09 物語
「起きろ、いつまで寝てる」
「眠い。もう少し寝かせてくれ」
勇一はそう呟いて、もう一度、布団にもぐりこむ。
「ふざけるなユーイチ。もう朝日はとっくに昇ってるぞ」
容赦なく布団を引っぺがされる。
布団を引っぺがしたのは、もちろんディケーネだ。
昨晩は宿の部屋を二人部屋に変更して、同じ部屋で寝た。
今朝が、二人で迎える初めての朝だ。
だが、まったく情緒もくそもない。
まあ、昨晩は、ディケーネは今まで張り詰めていた物が切れたせいか、すぐにベッドに倒れこんで寝てしまって、文字どうり、物理的に同じ部屋に寝ただけだった。
「ほら、さっさとベッドを出ろ。今日は一緒に冒険ギルドに行くんだろうが」
昨晩、ディケーネは奴隷商会を出て宿へ移動した後に、いきなり勇一にひざまずき忠誠を誓った。
あまりのそのディケーネの本気の心意気のようなものに、勇一は若干引き気味だったが、それはそれで嬉しいことだった。
ただ問題だったのは……
その後に勇一の事を『御主人様』と呼んで、さらに普段の粗野な言葉づかいからは想像できないほど完璧な敬語を使ってきたことだ。
貴族生まれで実は育ちの良いディケーネは、その気になりさえすれば、敬語ぐらい簡単に使いこなす。
だが、とりあえず敬語は、勇一が止めさせた。
前の世界で部活の先輩だった男が、やたらと偉そうな態度をとり、後輩には徹底して敬語を使わせる男だった。
ちょっと言葉使いを間違えるだけで、『説教』だとネチネチとを文句を言い、『特訓』だと言って暴力をふるってきた。
その経験のせいで勇一は、必要な物だと頭ではわかっていても、敬語に対して苦手意識がある。
ディケーネに敬語を使われると、それだけで落ち着かない。
多少強引に、ディケーネには、『今までどうり接っしてくれ』と言ってあった。
同時に『御主人様』と呼ぶのも止めさせた。
勇一には、残念ながら、そう呼ばれて喜ぶ性癖が無かったからだ。
ちなみに、実は『お兄ちゃん』と呼ばれたりすると、ちょっと嬉しいと思うのだが、ディケーネにその呼び方をしてもらうのはかなり無理がある。キャラ的に。
宿屋の一階にある食堂へ下りて行って、朝食を食べる。
食べ終わったら、冒険ギルドへ向かって出かける。
さあ、今日も、楽しい楽しいお仕事だ。
奴隷を買ってみて改めて気づいたのだが、奴隷の衣食住すべては、主人が準備しなければいけない。
そいういえば、元の世界で地方に住む従兄が、社会人になってすぐにスポーツカーを買ったことがあった。
憧れのスポーツカーに乗って浮かれていたが、それは最初の三ヶ月だけだった。
その後は、『買ったのはいいが、車庫代やらガス代やら車検代やら維持するだけで金が掛かって、生活が圧迫されてまじ苦しい。飯なんてずっとカップラーメンばっかりだ』と、涙目になっていた。
その気持ちが今なら少し解る。
スマホも売ってしまって、もう期待できる臨時収入も無い。
やっぱり金なんだよなー。
勇一は、思わずため息が出そうになる。
そんな勇一の心と、反比例して、街は更に華やかになっている。
紋章の入った旗の数は増え、街を行き交う人々の数も増えている。
表通りぞいには、プランターにいれた花まで飾ってある。
その花に囲まれながら歩くディケーネの、足取りは軽い。
結局奴隷にはなってしまったが、ここ二年間、ずっと心を支配していた借金や、借金のその先にあるべく暗い未来から開放されたのだ。
思わずスキップして、歌でも歌いだし、さらに踊りだしたくなるほどに、心は軽い。
もちろん、ディケーネは実際にはスキップしないし、歌を歌いはしないし、踊ったりも、もちろんしない。
それどころか表情すら、いつもと変わらない。
だが、それでも、その足取りは、確実に昨日より軽かった。
そんなディケーネの首には、奴隷の首輪は無い。
勇一が、昨晩はずしたのだ。
だが、首輪をはずしても奴隷の印はついている。
奴隷の印は、"印"という名前から、勇一が想像していた物とちょっと違っていた。
見た目は刺青にそっくりだった。首をぐるりと囲むように茨の刺青のような印が入っている。
ディケーネ本人は気にしていないみたいだが、女性の首にあるとなかなか痛々しい見た目だ。
道の脇にでている露店の商品に、勇一の目が止まる。
シルクで出来た薄緑色のスカーフ。
ちょうど良さそうだよな。
勇一はそれを買って、ディケーネに差し出した。
差し出されたディケーネは、そのスカーフを不思議そうに見つめている。
「こんな薄くてすぐ破れそうなスカーフを、いったい何に使えと言うんだ?」
「いや、首に巻くといいかなっと思って」
その言葉の意図する所に気づいたディケーネは、なぜか衝撃を受けていた。
どうやら、そんな使い方はまったく想定していなかったようだ。
表情が微妙に変化するが、微妙すぎて勇一には見分けがつかない。
「だ、だいじに、使わせてもらう」
何か別に言いたいことがありそうな表情だったが、結局何も言わず礼だけを言って、ディケーネは受け取ったスカーフを首にまいた。
ただ、その巻き方が女性っぽくないというか、山賊のような撒き方なのがディケーネっぽかった
――――――
朝、少し寝坊したので、冒険者ギルドにはいつもより遅い時間に辿りついた。
この時間帯は、冒険者ギルドに、一番人が多い時間帯だ。
ディケーネを連れているから、どっかの誰かさんに、何か言われるかもしれないな。
勇一は、少しそんな事を考えたが、それは杞憂だった。
建物の中に一歩踏み入れるとと、そこはいつもの冒険者ギルドの雰囲気ではなかった。
なぜか皆が熱気にあふれ、殺気だって、喧騒に満ちている。
ギルドの中心にあるテーブルに、『水と炎の旅団』の六人がどっかりと座り何かを話しあっている。
その周りに多くの屈強そうな冒険者が集まって輪を作っており、さらにその輪の周りを、いかにも下っ端っぽい冒険者達が走り回っている。
部屋中には怒号や、叱咤の声がたえず響き渡っていた。
輪の中にいるモヒカン男だけが、こちらに気づいて目を皿の様にして驚いていた。
が、すぐに別の男に声をかけられ、その男となにやら真剣に話しこむ。
どうやら、こちらに構っている暇がないほどに、忙しいらしい。
「何があったんだろう?」
「さあ、知らん」
そりゃ、そうか。
昨日からずっと一緒にいるディケーネが知っているはずもない。
他の冒険者達のことは放っておいて、掲示板へと向かう。
ディケーネと相談して、『ホワイトベアの退治』の依頼を受けることにする。
受付けに、依頼の用紙を出し受託してもらいにいく。
胸は大きくてセクシーな見た目なのだが、相変わらず事務的で慇懃無礼な受付嬢に事務処理をしてもらう。
それと、二人でパーティを組む為の事務処理もしてもらうように依頼する。
すると、無表情な受付嬢の眉がピクリと動いた。
そういえば、一回パーティーを組むかとか聞かれて断ってるんだよな。
ひょっとすると受付嬢的には、二度手間になって迷惑なのかもしれない。
そう考えると、受付嬢の無表情の顔が、さらに怖いものに感じてくる。
勝手に内心怯えている勇一に対して、受付嬢は、淡々としている。
「パーティーを登録する際には、パーティー名が必要になります」
「ユーイチ。お前が決めてくれ」
「いきなり名前と言われてもなあ、全然考えてなかったし。
そうだな、『美人のディケーネとその親衛隊』って名前はどうだ?」
「駄目だ」
冗談に対して、なんの突っ込みもなく、冷静に、瞬殺で却下された。
その後、少しの間パーティ名を考えてみたが、いい名前が浮かばない。
受付嬢に名前をすぐに決めないと駄目なのか聞いてみると『まずは名前を決めずにパーティーを登録し、後から名前だけ申請することも可能』との事だった。
「"名前無し"でパーティー登録しておいてください」
すぐには思い浮かばないので、とりあえず名前の件は先延ばしにする。
そんなやり取りをしていう間も、やはりギルドの中は喧騒に包まれたままだ。
一体何を何を、そんなに大騒ぎしているのだろう。
さすがに勇一もちょっと気になってきた。
「気になりますか? 実は、冒険ギルドがレイドパーティーを組んで、北の森にいるライトドラゴン退治することになったんですよ」
そう、受付嬢が教えてくれた。
勇一は、心臓が飛出しそうになるほどに、驚愕した。
その内容におどろいた訳ではない。
受付嬢が聞いてもいないのに教えてくれたという事実に、勇一は驚愕したのだ。
なにせ、今までもこっそり良い依頼を教えてくれたりしたことはあったが、表向きにはけっして事務的な話以外しようとしなかった受付嬢。その彼女が、いきなり親切に教えてくれたのだ。驚きもする。
そのうえ、さらに、追加の説明までしてくれた。
「"宝石つき"のパーティー『水と炎の旅団』を中心に、この冒険者ギルドに所属する、多くの金の札パーティーと、実力のある銀の札 パーティーが結集して、対ライトドラゴン用のレイドパーティーを結成しているところですよ。
最終的にはたぶん全員で総勢五十名を超える大型レイドパーティーになりそうです。これだけ大きいレイドパーティーですと準備だけでも本当に大変で、一日~二日もかかってしまうんですよ。さらに此処だけの話ですけど……」
受付嬢が更に身を乗り出して、小声で話し続ける。
「じつは、このライトドラゴンって前々から存在は確認されていたんですが、大きな被害が出ていなかったので無視されていたんです。
だけど今回、王子様がこの街に来訪されるので、危険防止の為に退治する、と、言うのはもちろん建前で……
実はわざわざ来訪直前にドラゴンを倒して、その首を王子様に献上するつもりなんですよ。
王子様の歓迎式典で盛り上がる中で、華々しく"竜を倒す者"の称号を得るつもりなんです。派手好きのあの男が考えそうなことですよ」
わざわざ裏の事情まで教えてくれる。
そんな受付嬢に困惑しながらも、教えてくれた礼をいって、受付けを後にした。
受付けを離れる時、受付嬢は最後にニッコリと事務的でない本物の笑顔を浮かべて
『二人で、がんばってくださいね』などと挨拶までしくれた。
いったい何が、そんなに彼女の態度を変えたんだろうか? 不思議でならない。
あまりの変化に怖いくらいだ。
受付嬢のおかけで、情報を得られたが、今の二人には直接には関係ない。
勇一とディケーネで、二人でパーティーでの、最初の、依頼へ、向かって歩き始めた。
――――――
夜。
依頼を終わらせて、ディケイネと二人で、遅い夕飯を食べる。
目の前のディケーネは、けっこうな勢いでテーブルの上の料理を食べ行く。
その細い体のドコにそんなに入っていくのか、不思議なくらいだ。
それに対して、勇一は食事があまりすすまない。
今日の依頼『ホワイトベアの退治』は、難なく無事に終わった。
約三時間程歩いていった現地で、三匹のホワイトベアと戦った。
と、言ってもディケーネが二匹相手に死闘を演じている間、勇一は一匹のホワイトベアと相対していただけだった。
勇一の実力では、まったくホワイトベアに対抗できず防戦一方、少しでも間違うと大怪我しかねない状況。
必死に槍を突き出し距離を取り、身を守った。
そうしている間に、二匹のホワイトベアを倒したディケーネが、勇一に気をとられているホワイトベアを簡単に切り倒したのだった。
うーん。俺、全然、役にたってなくないか?
勇一は、自分のふがいなさを感じずにはいられない。
「どうしたユーイチ? 疲れたか? 食事がすすんでいないぞ」
「あ、いや、何でもないよ」
ディケーネが心配そうに覗きこんでくる。
仕方ねえ、前向きにがんばるか。
すぐにそう開き直る。
この異世界に来て、自分のポンコツ振りを感じたのは一度や二度ではない。若干慣れてきた。
元々の勇一は、かなり前向きな性格だ。
確かに、勇一は元の世界では大きな失敗をして人間関係が上手くいかなくなり引きこもってしまった。
だが、失敗から学んだ事も色々とある。
だから、ディケーネに、今の思いを素直に相談してみた。
「なあ、ディケーネ。俺って依頼で戦力になって無いかな?」
「ふむ。確かにユーイチはあまり戦力にはなっていないな」
返ってディケーネの意見は、見も蓋も無いものだった。
解っていた!
解っていはいたが、ちょっと心がへこむぜ!
思わず心の中で、声なき声をさけんでしまう。
「だが、まだ冒険者になって日が浅いから仕方ないだろう。
それに、私個人の事をいわせてもらえば、正直ユーイチがいてくれるだけで、嬉しい」
え?! なにそれ?! どーゆーこと?!
その言葉に思わず勇一は、ちょっと浮かれた気分になる。
だがしかし、ディケーネの冷静な言葉が続く。
「一人でいると、大きな怪我をした時に回復薬を飲めない可能性とかあるからな。
前に一度、大した怪我でもなかったが、体を痺れる毒を食らってしまい回復薬が飲めずに本当に死にそうになったことがあった。何かあってもパーティーを組んでいると仲間が回復薬を飲ませてくれる、そう思えるだけで安心感が違う。
それだけじゃなく、後方への注意や、遠征時の睡眠の交代、水浴びやトイレの時の周りの警戒など、とにかく二人でいると言うだけで、生存率が格段に上がるぞ」
なんか、夢も希望も打ち砕くような、現実的な言葉だな。
また、ちょっとへこむ。
だが、ディケーネにしてみれば、勇一が弱い事など最初から知っていることだ。
ちっとも期待などしていない。
さらに、奴隷としてディケーネを買ったものの、勇一が金持ちじゃないことも知っている。
豪華な暮らしなど期待していない。
お金のことも心配などしていない。
いまや、借金がなくなったし、そんなに無理に金をかせぐ必要もない。
まずは無理せず、少しづつユーイチが冒険者に慣れていけばいい。
それまでの間くらい、私がなんとかする。
彼女は、ある意味で、『辛く悲しい自分の物語』は、それなりのハッピーエンドでもう終わったものだと考えていた。
後は、ユーイチと二人で、ゆっくり生きていけば、それでいいじゃないか。
ディケーネは内心そんな事を思っている。
まさか、千年後も語り継がれる物語が、今まさに始まる直前なのだとは、微塵も思ってもいない。
もちろん勇一も、そんなディケーネの思いは知らない。
現状、自分は役立たずだし、先立つ物もなく生活の先もみえない。
魔法もあるファンタジーな異世界にいるはずなのに、前の世界と変わらず、現実は厳しい。
なんとか現状を打開したい、と、考えてしまう。
「なあ、ディケーネがやっていた宝探しって儲かるのか?」
「当たればな。堅実に稼げる依頼と違って、宝探しは、ゼロか大金かの博打だ。宝を見つければでかい儲けになるが、実際は殆ど見つからず"ゼロ"に終わる」
「なるほど。ディケーネは、宝を見つけた事はあるのか?」
「『慟哭の丘』と呼ばれる所で、宝を見つけたことがある。
ただ、まあ、その宝は、その後すぐに騙されて取られてしまったがな。
あと、それとは別に宝があると思われる場所を見つけたんだが、結局手が出せなかったものもある」
「どういうこと?」
「あるダンジョンで、最近になって隠し部屋をみつけたんだ。ただ、その隠し部屋の扉に魔法がかかっているらしくて、中に入ることが出来なくてな。何度か行って色々試したのだが結局、その魔法が解けず、そのままになっている」
「魔法? どんな魔法なんだ?」
「私は魔法に詳しくないので正確には良くわかってないのだが……とにかく、隠し部屋の扉が話しかけてくるのだ。たぶん暗号を答えるか、何かすれば、扉が開くタイプの魔法だと思われる」
"扉が話しかけてくる"って、さっすが異世界。
そんな所だけは、やったらファンタジーなんだよな。
今更ながらに、思わず勇一は関心してしまう。
あれだな、アリババみたいに『開けごま』とか簡単な呪文ならいいのだが。
「ちなみに、どんな感じで扉が話しかけてくるんだ? ひょっとして『朝は足が四本で、昼が二本、夕方は三本の生き物はなーんだ?』とかって、聞いてくるのか?」
「いや、そんな意味のある言葉じゃなくて、本当にまったく意味不明の事を言ってくるんだ。こんな感じで……、」
ディケーネは眉をゆがめ、しかめっ面を浮かべてから、扉の声まねをした。
「シミンカードヲ、ゴケイジィクダサイ。シミンカードヲ、ゴケイジィクダサイ」
ここまでで、ある意味『ディケーネ編』は終わりになります。
ここからですよ ここから。
宜しくお願いいたします。




