77 倉庫
白亜宮の門が開かれた。
穢れなきバラ親衛隊と名無き者の一団が、王都へと走り出す。
門を出ると、周囲を包囲していた"奴ら"の残存部隊がいたが、ダフネ隊長の予想どうり、戦闘にはならず、あっさりと通してくれた。
王都の中は、静まりかえっている。
街の中には出歩く者はおらず、危険を知らせる警鐘だけが、鳴り響いていた。
西の大門の外では戦闘が起こっているはずだが、巨大な王都の中でほぼ反対側にあたるこの地域までは、その事は伝わってきていないようだ。
遠くにそびえる王城から、火の手が上がっているのが僅かに見えている。
街の人達は何が起こっているのか解らないで、家に閉じこもり扉に鍵をかけ、閉じこもっていた。
その静まりかえった王都の中を、石畳を蹴る馬のヒズメの音と馬車の走る音を響かせながら、穢れなきバラ親衛隊の一団が走り抜けていく。
建物の中から多くの人たちが、じっと此方の様子を窺っている。
「随分、王都の人たち静かだな。逃げ出したりパニックになったりもしてないし」
周りをみた勇一が、殆ど独り言のように洩らした感想に、ディケーネが律儀に答えてくれる。
「西側の大門の外で戦闘が起こっている事が、まだ伝わってないのだろう。
ひょっとすると王都の民は、『何が起こったかしらないが、どうせ明日になれば、またいつもの平和な日に戻る』
そう、思っているかもしれないな」
実際に、殆どの王都の民は、ディケーネの言ったとおりの事を思っていた。
なにせ王都は、もう百年以上直接に攻められた事が無い。王都での戦闘を経験した人種は、もう残っていない。そして普段の平和な王都では、国境沿いの戦いも、辺境の危険な魔物も、まったく別世界の話なのだった。
確かに有りそうな話だな。
まあ、元の世界でも数十年前の戦争はもうすっかり過去のことだったし、そのうえ自分の領海まじかの海にミサイル打ち込まれても、平気だったからな。
あれって考えてみると、頭の上をかすめるように剣を振り回されてる状態なのに、全然危機感に欠けてたしな。
そのまま、何の障害もないまま、先ずは勇一達が宿泊している宿屋の前に到着する。
すぐさま馬から降りた『名無き者』のメンバーが、納屋の中の電動バギーに飛び乗った。
もちろんニエスが運転席で、勇一は助手席、ディケーネが後ろに立ち乗りする、いつもの乗り位置だ。
納屋を出る時。
一瞬だけ、勇一は『そういえばエイシャ様は、無事なのかな?』と気になった。
首になったとはいえ、一応は護衛対象だった人物だ。勇一としては、どうしてもその安否が気になってしまう。
そのとき丁度、宿屋のほうから、やたらと大騒ぎする声が漏れ聞こえてきた。
「エイシャ様がいないぞ」「『水と炎の旅団』もだ」「あいつらだけで逃げ出したんだ」
「くそ! グルキュフとか言う冒険者風情が!」「探せ! 探しだせ!」
こりゃ、関わらない方が良さそうだ。
まあ、あのグルキュフが付いているんだ、心配するだけ無駄だな。
勇一達を乗せた電動バギーは、穢れなきバラ親衛隊に合流して、東門を目指し、ひた走り始めた。
更に、王都の街の中を東へ向かって走り抜けいく。
そして、王都の東の端、城壁付近に近づいてくる。
穢れなきバラ親衛隊の一団が走る大通りの正面に、東の大門が見えてきた。
だが、巨大な東の大門は、閉じられている。
当然だろう。王城で火の手が上がってすぐに、王都を守護する王国第八軍の指揮官であるピルロゥ伯爵の指示の元で、すぐさま大門は閉じられたのだ。
そのうえ、此方からは見えないが、そろそろ東門の外に2万の帝国軍軍勢が陣を展開しようとしているはずだ。
大門の左右にそびえ建つ壁と一体化した監視塔の上には、弓を装備した大量の王都防衛兵が居るのが見える。
だが、防衛兵の殆どが、門の外を見ていて、こちらに対しては背中を向けていた。
「どうする? 奇襲をかけて、無理矢理突破するのか?」
「ユーイチ殿は、見た目によらず好戦的で、なかなか頼もしいな」
勇一の質問に、ダフネ隊長が笑いながら答える。
「だが、あの門は敵の大軍の攻めてきても守りきれるような強固な造りになっている。いくら内側からとはいえ、力ずくは無理がある。そして帝国軍が外にいる状態では、どう頼んでも開けてはくれぬだろう」
「じゃあ、どうするんだ?」
「あてはあるさ。こっちだ!」
そう叫ぶと、ダフネ隊長は馬の踵を返し、大通りからそれて路地へと入っていく。
すぐさま穢れなきバラ親衛隊の一団もその後を付いて路地へと入っていく。
そのまま、少しの間、ほぼ王都の城壁にそって走り続けた。
すると、城壁沿いにある倉庫のような建物が見えてくる。
倉庫の正面には巨大な木の扉がある。どうやら重要な建物のようで、巨大な木の扉の前には、当然のように王都防衛兵が数人が警備をしている。
その王都防衛兵の目の前に、何の警戒行動も取らず堂々と穢れなきバラ親衛隊の一団が、姿を現した。
更にダフネ隊長が、馬に騎乗したまま叫ぶ。
「我は穢れなきバラ親衛隊隊長、ダフネ・ド・コスター。
特務によって進軍中だ。施設の使用を求める。扉を開けよ!」
我々が今の王都の状況を理解しているのは、名無き者の助力によるもの。
うちの魔法使いクワイは、念話魔法が通じなかった。
此処にいる王都防衛兵も、まだ王都の状況を知らぬだろう。
当然、姫様を捕らえるような命令もまだきていないはずだ。
そう判断してのダフネ隊長の行動だ。
「少々お待ちください」
確認の為だろう。警備していた兵の一人が、正面の大きな扉の一部に開けられた小さな扉から、倉庫の中へ入っていった。
「なんでこの倉庫に?」
勇一が、不思議に思って、当然の質問する。
「なあに、中に入れば解るさ」
ダフネ隊長はそう言って、唇の端を歪めてニヤリと笑っただけだった。
そのまま少し待たされる。
不意に、何の前触れもなく、扉が動きだした。
ゴゴゴゴ、と重厚な音を響かせながら 倉庫の正面の巨大な扉が開かれた。
開かれた扉から、その倉庫の中を見た瞬間。
勇一は、反応する。
倉庫の奥に、大量の兵が居たのだ。
反射的に、肩のレーザー小銃を構え、前方に狙いを定める。
だが、向こうの兵は動かない。ダフネ隊長も慌てた様子が無い。
向こうも、此方も、交戦の意思は無いようだ。
ダフネ隊長は、倉庫の奥にいる兵を気にせず、そのまま馬を進めて倉庫に入っていく。
穢れなきバラ親衛隊も続いて進んで倉庫に入っていくその姿をみて、勇一達も、倉庫へ入っていく。その後ろで、また重厚な音を響かせながら、扉が閉められた。
昼間でも薄暗い倉庫の中で、穢れなきバラ親衛隊と、奥にいる王都防衛隊が向かい合う。
奥から一人の兵士が進み出てきた。
他の兵士より、豪華な鎧を身に着け、派手な兜を被っている指揮官らしき男が頭を垂れる。
年の頃は、二十代の終わり三十代目前と言ったところだろうか。王国の指揮官としては、若い部類に入る。
「お久しぶりですダフネ隊長。相変わらず見事な筋肉がお美しい」
「久しぶりだなツール隊長。最近、王城で見ないと思ったら、こんな所に配属されていたのか。
つもる話もあるが、申し訳ない、急いでいるんだ。さっさと通してくれないか」
「ここは王族専用の施設。
親衛隊隊長の貴方が守るその後ろの馬車には、もちろんあの御方が乗っておられるのでしょう。
あの御方に、ここを使って頂く事は問題ありません。
ですが、お聞きください。
今、ここを使うことは無理です」
ツール隊長の言葉に、ダフネ隊長の眼がギラリと光る。
「なぜだ? 理由を言え」
「はい。実は、王都城壁の外側には、帝国軍だと思われる大量の軍勢が、陣を展開中です。
今、この施設を使うのは自殺行為だと思われます」
「ああ、なる程。
心配してくれるのは有り難いが、そんな事はすでに知っている。
いいから、通してくれ」
ダフネ隊長の返事に、ツール隊長は、怪訝な顔をする。
「知っていて、それでも、なお、外に出ようとされるのですか?」
「ああ、そうだ。通してくれ」
ツール隊長は、しばし考えてから、慎重に言葉を選んで喋り始めた。
「王城で火の手が上がり……
帝国の兵が王都を包囲し……
そして、姫を守る貴方が、無理を通して王都を脱出しようとする……
ここには、詳しい情報が届いていませんが、この状況を鑑みるに……
どうやら、ダフネ隊長は、相当お困りのようですね」
「何が言いたい?」
ツール隊長の眼が、怪しく光る。
「何も知らない振りをして、此処を通すことは……
無料では、出来ないと言う事です」
賄賂の要求か。
横で聞いていた勇一は、おもわず内心で呆れる。
まあ、でも、この異世界ではよくある話かも知れないな。
ダフネ隊長は唇の端を歪めて、熊のような恐ろしい笑顔を浮かべる。
「私にそんな口をきくとは、随分偉くなったもんだな。
なあ"長靴"のツールよ!」
昔に呼ばれていたのであろう、"長靴"と言う二つ名が何を意味するかは、勇一や周りの人には解らない。だが、多分、あまり良い意味は無いだろう。
ダフネとツール、二人の隊長の過去の関係もどんな物だったのかも、もちろん解らない。
ツール隊長は、挑発するようなダフネ隊長の言葉に、何も言わず肩をすくめてみせただけだった。
「ふん。まあいい、今は時間が惜しい。
それで? "長靴"のツールよ。何が望みだ?」
「そうですねえ……」
ツール隊長が、顎に手を当てて考えるような素振りを見せる。
倉庫全体に緊張感が走った。
周りで二人の会話を聞いている兵達は、腰の剣に手をかける。
この男の望む物によっては交渉決裂があるかもしれない。そして、その先には、戦闘があるかもしれないのだ。
そういった想像が、倉庫全体に嫌な緊張を走らせたのだ。
ツール隊長が、ニヤリと笑ってから言った。
「まあ、火酒を三杯は奢ってもらわないといけないですな」
ダフネ隊長もニヤリと笑いかえす。
「樽ごと奢ってやるさ。
なんだったら、うちの隊員の美人ドコロに、お酌もさせるぞ」
「私としては、ダフネ隊長御本人にお酌して頂きたいですな。
よし、道を開けろ」
ツール隊長が何事も無かったように指示を出す。
すると、倉庫の奥にいた兵が移動して左右に割れていった。
いままで兵がいた倉庫の真ん中に、奥の壁へと繋がる道ができた。
突き当たりの壁は、直接に城壁になっている。そして、その城壁部分に、外へと続く門が有る。
それは、王族専用の通用門だった。
おお、こんな所に門があるのか。
思わず、勇一は感心する。
なるほど。この倉庫、壁にピッタリくっつけて、門にかぶせるように建てられてるのか。
これなら王都の市民も、この門の存在に気付かないだろうな。
「ダフネ隊長。どんな事情で、どこへ向かうか、あえて聞きませんが……
どうぞご無事で。
いつか、火酒を奢ってもらうのを楽しみにしてますよ」
「ああ、"長靴"のツールよ。お前も達者でな」
二人はすれ違うときに、軽く拳をぶつけ合う。
そして、奥にある外へと繋がる通用門が、開け放たれる。
その通用門を潜り、穢れなきバラ親衛隊の一団は、王都を脱出した。
残り2話で、三章完結となります。




