5.シスター・フッド(5)
かなでは子供の頃から泣くのが下手だった。
佐伯家の長女として生まれたかなでは家の中では毅然とした態度で振舞うことを求められていた。
子供の頃から義務と責任を果たすようにしつけられたかなでは、泣くこと自体あまり無かった。
唯一、泣くことが許されたのは葬式の時ぐらいだけだ。
それにしたって周りに迷惑を掛けるような号泣は許されなかった。
最後に声をあげて泣いたのはいつだっただろう?
自販機コーナーのベンチに腰掛けて、そんなことを考えているうちに自然と涙がひいてきた。
管理棟から中庭に抜ける渡り廊下――昨日、電脳管理委員会と激しい戦闘が行われた場所には自動販売機コーナーがあった。
ベンチとテーブルが設置してあるため、自販機で購入した飲み物と軽食をその場で飲食することができる。
泣きじゃくるかなでの手を引いて、ここまで連れてきてくれたのは瀬田だった。
廊下の真ん中で号泣されては、体裁が悪いと思ったのだろう。
かなでをベンチに座らせると、泣き止むまで辛抱強く待ち続けてくれた。
「落ち着いたか?」
かなでが落ち着いたのを見計らって、瀬田は自販機で買った飲み物を差し出した。
テーブルの上にリプトンのペットボトルを置くと、自身もミネラルウォーターの蓋を開け一口すする。
「……ありがと」
瀬田はかなでが紅茶党であることを知っていた。
学食で並んでいた時、かなでが選んだメニューを後ろで見て覚えていたのだろう。
細かいところに気がつく面倒見のいい男だ。
プロゲーマーであることを除けば案外、根はいい人なのかもしれない。
サングラスを外した顔をあらためて見てみれば、なかなかの美形だ。
これでもうちょっと愛想がよければ申し分ない。
そんなことを考えながら、瀬田の顔を見つめていると、
「……フフッ」
かなでの心を見透かしたように、瀬田が微笑んだ。
訝しげな視線を向けると、苦笑をかみ殺しながら瀬田は答える。
「いや、何でこんなことになったのかって、ここ数日の己が人生を顧みていたら――なんだか笑えて来た」
気取った言い方だったが、ようするにただの思い出し笑いだったようだ。
疲れたようにため息をつくと、瀬田は後を続けた。
「入学初日にエイブルにやられて、電脳管理委員会とか言う怪体な組織に徴用されて、いつのまにか校内安全研究会とか言う素人の寄せ集めにボコボコにされて、あえなく敗北――しかもその理由が『テラスでランチを食べたかったから』だときたもんだ。……もう笑うしかないだろ」
「……あ、あれは!」
審問会での出来事を思い出し、赤面する。
あらためて発言だけとりあげると、まるで精神異常者だ。
自分でも何故、あんなことを言ったのか思い出せない。
「まったく、やられたよお前さんには――色んな意味で。素人くさい外見にすっかり騙されたぜ。まあ、ゲーマーなんて大概、イカレた連中が多いんだが、中でもあんたは極め付けだ。メイベルの話しぶりじゃ相当な腕利きらしいじゃないか。それにしちゃあ名前を聞いたことが無いが、今までどこでプレイしていた? 福岡か? それとも名古屋?」
この男もまた芽衣耶と同様、かなでのことを凄腕のプロゲーマーだと思っているらしい。
何をどう勘違いしたのか知らないが、迷惑この上ない。
「ち違、あたしは……」
「おいおい、この期に及んでシラを切るのはよしてくれよ」
聞く耳を持たないのも芽衣耶とそっくりだ。
否定するかなでにとりあわず、さらに言い募る。
「何も知らねぇ素人にやられたとあっちゃ、俺の立場がない。昨日、俺の目の前で見せ付けてくれたあのコンバット・シューティング、あれはホンモノだ。正式な射撃訓練を受けていなければ出来ない芸当だ――お前さん一体、何者だ?」
「…………え?」
瀬田の放った最後の一言。
その、何気ない問いかけに、かなでは激しく動揺する。
あまりにも単純なその問いかけに、かなでは答えることができなかった。
「あたしは……」
――私は、何者か?
胸中で芽生えた疑問は膨らんでゆく。
――私は、何がしたいのか?
――私は、何をしてきたのか?
――私は、何ができるのか?
次々と浮かびあがる疑問に、かなでは何一つ答えることが出来なかった。
「そんなの……」
思考は巡る。
答えを求めてかなでは、ここ数日自らに起きた出来事を一から順に思い返した――瀬田の言葉を借りるならば『己が人生を顧みた』。
生徒指導室の冷たい部屋。
校内での激しい銃撃戦。
砂浜での訓練。
社会科準備室に並んだ銃。
最先端の授業。
通学路の桜並木――
記憶の旅路の果てに、かなではあの場所へとたどり着く。
硝煙の香りが芯まで染み付いたあの街へ――
「そんなの、あたしだってわかんないよ!」
「……え、え、ええ? な、何?」
長い沈黙の後、唐突に叫んだかなでに、瀬田が目を丸くする。
「自分が何者かだなんて、はっきり答えることができるわけないじゃない! じゃあ何?あんたは自分が何者かわかってるって言うの? 自分のことをどれほど知っているって言うのよ!? 思い上がってるんじゃないわよ!」
「いや、そういう哲学的なことを訊いてるんじゃ無くてな……」
うろたえる瀬田にかまわず、かなではまくしたてる。
「あたしだって、何でこんなことになったのかわからないわよ! 入学初日にわけわかんない戦争ゴッコに巻き込まれて、校門でヘッドスライディングして、電気屋さんじゃ店員にからかわれて電脳ガンを押し付けられるし、学食じゃ銃をつきつけられるし、討論会じゃ世間知らずだとか馬鹿にされるし、いつのまにか校内安全研究会とかに入れられちゃって作戦部長とかやらされちゃうし、そんで、そんで、……いつのまにか戦争とかなっちゃうしいぃぃぃぃっ!!」
「うん、わかった。いや、何言ってんだかわかんないけど、とりあえずいろいろあったってことはよくわかった。だから、落ち着こう。とりあえずこれでも飲んで、な?」
瀬田に促されて、ペットボトルの紅茶を一口あおる。
渇いた喉を潤し人心地つけたところで、再開。
「今朝だって校門前で戦車に蜂の巣にされちゃうし! 生徒指導室に呼び出されてお説教されちゃうし! 校内安全研究会の皆とは喧嘩になっちゃうし! 入学してから今までのこと一から思い返したら、あたし、あたし――泣きたくなってきちゃったわよ……」
「泣きたいのかよ! いや、泣くなよ!! 」
「あたしはっ! ただ、充実した高校生活を送りたかっただけなのよ!!」
「逆切れ!? いや、泣かれるよかいいけどさ」
「友達とおしゃべりしながらカフェテラスで食事したり、学校帰りに寄り道したり、部活とかで汗を流したり、かっこいい男の子とデートしたり……。ただ、ただそれだけだったのに、それなのに……」
「そして、また落ち込む! ……やべぇ、こいつホンモノだ。ホンモノのサイコパスだ!!」
一通り言いたいことを言い尽くすと、かなでは肩を落としてうつむいた。
瀬田が気味悪そうな顔で見つめているが、どうでもいい。
「友達だと思っていたのに……」
しばしの沈黙の後、かなではポツリとつぶやいた。
「でも、全部嘘だったんだ。友達だと思っていたのはあたしだけで、みんなはそれぞれ自分の目標をもっていて、あたしだけが何にも無くて……。敵を倒して勝ったつもりでいたけれど、終わってみたら敵なんて始めからいなくて、誰も勝ってなんていなくって……。銃の中身は偽物なんだけど、外側だけが本物で、作り物の戦争は本物そっくりで、撃たれても死なないんだけど、死ぬほど怖くって……。正しいことをしたつもりでいたのに、皆に迷惑をかけちゃって……」
支離滅裂な独白が、止め処なく口から漏れる。
「もう、何が本当で、何が嘘なのかわかんないよ。……どうすれば良かったの? ……どうしたらいいの?」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「……まあ、そのなんだ」
気まずい思いをしていたのは、瀬田も同じだったようだ。
沈黙を打ち破るように、かなでに向かって話しかけてきた。
「メイベルの言ったことなら気にするな。あれは……まあ、ああいう奴なんだ。そう思うことにしておけ」
よくわからないが、慰めようとしてくれているらしい。
「初めて会った時からあんな風だったよ。人情の機微に聡いくせに平然と他人を傷つけるようなことを言う。性質が悪い女さ、本人には悪気がないもんだからなおさらだ。……あいつのことは……そうだな台風とか地震とか、そういう災害と同じものだと思えばいい。そう思えば腹も立たないし、色々とあきらめがつくだろ?」
「……友達だったんだ」
「うん?」
「友達だったんでしょ? 天童さんと」
繰り返し尋ねる。
愛称で呼び合うくらいなのだから、二人はよほど親しい間柄だったと窺える。
「あいつと友達? ハッ、まさか!」
しかし、瀬田は一笑と共に否定した。
「そんなことあるわけないだろ。同じ戦場を戦ったが、戦友と呼べる間柄じゃない。ただの仕事仲間――いや、仲間ですらなかったな。俺達の間にあるのは利害で結ばれた歪な共犯関係だけだ」
そう前置きして、瀬田は昔語りをはじめた。
「奴と知り合ったのは内戦に揺れる土浦だった。当時の土浦は、困窮極まる茨城から電脳的独立をもくろむ独立派と、それを阻止しようと組織された形ばかりの暫定政府軍との間で小競り合いが始まっていた。当時、俺は独立派の義勇兵として参加していて、あいつは政府勢力を相手に商売していた武器商人だった」
瀬田と芽衣耶が知り合ったのが何時なのかは知らないが、この学校に入学する前――つまり中学生だった頃のはずだ。
義勇兵だの武器商人だの、中学生が何をやっているんだと思ったが、とりあえずおとなしく話を聞くことにした。
「あいつは抜け目ない武器商人達の中でも恐ろしく慎重だった。人前に姿を現さず、必要なことは全て代理人を通して行っていた。武器の売買から、敵との交渉――それぞれに担当者をあてがい、手足のように操った。俺の担当は戦闘だ。奴の『目』として戦場の最前線に立って戦った」
「……それって」
「そう、あんた達、校内安全研究会と同じようなクランがあったのさ」
どこか懐かしむように遠い目をして、瀬田は話を続けた。
「どっから調達してきたのか知らないが、奴は大量の武器を売りさばいた。そうやって得た資金を元に、やがて奴は紛争そのものに介入するようになった。奴の目的は紛争の激化だ。紛争が激しくなれば奴の扱っている商品、つまり武器の価格が跳ね上がる。俺は奴の用意した強力な兵器ユニット――あの悪趣味なピンク迷彩の兵隊達を従えて、ある時は反政府軍のアジトを襲撃し、またあるときは政府軍側の駐屯基地を破壊した。政府軍、反政府軍、双方に攻撃を加えることによって、紛争の激化に拍車を掛けるためだ。奴の目論見どおり、武器の価格は高騰。さらに莫大な資金を手に入れた」
どこかで聞いたことのある展開に、かなでの口元がひきつる。
「仕事上は上手くやっていたが、メイベルとは出会った当初から反発しあった。俺はあいつのハーフ特有の考え方が、どうにも気に入らなかった」
「ハーフ?」
「ハーフレンズってことさ。あいつのサイバー・グラスは単眼鏡型、奴は片目で電脳空間を見ると同時に、もう一方の目で現実世界を見つめているのさ。現実と虚構を巧みに使い分ける、合理主義を超えたご都合主義さ」
そのご都合主義が余程気に入らないらしく、瀬田は軽蔑しきった表情で鼻を鳴らした。
「もっとも、あいつもあいつで俺のミラーシェード的な考え方を嫌っていたからお互い様だな――あいつが言うには俺はロマンチストなんだと」
「ロマンチスト?」
「ああ、理想主義者と言いたいんだろうな。俺にとって電脳空間は、現実世界と等しく存在するものだと思っている。そもそも、高度に洗練された情報インフラである電脳空間を、現実と分け隔てて考えることが出来ると思うか?」
唐突に投げかけられた難解な問いかけについていくことができず、かなでは目を白黒させる。
「えっと、そういう哲学的な話はちょっと……」
「そんな難しい話じゃない。例えばコレ、」
手元にあったペットボトルを掲げ瀬田が尋ねる。
「このペットボトルの水は『現実』として存在している――そうだろ?」
至極当然の質問に戸惑いながらも、かなでは頷いた。
「この水はさっき俺が其処の自販機で買ったものだ。支払いは携帯の電子マネーで済ませた――そうだよな?」
自販機を指差し再び尋ねる。彼の言うとおりだったので、かなでは再び頷いた。
「その金は俺が《グローバル・コンバット》で稼いだ金だ。電脳空間が作り出す『虚構』の戦闘で得たポイントはリアル・マネー・トレードで換金できるのさ――そこで問題だ。今の話のどこからが『虚構』で、どこまでが『現実』だ?」
「…………ええっと」
かなでは返答に詰まった。
あらためて一から説明されると奇妙な話だ。
電脳世界で得た戦闘報酬が紅茶と姿を変え、現実世界に存在するかなでの喉を潤している。
それはとても、奇妙な話に思えた。
手の中にある、ペットボトルを見つめ考える。
しかしいくら考えても答えは出ない。
仕方がないので正直に答えた。
「……よくわからないわ」
「そう、その通り!」
以外にもその返答は、瀬田の満足のいくものだったらしい。
「現実と虚構に明確な線引きなんてありはしないのさ。電子の網で世界を覆いつくそうとしても、その先にいるのは現実に生きる人間がいる。手紙、電話、ネット……コミュニケーションツールが発展しても、人と人とのつながりだけは変わらないのさ」
そう言うと瀬田はペットボトルに口をつけ、ミネラルウォーターを一口あおって見せた。
「俺にとって電脳空間で起こりえたこと全てが現実だ。《グローバル・コンバット》で費やした技量と時間、戦闘で感じた恐怖と充足感。そして、ともに戦った仲間たち――それら全てが現実であることを、このペットボトルの水が証明してくれる」
口元を手の甲で拭い、話を続ける。
「だが、メイベルは違う。奴にとって《グローバル・コンバット》は『虚構』の世界の電脳ゲーム。金という『現実』を得るための手段でしかない。奴は勝利者になるための努力を惜しまなかった。脅迫、買収、暗殺、あらゆる手段を使って対抗勢力を駆逐した。奴にとって全てはゲームの中での出来事、どんな卑劣な手段であっても良心の呵責に苛まれることはない」
それは彼にとって苦い思い出なのだろう。
彼の優しそうな目がわずかに吊り上がった。
「あいつの冷酷非情なやり口は周囲の勢力のみならず、身内からも反発を招いた。虚構と現実――メイベルは二つの世界を見通すことは出来ても、部下の思考までは理解することは出来なかったのさ。メイベルの情を欠いたやり方についていけなくなった仲間達が、一人、また一人、とあいつの元を立ち去って行った……」
愁いを帯びた溜息を一つついて、話を続ける。
「残ったのが俺とメイベルの二人だけになった時、紛争は唐突に終結した。政府軍と独立派、双方の資金が尽きたのさ。結局、紛争は痛み分け。反政府勢力は解散し、暫定政府は存在意義を失い自然消滅。二大勢力から搾れるだけ、搾り取ったメイベルは土浦を後にした。統率者がいなくなった土浦はプロゲーマーたちが暴れる無法地帯と化した。いまだに混乱状態が続いているらしく、収束する気配がないらしい」
救いようのないエピソードと共に、瀬田は話を締めくくった。
見計らったようなタイミングで、瀬田の携帯電話が鳴る。
どうやらメールが届いたらしい。
液晶画面を見つめ、彼はつぶやいた。
「……どうやら、決まったようだな」
「……え?」
「会議室の話し合いが終わったようだ。『電脳管理員会は明日、校舎を占拠している敵対勢力に対し総攻撃を仕掛ける』だってよ。……長いこと話し合って、これだけかよ。しかし『作戦参加は有志のみとする。強制はしない』とは、また弱気だな」
苦笑と共に携帯電話をしまう。
その横顔にどこか悲壮感のようなものが感じたかなでは、恐る恐る尋ねた。
「勝算はあるの?」
「ンなもんあるか。昨日、お前達にやられた被害もまだ回復してない。圧倒的に戦力が足りないんだ」
「勝ち目が無いのに、戦うの?」
「勝ち目が無くても、戦うの! 兵隊が戦場選んでいたら戦争にならないだろ」
「……負けちゃったら、どうなるの?」
「メイベルの思い通りの展開になるな。土浦紛争の再現だ」
「…………」
それはつまり、この学校を中心とした湾岸エリア一帯が、プロゲーマーたちが暴れる無法地帯になるということであった。
その原因を作ったのは他でもない、かなで達校内安全研究会だ。
責任は感じているが、どうしたらいいのかわからない。
「作戦開始は明日、朝七時。集合場所は幕張海浜公園だ」
すがるような目つきで見つめるかなでに向かって、突き放すように言い残すと瀬田はその場から立ち去った。
――明日、朝七時。幕張海浜公園
『来い』とも『来てくれ』とも言わなかった。
しかし瀬田の声には何かを期待するような響きが含まれていた。
瀬田の姿が校舎に消えると、中庭に残っているのはかなで独りだけになってしまった。
今はちょうど授業時間中、周囲に生徒たちの姿はない。
誰もいない新緑の中庭を見つめていると、世界にたった一人取り残された気分になってきた。
言いようのない孤独感に苛まれながら考える。
芽衣耶が最後に言い残した言葉、
――あんたたちにとって現実とは何か、本当にやりたかったことを何かを、もう一度良く考えてみることだね。




