68 障壁
さてと……
勇一との無線連絡が終わった後、白亜宮での防衛戦が始まる直前。
アマウリは、ゆっくりと余裕をもって、行動を開始していた。
まずは、ついさっきまで書いていた羊皮紙を片付け始める。
大量の羊皮紙には装甲指揮車のイラストがいくつも描かれていた。
全体像だけでなく、装甲の細かい突起部分や、内装、運転席のハンドルや、コンバットタイヤや、ドアの金具にいたる部分まで、非常に多くの部分が繊細なタッチで細かく描かれ、さらに説明や注釈がびっしりと書き込まれている。
元『紫檀の風』メンバー、魅惑の魔法使い、アマウリ・デ・オリベーラ
彼は、好奇心の強い者が多い魔法使いの中でも、ずば抜けて好奇心が強く、探求心の塊のような男である。
こんな奇妙奇天烈、自分の常識では計り知れない装甲指揮車を目の前にして、研究せずには居られない。勇一達と一緒にいるときは、勇一が嫌がるかもしれないと思い、あまり露骨に色々と調べたりするのは、控えていた。
だが、彼らが王都へ行き、行動を別にしてからは、何に遠慮することなく装甲指揮車を調べたおしていた。
細かい機構や形状を調べる。だけでは、もちろんアマウリは満足しない。
短剣で装甲の表面の塗装を削り、中の素材をむき出しにしてみたり、魔法実験用にもってきた『酸』や『特殊な溶液』を振り掛けてみたり、釜戸で熱した鉄のコテをコンバットタイヤに押し付けてみたりなど、好き放題好き勝手にあらゆる実験をガンガン行っている。
実験結果なども書かれた羊皮紙、それらを持って、一度、宿の部屋にもどり、綺麗にまとめて棚に片付ける。それから、なぜか食事の準備を始めた。
食事の時間ではありませんが、途中でお腹が空いては、いけませんからね。少し食べておきましょう。
本当なら、ワインも少し飲みたいところですが、まあ、今は我慢しておきましょうか。
パンとサラダだけの軽い食事を終えてから、体を伸ばし、軽く屈伸運動などをする。
それから、また、装甲指揮車の置いてある納屋へと移動した。
装甲指揮車の重い鉄のドアを開けて、中へと乗り込む。
このドア一つとっても、アマウリには興味の対象である。
なにせ最初は、内側からは開けることが出来ても、外からは開けることができなかった。
それが旅の途中で、『シヨウシャケンゲンノセッテイ』と言う、不思議な儀式を行った後は自由に開け閉めできるようになったのだ。
魔法にも、指定の者だけが扉を開け閉めできるようにする魔法は確かに存在する。
だが、このドアからは魔力を微塵も感じない。自分の知っている魔法とはまったく根本的に違う方法をつかって、同じ結果を得ているのだ。
アマウリは装甲指揮車の中にはいると、まずドローン『タツタ』に声をかける。
「こんにちは タッタさん」
アマウリの発した挨拶。それは、綺麗な発音の 日本語だった。
「こんにちは」
タッタも、もちろん日本語で返事を返す。
アマウリの興味の対象は、装甲指揮車だけに留まらない。
旅の途中から暇さえあればタツタに話しかけ、すでに五百以上の日本語の単語を覚えて、簡単な日常会話すらできるようになっていた。
タツタの方には元々『言語の通じない現地住民とのコミュニケーションマニュアル』があり、それにしたがって、簡単な単語のやり取りを行っている。
アマウリにとっては、非常に良い日本語の先生が居るような物だった。
ただ、それを差し引いても、短い期間での、アマウリの日本語の進歩は驚く程の速さであった。
アマウリは、次にぐーちゃんと猫のクロに声にかける。
「ちょっと、お邪魔させてもらいますよ」
「ラк○_△△@ルールヾ:ヴァ△☆~」
ニャニャゥウ
すっかり、幼女と猫の部屋になってしまっている、装甲指揮車の後部部分に入り込む。
「この中なら、何があっても安全ですからね」
誰に言うでもなく、呟いてからアマウリは、魔法を行う為に作業を始める。
高度な魔法を使用中は、精神を集中してしまうため、体は完全に無防備になってしまう。
どうやら王都で何か不審な事が起こっているようだし、もしかしたら、此方でも何かが起こる可能性が有る。
その際、この装甲指揮車の中なら安全だと判断したのだった。
本当は床に魔方陣を書くところだが、床が狭く平ら部分が少ないので書くことができない。
だが、代用する方法はある。呪文の描かれた札を、壁や床や天井に貼り付けていく。
「v%○~::Э{*タ''」
ぐーちゃんが、唇を尖らせて、やや不満そうに何かを言っている。
どうやら、自分の部屋に勝手に、べたべたと札を貼られることに文句を言っているようだ。
「すいません。終わったらすぐに片付けますので、しばしご辛抱ください」
口では丁寧に謝罪しつつも、まるで悪びれた様子もなく作業を続け、36枚の札を貼り終わる。
ユーイチ殿は、王城に火の手があがったと言っていましたね。
アマウリは、勇一との無線での交信を思い出す。
と、言う事は、たぶん『"奴ら"が動いた』と言うことでしょう……
アマウリは"奴ら"と、僅かながら関わりがある。
だが、詳しい事を知っている訳ではない。
"奴ら"は、希少な魔法具を持ってアマウリの師である大魔法使い『グリン・グラン』の所へとやってきた。
自分達が何者であるのかすら名乗らず、作戦の全体図も説明せず、ただ、その希少な魔法具を差し出す代わりに、攫った公爵の孫娘を預かってほしいと言いだしたのだ。
明らかに妖しい話である。
下手をすれば、公爵の孫娘を攫った犯人に仕立て上げられたりしまう可能性もあるし、それでなくても公爵家と対決するのは避けられない。
利益と不利益だけを考えても、釣り合っている話とは到底思えなかった。
だが、すでに達観し、あまり俗世に関わらぬように生きているグランだったが、収集欲だけは人一倍、いや、人百倍なのだ。
前から欲しがっていた、その希少な魔法具を目の前にして、目の色が変わってしまう。
結局、収集癖のあるわが師は欲望に負けて、その取引を簡単に安請け合いしてしまわれた。
まったくあの方にも、困ったものだ。
などと、アマウリは少し前の事を思い出して、肩をすくめる。
自分だって、欲しい物があったら、どんな事をしても、それが例え悪事であろうと、必ず手にいれるタイプの人間であるくせして、そのことは完全に棚にあげている。
そして、アマウリは、はっきり言って、"奴ら"が気に入らない。
"奴ら"が、わが師に預けた公爵家の孫娘を、いつまでも取りに来なかったのも、わざととしか思えない。
今思えば、最初から、わが師を争いに巻き込むこみ、混乱させる事そのものが目的であったようだ。
グランは、あまりに強すぎて、あまりに長く生き過ぎた為に、俗世の些事はあまり気にしない。
たとえ公爵家と対立する事になろうとも、それはグランにとって、羽虫が飛び回るのと同じくらいの"うっとうしさ"でしかない。
だが、アマウリは違う。
自分の師を、いいように利用しようとした"奴ら"が、非常に気に入らない。
そして、それとは別に……
アマウリは、前々から王都の魔法使い共のことも、気に入らなかった。
王立の魔法大学魔と魔法学院、どちらもたかだが300年程の歴史しかなく、所属する魔法使い共も大した実力がある訳でもないくせして、在野の魔法使い達やその弟子達を下にみて、"我らこそ魔法の本道"と粋がっている。
今、王城では、火の手があがっている。
その裏、目にみえぬ世界、魔法通信網などの、肉体から離れた精神の世界で、"奴ら"と、"王都の魔法使い共"の、両陣営が魔力と知識を使った別の戦いを繰り広げているはずだ。
そこへ、私が横からはいって、両方の邪魔をしてやりましょうか。
ふふふふふふ
腕が鳴る。
高揚感が自分を包んでいるのが解る。
自分の意思とは関係なく、股間のいちもつが、そそり立っている。
そんな事は気にせず、アマウリは、低く唸るような声で呪文を唱え始めた。
基本防御魔法
遠距離攻撃魔法無効化防御魔法
遠距離精神攻撃無効化防御魔法
遠距離魅了魔法無効化防御魔法
対魔法防御魔法無効化防御魔法
対念話妨害魔法無効化削除魔法
自己位置秘匿魔法
短時間魔力増大魔法
etc etc
複数の魔法を多重掛けしていく。
青白い炎や、紫色の光、蒼い輝きなどが、アマウリの体を包みこむ。
念入りな下準備を行った後。更に精神を集中し、自己の魔法力を集束する。
さて、いきますよ。
アマウリは、その端正な顔に、微笑を浮かべる。
「жжЭгЮБжж!!」
呪文と共に、一気に精神の世界へと飛び込んだ。
光が弾ける。天と地が消え、空も地も消え、上下が消え、左右が消え、前後が消え、光と闇が消え、朝と夜が消え、肉と血が消え、自分と他人が消え、ただ混純だけが存在する。交じり合う虹色。境目の無い精神。漂う意思。流れる記憶。消える思い。どこにも辿りつかない。始まりも終わりも無い。形はどれも丸で四角で三角で、どれも不気味で美しく醜く歪む。すべてが遠くかすみ、すべてが手の中。高みから右へ流れ、低みから左へと駆け上がる。今が生まれた瞬間で、死ぬ瞬間。生は破壊で、死は創造。妄想が作り上げ、想像が壊す。破滅が支配し、愛が管理し、恐怖が運用する。総て平等、総てが無意味で、総てが崇高。生命と魔力が、泥とワインのように交尾し混じりあう。
精神の世界
アマウリは、その混沌の中で、『マルティナルス・ドナルド・ハ・ミュラー』の精神を探す旅にでる。
上も下も前も後ろも、無い。
ただ、混沌だけが渦巻く。
その混沌の渦の中を、アマウリの精神は泳ぐように、飛ぶように、這いずるようにして進む。
この混沌の中に飛び込んでから、もう百年も泳ぎ続けているような気もするし、まだ数秒しか這いずっていないような気もする。
行く手に、黄色の小さな点が見えてきた。
水の中に黄色の絵の具を溶かしたように、その点はゆっくりと広がりながら流れだし、川となり、河に変化し、そして黄色の大河となる。
その黄色の大河が、ぶくぶくと泡立ち始める。液体は粘りを増し、ゆっくりと水面が盛り上がっていき、それは壁へと変化した。さらに表面が堅くなり尖りだし、黄色の茨の壁となりて、アマウリの行く手を塞ぐ。
それだけ、ではなかった。
棘の先端が、突然伸びてきて、突き刺そうと襲ってきた。
次々と棘の先端が、侵入者の突き刺し、葬ろうと伸びて来る。だが、アマウリの精神はその形を自由に変えながら、軽いステップを踏み、簡単にかわして行く。
王国の魔法使い達が作りだす、反応攻撃型の魔法防御障壁ですか。
さすが王城を守る魔法防御障壁だけあって、なかなかの出来です。
まあ、私には無意味ですけどね。
アマウリの精神が 茨の壁と同じような黄色へと変化していく。
突き刺そうと攻撃してきた棘を、抱え込み、包みように形を変える。
解けるように、馴染むように、棘に同化していく。
そのまま、混じりあうようにして茨の壁の中を、奥へ奥へと潜っていった。
黄色の壁の中を、掘り進み奥へとどんどん潜っていく。
だが、どこまで進んでも、向こう側にたどり着けない。
何処までも続く黄色の泥に包まれた地下を、まるでミミズのように這いずり続け、そのまま数日間すすむ。
それでもたどり着けない。さらに数週間掘り進み、さらにミミズのように這いずるだけの一年間を過ごした。
これは、珍しい。
魔法防御障壁の内部に、体感時間擬似圧縮魔法の仕掛けが有りましたか。
この仕掛けにひっかったら並みの魔法使いなら、絶望的なまでに長く感じてしまう時間経過の感覚に、心折られ発狂してしまうことでしょう。
それにしても、困りましたね。
こんな希少な魔法を無効化するような対抗魔法は、流石の私も持っていませんよ。
少しだけアマウリは悩んだが、すぐに悩むのを止める。
仕方ありません。
力技で強引に突破するとしましょうか。
アマウリの精神は、そのまま壁を中を掘り続けた。
ひたすら穴を掘り続ける。
そして、一年が過ぎた。でも、まだ、向こう側へたどり着かない。
一年、二年、三年、四年、五年、
六年、七年、八年、九年、十年……
ただ、ひたすらにアマウリは壁の穴の中で、黙々と前へと掘り進める。
十年、十一年、十二年、十三年、十四年、十五年……
二十年、三十年、四十年、五十年……
食事を取る事も、睡眠を取る事も、何の楽しみも無いまま、誰とも会わず孤独に、ただただ穴を掘り続ける。
百年、二百年、三百年、四百年 五百年……
千年、二千年、三千年、四千年 五千年……
体感時間で、五千年が過ぎた頃。
さすがのアマウリも、精神が崩れそうになる。
自分が何の為に、こんな所で、こんな事をやっているのか解らなくなってくる。
いつまで、どこまで、何の為に、穴なんか掘っているのか。
動きを止めて、何も見えない程に暗く、身動きすら満足にできない程狭い穴の中で、じっと耳をすます。もちろん何も聞こえない。
自分が何処からきたのか、自分は何をしているのだろう、自分は何者なのだろうか。
すべての思考の意味が無くなっていく。
思考が、ゆっくりと白紙になっていく。
自我が、崩壊していく。
だが、アマウリは持ちこたえた。
彼には、自分が死のうが崩壊しようが、それでも、"絶対に成し遂げなければならない事"がある。
例え、地獄に落ちようと、泥水をすすろうと、体を売ろうと、成し遂げなければならない。
その為に総てを捨てて『グリン・グラン』に弟子入りし、仲間を売り飛ばし、苦しい修行にも耐えてきたのだ。
こんな事くらいで、諦めて、消滅するわけにはいかないんですよ。
アマウリは、またひたすらにミミズのように這いずって穴を掘る作業を再開した。
……
……
そして、月日は更に流れ……
……
……
一億とんで二百四十五万千二百三十八年と、1ヶ月と二十八日後。
やっと、壁の向こう側へと抜けた。
やれやれ、やっと抜けましたか。
体感時間で一億とんで二百四十五万千二百三十八年、と1ヶ月と二十八日。
実時間では、十二秒程でしょうか。
予想以上に、時間圧縮率が高くて、少しだけ苦労しましたね。
ほんの少しだけですが、疲れましたよ。
アマウリは強がりを言うが、体感時間で一億年以上もの間、身動きすらまともにできない状態で孤独に耐え、正気を保っていることなど並大抵の事ではない。
実際の所、今まで誰もこの魔法障壁を越えることに成功した精神など、一人としていなかった。
アルフォニア王国建国以来、実に数百年間、誰も突破したことなかった王城の魔法防御障壁。
その壁を、アマウリの精神が、初めて突破したのだった。




