2.スクール・デイズ(2)
以降の授業も、特に問題も無くかなでは順調にこなしていった。
他の授業も似たようなものだった。
教室に行って電脳教師の指示に従い課題をこなし、また教室を移動する。その繰り返しだ。
初日だけに授業内容は高度なものは無く、電脳教師の説明も丁寧だった。
唯一の不満は、休み時間を教室移動に費やされることだ。
おかげで他の生徒達と会話をする機会がない。
この学校に来てかなではまだ、生徒の誰とも会話をしていなかった。
午前中の授業を終えると、昼休みになった。
初めてのランチタイムに、かなでは気合を入れて学食に向かった。
伯陵学園の学食は、私立高校だけあって立派なものだった。
広々とした学食は既に生徒達の姿でにぎわっていた。
単位制の伯陵学園では、昼食時間は生徒達が自由に決めることが出来る。
混雑を避けるため昼休み以外に食事をすることもできるが、かなではあえてこの時間を選んだ。
ここでならば他の生徒達と接触できるはず。
食事をしながら学友達と親交を深めようとかなでは考えていた。
重要なのは何を食べるかではない、誰と食べるかだ。
間違っても『ぼっち飯』などという事態だけは避けなければならない。
学食はカフェテリア方式だった。
生徒達は一列に並び、料理が並べられたカウンターの中から自分の好みの料理を選んでゆく。
どんどん伸びてゆく生徒達の列に、かなでは慌てて続いた。
その時――
「俺の後ろに立つな!」
列の最後尾に立っていた少年が、振り向くと同時に叫んだ。
振り返った少年の顔には見覚えがあった。
オレンジ色のサングラス――ミラーシェードのサングラスを掛けた少年は、昨日から何かと縁のある『変質者』だ。
どういうつもりかは知らないが、少年は強張った表情でおもちゃの拳銃をかなでに向けてつきつけた。
銃口の先でかなでは硬直する。
にらみ合う二人の姿に、周囲の生徒達もざわめく。
学食の喧騒の中、かなでは彼の言った言葉を反芻する。
後ろに立つな、ということは――
「……前に入れてくれるの?」
かなでは恐る恐る尋ねてみた。
その質問に少年は首をかしげて固まった。
すこしばかり考えるそぶりを見せた後、少年は体を半身にずらすと、銃口を揺らして手招きする。
「……どうぞ」
「……ありがとう」
とりあえず礼を言ってから、少年にうながされるまま列を一歩進んだ。
少年は拳銃をしまうと、無言でかなでの後ろに並ぶ。
順番を譲ってくれるなんて、なんとも紳士的だ。
見た目と行動は奇抜だが、案外いい人なのかもしれない。
とりあえず後ろの少年は放っておくとして、かなではメニュー選びに取り掛かることにした。
カウンターには味のみならず、栄養を考慮した数々の料理が並べてあった。
目移りしそうになるのをこらえ、トレーの上に料理を次々と載せてゆく。
サラダとコロッケ、クラムチャウダー、バターロール。
最後に紅茶の紙パックを一本取って、カウンターを後にした。
カウンターの出口にある自動清算器で支払いを済ます時、少々手間取った。
両手に持っていたトレーを持ちかえて、片手でカードを取り出す。
トレーの上のクラムチャウダーをこぼさないようにバランスを取りながら、かなでは清算器に向けてカードを差し込もうとするがうまくいかない。
清算器の前で悪戦苦闘するかなでの姿を、サングラスの少年は苦々しげな表情で見つめていた。
「……ごめんなさい」
やっとの思いで清算器にカードを差し込むと、とりあえずかなでは順番を譲ってくれたサングラスの少年に向かって謝罪した。
申し訳なさそうに頭を下げたかなでの横を、サングラスの少年は無言で通り過ぎてゆく。
彼は右手にレトルトパックのゼリー飲料を持っていた――随分と味気ない昼食だ。
少年は清算器を一瞥すると、右手をかざしそのまま通り過ぎて行った。
サイバー・グラスを使って手早く清算を済ませたのだ。
立ち去ってゆく少年の後姿を見つめ、かなではなるほどと感心した。
あれならば清算器の前でもたつくことはない。
今後の支払いはサイバー・グラスで済ますことにしよう。
いろいろあったが、ようやく昼食にありつけそうだ。
かなでは広大な学食の中から空いている席を探した。
かなでは向けて真剣なまなざしで、学食の隅々まで視線を巡らす。
なにせ学食で座る場所によって、学校内の立ち位置が決まるのだ。
否が応でも慎重にならざるを得ない。
たとえば、壁際のカウンター席に座る生徒達――食事中であるにもかかわらずサイバー・グラスをかけタブレットを操作しているのは、ガリ勉のインテリタイプだ。
邪魔にならないサンドイッチやハンバーガーといったものを食べながら、隣人と語らうことも無く勉学に励んでいる。
たとえば、中央にあるテーブル席に座る生徒達――ジャージやパーカーを着た体格が良い一団は、体育会系のスポーツマンタイプだ。
カロリーの高そうなランチメニューを食べながら、同じ部活と思しき仲間たちと学食中に響くような大声で歓談している。
たとえば、自販機の前にたむろする生徒達――制服を着崩し、派手な色に髪を染めた連中は、いかにもな遊び人タイプだ。
食事は既に済ませているのだろう。自販機で買った飲み物片手に、軽薄そうな男子生徒が厚化粧の女性徒と、学校をサボって遊びに行く相談をしていた。
このように、学食の席は学校内の勢力地図そのものなのである。
どこに座るかによって学校でのスクールカーストが決まるのだ。
かなでが目指す場所は、中庭へと続くオープンテラス――眺めのいい屋外テーブルは、人気者達の指定席だ。
眺めのいい景色の中、たくさんの友人達と優雅に語らう場所。
学内セレブの社交場、スクールカーストの頂点――それがオープンテラスだ。
どこの学校でもそうだが、一番眺めのいい場所は上級生たちが占拠しているものだ。
きっと、面倒見のいい先輩たちがかなでのような新入生をやさしく出迎えてくれるに違いない。
彼らからこの学校の情報を聞き出すことができれば、かなでのスクールライフは充実したものになるだろう。
期待に胸を膨らませ、葉緑樹が生い茂る中庭へと踏み出したかなでを出迎えたのは、面倒見のいい先輩たち――
では無く、緊迫した怒声だった。
「通学路にAPC発見! 南西より駅方面に向かって走行中。繰り返す、通学路に……」
「自転車置き場、クリア! 敵影なし!」
「CP了解。デルタ3は速やかに撤収せよ!」
「……くっそ、タンゴ2から5がやられた! 増援、まだか!?」
オープンテラスに並べられた丸テーブルに座るのは、友人達と優雅に語らうセレブ達――ではなく、パソコンの前で大声を張り上げる生徒達の姿だった。
ずらりと並んだノートパソコンに浮かぶデータを見つつ、悲鳴を上げる生徒達は、まるで証券取引場のトレーダーのようだ。
緊迫感につつまれたオープンテラスに、一人の生徒が飛び込んできた。
両手に軽機関銃――のおもちゃを抱え、制服の上からタクティカルベストを着た大柄な男は、やはり緊迫した声で叫んだ。
「報告! 裏庭に敵兵、約一個分隊! このままじゃ、校舎に浸透される!」
「オーケー。新兵三人、連れてきな――死なすんじゃないよ! 入ったばかりの新人だ。使えるようになるまで、しっかり面倒見な!!」
暑苦しい男達を統率しているのは見覚えのある少女だった。
単眼鏡をかけた、小柄で人形のように可愛らしい上級生は、校門でかなでとぶつかった少女だ。
「わかってますよ、エイブル。……オラ、行くぞ、新入り共!」
男が指示すると、テーブル席から三人の生徒たちが立ち上がった。
やはりおもちゃの鉄砲を担いだ三人組は、男の後に続いて駆け足でオープンテラスを出て行った。
「…………」
まるで前線基地のような有様は、かなでの思い描いていたオープンテラスと大きく違っていた。
少なくとも、学内セレブの姿は見当たらない。
かなでは失望に肩を落とすと、そのままオープンテラスを後にした。
▽▲▽
背後を取られたのは久しぶりだった。
油断していたつもりは無い。
午前中の授業も周囲の警戒を怠らなかった。
学食の中であっても、背後には気を配っていた。
サイバー・グラスをチェックしたが異常なし、各種センサーは正常に作動している。
にもかかわらず、あの女はサイファの背後に立った。
これは自分が未熟なのか、それとも気配をまったく感じさせなかった彼女の技量がすごいのか――
馬鹿げた疑問に苦笑する。
ミラーシェードに内蔵されている光学センサーをすり抜ける、高度なストーキング技術を持った女子高生などいるはずがない。
認めなければならない、自分の未熟さを。
驕り高ぶるプライドは、成長の妨げにしかならない。
反省するのは後にして、とりあえず今は迂闊な自分を生かしてくれている戦場に感謝しつつ、昼食をとることにした。
売店で買った携帯型ゼリー飲料の封を切る。
完全栄養食であるゼリー飲料は健康を保障してくれるが味のほうは絶望的だ。
これを胃の中に収めるにはちょっとした工夫が必要になる。
サイファは電子タバコを取り出し口に咥えた。
エイブル委員長には不評だったが、ベーコン・フレーバーはサイファのお気に入りだ。
煙と共に口の中いっぱいに燻製肉の香りが充満したところで、すかさずゼリー飲料を流し込む。
すると味気ないゼリー飲料は、肉汁たっぷりのベーコン肉に早変わりする。
口の中で再現されたベーコンの食感を楽しみながらオープンテラスを眺める。
学食のオープンテラスは電脳管理委員会の指令室だ。
電脳ガンを担いだ兵隊たちがせわしなく行き交かい、オペレーターたちがノートパソコンのキーボードを叩く。
そして彼らに指示を出しているのが司令官であるエイブル委員長だ。
電脳管理委員会はグローバル・コンバットのクランとしてはかなりの大所帯だ。
それだけこの学校に攻撃を仕掛けてくる敵兵力が多いということなのだろう。
平日の昼間だというのにこの騒ぎ、ここが激戦区だということを改めて思い知らされる。
今朝の非常呼集に応じなかった新入生たちは、罰として昼食抜きで学校周辺の警戒に当たっている。
散発的ではあるが激しい戦闘らしく、結構な数の死傷者が出ているようだ。
ゼリー飲料だけの味気ない食事を終える頃、こちらに向かって見覚えのある男がやってきた。
サイファと同じ電脳管理委員会の新入生だ。
「……いやぁ、すげぇ混んでなぁー」
なれなれしく話しかけると、その男はサイファと同じテーブル席に山盛りに料理を載せたトレーを置いた。
そして許可も得ずに、サイファの対面に座る。
「もう、メシ食い終わったのか?」
「……ああ」
空になったレトルトパックを指して尋ねる男に向かって、サイファは不愛想な返事を返す。
「俺はこれから」
肩に吊るしたショットガンを降ろし、拳銃をテーブルに置いた。
(……素人が)
テーブルを占領し食事にとりかかる新入生を、サイファは冷笑した。
サイファぐらいのベテランになれば、銃を見ただけで持ち主のおおよその人となりが判る。
テーブルの上に並んだ二挺の銃からは、素人くさい虚勢と妥協が感じられた。
イサカM37ソウドオフショットガンは射程距離こそ短いが、取り回しがよく扱いやすい。
初心者から上級者まで人気のあるモデルだが、裏を返せば『上級者ぶりたい初心者』が好んで使う銃だ。
ショットガンは高い威力の割には値段が安い。
金の無い初心者が買うには手ごろな武器だ。
隣のS&W、M686もそうだ。
懐古趣味のリボルバー拳銃は、意固地なベテランを演出するのにうってつけだ。
本当はコルト・パイソンが欲しかったんだろうが、高くて手が出なかったのだろう。
「……あー、疲れた」
サイファの胸中を知ってか知らずか、お調子者は食べながら愚痴を言い始めた。
「呼び出しを無視した罰だって、パトロール命じられた。メチャクチャ人使いが荒いんだ、あのエイブルって女」
不躾な態度だったが、サイファはおとなしく聞いた。
このお調子者はサイファの命を救ってくれた恩人だ。
昨日、登校中の戦闘で、彼はサイファに援護射撃をしてくれた。
散弾銃で、背後から、援護射撃を――して、くれやがった。
危うく背中を蜂の巣にされる所だったが、命の恩人であることには変わりない。
食事に付き合うくらいの義理はある。
「そういえば名前を聞いていなかったな。俺はA.J、よろしくな」
「……サイファだ」
手短に挨拶を交わす。
プロゲーマーに本名を名乗りあう習慣は無い。
もちろん、握手を求めて利き手を差し出すようなこともしない。
「サイファ、か。よろしくな。……サイファは朝の非常呼集に出たのか?」
「ああ」
「そうなんだ。この辺じゃいつもこうなのか?」
「こう?」
「朝っぱらからドンパチやるのかってことさ。驚いたぜ、通学路で戦争やっているんだもんよ」
昨日の戦闘のことを言っているらしい。
どうやらA・Jはこの付近の住人ではないらしい。
最先端の授業を求め、伯陵学園には日本全国から生徒が集まってくる。
地方出身の生徒は珍しく無い――斯く言うサイファも地元の人間ではない。
「そうみたいだな。俺もこのフィールドは初めてだから、よくは知らないが」
「そうなのか? 学校の中で戦うのって気を使うよな。誤射とかしたら大変だし」
「市街戦は初めてか?」
「いや、そんなことはねぇよ」
A・Jは制服の袖口をめくると、手首にはめたブレスレットを見せた。
シルバーの簡素な作りのブレスレット。
鎖に繋がれた楕円のプレートには、刻印があった。
「これは松江防衛戦に参加したときに貰った従軍章だ。今年の初め、県境をまたいで総兵力百人規模の戦闘だった。知っているか?」
「……いや、知らない」
田舎町の小競り合いなど知っているはずが無い。
正直に答えると、A・Jは残念そうな顔をしてブレスレットをしまい話題を変えた。
「ところでさ、さっきから気になっていたんだけど。その銃……」
A・Jはテーブルの脇に立てかけてあるアサルト・カービンに興味を持ったらしい。
「それ、SR-47だろ?」
サイファは目を見開くと、感心したように口をすぼめた。
「……そうだ、よく気がついたな」
一目でこいつの素性を言い当てたのはA・Jが初めてだ。
立てかけてあった愛銃を取り上げ構えて見せる。
ナイツ・アーマメント社製、SR-47。
アメリカ製のM16系統のフレームを元に、旧ソ連軍の7.62×39弾を使用できるように設計された異形の合成獣だ。
「確か7丁しか造られなかった試作品だったよな。そんなのどこで買ったんだ?」
「買ったんじゃない。土浦に遠征したときの戦利品さ。こいつにはRPK用の四十連マガジンを組み込んでいる。反動は強いが、フォアグリップとダットサイトを使えば問題ない」
「サイドアームは何を使ってるんだ?」
サイファはA・Jの目利きがどれほどのものか、試してみたくなった。
腰のホルスターから拳銃を引き抜くと、A・Jに渡した。
普段ならば愛銃を他人に預けることなど絶対にしない。
拳銃を手に取りA・Jは、矯めつ眇めつ眺める。
「……ガバメントモデルか。グリップが長いな、多弾装マガジンか? ……1911A2?もしかして、ソーコム・プロトか?」
フレームの刻印を目ざとく見つけたようだ。
出来のいい生徒を見るような目つきで、サイファは小さくうなずく。
「特殊部隊用の試作銃じゃないか。トライアルでH&Kに負けた銃だろ、これ?」
余計な一言を加えて、A・Jは銃を差し出した。
愛銃を負け犬呼ばわりしたのは気に食わないが、銃に対する知識は確かだ。
素人と思って侮っていたが、少し見直した。
「MARK23には負けたが、いい銃だ。十二発撃てるし、サプレッサーも使える」
「よく手に入れたな。いくらした?」
「店に売ってるような代物じゃない。こいつも戦利品だ」
田舎者丸出しのセリフに苦笑する。
銃の知識は豊富なようだが、世知には疎いようだ。
この世間知らずには、どうやら都会の生活をレクチャーする必要があるようだ。
「こいつは横須賀で手に入れた。……いいか、A・J? ここじゃ銃は金出して買うもんじゃない。こういった試作銃は、そこいら中でタダ配りしているし、フィールドに行けばいくらでも手に入る。四国の田舎じゃどうかは知らないが……」
「……四国?」
突如、A・Jが声をあげた。
目を丸くして固まる。
田舎者扱いされて気分を害したのかと思ったが、そういうわけではないらしい。
「四国って、なんだよ?」
「え? だって、松江って言ったじゃないか。……愛媛だろ?」
「違ぇよ! 島根だよ! 愛媛は松山!」
まなじりを吊り上げ、A・Jが抗議する。
サイファは自分がとんでも無い誤解をしていたことに気がついた。
みかんの国からやってきたおのぼりさんだと思っていたが、A・Jは神話の国、島根県の出身だったのだ。
島根県は田舎ではない――僻地だ。
「……島根って回線、繋がってるのか?」
「繋がってるわ! ネットのデマ、真に受けんじゃねぇ!!」
「でも島根って、民放は三局しか映らないんだろ?」
「それは、そうだけど。……島根バカにすんなぁ!」