82 三角
「ユーイチ殿、宜しいですか?」
勉強会が熱く盛り上がって所へ、いつものように、その日の護衛当番である親衛隊員が、呼びにきた。
今日は、民主主義制度や、三権分立について、二人で盛り上がっていた。
アマウリは、政治体制については専門外だったが、それでも、その勇一の知識はアマウリの知的好奇心を刺激する。
特に、権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用を抑止する為、立法・行政・司法の三つの権利をそれぞれ分けた"三権分立"と言う考え方などには、異様に目を輝かせて反応していた。
『巧い。権力を握った人間の醜悪さ、醜さ、愚かさを、権利を分ける事によってお互いを監視させ制御し合おうという考え方。素晴らしい。これを考えた者は、一個の人間がどれほど愚かな存在であるか、きちんと理解し、愚民があつまった"国家"と言う集合体の矛盾点も理解している天才ですね』と、膝を叩いて感嘆していたくらいだ。
「あ、もう、そんな時間か」
勇一が、呼びに来た親衛隊に、そう答えるが、正確な時間が決まっているわけではない。
たしかに勇一はアマウリとの勉強とは別に、この事を、毎日のように習慣的におこなっている。
だが、そもそも、きちんと"約束"している訳でも無い。
勇一の意思による物、と、言うわけでも無い。
「おやおや、もうそんな時間ですか。
それでは今日の勉強会は、ここまでに致しましょうか」
そう言いながらアマウリは、議論の最中に思いつくままに書きなぐって、辺りに散乱させていた羊皮紙を集めだす。
「私がユーイチ殿を独占してしまっては、あの方に、不評を買ってしまいますからね」
そう言って、アマウリは、若干皮肉まじりの微笑を浮かべる。
勇一は、どう答えて良いものか考えたが、うまい言葉がみつからず、結局、軽く手をふっただけで、呼びにきた親衛隊員についていった。
当然のように、ディケーネも後を追うように付いて行った。
――――――
勇一とアリファ姫が、肩を並べて歩いている。
別にどこか目的地がある訳ではない。
二人は肩を並べて、ゆったりとしたペースで、ただ歩き続ける。
ここの所、毎日にように、アリファ姫から食事後の散歩の護衛を頼まれるようになっていた。
普段からもちろん二人っきり、と、言う訳ではない。
基本的に未婚の王族の女性は、若い異性と二人っきりになることは無い。
例え、逃亡中の身といえど、それは王族として守るべき一線である。
勇一とアリファ姫を見守る人間がついて回るのは、当然であった。
二人の後ろに少し離れて、ディケーネと、メイド長兼女執事のブレッヒェが大きな胸を揺らしながら、付いて来ていた。
だが、しかし
今日は、急にブレッヒェが言い出したのだ。
「ああああ、困ったのう。ちょっと気分が悪くなってきてしまった」
なぜか、ものすごく、棒読み口調である。
更に三文芝居の様な動作で、よよよ、とその場にへたり込む。
「大丈夫? ブレッヒェ」
アリファ姫が心配するが、ブレッヒェは平気な顔で返事をした。
「ええ、大丈夫です。ですが、私は先に馬車に帰って一休みさせて頂きたいと存じます。
大変申し訳ないがディケーネ殿、馬車まで私の護衛をお願いして宜しいかのう?」
そう懇願されたディケーネは、許可を確認するかのように一度、勇一の方を見た。
勇一にしてみれば、ブレッヒェの申し出を断る理由もない。無言で頷く。
許可がもらったディケーネが、気分が悪いと自己申告するブレッヒェを馬車へと連れ帰っていった。
そんな訳で勇一とアリファ姫は、今日は、本当に二人っきりで川沿いの道を歩いているのだった。
――――――
月明かりがキラキラと反射する水面を眺めながら、川沿いを勇一とアリファ姫は、二人っきりで肩を並べて歩く。
波打つ金髪が月光を浴びて光輝くアリファ姫のその姿は、まさに絶世の美女と呼ぶに相応しい。
その横を歩く勇一も、最近はきりりと顔がひきしまり、"竜殺し"と呼ばれるに相応しい英雄らしいオーラを漂わせつつある。
今の二人は、吟遊詩人が歌う一幕に出てくる、伝説の恋人同士のように見えた。
だが、相変わらず、勇一とアリファ姫の二人の会話は盛り上がらない。
いくら勇一が強い決意をもって人格的に成長したからといって、いきなり会話が上手になる訳ではない。
女の子を楽しませるか会話術のレベルは相変わらず最底辺だ。
好き嫌いは別にして、『会話』と言うものはじつは練習すれば、多くの人が有る程度は上手になる。
ゲームでもスポーツでも、練習さえすれば上手くなるように、ちゃんとした順序をおって練習して慣れてしまえば、上手くなるものなのだ。
営業のサラリーマンなどが、営業トークのトレーニングを行うと、とたんに話上手になったりもするのは、良い例だ。
会話が出来ない人は、子供の頃に親や周辺の人々と会話する練習を積んでいないことが多い。そして更に、世の中の教育機関では、数学や国語や漢文は行うのだが、会話のやり方を教えない為、会話が苦手な人間は苦手なままで人生を過ごしてしまう。
もちろん、総てがそうだとは言い切れないが、多くの場合は『誰も会話の仕方を教えてくれない』ことが問題なのだ。
で、勇一である。
当然、短期間で何かトレーニングをした訳では無いので、上手な会話は相変わらずできない。
うーん。
こまったな。
相変わらず何を喋っていいのか解らん。
勇一は、内心でそんな事を思いながら、歩き続ける。
考えてみると、ディケーネとニエスに対しては、会話で困った事など無い。
普段から、まったく問題なく普通に会話している。
ディケーネはぶっきらぼうな喋り方だが、実はけっこう話好きである。
出会った当初から、この異世界の事などを一つ質問すると、親切丁寧に色々と教えてくれた。
それだけで殆ど会話が成立してしまっていたくらいだ。
ニエスに関しては、もう完全に彼女がお喋り好きなので、ほっておいても勝手に愉しそうに喋ってくれる。
ふんふんと、聞いているだけで会話が成立してしてしまう。
そして何と言っても、二人に関しては、もうすっかり慣れた。
なにせ四六時中、ずっと一緒にいるのだ。
喋りっぱなしと言う訳にはいかず、黙り込んで沈黙している時間も多々あるのだが、その沈黙さえ、さして気にならないレベルになっている。
そのうえ、『あれ、取ってくれ』と言うと、ちゃんと目的のモノをわたしてくれて、食事のときなど『ちょっと喉が渇いたな』と思うと、水が入ったコップを差し出してくれるくらいに、以心伝心の関係になりつつある。
やはり、慣れと言うものは、会話にとって非常に重要な要素なのだ。
うーん。
それに、やっぱり相手が王女様と言う事と、あまりに美人すぎるから、どうしても今だに緊張が大きくなるんだよなぁ。
でもなあ。
やっぱり、少しくらいは、何か喋らないと不味いかな。
勇一はそう考える。
とりあえず見上げてみると月が綺麗だったので、その事をそのまま言ってみた。
「月が綺麗ですね」
現代社会ならある意味で、非常に危険な一言なのだが、幸いな事にこの異世界では、その言葉に深い意味は無い。
勇一のその言葉に、アリファ姫も、夜空の月を空を見上げる。
「ええ、とても綺麗ですね。
例え地上の私達が厳しい境遇にいても、月はいつもどうりに白く輝き続け、まるで暗闇の中で足掻く私達にやさしく光を与えてくださっているかのようです」
勇一の素朴な一言に対して、アリファ姫は、会話を広げようと情緒豊かな言葉を返してくれる。
ここで、何かロマンチックな一言でもかえせば、一気に会話は雰囲気の良いものになるのだろう。
アリファ姫は、明らかに、"それ"を待っている。
だが、もちろん勇一に上手く言葉を返すことなどできない。できようはずもない。
また、会話が途切れてしまう。
二人は、再び肩を並べて歩き続けた。
うーん。
やっぱり、ぜんぜんまったく会話が盛り上がらない。
でも、まあ、いいか。
今や俺も、お客様ではなく、姫様を守る護衛の一人だしな。
そんな無理して会話する必要もないか。
実際、勇一は今は護衛する立場なので、肩にレーザー小銃を掛けたままだ。
そして、少し前までなら、会話が盛り上がらないこの雰囲気の中であたふたとしたことだろう。
だが、今の勇一には、逆に開き直ってしまえるだけの、心の余裕のようなものがある。
そして、アリファ姫の内心には、余裕が無かった。
勇一と肩を並べていると、違う意味合いで、何を喋っていいか解らなくなってしまう。
子供の頃から社交術を習っている彼女にとって会話とは、『定例の挨拶から始まり、当たり障りの無い話題を振り、相手の話を最後まで聞き、決して相手を否定しない曖昧な返事を返すもの』と、決まっている。
相手の立場、位の上下によって使うべき敬語や謙譲語を使い、使っていけない下品な言葉をさけ
ふって良い話題をふり、ふっていけない政治批判や女性関係の話などは無視する。
決められたルールにのっとって、言葉をやり取りする『貴族の会話』。それは一種の試合である。
もちろん単なる遊びなどではない。自分の地位と名誉をかけた試合なのであった。
美辞麗句なら幾らでも言える。例えば『月を美しさを語れ』と言うならば、一時間でもまるで詩を歌うかのように情緒豊かに語ることが可能だろう。
だが、改めて勇一と二人っきりになって、会話しようと思うと何を喋っていいのか解らなくなってしまう。
本当に伝えたい事は、何も言葉に出来ない。
なにぜ、彼女は貴族の世界の中だけでずっと過ごしきたのだ。物心ついてから自分の気持ちを本当に喋った事など、一度しかない。
白亜宮で勇一と会話した時の、あの一度きりだ。
結局、二人はまったく会話が盛り上がらないまま歩き続ける。
それでもアリファ姫は、勇一と肩を並べて歩いているだけで、幸せを感じていた。
惚れてしまえば、あぼたもえくぼ。などと言う。
まったく無言でも、(開き直って)堂々としている勇一を、『寡黙で男らしい』などと感じたりもしていた。
アリファ姫は歩きながら、思いにふける。
人生とは、あまりに不可思議なるモノ。
父と母は亡くなり、国は滅ぼうとしていて、我が身は生きる為に逃げ惑うこの状況で……
私は、ただユーイチ様と肩を並べ、月明かりの中を散策するだけで、この上ない幸福を感じている。
今までの人生の中で、今が一番幸せだと感じるなんて。
一週間前の私にこの事を伝えても、絶対に信じようとしないでしょうね。
勇一も歩きながら、思いにふける。
それにしても、アリファ姫って不思議だよな。
なんで、毎日のように、こんな会話が下手な俺に散歩の護衛を申し付けたりするんだ。
もっと一緒に歩いて愉しい相手がいるだろうに。
うーん。どう考えても、話し相手として俺を指定するとは思えんよな。
やっぱり、護衛として俺の強さを評価してくれてるのか?
アリファ姫が勇一を、愛おしそう見つめ、
勇一がアリファ姫を、不思議そうに眺める。
互いの視線が、絡み合う。
二人共、自分の思いを誤魔化すように、ただ静かに微笑みあうのだった。
――――――
「お姉ちゃん。虫さん捕まえたよー」
金髪の可愛らしい少年が、両手で何かを包みこみながら、こちらに駆けてくる。
花々が敷き詰められた豪華な屋敷の中庭。日差しは柔らかく暖かい。
少し離れた所に置かれたテーブルセットに腰掛けた両親が腰掛けている。
メイドが入れてくれるお茶を堪能しつつ、微笑みを浮かべて、此方を見守っている。
「ほらほら、見て、お姉ちゃん」
近くまできた、金髪の少年が包み込むように閉じていた両手を差し出してくる。
彼女が覗き込むと、その小さな手の中には、一匹の綺麗な蒼い羽の蝶が居た。
何て言う名の蝶だったろう?
知っているはずの蝶だが、名前が思い出せない。
考え込んでいるうちに その蒼い蝶が、ヒラヒラと舞い上がり、少年の手の中から逃げ出した。
「ああ、逃げちゃった」
金髪の少年が少しだけ残念そうな顔をする。
「でも、また捕まえればいいか。捕まえたら、また、お姉ちゃんにも見せてあげるね」
そう言って、にっこりと笑う。
まったく屈託の無い天使のような笑顔。
病弱で、同じ年頃の男に比べても一回り体が小さく、勉強も剣術も駄目で、毎日庭で虫とばかり戯れている弟。
彼女は、そんな弟の事を溺愛していた。
両親も、長男であり跡継ぎである弟に対して甘々だ。なんでも、いいよいいよで済ませてしまっている。
だが、それゆえに『男なんだから、もうちょっとしっかりしないといけないだろう』と、心配にもなってしまう。
『私がしっかりして、弟を守らないと』
彼女は、心の中でそう思っていた。
幸せな日々。
余りに平和で平穏な日々に退屈を感じたり、男らしさが足りない弟にちょっと不安を感じたりすることが許された平和な日々。
その頃の彼女は、そんな総てが優しく心地よい平穏な日々が、いつまでもいつまでも続くと信じ込んでいた。
……
……
ディケーネが目を覚ました。
周りはまだ、暗闇に包まれている。
隣には、数年前に亡くなった弟が寝ていた。
いや、もちろん違う。
隣にねているのは、弟ではなくて勇一だ。
ふう。
彼女は、小さくため息を洩らす。
別に、顔は全然似てないのにな。
そんな事を思いながら、寝袋から手を伸ばし、勇一の頬に少しだけ触れる。
勇一は、反応しない。
ユーイチは、相変わらず、完全に眠っているな。
ディケーネはちょっと呆れながらも、愛おしそうにその頬を撫でる。
今までも、夜中に何度か同じように勇一の頬に触れた事がある。
だが、彼は今まで一度も、まったく、起きた事がない。
もし立場が逆で、ディケーネなら頬に手が触れられる前に、近づいてきた時点で眼が覚めて、その手首を掴むことだろう。
彼女だけではない。一流と言われるような冒険者なら、誰でもそうだ。
なのに、勇一はまったく起きない。反応も無い。完全に眠りこけていた。
いびきだけが、聞こえてくる。
狭い簡易テントの中に、勇一のいびきと、その向こうで寝ているニエスのわずかな寝息が、規則正しく音楽のように響いている。
ディケーネは、勇一の頬から唇にかけて指を這わす。もちろん反応は無い。
まったく。
これで"竜殺し"と呼ばれる程の英雄なんだからな。
不思議な男だ。
そう、今や勇一は英雄だ。
他の人が、『昔、勇一は静かな森の中でゴブリンに襲われて地面に丸まっていた』などと話を聞いても、その姿を想像することすら難しいだろう。
ディケーネは、基本的に正義感も強く、優しい女性である。
だが少し前まで、借金に負われていて、他人を助ける余裕などまったく無かった。困っている人がいても、見捨てていたはずだった。
なのに、ゴブリンに襲われていた勇一の事を助けた。
そのうえダーヴァの街まで一緒に行き、何でも屋を紹介してやり、更に、依頼まで一緒にこなしたりした。
なぜ、そんな事をしたのか。
ディケーネ自身も、よく解らない。理由なんて無い。助けたいから助けてだけだ。
だが、ディケーネ本人も薄々自覚していたが、あきらかに彼女は、勇一に死んでしまった弟を重ね合わせて見ていた。
彼女と勇一は年齢も同じで別に年下と言うわけでも無いし、勇一と弟の顔は、それほど似ている訳でも無い。
だが、この弱肉強食な異世界では少数派である優しい雰囲気と、ちょっと頼りなげな所などが、なんとなく似通っていた。
あの顔を真っ青にして倒れていた勇一が……
本当に立派になった。
今のディケーネと勇一の関係は、奴隷と所有者である。
彼女にとって勇一は、絶対の忠誠を誓う対象である。
だが、それ以上に、彼女にとって勇一とは、出会った当時から、弟のように庇護するべき対象であると、心のどこかで感じていた。
そして、勇一が英雄となった今でも、どこか"庇護する"と言う感情は抜けきっていない。
『私がしっかりして、ユーイチを守ってやらないと』
その思いが心の奥底に、ずっと残っている。
それから、ふと……
ディケーネは食事後の自由時間の風景を思い出す。
勇一とアリファ姫が肩を並べて歩いていた後姿。
"竜殺し"と呼ばれる英雄と、亡国のお姫様。
月明かりに照らされた二人は まるで物語に出てくる伝説のカップルのようだったな。
……本当にお似合いだった。
そんな事を考えていると、急に胸が苦しくなってくる。
叫び出したい気分になってくる。なぜかイライラする。心の中に何とも言えない大きな感情が湧きあがってくる。
ここ数日、勇一とアリファ姫が一緒に居る所を見ると……、
その二人の後ろで護衛する自分の姿を省みると……、胸が苦しくなってくる。
「私はユーイチの奴隷だ。彼を守るためにこの命を使うのみ。それだけだ」
自分に言い聞かすように、そう呟く。
だが、胸の痛みはもちろん治まらない。
なんだか、目の前でスヤスヤと眠り続ける勇一に腹がたってきた。
思わず、ほっぺたをつねる。
ぐが?!
勇一がさすがに反応した。だが、それでも起きない。
これでも、起きないのか。
ディケーネは呆れた気分になってしまう。
自分が一人で理由もわからずイライラしてるのが、馬鹿らしくなってきた。
一度、周りを確かめる。簡易テントの中なので、当然、見ている者は誰もいない。
そのことを確認してから、勇一の頬にキスをした。
ちなみに、そのすぐ横で、実はニエスは、ばっちりしっかり起きている。
だが、寝たふりを続けるくらいには、空気が読めるニエスだった。
――――――
ああ、もう。
考えてしまうと……、想像してしまうと……、
胸が張り裂けそうになってしまう。
彼女は、簡易だが柔らかく寝心地の良いベッドの上で、ゴロゴロと、意味も無く左右に転げまわる。
さらに、言葉にならない意味不明のうめき声をあげそうになるが、枕に無理矢理みずから顔を押し付けて堪える。
嫌だ。嫌だ。絶対に嫌だ。
でも、多分、きっと、ほぼ間違いなく、
今頃は……、
ああああぁぁあああ゛あ゛ああぁぁああああ
思わず頭を抱えて嫌な声を出してしまった。
慌てて口を防ぐ。
だが、遅かった。
「大丈夫ですか 姫様?! 魔法使いのクワイに作らせた魔法鎮静剤がありますがお飲みになりますか?」
同じテントで寝ていたブレッヒェが声をかけてくる。
アリファ姫は、少し乱れた寝巻きを調える。
それから、心の中を見透かされないように、なるべく冷静に答えた。
「いえ、大丈夫、心配は無用です。少し悪い夢をみただけですから」
「そうですか。今は色々と辛い状況であります。
あまりに心乱れ苦しいようでしたら、無理をせず、魔法鎮静剤をお飲みください」
普段はアリファ姫が心乱して暴れるような事があっても、あまり薬をすすめず、暴れるがままに任せることが多いブレッヒェだ。
だが、今はあまりに状況が厳しい。実の両親は殺され、今まで住んでいた王城を終われ、毎日簡易なテントで過ごす日々。余りに大きなストレスで体や心が壊れてしまいかねない。
そう考えたブレッヒェは薬を飲む事を薦めてくれている。
「いえ、本当に大丈夫よ」
アリファ姫もブレッヒェが心配してくれているのは、重々解っている。
そして、多分、自分が心悩ましている原因を勘違いしているであろうことも解っていた。
少し誤魔化すように微笑んで、ブレッヒェの申し入れを断る。
それから、ベッドに潜り込んで、改めて寝ようとした。
だが、やはり考えてしまう。
苦しみが胸を締め付ける。
それはもちろん、ブレッヒェが心配するような内容ではない。
アリファ姫の胸を締め付ける思い。
それは勇一の事だ。
そして、アリファ姫が呻き声を挙げてしまいそうになる程に苦しんでいるのは……、
勇一が連れ歩く女奴隷
ディケーネとニエス、二人の存在だった。
なにせ、彼女達は、勇一の奴隷だ。
女奴隷だ。
王城の中で育った彼女は、他の貴族達が沢山囲っていた女奴隷という存在が、いったいどのような存在であるか、もちろん知っている。
もちろん彼女自身は王族の女性なので、結婚するまで純潔を守らなければならないし、非常に大切にされ、年頃の異性とまともに触れ合った事すらも無い。
だが、王城の中の貴族達が繰り広げる、醜悪なドロドロとした愛憎劇は、非常に身近な存在だ。
美しい女奴隷を連れ歩く。それが、どんな事を意味しているか、アリファ姫は嫌というほど知っていた。
この異世界では、貴族や、金持ち、そして英雄と呼ばれるような人物が、女奴隷の一人や二人どころか、十~二十人単位で囲っていても、良くあることだ。
そして、英雄と呼ばれる程の存在である勇一が、女奴隷の一人や二人連れ歩いていても、それは普通の事だ。
周りの人間も、別に何も言わない。
当然のように、"やることは、やっているだろう"と、そう周りからは思われるていた。
そしてもちろん、アリファ姫も、そう思っている。
ああああぁぁぁあああああ
今頃、勇一様は、あの美しい金髪の騎士と……、 可愛らしいネコミミの亜人と……、
淫靡で、卑猥で、ふしだらで、汚らわしいことを……、
色々と! あんな事や! こんな事やぁあ! そんな事までぇえええええ!
あああああ゛あ゛ああぁぁぁあぁあああああ!!!
思わず想像してしまい、胸が張り裂けそうになる。
特に見た目も美しい女剣士、ディケーネ・ファン・バルシュコール。
その存在が、アリファ姫の胸を締め付ける。
王族である彼女は、もしディケーネが単に美しいだけの性的なだけの奴隷だったなら、『殿方は女奴隷の一人や二人つれていても仕方ない』、そう、ある程度までは納得できたかも知れない。
だが、ディケーネは女の身でありながら、"十傑"に入る程の剣士だ。
戦場では、英雄"竜殺し"勇一と肩を並べ戦い、すでに伝説として語り継がれる程の存在だ。
そして、それだけでは無い。
アリファ姫は、思い出す。
勇一と彼女が肩を並べ散歩が終わった時の事を。
別れた後に、思わず振り返ってしまい、そして、見てしまった勇一とディケーネの姿を。
当たり前のようにくだらない冗談を言う勇一。
そして、その冗談に対して、当たり前のように、肩をすくめ呆れた表情を見せるディケーネ。
何気ない、普段から交わされているであろう、そのやり取り。
そこには、他人が入ることができない二人だけの独特の絆があるのが、見て取れた。
なぜかしら。
あの金髪の女奴隷を見ていると……、
王城の中で暗殺とかが、まかりとおっていた意味が、今になって解ってきた気がしてしまう。
そんな物騒な事まで、考えてしまう。
変な事は考えまい。もう寝てしまおう。
そう思えば思うほど、目が覚める。
まぶたの裏に、勇一とディケーネが裸で抱き合い、お互いの肉体を貪りあう姿を浮かび上がってきてしまう。
ああああぁぁぁあああ゛あ゛あああぁあああああ
思わず声が漏れてしまうのだった。
ああああぁぁぁあああ゛あ゛あああぁあああああ
アリファ姫の呻き声が、僅かにテントの中から、漏れ聞こえてくる。
アリファ姫のテントの前で、親衛隊員が交代で寝ずの番を行っている。
今日の担当はしている宝塚の男役が似合いそうな麗人の女騎士
ユーヒ・サン・ソーラパゥワだった。
姫が苦しんでおられる。
両親を殺され、国を追われ、この流浪の旅の中で、姫が苦しんでおられる。
ああ、姫よ。麗しき、我が主人よ。
私のこの剣が……、私のこの身が……、そして、私の『永遠』『絶対』『無二』の、無垢なる三つの忠誠が……、
貴方をお守りいたしますよ。
ユーヒは、姫様の呻き声を聞き、より一層、忠誠心を強くするのだった。
だが、もちろん、
そこに、大きな誤解があるのは、言うまでもなかった。




