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サイバーグラス・シンドローム  作者: 真先
2.スクール・デイズ
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2.スクール・デイズ(1)

 電脳管理委員会の朝は早い。


 午前四時。

 エイブルからの緊急呼集にサイファは叩き起こされた。


『緊急事態発生。至急校門前に集合すべし』


 そのあまりにも短く不親切な内容のメールに、サイファは素直に従った。

 緊急事態がいかなる事を指し示しているのか、など余計なことは考えない。

 兵隊としての義務感がサイファを寝床から引き剥がした。


 朝日の昇りきらぬ街を駆け抜けサイファは学校へと向かった。

 集合地点である校門前でサイファを待ち受けていたのは、空け放たれた校門と一機の戦闘車両、


 レオパルド2A6。


 全長十メートル、全高三メートルの巨体は朝日の中、威嚇するように55口径一ニ0ミリ滑空砲を校門前に向けて佇んでいた。


 校門前にはこの戦闘プログラム以外、誰も居なかった。

 電脳管理委員会のメンバーも、呼び出した張本人であるエイブルの姿も見当たらない。

 とりあえずサイファはレオパルドの横に立ち、校門前で立哨に着いた。


 朝の校門前は平和そのものだ。

 朝練に向かう体育系部活の生徒達が次々と登校してくる。

 昨日のように通学路にたむろする戦闘ユニットの姿は無い。

 仮に戦闘ユニットが現れたとしても、自分の出番は無いだろう。

 横にいるこのデカブツが一撃で吹き飛ばしてしまうはずだ――昨日のサイファのように。

 何度見ても震えが走る――これが実体の無いAR映像だと解っていても。


 この戦車はエイブル委員長が操る戦闘用プログラムだ。

 電脳空間に描き出される車両ユニットは外見だけでなく、性能も忠実に再現されている。

 このレオパルドは第三世代型主力戦車の中でも火力・装甲・その他電子機器、すべての性能において抜きん出ている。

 唯一の難点はコストだ。

 高性能のユニットを運用するには、その性能に見合うだけの金がかかる。

 乗員四名分の人件費と、燃料代に弾薬代。

 戦闘で傷つけば修理代も必要になる。


 昨日、サイファを吹き飛ばした時の砲弾は一体、いくらしたのだろうか? 

 などと考えているうちに、校門をくぐる生徒達の姿が、徐々に増えてきた。

 始業時間が近づいている証だ。


「おはよう」


 校門に立つサイファに向かって一人の生徒が挨拶する。

 ネクタイの色から察するに、三年生のようだ。

 すらりとした長身と、ゆるくウェーブした髪、さわやかな笑顔が良く似合う――サイファの苦手な人種だ。

 その嘘くさい笑顔に警戒しつつ、サイファは無言で会釈する。

 無愛想な態度を気に留めることも無く、三年生は辺りを見回してからサイファに尋ねる。


「エイブル委員長はどこに居るの?」

「まだ登校していない」

「そう」


 二人はそっけない会話を交わす。

 そのまま立ち去ると思いきや、三年生はサイファの横に並んで立った。

 気付かれないように、正体不明の上級生を横目で盗み見る。

 エイブルを知っているということは電脳管理委員会の関係者だということなのだろう。しかし彼はサイバー・グラスをかけていない。

 素人くさい雰囲気から見ても、サイファのようなプロゲーマーでは無さそうだ。


「よお、集っているね」


 不審な眼差しで上級生を見ていると、程なくしてエイブル委員長が登校してきた。

 まだ眠気が冷めないらしく、頭をかきむしりながら歩くエイブルに向かって、三年生が声をかける。


「遅いぞ。エイブル委員長」

「あんたが早いんだよ」

「早くは無いだろう。新人君はずっと前からここに立っていたようだぞ」

「ああ、つまり、賭けはアタシの勝ちって事だね」

「……まあ。そういうことだ」


 上級生は鞄から缶コーヒーを取り出すと、エイブルに差し出した。

 タブをあけながら、ようやくエイブルはサイファに顔を向けた。


「訓練終了――ご苦労だったね、サイファ」


 コーヒーに口をつけながら、短く言い放つ。

 その人を食った態度は、サイファを怒らせるのに十分だった。


「訓練だぁ!? ふざけるな!」


 犬歯をむき出しにして、エイブルに詰め寄る。


「こんな朝っぱらに呼び出して、訓練の一言で済ますつもりか!? 冗談にしては悪趣味すぎるぞ!」

「文句が在るならそこにいる生徒会長にいいな」

「え?」


 エイブルはサイファの傍らに立つ上級生を指差した。

 サイファは昨日の入学式に出席していない。

 生徒会長の顔を見たのは今が初めてだ。


「新人達の危機管理能力と指揮系統に対する忠制度を試したい、とか言い出したのはケツの穴の小さい生徒会長殿なんだからね」

「当然の懸念だと思うけどね」


 エイブルの皮肉を気にも留めず、生徒会長、恒松明は後を続ける。


「数をそろえた所で命令に従わないのであれば、委員内部の統率に支障をきたすことになる。どうせポイントだけが目当てのゴロツキ、形勢不利と見て取れば裏切る可能性だってある」


 二人のやり取りを要約すると、この緊急呼集はサイファを含めた新人達を対象にしたテストだったようだ。


「とーころがぎっちょん、あんたの意地悪い無理難題に応じて、朝っぱらから電話一本で学校に駆けつけてくれる律義者がここに居るわけさ――お忘れかい? 『非常呼集に応じるものなど一人としているものか』って言ったのはあんたなんだよ?」

「忘れてなど居ない。おかげでコーヒー奢らされる羽目になったんだからな」


 テストのついでに、賭けの対象にしていたらしい。

 モーニングコーヒーを奢らされた生徒会長は忌々しげな表情でサイファを睨み付けた。


「しかし、本当に一人しか来ていないじゃないか! 報告では新入りはもっといたはずだろう?」

「大丈夫、生徒会長閣下の忠実な下僕として相応しいよう、他の連中もきっちりとしつけてやるよ」

「出来なかったらどうする?」

「そうなったら困ったことになるだろうね、お互い。最近、幕張同盟の活動が活発化してきている。この学校が落とされたら、あんたの立場もやばくなるんじゃないのか?」

「……わかった。新入生の扱いは君に一任することにする。入学式の騒ぎも含めて、学校側にはうまく説明しておくことにしよう」


 そう言い残して、生徒会長はその場を立ち去った。

 校舎内へと消え行く生徒会長の背中を見送りながら、エイブルは横に居るサイファに向かって短くつぶやいた。


「……悪かったね。茶番に巻き込んじまって」


 サイファに向かってすまなそうにエイブルは言った。

 部下の忠誠心を試すような真似は、決して気分のいいものではない。

 この訓練は彼女にとっても不本意だったらしい。


 エイブルの言うとおりとんだ茶番劇だったが、おかげで電脳管理委員会という奇妙な組織とそれを取り巻く状況を知ることが出来た。


 電脳管理委員会は生徒会の指揮下にあるということ。

 その関係は必ずしも良好ではないということ。

 この学校の電脳空間は敵対勢力の脅威にさらされていて、それに対抗するための人材不足に悩まされているということ。


 どうやら伯陵学園を中心としたこのフィールドには、サイファが思っていたよりも込み入った事情があるらしい。

 昨日は失敗したがこの新しい戦場で戦うには、より一層の理解が必要なようだ。


「でも、まあ、来てくれて助かったよ。おかげで生徒会に対して体面を保つことが出来た」


 言いながらエイブルは飲みかけの缶コーヒーを差し出した――報酬のつもりらしい。

 朝っぱらから叩き起こされたにしては随分と安っぽい報酬だ。


「仕事だからな。命令には従う」


 コーヒーを受け取りながらそっけなく言うと、突如エイブルは吹き出した。


「ははっ! 噂どおりだね、アンタ」

「……噂? どんな噂だ?」

「土浦帰りの《百人殺し》は律義者だって評判さ。今時珍しいタイプだよ、アンタは」


 そう言うとエイブルは快活に笑った。

 朝日の中、サイバー・グラスが揺れる。


 右目を覆うハーフレンズ――単眼鏡型サイバー・グラスは、エイブルが二つの世界の住人であることを示していた。

 彼女は右目で電脳世界を見ると同時に、左目で現実世界を見つめている。

 世界の調停者にして貪欲なる征服者、それがハーフレンズだ。

 現実世界と決別し、電脳世界の高みを目指す隠者、ミラーシェードとは相容れない存在だ。


 エイブルは傑出した指揮官だ。

 部下に対する的確な指示。

 戦車を扱う技量と経済力。

 そして、部下に対する細やかな気配り。


 しかし、世界でただ一人というわけではない。少なくともサイファはもう一人知っている。

 死の街で出逢った《災厄の魔女》を――


「……そろそろ時間だね」


 かつての戦場に思いを馳せていると、始業十分前を告げる鐘が鳴った。

 校門を駆け抜ける生徒達の後を追い、エイブルも校舎に向かう。


「ここはもういいから、アンタも授業に行きな。遅刻したら大変だ。昼休みに学食で会おう……じゃあ」


 サイファに向かって言うと、エイブルは手を振って立ち去った。

 自分も慌てて教室に向かう。

 入学式をサボった上に、授業初日に遅刻はさすがにまずい。

 走りながら缶コーヒーに口をつけようとした時、サイファの動きが止まる。


 手の中にある缶コーヒーを見つめる。

 飲みかけの、エイブルが口をつけた缶コーヒーを――


「…………」


 エイブルは細やかな気配りが出来る有能な指揮官だ。

 できることなら青少年の多感な気持ちも、もうちょっとでいいから理解して欲しい。


 ▽▲▽


 入学初日に起きた数々の不愉快な出来事も、一晩寝たら落ち着いた。


 いつまでもくよくよなんかしてられない。

 学生生活は今日からが本番だ。

 気分を切り替え、また新たな気持ちで登校する。


 今日から早速、本格的な授業が始まる。

昨日の入学式とは違い、通学路を行き交う生徒たちに浮ついた雰囲気はない。

 昨日出会った、派手な色のサングラス――ミラーシェードと呼ぶらしい、を掛けた少年の姿も見つけた。

 校門の傍らに立ち、手の中にある缶コーヒーを見つめ硬直している。

 おとなしいのはいいが、奇行は相変わらずだ。

 神妙な面持ちでたたずむ少年の脇を通り抜け、校舎に向かった。


 伯陵学園の授業は、その日の時間割を作ることから始まる。

 単位制の伯陵学園では、受講する科目を生徒達が自由に選択できる。

 生徒達は登校すると、校舎内の各所にある電子掲示板、あるいは手持ちの携帯端末から、その日に行われる授業内容を確認する。

 その中から自分の受けたい授業を選び、時間と場所をチェックする。

 あとは、時間になったら教室に向かい、授業を受けるだけだ。


 記念すべき初授業に、かなでは『英語Ⅰ』を選択した。

 英語はかなでの得意科目だ。

 教室はA棟四階、第三教室。

 掲示板で場所を確認した後、教室に向かう。


 教室には既に生徒が数名、席について待機していた。

 かなでも空いている席を見つけて着席すると、授業に向けて準備を始める。

 鞄から学校指定のタブレットとペンを取り出し机に置いて、準備完了。

 伯陵学園の授業に、教科書、ノート、筆記用具は必要ない。

 あとは授業が始まるのを待つだけだ。


 かなでは教師がやってくるまでの間、教室に居る生徒達と話をしてみようと思い立った。

 友達作りをするには、待っているだけではだめだ。

 こちらから積極的に声を掛けなければならない。


 同じように暇そうな生徒を探して、辺りを見渡す。

 隣の席の女生徒は授業に備えて予習に没頭していた。

 真面目な性格らしくタブレットの電子教科書を読みながら、熱心に書き込んでいる。

 その真剣な様子は、とても声を掛ける雰囲気ではない。

 サイバー・グラスに覆われた女生徒の横顔を見ながら、かなでは自分が肝心なことを忘れていることに気がついた。


(サイバー・グラス!)


 恥ずかしい思いをしてまで買ったというのに、着けるのを忘れては意味がない。

 慌てて鞄からケースを取り出すと、サイバー・グラスを顔に掛けた。

 スイッチを入れて、端末と接続していることを確認する。


 機械音痴のかなでにとって、サイバー・グラスの設定を行うのはとてつもなく困難な作業であった。

 説明書を読みこみ、使い方を覚えるのに一晩掛かった。


 今度こそ本当に準備が完了したことを確認したそのとき、始業のベルが鳴った。

 同時に、英語担当の教師が教室に入ってきた。

 背の高い中年教師は、早足で教壇に向かい――通り過ぎる。

 そのまま教室の隅まで行くと、用意してあった椅子に腰掛ける。


『これより『英Ⅰ』の授業を始めます』


 サイバー・グラスの骨伝導スピーカーを通して音声が鳴り響くと同時に、空の教壇に女教師の姿が現れた。


 彼女こそが本当の英語担当教師――ARによって映し出される電脳教師である。


 伯陵学園の授業は全て、この電脳教師によって行われる。

 最先端の科学技術は教師達を過酷な労働から解放し、生徒達に快適な授業を提供する。

 電脳教師の授業は文部科学省が定める学習指導要綱に沿って、適切かつ円滑に行われる。

 もちろん、体罰などといった不合理な教育は行わない。


 AR映像の英語教師は、生徒達にストレスを与えないように笑顔をうかべたまま授業を始めた。


『本日は最初の授業ということですので、簡単なテストを行いたいと思います。内容は中学校の復習、皆さんの学力ならば問題なく解ける問題ばかりです。結果は今後の授業内容の参考にさせていただきますので、真剣に取り組んでください』


 授業初日からいきなりテストとは思わなかった。

 電脳教師も意外とスパルタだ。


『なお、不正行為が発覚した場合、学内警備員に通報の後、速やかに教室から退出していただきます。注意してください――では、はじめ』


 何やら物騒なことを言ってから、電脳教師は開始の合図をした。

 手元のタブレットにテスト用紙が映し出される。

 例文の和訳に始まり、単語の英訳。

 文法問題がいくつか。

 最後にリスニングのテスト。

 骨伝導スピーカーを通して流れる英会話を聞いて、選択式の質問に答える。


 電脳教師の言うとおり、テストの内容は中学校レベルの問題ばかりだった。

 タブレットの液晶画面に浮かんだテスト用紙に、かなではタッチペンで答えを書き込んでいった。


『テスト終了です。ペンを置いてください。テスト終了です』


 三十分ほどでテストは終了した。

 採点は一瞬で終わる。

 点数は、75点――思っていたよりも良くない結果だ。


 残った時間で答え合わせを行う。

 電脳教師は文法問題の致命的な失点を指摘した。

 得意科目でこの点数では、先が思いやられる。

 唯一の救いはリスニングが満点だったこと。

 聞き取り能力を高く評価してくれたが、電脳教師に慰められたかなではさらに落ち込んだ。


『それでは、これで授業を終了します』


 電脳教師は一礼すると、教壇から姿を消した。

 同時に、授業終了のベルが鳴る。


 授業が終わると生徒達は、次々と教室を出て行った。

 かなでもタブレットを鞄につめると、次の授業が行われる教室に向かった。

 教室の端で座っていた英語教師もまた、生徒達と並んで退出する。

 結局、中年の英語教師は、最後まで一言も言葉を発することなく教室を出て行った。



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