78 城壁
薄暗い倉庫を抜ける。
眩い光が、一瞬、視界を奪う。
視界が一気に開けた。
目の前には、王都周辺の広大な麦畑と草原が広がっている。
穢れなきバラ親衛隊の後ろで、王族用の通用門が閉まった。
ちなみに門の扉には、城壁に使われている石と同じ材質の石が薄く切られて貼り付けてあった。
閉じられてしまうと、そこに門が在る事は、遠目には解らなくなる。
そして、前方に広がる草原の向こう側。
帝国軍が、布陣しているのが見えた。
数百人規模の軍団をいくつも作り、その軍団を横へ横へと並べ、どこまでもどこまでも続いているかのように見える長く広い陣形を展開している。
最前面に構える多くの帝国軍兵が、自分の体の三倍ほどの長さのある長槍を装備していた。
今はまだ、その長槍を空に向けている為、王都側からみると長槍の森に囲まれているようにも見える。
東門前の敵の総数は、約2万人。
圧倒的な軍勢だ。
ブォォオオオオン!ブォォオオオオン!ブォォオオオオン!
ブォォオオオオン!ブォォオオオオン!ブォォオオオオン!
ほら貝を連想させるような独特な笛の音が、あちらこちらから鳴り響いてきた。
その音がピタリと止み、一瞬だけ静寂が辺りを包む。
それは、もちろん嵐の前の静けさだった。
うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。うぉおおおおおおおおおおおおおおお。
地鳴りのような雄叫びが響く。
帝国軍2万の兵による、雄叫び。
空気を震わせ、城壁に反響し、地面さえ揺れる。
ビリビリと雄たけびが体全体に響いてきて、鼓膜が破れるかと思うほどだ。
軍団を形成した2万人もの軍隊が、鳴り響き始めた太鼓のリズムに合わせ、一糸乱れぬ動きで、城壁へと向かって進軍を始めた。
軍団が一歩進むごとに、地面が揺れる。
レギオンの先頭から、城壁まで600メートルほどだろうか。
その距離がジリジリと狭まってくる。
敵の数は万単位と膨大で、あくまで軍全体で、戦の勝利を目指して動いている。
その為、わずか数十人の穢れなきバラ親衛隊の一団は、眼中に無く今の所は殆ど無視されている。
だが、軍団と、王都城壁にいる王都防衛兵との戦闘が始まれば、いやおう無く巻き込まれてしまう。
巨大な獣同士の戦いに巻き込まれ、踏み潰される虫のように、踏み潰されてしまうだろう。
くそ、さすがに甘かったか。
ダフネ隊長の顔が歪む。
王都を出た後は、敵の包囲の隙を突いて脱出する。その予定だった。
だが、帝国軍は、王都を囲むように横に長く兵を布陣していて隙がない。
流石に、あれを正面から突っ込んで、突破できるとは思えない。
彼女が、ためらっている間にも帝国軍の軍団は、また一歩、また一歩と近づいてくる。
ダフネ隊長の様子を横目に見ながら、勇一がマイクに向かって問いかけた。
「タッタ! 敵の陣営に切れ目とか無いのか?!」
『あります。
敵勢力は、東と南、それぞれの大門の前を中心に王都を囲むように布陣しています。
その為、中間部になる王都の南東部分、ちょうど東の軍勢と、南の軍勢の間に布陣の切れ目があります。
管理者の現在所在地からですと、城壁沿いにほぼ真南へ2km程移動した地点になります』
タツタの回答を聞いた勇一が、叫ぶ。
「南だ!
ここから、南へ2km行った所に敵の布陣の切れ目がある!
城壁沿いに南に走るんだ!」
叫ぶと同時に電動バギーが南へと城壁沿いに走り出す。
「ユーイチ殿に続け!」
勇一の言葉に何の躊躇もなく、ダフネ隊長が反応して命令を出す。
すぐさま穢れなきバラ親衛隊も、その命令に従いが城壁沿いに南を目指す。
すぐ右手に、王都の城壁を見ながら南を目指して疾走する。
左手からは、帝国軍の軍団が、雄叫びと共にジリジリと迫ってきている。
いまはまだ帝国軍の軍団と城壁沿いに幅500メートル程の道がある状態だ。
だが、軍団の前進によって、その道は、一秒ごとに狭くなっていく。
「放て!」「放て!」「放て!」
帝国軍から、ほぼ同時にいくつかの号令の声が聞こえた。
それと同時に、大量の弓が、空へ向けて放たれた。
軍が大量の弓矢を使用する場合は、敵に向かって水平に撃ったりしない。
大方の落下点だけを予測して、最大飛距離を出す為、斜め約45度で空に向かって放つのだ。
空へと放たれた矢は、その余りに膨大な量の為、空中で雨雲のようになり、太陽の光さえ遮る。
その影から、大量の矢が作り出した雨雲を見あげ、ダフネ隊長が叫ぶ。
「壁際から離れろ!」
矢が、雨のように降り注ぐ。
弓矢は、決して穢れなきバラ親衛隊を狙ったわけではなく、あくまで城壁の上にいる王都防衛兵を狙って放たれたものだ。ただ、あまりに大量に放たれた弓矢の狙いは、あまり正確ではない。
城壁の下、壁沿を疾走する穢れなきバラ親衛隊の一団の上にも降りかかってきた。
それでも、寸前にダフネ隊長の指示で、城壁から僅かながら離れた事によって、降りかかってくる弓矢の数は少なくなっている。
何本かの矢が馬車に突き刺さったものの、負傷者はなんとか出なかった。
「放て!」「放て!」「放て!」
帝国軍から、またも、いくつかの号令の声が聞こえた。
そして、号令と同時に、またも大量の弓が、空へ向けて放たれる。
大量の矢が雨雲を形成し、影が出来る。
一拍おいた後に、矢の雨が降り注いできた。
アゥッ!
穢れなきバラ親衛隊の中から、小さな悲鳴が聞こえた。
声の方を振り向くと、雛鳥の一人、白い肌に長い黒髪の美少女カミラの二の腕辺りに、矢が突き刺さっている。
「カミラ! 大丈夫?!」
近くにいた巻き毛のフレヤが心配して声をかけると、カミラは、苦痛に顔をゆがめながらも『大丈夫』だと頷く。
その様子を、チラリと見てダフネ隊長は低い声で叫んだ。
「何があっても、走る馬に、死ぬ気でしがみ付け!
先に言っておく、落馬した者は見捨てる!
回りの者も無理に助けようとするな! 余計に被害が広がるだけだぞ!」
また敵の軍団から矢が放たれる。
うげっ!?
次の矢の攻撃で、穢れなきバラ親衛隊の中からまたも悲鳴が聞こえる。
親衛隊の中でもやたらと色っぽい女剣士のデリシャ・ホット・マートンが負傷していた。
「いったぁ~い なんで~わたしぃ? 運悪すぎぃ」
肩に矢が突き刺さり、かなりの重症の割には、今ひとつ緊張感にかける軽い口調で文句を言っている。
周りの騎士も、全然心配していない。
「城壁から、なるべく離れろ!」
ダフネ隊長の命令が響く。
もちろん矢を避ける為に、あまり城壁に近づきたくない。
だが、しかし、城壁と帝国軍の軍団との距離はどんどん狭くなってきている。
さっきから、ずっと馬の腹を蹴りつけ、限界まで加速させて走らせていた。
それでも、左手に見える軍団の布陣は、何処までも続いていて、まだ何処にも切れ目は見えてこない。
「タッタ! 切れ目まで、残りの距離はどれくらいだ?」
焦れた勇一が質問すると、タツタの冷静な声がマイクから返ってくる。
『残りの距離は、約1kmとなります』
まだ半分あるのか!?
あまりの距離に暗澹たる気持ちになるが、それでも、前に進むしかない。
どんどん左手の軍団は迫ってくる。城壁との距離はすでに100mを切っていた。
後方から怒号や悲鳴が聞こえてくる。
東の大門付近では、すでに破城槌などの攻城兵器を前面に押し出す帝国軍と、それを阻止しようとする王都防衛兵の間で戦闘が始まっていた。
左手に近づいてくる軍団との間には、すでに80m程の距離しかない。
近くで良く見ると、長槍を構える最前線の兵士に混じって、城壁をよじ登る為の長梯子をもった兵士もかなりの数いるのがわかる。
城壁の上にいる王都防衛兵は、数が圧倒的に足りていない。
大門付近に兵力を集中している。
その為、この辺りの城壁の上には王都防衛兵数は少なく、帝国軍への反撃として打たれる矢も散発的で、殆ど効果がない。
帝国軍は、隊列を乱すことなく前進を続け、どんどん城壁へと迫ってくる。
切れ目は、まだなのか?
勇一が左前方に視線を向ける。
見えた!
思わず勇一が心の中でガッツポーズを取る。
左前方、数百m先で、敵の軍団が陣が終わっている。
「あそこだ!左前方で、敵の陣が終わっているぞ!」
「よし、あそこから外へ突破するぞ!」
ダフネ隊長が叫ぶ。
すでに城壁と、軍団の先頭とは、30mくらいの距離しかない。
その僅か30m程の幅の道を、切れ目を目指して、穢れなきバラ親衛隊の一団が、疾走する。
いままでは、帝国軍は、たかだか数十人の少集団である穢れなきバラ親衛隊の一団を無視していた。
だが、もうはっきりと認識出来るほどの目の前に存在し、さらに布陣の端を目指す集団の意図を読み取り、流石に無視できないと判断したようだ。
敵の陣の一番端の軍団の指揮官が叫ぶ。
「前へ! 早く」
その命令と共に、軍団が早足で前進し、穢れなきバラ親衛隊のゆく手を道を塞ぐべく、前へ出てとこようとする。
光の筋が奔った。
前方の道を塞ごうとしていた軍団の一人が、十字を刻まれ、転倒する。
さらに軍団に向けて勇一が、レーザー小銃を掃射した。
行く筋もの光が奔り、十字を刻み、次々と帝国軍兵が地面に崩れ落ちていく。
「ニエス! 加速して、前に出ろ!」
「はい! 御主人様!」
ニエスが、床を踏み抜くような勢いでアクセルを踏みつけた。
電動バギーの超伝導モーターが反応し、瞬間的に回転数を上昇させる。
シャフトを通して、その力を受けたコンバットタイヤが地面を蹴り、電動バギーを爆発的に加速させた。
道を防ごうと前に出る帝国軍の軍団の、更に、眼の前に、電動バギーが飛び出す。
その電動バギーに向かって何十本という、長槍が迫ってくる。
帝国軍槍兵が持つ長槍は3m程の長さがある。普通の剣では、まったく届かず反撃する事すらままならない。
だが、レーザー拳銃は、違う。
長槍より、更に遠い距離から、光の筋が敵を切りつける。
"光の剣使い"ディケーネ
その彼女が繰り出す光の剣の攻撃が、次々と敵を切り刻んでいく。
十字を刻まれ、光の剣で切り裂かれ、信じられないような苛烈な攻撃に帝国兵は混乱する。
一般兵に過ぎない彼らに、予想外の攻撃に瞬時に対応することなど出来るはずも無い。その場で何とか反撃を試みるが効果的な攻撃はできず、軍団の動きもそこで止まってしまう。
親衛隊の行く手を防ごうとした動きは未遂に終わり、前方に、本来その軍団塞ぐはずの空間がぽっかりと開いている。
そして、その開いた空間の向こう側に、もう帝国軍の軍団は、いない。
よし!
名無き者が作ってくれた、あの空間まで走り切れば、この包囲網を脱出できる。
「もう少しだ! あの切れ目から帝国軍の包囲陣から脱出できるぞ!」
ダフネ隊長が、叫ぶ。
だが、穢れなきバラ親衛隊のすぐ左手にいる、別の軍団の指揮官が右手を挙げた。
左手の軍団と、穢れなきバラ親衛隊との距離はすでに20m程。
もう、ギラギラと血走る眼や、戦いの狂気に支配された帝国軍槍歩兵達の表情さえ、はっきりと解るくらいの距離だ。
すでに十分戦闘可能な距離で、目の前の敵を、やすやすと通り抜けさせるはずも無い。
敵指揮官が、手を振り下ろすと同時に叫んだ。
「突撃!!」
長槍を持った帝国軍の兵が一気に、走り出した。
穢れなきバラ親衛隊の一団の横っ腹を食い破ろうと、距離を一気につめてくる。
最前線の帝国兵が手にもった何十本という長槍が金属の冷たく鈍い光を放ちながら、襲い掛かってきた。
くそ!
もう少しなのに!
心の中で舌打ちをしてから、ダフネ隊長が再び叫ぶ。
「このまま突っ切るぞ! 奔れ!」
左から突撃を敢行した軍団の何十本という長槍が、迫る。
穢れなきバラ親衛隊の一団は、頭を下げ、馬の腹を蹴りつけ、更に加速する。
敵の矢は、すでに敵槍歩兵が近すぎるので同士討ちを恐れて放たれてこない。
左から迫る槍を交わすべく、親衛隊の一団はギリギリまで右手にある城壁に寄って疾走する。
先頭のダフネと中心とする親衛隊の精鋭達が、長槍の先端をかわし軍団の目の前を通り過ぎる。
見事に帝国軍の布陣の切れ目へと飛び出した。
続いて姫達を乗せた馬車が、走り抜けようとする。
左から迫る軍団は、更に接近してきていた。
その攻撃を避ける為、馬車の運転を担当する魔法使いクワイ・ニーが、手綱を操り、馬車をさらに城壁へと無理矢理に寄せる。
城壁の石壁に馬車の側面がかすり、表面の木版を吹き飛ばす。むき出しになった中の鉄板が石壁と接触して、火花を散らしながら、駆け抜ける。
長槍の先端が馬車をわずかに傷をつけたが、それでも何とか通り過ぎ、開いた空間へと飛び出していった。
最後に雛鳥達が、走り抜ける。
左から迫る何十本という長槍は、もう体に触れそうな距離まで迫っている。すでに長槍と城壁の間には、僅かな隙間しかない。
雛鳥達は、縦一列に並び、自分の右膝をこすりつけるぐらい城壁に寄って走る。
それでも、左から迫る槍を避け切れない。更に城壁に寄った。
城壁に当たって右の膝当てが吹き飛ぶ。それでも左から迫る長槍をよける為に、更に城壁に寄る。
城壁の表面のごつごつした石が膝の皮膚が破り、肉をえぐる。
流れる血で城壁の石壁に、真紅の線を描きながら、疾走し続ける。
ギリギリで、槍をかわし、まずは雛鳥達の先頭を努めていたオレンジ色の髪のアンディーが、開いた空間へと飛び出した。
続いて、カミラ、フレヤ、エッダも飛び出してくる。
残るは途中から殿を努めていたロルダグルクだけだ。
だが、もうすでに左から迫る槍の先端が、体に届く距離まで到達していた。
とうとう何十本と突き出される長槍の中の一本、その先端がロルダグルクの肩に突き刺ささる。
私の悪運も、ここで終わりかしらね。
死ぬ瞬間だから、だろうか。
時間の流れがゆっくり感じる。音が消え、視界が狭くなる。
槍の先端が自分に刺さり、皮膚を破り肉へとめり込んでいく様子を感じることが出来る。
さらに何十本という長槍が自分の肉体を突き破ろうと迫ってくる様子が、まるでスローモーションの様に見えてきた。
敵の帝国兵の顔の皴から、流す汗さえハッキリと見える。
前方にいるエッダが、振り返って、何か叫んでいるのが見えた。
「・・・・・!!」
何を言ってるのかは、解らない。
涙と鼻水で顔中をぐちゃぐちゃにしながら、必死の表情で叫んでいる。
後輩が、私を見ている。
仕方ないわ。
ちゃんと先輩らしく、最後まで諦めない姿を見せないとね。
ロルダグルクは、最後の足掻きを試みる。
そうは言っても、もう体に達している槍をすべてかわす事など、不可能だ。
すでに何十本と言う槍が皮膚をやぶり、体の奥へとめり込みつつある。その槍の中で、致命傷になりそうな槍だけを選んで、なんとか剣で切り落とす。
さらに左から刺さる槍が、少しでも体の奥へ行かぬようにするため、右の城壁にぶつけるようにして体を預けた。
体の、左側面の肉を何十本という長槍に突き破られ、右側面の肉を石壁にえぐられる。
その状態で、狭い隙間を疾走した。
長槍に刻まれ、石壁に肉を削られる激痛で、意識を失いそうになる。目の前が暗くなっていく。
死が迫っているのが、自分でも明確に解る。
まあ、私としては、良くやった方よ。
ロルダグルクが心の中でそう呟いた瞬間。
目の前が、不意に、明るくなった。
とうとう、私は天に召されたかしら。
そう思う。しかし、違っていた。彼女の回りには、ぽっかりと開いた空間が広がっている。
そう、彼女はとうとう走り抜けたのだ。
本人も、まったく助かるとは、思っていなかった。
だが彼女は、体中に切り傷を負い、肉を削りボロボロに成りながらも、何とか軍団の前を通り過ぎ、開いた空間へと飛びだしたのだった。
次回で三章終了となります。




