ACT1 モドラード渓谷 最深部 19:13
曇天。
白雲と暗雲が入り混じる、今にも雨が降り出しそうな空。
だが雨が降ったとしても、この身体が実際に濡れることはない。
ぽつぽつと雨粒が降りてくる。
身体が覚えるのは、虚構の感覚。
機械から発せられる電子信号が見せる虚構の世界。
このヴァーチャルリアリティの世界が、何時迄も続くと俺は信じていた。
だけど、俺は気づいて居たのかも知れない。
完成されたモノは、後には必ず滅びる事を。隆盛の先には、衰退しかないことを。
掲げた剣の刃に映るプレイヤーが、霧散してしまうことも。
モドラード渓谷 最深部 6月4日
19:13
暖気をはらんだ湿気が渓谷の岩盤を覆い、雨が濡らす。
岩を穿つ雨の音に混じって、剣戟の音がこだました。
渓谷の最深部、断崖絶壁の袋小路は平生の静けさを感じさせない程の喧騒を帯びている。
「エルくん!リロードするからちょっちタゲ取って!」
一人の少女が大きく後方に跳ね、声高に呼び掛ける。
「分かってる!」
飛び退いたのを確認すると立ち代わり、黒衣の騎士が少女の前で黒曜石の強固な盾構える。
絶壁に反響する声を打ち消すように、二足歩行のトカゲ…フレイムリザードが振るった剣戟を弾く。
相当な膂力が裏目に出たか、弾き飛ばされた剣を極彩色の装飾を揺らしながら拾いにいくリザード。
隙を逃さず、リロードを終えた少女の無数の銃撃が背に突き刺さる。
「後はボス…!」
一息入れる間もなく、取り巻きを倒されたボスリザードが猛然と突っ込んでくる。
再度盾受けしようと構えるが、勢いの乗った剣戟は先のリザードと比較にならない威力。
ダメージは最少に抑えたものの、それでも堅牢な重鎧で無ければ致命傷になり得たかもしれない。
「ぐ……ッ!」
全身に衝撃が走り、歯を食いしばる。
防護を破られていないが、リザードの一撃は砂の混じった天然の赤褐色の石畳をそのまま滑り、後退してしまう程だった。
岩盤に打ち付けられる手前まで後退させられた事に冷や汗が流れる。
騎士が飛ばされた折、巻き込まれそうになった少女は横転で回避。
額には彼と同様に冷や汗が垂れた。
「ちょっと洒落にならないなぁ…前戦った時こんなに強かったっけ?」
視線と銃口をボスリザードに向けたまま、苦笑いを浮かべる。
「多分、プレイヤーが減って長く生きてるんだろ…前とは別物に考えねーと」
盾を構え直すと、ボスリザードは耳をつんざく雄叫びを上げて騎士の前に突進、大曲剣を振り上げる。
それを阻むように、2丁拳銃を構えた少女が注意を引こうと
「そうは問屋がなんとやらだよッ!」
ボスリザードが大曲剣を振り下ろす直前、二丁拳銃から放たれた銃弾が正確に黄土色に輝く瞳を狙い撃つ。
ギィヤァァアアォォ!!
先の雄叫びとは似ても似つかぬ断末魔をあげ、無造作に大曲剣を振り回す。
しかし指向性を失った剣戟は簡単に盾に阻まれ、大きく態勢を崩す。
「これで…!」
右手に握った黒曜石の剣を両手に持ち替え、ガラ空きになった胴を渾身の力で横薙ぎに切り裂く。
派手なスキルエフェクトと共にボスリザードの上体が崩れると、二人は安堵の溜息をついた。