72 変
勇一が、その大きめの部屋に入ると、多くの者が忙しそうに動きまわっていた。
回復薬では直しきれない負傷者を、手当する者。
予備の剣や鎧を準備する者。
回収した矢を整理する者。
細々とした荷物を片付ける者。
簡易的な軽食を造る者と、交代でその軽食を食べる者。
奥のテーブルの上に広げられた地図を取り囲んで話しあう者。
白亜宮の北館二階、大広間。
奥の別室に待機している姫様や見張り以外の者、穢れなきバラ親衛隊を中心に召使や料理人も含め、白亜宮内にいる者たちほぼ全員が、この大広間へと集結している。
そこの雰囲気は、完全に、戦場の最前線にある戦略拠点と化していた。
南館での戦闘を終えた勇一とディケーネも、伝令に呼ばれ、ここへとやってきたのだった。
奥で地図を取り囲んで話しこんでいたダフネ隊長が、勇一達に気付く。
「きたか!」
ダフネ隊長が走り寄ってきて、勇一の肩をバンバンと叩く。
「よくぞ南館を死守してくれた。礼を言うぞ。
それにしても、たった二人で正面からの攻撃を防ぎきるとはな。
さすがは、"竜殺し"と、"光の剣使い"
この戦いも後世に、"白亜宮での敵兵100人皆殺しの大攻防戦"みたいな呼び名と共に、語り継がれるだろうよ」
若干、呼び名のネーミングセンスが悪い。
そう思ったが、もちろん口に出しては言わない。
そのうえ、女性でありながら勇一よりも背が高く肩幅もひろく筋肉もあるダフネ隊長に、そのごつくてでかい手のひらで、肩をバンバン叩かれると、結構、本気で痛い。
「いや、そんな語り継がれるって。本当に運が良かっただけですよ」
「そんな、謙遜するな」
また、バンバンと肩を叩かれる。
まじで、痛い。
「むっ。二人共かなり返り血を浴びてるな。
今から姫様への報告と、現状の分析、及び今後の方針を決定する会議を行うつもりだったが、その前に、良かったから、洗ってきてくれ。
お湯も準備してある。さすがに全身を湯浴みするような時間はないが、顔や髪、手だけでも洗ってくれ」
確かに勇一もディケーネも、べったりと返り血が付いている。
ディケーネの顔は、一度は布で拭いたものの、その後の戦闘でまた汚れてしまっていた。綺麗な癖のない金髪も、返り血が乾いてバリバリのゴワゴワになってしまっている。
勇一の頬や体にも返り血がべったりついていた。
ただ、頬についた血は、元はディケーネの返り血だ。
この血に関しては、ディケーネが布を出して拭こうとしてくれた。だが、残念なことに、そんな布など彼女はもっていない事に気付き、けっきょく断念してそのままになっていたのだった。
まあ。俺は、それ程大した事ないけど。
確かにディケーネは洗わせて、あげたいよな。
「じゃあ、お湯を使わせてもらいます」
「ああ、そうしてくれ。あの右の扉を出て、廊下の向かいにある部屋だ」
ダフネ隊長の指差した方向の扉へと、二人で歩きだす。
扉をぬけ、一歩廊下にでると、建物の中は異様に静かで、広間の中の喧騒だけが壁越しにやたらと聞こえてきた。
まだ、建物の周囲は敵に囲まれている。王城に上がった火の手も消えるどころか、更に火の勢いが増していた。
気を抜ける状態ではない。
だが、あまりに気を張り詰め続けるのも、逆に良くない。
王城の火の手が収まらず、帰還する目処が立たない以上、状況によっては長期戦になる可能性だってあるのだ。
広間の中で交代で軽食を取っていた者が居たのも、長期戦を視野にいれているからこそだろう。
まあ、とりあえずお湯を使って綺麗にするかな。
勇一が、お湯の置いてある部屋の扉を開けた。
そこには、先客がいた。
素っ裸の少女。
あまり丸みの無いほっそりとした体と、スラリと伸びた手足が、パッと見は少年のようにも見えた。だが、わずかに膨らみかけの胸と、その先にある、ツンと尖った桃色の突起が、ちゃんと女性であることを主張している。
その裸の少女は、両足をやや開いた格好で立っていた。
ちょうど両足の間、僅かに生え始めているあの辺りを、布で拭いている瞬間である。
勇一と、少女の目が合う。
あの辺りをふいている全裸少女の手が止まる。
部屋の空気、すべてが固まっていた。
いゃあああああああああああ!!!
一拍置いてから少女が悲鳴をあげる。
少年のような少女の名はエッダ・トリコロール。
先の戦闘で失禁してしまった為、着替えと共に体を拭いている途中だった。
見た目は少年っぽいが、心は普通に14歳の乙女である。
全裸を、しかも、股間を布で拭いている瞬間を、見られてしまったのだ。
叫ばずには、いられない。
「今の悲鳴は何?! 何があったの?! 敵襲?!」
剣を構えたロルダグルクが飛び込んくる。
入れ違いに、『わざとじゃないんだ、すまん』と言いながら、申し訳なさそうに勇一が部屋を出て行くのとすれ違う。
部屋の中には、真っ赤な顔で泣きそうな表情を浮かべ、小さな布で裸を隠すエッダと、『やれやれ』と肩をすくめるディケーネの姿があった。
その情景を見てロルダグルクは、だいたいの状況をすぐさま把握した。
彼女はエッダの所へとズカズカと歩みよる。
そして、勢いよく頭をはたいた。
「裸を見られたくらいで、叫び声をあげてるんじゃないわよ! この雛鳥!」
かなり理不尽な気もする意見だが、兵隊とは、そのような物だ。
人にもよるが、集団生活を基礎とする兵隊暮らしが長くなると、女性らしい羞恥心という物が段々と鈍ってくる。
実際に穢れなきバラ親衛隊の多くの者が、裸ぐらい見られても、叫び声を挙げたりしない。
とくにロルダグルクなどは、もともと子供の頃から剣術道場の男弟子達と、汗水たらしながら一緒くたに修行しながら暮らしていたこともある。
その為、非常に女性らしい見た目と、良い意味でも悪い意味でも女性らしい性格をしていながら、羞恥心には大きく欠けている。
素っ裸で戦うことだって辞さないレベルであった。
まあ、それはそれで、人として問題があるのだが。
「申し訳ありません!
ですが、その、裸を見られてしまって、しかも、その、あそこを、その、ちょうど拭いている所だったもので、よけいに……
「言い訳してんじゃないの! とにかく、さっさと着替えて、ユーイチ殿たちの為に部屋をあけなさい!」
そう言って、ロルダグルクは、またエッダの頭をはたく。
裸を見られたうえに、先輩に怒られ頭をはたかれて、ふんだり蹴ったりエッダだが、文句も言わず、あわてて服を着始める。
ロルダグルクが部屋をでると、廊下の少し離れた所に、真っ赤な顔をした勇一が立っていた。
「すいません! 本当に覗く気なんてなかったんです」
そういって、頭をさげた。
なにせ、勇一の知っている元の世界では、覗きや痴漢になってしまうと、それだけで人生が駄目になりかねない。
真摯に謝罪するのは当然のことである。
この人……
謝ってるの?
ロルダグルクは、不思議に思ってしまう。
普通なら、身分の高い貴族や、英雄なんて呼ばれる人は、謝ることなどしない。
生存競争の激しいこの異世界では、『謝ったら、負け』と言う雰囲気すらあるのだ。
そもそも、何を謝ってるのよ?
もはや戦場の最前線と言っていいこの場で、裸のひとつやふたつ、見たからと言って、何で謝罪なんかしているの?
それに、いつも綺麗な女奴隷を二人も、はべらしているくせして、あんな貧相な子供の裸をみたくらいで、なんで顔を赤くして、こんな恥ずかしがってるのよ?
思わず、改めて勇一の事をしげしげと見つめてしまう。
このユーイチという人。
確かに強いし、間違いなく英雄なんだろうけど。
武具も見たこと無い物だし、ローブの中に着てる服ははっきり言ってダサイし、魔法もまったく聞いたことないような珍しい魔法だし……
あんな子供の裸みたくらいで、恥ずかしそうにして、ぺこぺこ謝るし……
すっごく、変な人ね。




