからだ。

 例え逃避行中といえでも、出来る限り小奇麗にするのが親衛隊の努めでもある。


 そんな訳で、水浴びは定期的に行っているのであった。


 そうは言っても、やはり逃避行中なので色々と制限はある。

 例えば、布類は乾かすのが大変なので、水浴び後に体を拭く為の小さな布以外使用しない。

 水浴びで使用する物は、彼女達四人で一つの固形石鹸のみである。 

 長期保存を重視した軍用の固形石鹸は、泡立ちが悪く直接体にごしごしと擦り付けるようにして使用する。

 ちなみに、この洗い方だと、自分の背中が洗えない。

 当然、周りの皆で、お互いの背中を洗い合うこととなる。

 そうすることで、仲間同士のスキンシップを取る意味合いもあった。


 アンディーが、フレヤの背中を洗う。

 フレヤの背中は、首筋からくびれた腰を経て豊かなお尻へと続く撫でやかなラインが、とても女性らしさを感じさせる。

 アンディーは、体の曲線が足りず直線的で、女らしさに欠け少年の様にも見える自分の体を顧みて、おもわず呟く。


「フレヤってすっごく色っぽいよね」

「なーに、アンディーったら、急にそんな事を言いだして?」


 振り返るフレヤ。その胸が揺れている。

 年下のはずのフレヤの方が、胸が大きい。

 と、言うか、雛鳥(キューケン)の中で、彼女の胸だけが、揺れる。

 他の三人は、僅かなふくらみがあるだけで、揺れるような事はない。


「同じモノ食べてるはずなのに、オッパイがこんなに大きくて、こんなに揺れてうらやましい」

 

 揺れる胸を触ってみる。

 すっごく、柔らかい!

 そして、やっぱり、大きい!

 触ってみると、その大きさを改めて実感する。

 思わず、更に、その胸を揉みしだく。


「ちょっ、あっ、アンディー。胸を揉むのやめてぇ」

 胸を揉みしだかれるフレヤが、微妙に色っぽい声を出す。

 その声の色っぽさも、アンディーからすると、ちょっとうらやましい。

 胸を揉む手が、止まらない。


「いや、わかるわかる。確かにそのオッパイはうらやましいよな」

 そう言いながら、エッダも横から参戦してきた。

「ちょっ、エッダまで何を言いだすの、あっ、そんな二人して、胸を触らないでぇ」


「……うらやましい……、いや、……妬ましい……」

 当然、最後にカミラも、参戦する。


「ちょっ、カミラまで、あっ、あっ、そ、そんな胸を、揉みしだくのはやめてぇん」

 息を若干荒くしながら、フレヤが叫ぶのであった。


 基本的に、軍の兵士というものは、普段は明るい。

 死が、本当にすぐ身近にある状態で、常に『次の戦闘で死ぬかもしれない』などと考えていると、戦闘で肉体がやられるより先に、精神がやられてしまう。

 だから、空き時間などは、なるべく深く考えず馬鹿話ばかりしているものだ。

 ちなみに、男の兵士なら、大抵食べ物の話か、エロい話が定番である。

 そして、女の兵士、とくに若い女の兵士は、恋の話、いわゆるコイバナが定番中の定番であった。


 皆に、胸を揉みしだかれたり好き放題されたフレヤが仕返しとばかりに、アンディーに恋の話をふる。

「アンディーが、胸の大きさとか気にするのはあれでしょ。

 恋しちゃってるからでしょう」


「な、何言いだしちゃうの? わ、私 別に恋なんかしてないよ?!」

 明らかに動揺を見せる、アンディーに対してフレヤが、ちょっと悪戯そうな笑みを浮かべる。

「ふふふっふふ、誤魔化しても無駄なんだから。ちゃーんとお見通しよ」


「なんだなんだ? アンディーって 誰に恋してるんだ?」

 少年のような見た目でも、心はしっかり乙女のエッダが、食いついてい来る。

 カミラも、何も言わないが、興味深々の目で、こちらを見ている。


「ち、違う、違うの。別に恋なんかしてないから」

 必死になって、否定する。が、フレヤに遠慮はない。

 ちょっと意地悪そうな笑みを浮かべてから、言ってしまった。


「ふふふふ、実はねー。アンディーは、ユーイチ様に恋してるのよね」


 図星だった。

 アンディーの顔が赤くなる。


 もちろんアンディーの、一方的な片思いである。

 実の所、彼女は、勇一と満足に会話すらしていない。

 穢れなきバラ(ホワイトローズ)親衛隊の彼女達と、勇一達の名無き者(ネームレス)は王都から一緒に行動をしているものの、指揮官待遇の勇一と、一兵卒の彼女では、それ程直接的な関わりがない。すれ違った時の挨拶くらいだ。

 ちなみに逃避中とは言え、休息時間や、自由時間はある。

 だから、その時間に話しかけに言ったりすることは可能なのだが、彼女にはそんな事をする勇気など無い。

 自由時間に勇一とアマウリが行っている勉強会にも、もちろん顔を出してみた。

 だが、もう、まったく、これっぽっちも、わずかな欠片すら理解不能な内容に、いたたまれなくなって逃げ出してしまった。


 それでも、アンディーは勇一に恋していた。


 きっかけは些細な事だ。

 白亜宮での食事会の時だった。

 護衛の役割を担う親衛隊など柱の飾りほどの存在しか無いモノだ。決して口を開かず、じっと壁際に立ちつくす。本来なら、来賓者をジロジロと見たりするのも、マナー違反である。

 だが、ダーヴァへは同行していなかったアンディーは、食事会の時に始めて"竜殺し(ドラゴレス)"勇一を目にし『この人が、姫様を賊から救い、ドラゴンもやっつけたなんて、ちょっと不思議』

 そんな事を考えながら、思わず凝視してしまったのである。

 そして、その視線に気付いた勇一が、此方を見て、思わず、目と目があってしまった。

 その時

 アンディーを見た勇一が、ニッコリと微笑んでくれたのだ。


 たった、それだけ。

 それだけの事で、アンディーは、恋に落ちてしまった。


 目があっただけで、恋しちゃう私って……、単純すぎるかも。

 アンディー本人すら、そう思って、ちょっと落ち込む程の単純な恋への落ち方である。

 だが実際の所、彼女は14歳。この世界で言うならば中学生くらいの少女。

 通学中に見かけたかっこいい男の子に一目惚れしたりするような年頃である。

 ちょっとした出来事がきっかけで、人を好きになってしまうモノなのだ。


 そんな、可愛らしい恋をしているアンディー。

 だが、さすがに、自分と勇一が結ばれる可能性は低いと自覚していた。

 何せ、ついさっきも夕食後の自由時間に、勇一とアリファ姫が肩を並べてどこかへ歩いていくのを目撃してしまった所だ。

 "竜殺し(ドラゴレス)"と呼ばれる英雄の勇一、そして、絶世の美女で王女であるアリファ姫。

 まるで御伽噺に出てくるような、誰もが憧れるような華やかな組み合わせだ。

 田舎貧乏貴族の末娘で『結婚の為の支度金が用意できないから』という理由で結婚できるあてがなく、仕方なくツテを辿って、たいして剣が得意と言うわけでもないのに、なんとか親衛隊の見習いに滑り込んだ自分に、出る幕などまったく無い。

 遠くから、憧れて見つめているのが精一杯だ。


 フレヤに、自分の恋心を、そのものズバリ言われてしまったアンディーは、顔を真っ赤にして、まったく反論の一言も言い返せない。

 それどころか、目の端に涙を溜めて、ちょっと泣き出しそうな雰囲気まで漂っていた。 


 ちょっと、からかいすぎたかも。

 フレヤはアンディーの余りにストレートな反応に、少し反省する。

 話をずらすように、わざとおどけて感じで言った。


「でも、私は、どっちかというと、アマウリ様の方がいいかな」


 この一団には"竜殺し(ドラゴレス)"勇一と、"魅惑の魔法使い"アマウリの、二人しか男性がいない。

 基本的に恋愛対象になるのは、この二人しかいなかった。

 アマウリは、美しく妖しい雰囲気を身にまといながら、大人の落ち着きをみせる魅力的な男性だ。

 もし、無作為に女性を集めて、単純に見た目だけでアンケートを取ったなら、アマウリが圧勝するであろう。

 人格的な面では、完全に人間の"屑"に属するアマウリであるが、表面的な人当たりは圧倒的に良い。

 普段から親衛隊員にも気軽に挨拶し、声をかけてきて、評判もすこぶる良い。

 少女達の中で、比較的大人な性格のフレヤが、アマウリを選ぶのも当然と言えた。


 と、言っても、もちろんフレヤはそれほど本気でアマウリの事が好きと言うわけでは無い。

 あくまで、二人の内でどちらかを選ぶならアマウリ、と、言うだけの話だ。

 その為、本当に恋してしまっているアンディーに比べて、余裕しゃくしゃくではある。

 

「ねえエッダ。

 エッダは、どっち? ユーイチ様派? アマウリ様派?」

 さらに話題をそらす為に、フレヤはエッダにも話をふる。

 

「えっ?! えっ? わたし?」

 急に話をふられたエッダが焦る。

 少年のような見た目だが、エッダの心はかなりしっかりと乙女である。

 もちろん、気になる人がいた。最近、色々あって、とてもその人の事が気になっている。

 だが、しかし。もし、自分の思いを伝える事があっても、相手は困惑するだけだろう。

 人に言う事も、できない。


「あー、私は、やっぱりユーイチ殿かなー」

 と、エッダは適当に嘘を言う。

 言ってから、いきなり不意に、白亜宮で自分の裸体を、しかも股間を拭いてる所を勇一に見られた事を思い出してしまった。

 思い出すと、恥ずかしさで、急激に顔が赤くなってきてしまう。

 その様子を見て、フレヤがちょっと誤解する。


「あら、エッダもけっこう熱烈なユーイチ様派なのね。

 どうするアンディー? 強力なライバル登場よ」


 予期せぬ三角関係(?)に、なぜかフレヤは無茶苦茶に愉しそうである。

 アンディーは、あわわと、すでに意味をなさない謎の言葉を発するのが精一杯だ。


「ねえねえ、カミラは? 

 カミラはどっちなの? ユーイチ様派? アマウリ様派?」

 フレヤは、さらにカミラへと話をふる。


 黒髪の少女。

 カミラ・フォルヘッケ。

 その裸は、胸は殆ど膨らんでおらず、大人の女性としての魅力は乏しいともいえる。

 だが、抜けるように白い肌と、細く華奢な体は、まるで幻のように儚げで、妖しく美しい。

 同性の少女達が見ても、思わず、グビリと唾を飲み込みそうになってしまう程の妖しい美しさがある。

 単純に、純粋な美しさで言うならアリファ姫には敵わないだろう。

 ただ、大輪の花のように輝くような美しさをもつアリファ姫に比べて、カミラには、影があり触れれば壊れてしまいそうな脆く儚げな美しさがあった。

 女になりきっていない華の蕾だけが持つことができる危うい美しさが、その裸体には漂っている。

 王城内でまだ騎士見習いだったカミラに対して、狂おしいほど執着した貴族が我が物にしようと画策し問題を起こした事も、一度や二度ではない。


 そんなカミラが、ユーイチかアマウリか、どちらに興味があるのか。

 他の少女達も、非常に興味があった。

 アンディーすらも、その興味から落ち着きを取り戻し、思わずカミラに注目する。

 カミラは、少し俯いて考える。

 他の三人が、じっと答えを待つ。

 そして、カミラは、小さな声で呟いた。


「……ユーイチ様……」

 ユーイチ様派かー。

 皆がそう思ったが、カミラの言葉は止まらなかった。


「と、アマウリ様……」

 二人共って、ずいぶん我侭な意見ね。

 皆がそう思ったが、カミラの言葉はまだ止まらない。

 カミラは、その妖しく美しい唇を歪めてニヤリと笑いながら、言い放った。


「二人が貪るように愛しあう姿を……、私は、()でていたい」

 

 そう、カミラは、その見た目の怪しい美しさとは裏腹に、内面は腐りはてている。

 偶然に、アマウリが勇一に抱きつき、ほっぺたにキスした所を見てしまった夜などは、興奮しすぎて体が火照り、寝袋の中でもぞもぞと眠れぬ一夜をすごしたりしたくらいだ。

 

 そのキスシーンを思い出しつつ、うふふふふぅふふ と、魔性の魅力をもつ少女は、薄笑いを浮かべる。

 他の三人は、今まで知らなかったカミラの一面を見たのと、その美しい顔に浮かべる、余りに(ゆが)んだ欲望そのままを表現したような(いびつ)な笑みに、言葉を失う。


 正直、どん引きだった。





「こら! 雛鳥(キューケン)共。いつまで水浴びしているの?!。さっさと上がりなさい!」

 ロルダグルクが注意する叫び声が聞こえてきた。


 彼女は、性格的にはかなり悪い意味で女性的というか……、はっきり言うと、かなり口うるさい先輩だ。

 だが、もちろん雛鳥(キューケン)の中の誰も文句など言わない。

『先輩は、私達の為に、わざと細かく口うるさく注意してくれているんだ』

 そう、少女達は信じている。

 もちろんそれは、ほぼ誤解であった。勝手にロルダグルクを神格化してしまっているところがある。

 実際の所は、単純にロルダグルクが、細かい点が気になる口うるさい性格なだけの事であった。


 少女達が河からあがり、いそいそと、その体を布で拭き始めた。

 横で、ロルダグルクは、躊躇無く服をぬいで裸になっていく。

 その彼女の、今の裸体を初めて見る者は、大抵驚くだろう。


 体の左半身が、切り傷痕だらけだ。

 数え切れないほどの無数の切り傷痕がついている。

 左のこめかみ、左の頬、左の首筋、左の肩、左の腕、左の腰、左の腿、左の膝、左の脛。

 とにかく左半身のあらゆる場所に切り傷痕が付いている。


 それだけでは無い。

 更に体の右半身には、巨大な赤黒い痣があった。

 右肩から、右二の腕、右ひじ、そして右手首の辺りまで、広い面積が赤黒い痣になっている。

 王城を脱出する時に、城壁に体を擦り付け、一度は皮膚がそがれ肉が丸出しになっていた部分。

 その部分に皮膚が張りなおしたのだが、その痕が、大きな痣となって残ってしまったのだ。


 ちなみにロルダグルクは、自分の傷だらけの体を何とも思っていない。

 剣術道場の娘として育った彼女にとって切り傷は日常茶飯事だったし、それどころか、体に残った傷は"闘いの証として誇れる物"とさえ感じている。


 傷だらけの体を隠しもせずに、河の中に入っていく。

 そんなロルダグルクを、誰かが追いかけてきた。


 それは、裸のままのエッダだった。

「あ、あの…… 先輩。お背中、お流しします!」


「え? ああ。じゃあ、お願いするわ」


 ロルダグルクは、エッダに無造作に裸体をさらしたまま、背を向ける。

 その背中をエッダは、出来るだけの感謝と、そして深い思い込めて優しく洗うのだった。



 ――――――



「何を企んでいる?」

 ダフネ隊長が唇の端を歪め、不快そうな表情を浮かべながら問い詰める。

 

「さて? 何の事かのう?」

 ブレッヒェが、とぼけたような声をだす。


「ふざけるなよブレッヒェ!」

 ダフネ隊長は、思わず、大きな声を出してしまった。




 夜。話があると呼び出した簡易テントの中。

 ダフネ隊長がとぼけた声を出すブレッヒェを、睨みつけていた。

 テントの中に居るもう一人の人物、リュウド副隊長は、ただ困ったような表情を浮かべたまま、後ろで無言で立っている。


「ダフネよ。何をそんなにイラついておる。

 我は別にふざけてなどおらん。いったい何のことじゃ?」

 

 睨みつけても、まったくひょうひょうと態度を変えないブレッヒェに対して、ダフネ隊長は更に苛立ちを露にする。 

「決まっているだろうが。姫様とユーイチ殿の事だ!

 姫のテントの護衛担当していたユーヒから報告を受けているぞ。貴様とディケーネ殿だけ先に帰ってきて、姫様とユーイチ殿を二人っきりさせたそうじゃないか。

 しかも、詳しく確認すると、いままでも同じ手で何度も二人っきりにさせていたそうだな」


「ああ、その事か。

 そんな事ぐらいで、何を激高しておる」

「"そんな事ぐらい"だと?!」


 ダフネ隊長の表情が、更に険しくなる。

 今にも、噛みつかんばかりの勢いで、ブレッヒェに言い立てる。 


「恋愛など興味ない愚鈍な私でさえ、最近の姫様を見ていれば、その思いは手に取るように解る。

 もし、ユーイチ殿の方が一方的に姫様に思いを募らせ、忠誠を誓うと言うのならば構わん。

 だが……、逆は駄目だ!

 姫様は、王位継承権第一位の身。

 姫様のお相手となる、それは『アリフォニア王国の王』となる事を意味するんだぞ!

 ユーイチ殿は確かに強いし、義もある。私個人の意見としては、ユーイチ殿を気に入っている。

 だが、どこの出身かもわからぬ彼が王になるなど、伝統を重んじる貴族や諸侯が、絶対に許さぬ。

 それでなくとも、今の姫は『逆賊の娘』という不利な要因がある。

 この先、王国復興の為には、そこを捻じ曲げて貴族達の協力を得ねば成らぬのだぞ。

 それなのに、これ以上、貴族達の反感を買う要因を増やしてどうする?!

 国の復興どころでは無くなるぞ!

 その事が解らぬ、お前では無いだろうが!」


 其の事を、ブレッヒェが解っていない筈がない。

 いや、そもそも、本来ならば、そういった事を彼女はダフネの十倍は気にするタイプの人間だ。

 王都に居るときでも、アリファ姫の持つ王族の血を欲っし擦り寄ってくる貴族や、あるいはその美しさに心奪われて我が物にせんと近づいてくる貴族達が多数いた。

 それらを、正面から拒絶してしまうと反感を買ってしまうので、あの手この手の絡め手を使い、貴族達の接近をノラリクラリとかわしていたのは、他でも無い、ブレッヒェだった。

 その彼女が、進んでアリファ姫と勇一を二人っきりにするような行動を取ったというのだ。

 ダフネ隊長としては、困惑せざるを得なかった。


「もし若い二人が、勢いで間違いでもあったら、本当に只事ではすまんぞ。

 それなのに、なぜ、姫様の気持ちを盛り上げるような行動を取る? 

 ブレッヒェ。貴様、いったい何を考えているんだ?!」


「考えすぎじゃダフネよ。

 私はちょっと気持ちが悪かったから、ディケーネ殿と一緒に先にテントに帰ってきただけのこと。

 ただ、それだけの事じゃ。別に何か考えがあって取った行動ではないぞ。

 話と言うのは、そんなくだらぬ疑い事だったのか?

 それならば、答えは簡単。

 ダフネよ『貴様の単なる勘違い』じゃ」


 食ってかかるダフネ隊長に対して、やはりブレッヒェは軽くかわす。

 僅かに微笑みすら浮かべたその表情からは、真意を読み取ることは出来ない。


「さて、話は終わったな。

 我は、またちょっと気分が悪くなってきたので、自分のテントに帰らせてもらうぞ」

 

 ブレッヒェはそう言うと、逃げるようにテントを出て行ってしまった。

 怒りの形相を浮かべたダフネ隊長は無言で、その後ろ姿を睨みつける。


 ブレッヒェ・カイネン・ゾ・ハルミア

 王家御用達商会であるハルミア商会の会長の娘で、姫様に女執事兼メイド長として使える女。

 今はあらゆる物を多岐に扱う総合商会であるハルミア商会。

 だが、すでに数百年も前の話なので覚えている者もへってきているが、実は元奴隷商からのし上がってきた商会だ。

 伝統的に王城内の多くの奴隷身分のメイドや、特殊(・・)目的(・・)の奴隷は、ハルミア商会から買い入れられてきている。

 そんな出自である為、ハルミア商会は非常に裕福で力を持つ商会でありながら、王家御用達商会内での序列は最下位だ。他の王家御用達商会に蔑まされていると言っても良い立場だった。

 それが故に、少し前まで王城内で繰り広げれらていた権力争いで、殆どの王家御用達商会が第一王子に助力する中、ほぼ例外的にクルスティアル第二王子に助力していた商会でもあった。

 そんな商会の会長の娘が、本来ならば経験が重視される女執事兼メイド長に若くして成っている。

 彼女自身は確かに優秀ではあるが、それでも、ただ単に彼女個人の能力だけによって、その地位についたなどとは、誰も思っていない。

 

 ダフネ隊長は、ブレッヒェが出て行った後も、怒りの形相を浮かべたまま思いを巡らす。

 ブレッヒェ。昔から、どこか掴み所が無い奴だと思っていたが……

 それでも王国への忠誠心、いや、姫様達への忠誠心だけは本物だと思っていた。

 だが、しかし。今の奴の行動だけは、納得がいかん。

 商人の娘ブレッヒェよ。

 お前の目的は何だ?

 お前の行動原理はなんだ?

 お前の忠誠心は何処に向いている?


 ダフネ隊長は決意して、リュウド副隊長に命令を出す。

「姫様の護衛を一人増やす。

 いいか、姫様が何と言おうと食後の散歩にも付いて行くように厳命しろ。

 それと、ブレッヒェから目を離すなと言っておけ」


 命令を言い終わってから、ふと思う。

 念には念をいれておくか。


「それと、デリシャを呼べ。

 あいつに、いつもどおりの仕事(・・)をしてもらおう」


いわゆる日常回も今回までとなります。

次回から、徐々に盛り上がっていく予定ですので、宜しくお願いいたします。

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