58 王子
もうすぐ、旅が終わる。
長かった、私の旅が終わろうとしている。
その部屋は、単に宿屋の部屋と言うには、あまりに豪華な空間だった。
天井には豪華なシャンデリアがぶら下がり、床には西方の少数民族が八十年掛けて編んだと言う最上級の絨毯が敷かれ、部屋の中心には北方の樹齢3千年の木から削りだされたテーブルと椅子が置かれている。
どの調度品も、単に多額のお金を出せば買えると言う代物ではない。
王都の手前にあるバックス山のほぼ頂上にある街ウラノス。
その街の中で、最高級の宿『翡翠笙館』は外遊から王都に帰ってくる王族が、必ずといって良いほど宿泊する定番の宿である。その豪華な部屋は、その宿の中でも、さらに最上級の部屋であった。
ふう。
男は、身を投げ出すようにしてソファーに座っている。
そのソファーもオジュール地方の主だったアルドドラゴンの革で作られたソファだ。
柔らかくそれでいて心地よい弾力のあるソファーに身を沈めながら、男は眼を閉じ、小さく息を吐く。
男の名は、クルスティアル・アヴェイラ・ロナード・フォン・アルフォニア
彼は、アルフォニア王国の王子である。
王子と言ってもすでに三十代後半の年齢で、娘も二人もいる。
だが、この年齢になっても日頃から鍛錬を続けており、その肉体は見た目は非常に精悍だ。
若干赤みがかった茶色の髪を無造作に後ろでまとめていて、甘く魅力的なマスクは、年を重ねることによってより表情の深みが増し、三十代後半になったいまでも、多くのご夫人達を魅了し続けている。
若い頃は"バレール"と呼ばれる、王族や貴族の間で人気のある馬に乗って行う競技の名選手でもあった。
豪快で力溢れるその姿と赤みがかった髪、そして彼の紋章を掛けて、彼はこう呼ばれていた。
アルフォニアが誇る若き英雄"赤き熊"
貴族の若い女性達は皆が彼に憧れて、舞踏会が開かれれば彼の前に列ができ、彼の肖像画の新作が出るたびに競って買いあさる程だった。
頭脳も明晰で、特に過去の戦略や戦術を研究するのが好きで、国軍の軍事教練にも積極的に参加してる。その為、軍人たちの人気も高い。
たまに思ったことをそのまま言ってしまう、大胆すぎる発言が、欠点といえば欠点だろうか。
だが、その欠点さえも魅力と感じてしまう程に王国の国民に愛されていた。
そんな文武両道、才能に恵まれたクルスティアル王子の不幸は、たった一つだけである。
それは、彼が、"第二王子"であることだ。
アルフォニア王国の第一王子は、リオメリ王子である。
フルネームは、リオメリ・アンドレス・メッシィ・フォン・アルフォニア。
この国でただ単に"王子"と言えば、彼の事を指す。それがゆえに、リオメリ王子には、これといった通称は、無いことになっている。
だが、国民の多くは彼のことをこっそりと"プルガの王子"と呼んでいた。
プルガとは、"蚤"の事だ。元々は子供の頃、背が小さいけれど、ぴょんぴょんとよく跳ねるほどに元気な王子だった為についた好意的な渾名だったものだ。だが、大人になっていくに連れて、その意味合いは少しづつ変化していった。
愛嬌はあり、決して不細工と言う訳でもないが、精悍な第二王子に比べてしまうと劣る見た目。
国の平均より僅かに低い背丈で特別小さい訳でもない体格だが、鍛え上げられた第二王子に比べてしまうと劣る肉体。
頭脳も明晰で特に文学に対して強く興味をもつが、戦略や戦術に興味を抱き政治面でも優秀な第二王子に比べると、劣っているように感じてしまう。
国民達は嘲笑の意味をこめて"プルガの王子"と呼ぶようになっていったのである。
当然、役人や貴族達がいる前では、大っぴらには言えない渾名であった。
国の式典が有るたびに、王子達が並んで国民の前に、二人の王子が並んで姿を見せる。
少し猫背な第一王子のリオメリ王子。
背筋をピンと伸ばし畏怖堂々とした第二王子のクルスティアル王子。
その姿を見て、国民は皆、内心で思うのだった。
『まさに"蚤の王子"と、"赤き熊"だな』
そして、もちろんのこと、この両者の揶揄する対照的な渾名は、"ある者"が、意図的に広めたものであった。
ふぅ。
クルスティアル王子が再び息を吐き、ソファから立ち上がり、窓辺に近づいていく。
すでに空は暗く、星が輝いている。
窓の下には、『翡翠笙館』を守るように兵士達が陣を組んでいるのが、篝火に浮かんで見えた。
その兵達の姿を見て、クルスティアル王子は、唇をゆがめ、低く声を殺して笑む。
くっくっくくくく
その笑みにどのような意味合いがあるのか……
自虐の笑みなのか、或いは、愉悦の笑みなのか……、それは誰にも解らない。
王都をでてくる時に、一万の兵が護衛として付いて来ていた。
だが、その兵たちは、あくまで父親である国王から貸し与えれた国の軍隊だ。国から任命された指揮官が指揮をしていて、国王の命の下で行動する。軍隊を維持する費用も、当然、国の公庫から払われている。
けっしてクルスティアル王子が自由に動かせる私兵ではない。
優秀な人材を集め、武器を準備し、訓練を行って自分の軍隊を作り、さらにその軍隊に住む場所を与え、飯を食わせ維持運営していくには、途方も無い程の莫大な資金が必要になる。
第二王子といえば、それなりの贅沢をする金はあるものの、自分の領土などは持っておらず、一万もの兵を養うような莫大な予算が手元にある訳ではない。
クルスティアル王子が費用を出して編成し、自分の思うがままに動かせる私兵など、彼自身と妻の警護を行う『誇り高き熊近衛隊』の五百騎と、二人の娘を守る『穢れなきバラ親衛隊』の五十騎だけだった。
だが、そのたかが数百騎の隊を維持するだけでも、一般人なら目が飛び出るような維持費が掛かっている。
クルスティアル王子が、誰にともなく呟く。
だからこそ……
協力者が必要なのだ。
コンコン、と、ドアがノックされる。
その音に、物思いにふけっていたクルスティアル王子が我にかえる。
「入れ」
許可を与えると、分厚い木の扉が音も無く開かれ、一人の男が、入ってきた。
白髪を、オールバックにした初老の男性。腰を曲げて、深々と頭を下げる。
「クルスティアル様。ウーノル公爵様と、ダスカルバ様が、面会を求めております。どういたしましょうか?」
「ふむ。もちろん合うぞ。招きいれろ。あ、それと、酒と何かつまむ物も用意しろ」
「畏まりました」
白髪の初老の男性が、また頭を深々と頭を下げてから部屋を出て行く。
それと入れ違うようにして、二人の男が入ってきた。
一人は、いかつい体にちょび髭を生やしたいかにも貴族然とした男で、もう一人は痩せこけて不健康な色黒な肌をした男だ。
ちょび髭の男が頭をさげ口上をのべる
「クルスティアル王子様、今晩もご機嫌麗しく、「いまさら、堅苦しい挨拶などいらん。座れ」
王子は、ちょび髭の男の言葉を遮り、二人に椅子に座るように勧める。
二人の男は薦められるままに、王子が座るソファーとテーブルを挟んで反対側にあるソファーに座った。
いかつい体にちょび髭を生やした、いかにも貴族然とした男。
彼がウーノル公爵だ。フルネームはウノール・ガルサ・ディー・サルバニアン。
サルバニア地方の領主である。
サルバニア地方は、隣国の中央ルシア正統皇帝国と国境が接する地域であり、アルフォニア王国の国防の要所であった。
その為、そこの領主であるウーノル公爵はバリバリの武人である。
どちらの王子を支持すると公言せず、どっちつかずでいる貴族が多い中、文化的な第一王子より、軍人よりの第二王子に、平然と肩入れしている。
貴族の中で第二王子派閥としては、ダーヴァの公爵家と並ぶ二大巨頭の一人だ。
それに対して、もう一人の痩せこけて不健康な色黒な肌をした男。
男の名は、ダスカルバ・ガ・カッパノヴァ。
彼は商人である。顔色は悪いが、人当たりの良い笑顔を浮かべている。
表向きは公式な付き合いがないガルア正統皇帝国と、アルフォニア王国の間で商品をやり取りする闇商人である。
禁じられているからこそ、儲けも多い。
老舗で歴史があり伝統を重んずる王家御用達の商人たちは、当然のように第一王子に肩入れする者が多い。
その為、第二王子を推す商人には、伝統の無い成り上がりの商人や、主流から外れた商人などが多い。
ダスカルパは、途方も無い利益を上げているが、成り上がりで主流から外れたていて、第二王子を推す商人の代表のような存在であった。
クルスティアル王子は、普段、彼らのような存在と大っぴらに会うことができない。
王城内では、自分の支援者達を集めて会っていると、どうしても反意があると取られかねない。
それに、王城内で交わした会話など、どこから洩れるか、解ったものではない。
ダーヴァの街への外遊の主な目的の一つが、こういった自分を支援してくれる者達と、気兼ねなく会う事であった。
ウノール公爵が力強く言った。
「やっと、帰ってまいりましたな」
ダスカルパが、不健康そうな顔に、似合わない笑顔を浮かべながら言った。
「もう、明日の午後には王都に、到着しますね」
二人の言葉に、クルスティアル王子は、感慨深げに心の底から言葉を紡ぎだすようして、呟いた。
「ああ。王都に、帰ってきた。そして、やっと、私の長い旅路が終わろうとしている。だが、しかしその前にどうにかしなければいけない、重要な問題が一つ残っている……」
急激に王子の顔が険しくなる。
「"奴ら"の問題だ」
"奴ら"
言うまでもなく、クルスティアル王子の娘であるアリファ姫とベルガ姫を襲った集団の事だ。
権力争いによる、暗躍、牽制、妨害、誹謗中傷、足の引っ張り合いは日常茶飯事である。
だが、あれ程あからさまな攻撃的行為を受けたのは始めてだった。
普通ならば軍隊、又はそれに準ずる集団を動かせば、すぐに指示を出した者が解る。
あれだけの集団を維持、管理するのはかなりの金が掛かり難しい。そして、あれだけの集団を隠しておくのは、更に難しからだ。
そして、その指示した者が明るみでれば、本来ならば社会的に抹殺されるはずだ。
だが今回、いまだに"奴ら"の正体、そして、その後ろにいるはずの者たちがハッキリとしない。
ちなみに王子は、"奴ら"が伯爵家の娘エイシャを誘拐した事も知っている。
もちろん、それにともないオーウェン次期公爵が、娘達の情報を流した事も把握していた。その行為は、本来なら公爵家に厳罰を与えるべき裏切りである。
だが、実際は伯爵家には何の厳罰も与えてはいない。
厳罰を与えることによって、王子と伯爵家の関係にヒビが入ったら、喜ぶのは"奴ら"だ。
しかし、裏切った事を知っていながら罰を与えないのは、信賞必罰の上で問題がある。
その為、王子はその件については"知らぬ存ぜぬ"を通して、事件そのものを無いことにしていた。
ただ、それでも何も影響が無いわけではない。
今回の事件で伯爵家の立場は悪化し、クルスティアル王子派閥内の序列が下がらざるをえなくなった。
今までなら、派閥の筆頭として王子の脇にいつも控えていた貴族は伯爵家であった。
だが、今、実際に王子の脇に控えている貴族はウノール公爵となっている。
そのウノール公爵に、王子が質問を投げかける。
「それで、どうなのだ? "奴ら"の尻尾はつかめたのか?」
王子の直球な問いに、ウノール公爵の表情は、険しくなった。
「お答えさせて頂きます。まず、結論を言えば、いまだ"奴ら"の正体は解っておりません。いくつか疑いのある人物や集団はいるのですが、なかなか尻尾がつかめません。クルスティアル殿下の政敵となるあのお方を人物を中心に貴族を洗っているのですが……
そこまでウノール公爵が話した所で、王子が片手を上げて、話を遮る。
「ここでは、我らしか居らぬ。言葉を飾らず正確な報告をしろ」
「は、はい。まずは、クルスティアル殿下の政敵となりますリオメリ第一王子及び、その派閥の貴族達が、自からあのような直接的かつ攻撃的な行動をすることは、さすがにありえないと思われます。その為、リオメリ王子派閥の中で亜流の貴族の一人が、手柄を欲して暴走したものかと思い調査を行いました。ですが、残念ながら、それらしい動きはつかめておりません」
「ふむ。で、? ダスカルバよ、貴族以外の動きはどうなのだ?」
続けて質問を受けたダスカルパの表情も、あまり明るいものでは無い。
「はい、周辺国からの間接的な攻撃という線も妨害が考えられます。一番考えられるのは、今も国境が接する"愚か者の道"にて小競り合いを繰り返す敵対国である『中央ルシア正統皇帝国』です。
ですが、私がもっている正統皇帝国とのパイプで色々探ってみても、それらしい動きがありません。
後は可能性が高いのは、北の『キエル・ルーシ大公国』になります。此方は調査しているものの今だに詳しい情報が無く、白とも黒とも言えぬ状態です」
「結局、何も解らぬのか。何か情報はないのか?」
王子が落胆の表情を見せる。
そこへ、ダスカルパが話をおずおずと、話の続きを
「まだ、関係あるかどうかは不明なのですが……
クルスティアル殿下は、『イルース東方緒教会』と言う名をお聞きになった事はありますか?」
「うん? イルース教ならもちろん知っているぞ。私とて、一応はイルース教の信者だからな」
この異世界では、古来からの神や、魔神信仰も存在するし、種族独自の宗教なども有る為、その種類や数は把握しきれない程にある。
そもそも、この異世界では魔法や神秘の力がある為、『神』とは『絶対の存在』というよりも『人種より上位に位置する知的生命体』といった認識が強い。
そんな宗教感ではあるが、その中にあって人種で、もっとも信者数が多いのがイルース教だ。アルフォニア王国内でもイルース教が一般的で、普通に"教会"といえば、イルース教の教会を指す。
「いえ、王子が信仰し一般的に信仰されているイルース教は、正式には『聖イルース皇教会』になります。『イルース東方緒教会』は、イルース教ですが別の宗派になります」
「別の宗派だと? どう違うんだ?」
「聖書の解釈に違いがあります。『イルース東方緒教会』は聖書に書かれている事が絶対で、その教えに乗っ取って生活すべきであると主張しています。さらに、聖書に乗っ取って生活しない者を"堕落者"と呼び、嫌悪の対象としております」
「随分と偏った考え方だな。まあ、いい。それで、その『イルース東方緒教会』が何だ?」
「あまり国内全土では知られていませんが、南の地域でいくつかの『イルース東方緒教会』の教会が大量の武器を隠し持っていったことが発覚して問題となっております。また、一部で信者を訓練して兵士に育てているとの噂もあります。
彼らの目的に関しては、いまだ不明で、数人の調査員を送り込んだのですが……、消息不明となっております」
「なる程、たしかにそれは妖しいな。何か関連があるやも知れん、引き続き調査して、何か解り次第すぐに報告せよ」
「はい、畏まりました」
ダスカルパが、承諾の意を表して、深々と頭を下げる。
ふむ、イルース東方緒教会か。
クルスティアル王子は、ダスカルパから聞いた、その情報を吟味ずる。
僅かながら"奴ら"の尻尾がつかめたのか?
その宗教が本命……とは、思えんな。
裏で、その宗教を操る者が誰なのか……




